【士弓】擬態と香りとエトセトラ
先日のイベントで配布したペーパーです。早期に切らしてしまって申し訳なかったです。
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◆擬態と香りとエトセトラ (士弓)
現界が長引き、仮初の肉体のまま人のまねごとをして生活する日々が続いている。その日、アーチャーはいつも通り日が昇る頃に目を覚まし、洗濯機のスイッチを入れ、前日までに仕込んでいたパン生地を焼き、主が目を覚ます頃までには完璧に整えられた朝食をテーブルに並べ終えた。
今朝の朝食はじゃがいものポタージュと、自家製の食パンに同じく自家製のイチゴジャムを添え、スクランブルエッグ、ベーコン、温野菜のサラダに紅茶。いつもよりシンプルな構成だ。
「おはよう、凛。目覚めはいかがかな。」
「………………おはよう。」
寝起きが悪いのはいつものことだ。というより、彼女が一人で起きてこれる日の方が珍しいのだから、今朝はむしろよくぞ起きてきてくれたとほめてやるべきかもしれない。
彼女を席にエスコートし、ナプキンをかけてやる。促せば遅々とした動きながら、凛は食パンに手を伸ばした。
しばらくは食事の音が響いた。シルバーが皿の上に触れる音。咀嚼音。こく、と小さく喉が動いて、アーチャーが作った食べ物が呑み込まれていく。
「凛。今日は君が学校に行っている間、出かけてくるつもりなのだが。半日ほど屋敷をあけていてもよいだろうか。」
「……? 別に行けばいいじゃない。アンタはわたしの許可を取らずとも、好きにしていいんだから。」
「そうだったな。」
ごく当然のように告げられて、当然のことだと思う気持ちと、なぜか少し突き放されたような心もとなさを感じた。矛盾しているなと失笑する。幸い彼女の背中に立っているから、表情を見られることはない。
今やアーチャーは雇われ執事のようなものだ。彼女によって呼び招かれたサーヴァントである以上は、彼女のために力を尽くすことを己の心に誓ってはいるが、契約は既に切れている。こうして屋敷に出入りし、あれこれ口出しすることを許してもらっているだけのこと。
凛の懐の深さはそれだけにとどまらない。契約を切ったサーヴァントの依代としての役目を引き受け、それどころか屋敷の一室を住まいとして貸し与えてくれさえした(さすがに魔力の残量が怪しいとき以外は立ち入らないようにしているが。年頃の女性が一人で住む屋敷に常駐するのも体面が悪いというくらいの判断力はあったので)。感謝こそすれ、それ以外の感情なんて得る方が間違っている。
「……アンタ変なこと考えてるんじゃないでしょうね。」
くる、と唐突に形の良い頭が動いたのに気が付き、アーチャーは慌てて表情を取り繕った。
青い双眸が真っすぐにアーチャーを映していた。少しばかり低血圧の気が強すぎる彼女も、朝食を口に入れれば多少は持ち直す。
ぴしりと細い指を立て、少女は言った。
「好きにしていいっていうのは、どうでもいいっていうのとは違うんだからね。わたしが言っているのは、アンタにはアンタの自由があるってこと。毎日尽くしてくれるのは嬉しいけど、それだってアンタがやりたくないならやらなくっていいってこと。」
「分かっている。」
「……はあ。アンタの『分かっている』って、絶対に分かってないやつなんだけど……ま、いいでしょう。気を付けていってらっしゃいね。」
「君も。……しかし凛、そろそろ歯を磨かないと出立に間に合わないのでは?」
「うわあ、大変!」
やれ、この家の淑女はまだ優雅な朝を過ごすにはいろいろと不足があるようだな、とため息をついてはみたが、そこに悪い気がしない時点で色々と終わっている。
(あくまでも私は死人。あまり多くを望むものではないと分かってはいるつもりなんだがな。)
