5:お花見チャレンジ!





 ひとつだけリョウマには勇気があった。

 ドタキャンしてふて寝するという最悪の逃避行動を選ばなかったことである。これは二人に対する誠意と、より切実な動機に基づく決断だった。

 そう、予感があった。



――俺がここで逃げたら、たぶんホシノさんがヤバいことになりそうだ。



 根拠はない。

 ホシノ・ミツキが超能力者を自称する、ふわふわした不思議オカルトマニアで、リョウマから見て不可解だった状況もすべて科学的に説明できる可能性だって大いにある。


 だいたい、いくら何でも本物の超能力者だというのなら――あんなに能力をオープンにしていたら、すぐに周囲から迫害されてしまうのではないだろうか。

 突拍子もない言動に慣れているリョウマでさえ、彼女の言動のキレっぷりには怖じ気づいたのだ。


 普通人はもっとドン引きするだろう。

 しかし探ってみた限りでは、ホシノ・ミツキの評判は悪くない。愛想がよくて成績優秀、男子からも女子からも浮いている様子はない。



――あの言動で?



 春の陽気に包まれた週末の公園は、散ってしまったソメイヨシノと入れ替わりに、種類の違う桜が花を咲かせていた。

 時刻は午前一〇時半。


 散歩やジョギングの訪れている市民も多く、絶好の花見日和であった。

 リョウマはお花見の道具を持参していた。一番家が近いので、ブルーシートで場所取りをするよう申しつけられていたのである。


 ちなみに飲食物に関しては、超がつく金持ちのベルカ・テンレンが引き受けていた。

 これはベルカが提案者ということもあり、ひとまずリョウマもミツキもその好意に甘えてしまった形である。



――あいつ気配りできるし、そんなに高いものは用意しないだろ。



 そう思いたい。

 そんなに高くなさそうなお惣菜が、あとから聞いたら実はいいお値段がするお店のものだった――なんてことはありえるかもしれないが。


 少なくとも露骨に、こちらを萎縮させるようなものは用意しないはずである。

 ベルカはそういうところはきっちりしている。



「イヌイさん、ちょっとひどくないですか? あたしが学校で浮いてそうって感想、ちょっと傷つきました」



 唐突に後ろから声が聞こえてきて、ふわりと風に乗っていいにおいがした。

 リョウマはゆっくりと後ろを振り返った。

 目と鼻の先に、流れるような黒髪の美少女がいた。真っ赤な宝石のような瞳が、じっと自分のことを見つめている。


 身につけているのは春物のワンピースドレスだ――淡い色彩のそれはひらひらと可愛らしく、学校の制服のブレザーとはまた違った趣があった。頭にはつばが広い日よけの帽子を被っていて、それがまた鴉の濡れ羽色の長髪を引き立てている。


 素直に評するなら、恐ろしく可愛い。

 ホシノ・ミツキという少女が、自分の容姿の美点を、客観的に把握していなければ不可能な服装だった。



「俺の頭の中をのぞき見されるのと同じぐらい、ひどいことしたかな?」



「大丈夫です、イヌイさんが気にしなければその問題は解決されますから」



「そこで居直られるとどうしようもないね、マジで」



 ホシノ・ミツキだった。真後ろから声をかけられるまで、リョウマはその接近にまったく気づけなかった。

 自分は探偵やスパイではないから、どんな異変も見逃さないないなんて無理だが、びっくりするぐらい近くである。

 そのことを疑問に思った直後、ミツキはふんわりと優しく微笑んだ。



「他の人が考えてることがわかるってことは、意識が向いてるものもわかるってことです。イヌイさんがぼんやりしてる一瞬を選べば、気づかれずに後ろに立つぐらいはできます」



「……OK、ホシノさんが本物だって認めよう。それで相談なんだけど」



「その幼馴染みの人のことですか? えーっと、洗脳するなってことです?」



「ああうん、話が早くて助かる。うっかり見落としてた俺が悪いんだが――やらないでくれるよね?」



 拍子抜けするほど本題に入るのが早い。

 だが、リョウマの確認めいた一言に対して、素直な肯定は帰ってこなかった。

 ミツキは小首を傾げると、その美しい小顔に悪意の一欠片もない疑問符を浮かべた。




「――イヌイさんは、?」




 ぎょっとした。リョウマは自分の心臓が、どくん、と跳ね上がるのを自覚した。

 乾いた口を濡らして、必死に言葉を発する。



「どういう意味かな?」



「イヌイさん、学校で浮いてるんじゃないか、迫害されたりしないのか、って思ってましたよね。あれって正しいと思います。ドラマとかアニメだと、超能力者ってそのせいでいじめられちゃうんです、異物だからって理由で孤立して、みんなから石を投げられて、そのせいで卑屈になったり人間を憎んだりします」