釘を刺されるまでもない。
※ ※ ※
屋敷の主を送り出したアーチャーは、リビングの掃除と皿洗いを終えてから新都に向かった。冬晴れの空、太陽は明るく温かいが、肌に触れる風は冷え込んでいる。慢性的な魔力不足もあいまって少し寒い。マフラーとコートを着込んで正解だった。
少し待ち、やってきたバスに乗り込む。乗客らももこもこと厚着をしていた。今年の冬は例年よりも冷え込みが厳しいというから、それも当然のことだろう。
終点――新都駅前に辿りついてバスを降りる。危なげな様子で杖を突く老婆が降車するのを介添えしてやってから、アーチャーは駅前のデパートに足を踏み入れた。目指すのはコスメカウンター。目星はもうつけてあった。
平日の日中。デパート館内は閑散としたものだ。人もまばらなところ、女性客をもてなすフロアに突如現れた長身の男は嫌でも目立った。
目的のカウンターはすぐに見つかった。宝石を思わせるような色とりどりの口紅、ネイルラッカーがずらりと並んでいる。その横に並べられた瓶の一つを見て、アーチャーはほっと息を吐いた。
「いらっしゃいませ。」
カウンター前で待機していた美容部員の一人に声をかけられる。これを、と指差した商品が奥の棚からすぐに取り出された。
グラデーションの美しい小ぶりの箱だ。中身はメンズ向けの香水。ライムの奥にレザーやスパイスの苦みが香る、個性の強い――言ってしまえば纏いにくい香調のものを選んだ。
「お試しになりますか? 体温や体質によって香水の香り方には個人差がありますので、できれば一度お試しいただくことをお勧めしておりますが。」
「大丈夫です。このままお会計を。」
「かしこまりました。ラッピングはいかがいたしましょうか?」
「自宅用ですから結構です――あ、紙袋だけお願いできますか。」
「かしこまりました。」
カウンターの下から取り出された小さな紙袋の中に、小箱が丁寧な調子で閉じ込められる。ぴったりの代金と引き換えに紙袋を受け取って、アーチャーはそそくさとその場を後にした。
※ ※ ※
夕方。アーチャーはパンパンに膨れた買い物袋を両手にぶら下げて衛宮邸の玄関前に立っていた。
――基本的にこの場所には近寄らないアーチャーだが、例外もある。
マスターとのパスを切っている都合、魔力はいつだって不足気味だ。ある程度耐えて耐えて、それでも無理だという瀬戸際でアーチャーは衛宮邸に足を踏み入れる。
相手に求めるのは不足する魔力の譲渡。こちらが支払う対価は当日と翌日朝の食事作り。買い物袋に詰め込まれているのは対価のための食材というわけだ。
衛宮士郎は魔術師としては凡才以下、本人が持つ魔力もそう大したものではない。が、同じ根源を持つかつて同じだったはずの魂故にか、魔力の相性がいい。凛の滴るような上質な魔力には当然及ばないが、他人から何かを吸い上げるという今の状況自体を許容しかねるアーチャーとしてはこれができるギリギリの譲歩であった。当の士郎がどう思っているかは知ったことではないが。
預けられている鍵を使って玄関を押し開け、土間に靴がないことを確認する。部活に入っていない奴のことだ、日が落ちきるまでには帰ってくるだろう。
脱いだ靴をきれいにそろえてから、アーチャーはキッチンへと向かう。道すがら廊下とリビングの明かりを点け、ストーブに火を点ける。カウンターの上に畳み置かれていたエプロンを纏って作業開始だ。
……案の定、日が落ち切った頃に玄関扉の開く音が響いた。家主のご帰宅だ。
格別迎えてやるような間柄でもないので作業の手を止めることはしない。リビングにやってきた士郎が「ただいま」と言うのにも聞こえないふりだ。士郎の方もこちらの反応に多くを期待してはいないのだろう、アーチャーの態度に文句をつけることもない。第三者が現れない限り、二人の間に会話らしいものは発生しないのが常だが、今日は違った。
「ん? アーチャー。お前、何か付けてるのか?」
近付かれ、至近距離ですんと鼻を鳴らされて、思わず相手の頭をひっぱたいてしまったのは不可抗力であろう。
すぱーん! と小気味の良い音がして少年の背中は背後のカウンターに激突する。幸いなのかどうか何とも言い難いが、怪我はしていないようだ。身に沈めた鞘の影響もあるのだろうが、肉体の頑丈さだけは成程褒めてやってもいい。
うう、と呻きながらも彼は気丈にもこちらをキッと睨み付けた。
「あのなあ……説明の一つもなしにいきなり殴ることないだろ!」
「突然パーソナルスペースを詰めてきた相手に一体何をどう説明しろというんだ。――待てよ。貴様、まさか誰にでもそんな風なのではないだろうな⁉ 変質者に間違われでもしたら目も当てられんぞ!」
「馬鹿! アンタ以外にするかよ!」
言いきられて思わずうろたえたアーチャーの首筋に、ぐいと沈む少年の吐息。
湿った熱が肌に触れて思わず背筋が粟立った。
二人、ぴたりと触れ合ったまま、言葉もなく時間が過ぎる。一秒。二秒。三秒。
場違いなほどに穏やかな音を立てながら、鍋の中では出汁が香っている。
「やっぱり。香水か?」
「サーヴァントには代謝がないからな。」
「それがどうして香水に繋がるんだよ。」
「馬鹿め。匂いのしない人間などおるまい? いい加減偽装が必要だと思って買ってきた。それだけだ。」
吐き出した言葉とともに、この一年を思い返した。
己の方から破棄したはずの契約は朝焼けの空の下結び直されて、消えるはずだった己は今も大地に縛られている。この現界が様々なイレギュラーの上に成立し、まっとうな形ではない状態で維持されていることは承知しているが、彼女のささやかな願いをこの分霊の身で叶えられるのならばとアーチャーは許容した。……実のところ、たったそれだけを呑み込むまでに一年もかかってしまったのだが。
サーヴァントは死人だ。こうしてただの日常に埋没させようとすれば様々な部分に違和が生じる。
代謝がないという異常を他人に感知させないために香水を纏う。食事や睡眠を摂る。そうやって人に擬態する。擬態しておきながらも死人であることには変わりがないから、他人から魔力を受け取る在り方を許容する。
矛盾を呑み込む。これがこの一年におけるアーチャーの変容だった。
本当は香水なんて買いたくなかった。己に紐づく何かを残してしまえば、万が一途中で己が消えた時、そのよすががこの世に残されることになってしまう。
「……いつまでくっついているんだ。」
もう限界いっぱいまで譲った。ぐいと肩を押しのけたところで、顔を上げた士郎と目が合った。ゆら、と内側に揺れる情を見て、反射的に足が後ろに滑る。
「食事、まだかかるか。」
「……あとは味噌汁だけだが。」
「今すぐしたい。」
「はあ?」
「これが、だんだんアンタの匂いになるんだなって思ったら、興奮した。」
ぐ、と距離を詰められ噛みつく勢いで唇を塞がれ、慌てて頭をひっぱたく。だが魔力不足の身、僅かでも甘露を流し込まれてしまえば精神よりも先に肉体の方が陥落してしまいそうになる。
伸びてくる腕を振り払い、相手を睨み据える。士郎の視線も一歩も引かない。
――今ひとたび触れられてしまったら、己はこの飢えに耐えられるだろうか。
まさに一触即発。その時。
「たっだいまー! しーろーう!」
あっという間に部屋の空気が塗り替わる。黒から白、あるいはタイガー色。
お蔭でアーチャーは己の貞操の危機(?)をキッチンで晒さずに済んだのであった。
※アーチャーが買った香水はディ●ールの「ファーレンハイト」という設定です。似合うと思うんだよ!!!!!