 でも、とミツキは微笑む。

 柔らかで甘やかで、十代の少女でありながら慈母のようなぬくもりさえ感じさせる笑み――整った造形の顔を、完璧に制御しているがゆえの調和された美。



「――。誰もが、みんなが、あたしのことを好きになってくれるから、いじめられることはない。あたしがみんなを逆恨みすることないです。すっごく平和ですよね?」



 そしてミツキはおどけるように、その細腕からぶら下げたスーパーの袋を見せた。近所のスーパーで買ったらしい、大袋のお菓子が詰まっている。

 これ見よがしにレシートも同封されていた。


 ホシノ・ミツキは悪びれることなく、その異能の力を振るっていたが、買い物にお金を払うぐらいの社会性はしっかり持っている。

 不当に商品をくすねるような犯罪性と、目の前の少女は無縁だった。



「心を操る能力が悪だって言うのなら、人に好かれるようなコミュニケーションをして、おしゃべりして、お化粧するのだって悪いことです。そうやって誰かの心を動かして、その結果を受け取っているんですから」



 ですから、とミツキは言葉を句切った。

 大きな赤い瞳に、無垢なる祈りを乗せて、美貌の少女はただ疑問を口にする。



「ぜーったい仲良くできなさそうな女の子に、あたしを好きになってもらうのって――?」



 リョウマはようやく理解した。

 こんなにもズレている少女が、同年代の子供の集団生活の中で浮かないでいる理由――それはつまり、幾度となく心を操ってきたからなのだ。


 いや、それは能動的な行為ですらないのだろう。

 ミツキの口ぶりから察するに――それは自動的に作用するものだったはずだ。

 超能力なんて持っていない人間が、誰かに笑顔を向けて、愛想を振りまいて、相手の親愛を勝ち取るように。


 ホシノ・ミツキは超能力を行使して、誰かの心を操って、その信頼を得ている。

 リョウマは、魔性じみた少女の目を見て頷いた。



「ああ、悪いことだよ。俺にもベルカにも、そして君にも――誰かを嫌いになる自由がある。それは誰を好きになるかと同じぐらい、当然あるべきものだから」



「その自由って必要です? ニュースで話題になる、いじめとか自殺とか、ああいうのも必要ですか?」



「まあそうなるよなー……いや、俺もしっかりした答えは返せないんだけどさ。でもまあ、ホシノさんと俺の幼馴染みには、友達になってほしいよ。洗脳抜きで」



「それ、ただのわがままじゃないですか?」



 ホシノ・ミツキの自我は強固だ。倫理的にも道徳的にも褒められたところがない、どす黒い方法論を振りかざしているが、すくなくとも敵意や悪意で周囲を振り回してはいなかった。

 それがかえって恐ろしいのだが、とりあえずよかったところを探すなら――ミツキの側に、ベルカを害する意思がないことだ。


 いや、よくわからない超能力で好悪を弄られるのは、広義で精神に対する攻撃かもしれないが。

 リョウマは三秒間ほど考え込んだ末、深々とため息をついた。

 無理だ。

 つい一週間前、超能力の実在を知らされた一五歳の手に負える問題じゃない。



「ホシノさん、これはお願いだ――俺の幼馴染みと、ひとまず素で話してみてくれないか。喧嘩になったら、それでもいい。無理に仲良くする必要なんてない」



 ミツキはその浮世離れした美貌に、曖昧な微笑みを浮かべた。肯定しているのか拒絶しているのか、リョウマには判断できなかった。

 そんな彼の戸惑いを感じ取ってか、少女は――口の端を三日月型につり上げて、にっこりと笑った。




「今日はイヌイさんが服を褒めてくれましたから、あたし、機嫌がいいんです。なのでお願い、聞いてあげちゃいます」




 リョウマは自分の顔が赤くなるのを感じた。どうやら先ほど、ミツキのワンピースドレスに内心で見惚れていたことを、しっかり読み取られていたらしい。

 ホシノ・ミツキは上機嫌そうに、ひらりひらりと裾をひるがえして、踊るようにリョウマに手を差し伸べた。

 まるで運命の人にそうするように。




「――だから疑わないでくださいね。あたしが、何もしてないって信じてください」




 無茶振りだった。

 イヌイ・リョウマはためらいなくツッコミを入れた。




「出会って速攻で洗脳しようとした子を疑わないの、すっげえ難しいと思う」




「イヌイさん、空気読んでください」




「理不尽だ……」




 リョウマのぼやきは、春のあたたかな日差しの下で溶けていった。







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