Drawing 【掌編】
もし、心に在る情景を映すことができるカメラがあったとしたら?というテーマでいつかきちんと書きたいと思っている、アーチャーのお話の掌編です。5/4のスパコミにて無配したペーパーと同様のものです。
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素っ気無く机上に置かれたカメラの存在に気づいた時は、先程までここ――遠坂邸に遊びに来ていた衛宮士郎あたりが忘れていったのだろうと思っていた。手にとると想像よりもずしりとした重みがあり、シンプルな意匠でありながらもそこそこの高級感が伝わってくる。
何とはなしにファインダーを覗こうとしていた己を興味深げに眺めていたマスターの視線を感じ、アーチャーは溜息をついた。
「――凛。言いたいことがあるなら素直にそれを口にしたらどうかね?素直になる、ということは意地っ張りの君にとって至難の業に等しいかもしれないが」
ちくちくと針を刺すようなアーチャーの皮肉に臆することなく、凛はそっとこちらに歩み寄ってきた。さりげなくサーヴァントの手からカメラを奪い、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「貴方もやっぱり男の子なのね、って思っただけよ。見慣れない新しいものを触って弄りたがる、好奇心旺盛な男の子と同じ」
予想だにしなかった単語を耳にしてアーチャーは絶句し、己の表情がさらに苦渋の色に染まっていくのを抑えることができなかった。どこから見ても立派な成人男子で、上背や筋肉量も平均値をゆうに超える恵まれた体格の持ち主と自負している英霊に少しも相応しくない評価だ。マスターの目はどうかしてしまったのか、と罵りたい衝動にかられながらアーチャーはやれやれと首を振る。
「……保有する魔術の特性上、物体の構造を把握しておきたくてな。職業病みたいなものだ。君のその言い草は承服しかねる」
「あら、気を悪くした?アーチャー。馬鹿にしたわけじゃないのよ。意外に可愛いところがあるのねって少し親近感が湧いただけ。まあ、職業病の延長線上にある行為と理解しておきましょう」
アーチャーとしては色々と聞き流せない文句を口にしながら、凛は当該のカメラを弄っていた。アーチャーよりもずっと小さな凛の手には、少々そのサイズと重量を持て余しているようなカメラがある。そもそも、己のマスターは機械オンチでカメラなど持っていようはずもない。やはりこれは、訪問客の忘れ物なのだろう。
そんなアーチャーの推測を知ってか知らずか、凛はこちらを見やってかすかに目を細める。
「ねえ、アーチャー。このカメラを手にした時、『何か』感じなかった?」
少女の意図が分からず、アーチャーは再び眉を顰める。
「む、その『何か』とは一体どのようなものだ?妙な違和感は覚えなかったが……」
こちらを見上げる凛の瞳が、思わずたじろんでしまいそうになるほど真っ直ぐにアーチャーを見据える。誤魔化すつもりは一切ないが、と戸惑いつつも見つめ返すと先に視線をそらしたのは凛の方だった。
「だったらいいの。まだ撮影していなかったものね。魔術が発動していなかったのかもしれない」
聞き逃しそうになった単語に、アーチャーは今度こそ目を丸くした。どういうことだと問いつめる前に、少女はあっさりとタネ明かしをしてみせる。
「これ、実はただのカメラじゃないの。この前、工房の中の棚を整理して見つけたんだけど」
これは、被写体の心に在る情景を映すカメラだ、と少女は言った。
「カメラと一緒に置いてあったメモによると、大師父が作ったもののようね。天の込んだ冗談であれば笑い話で済むけど、嘘偽りの無い本物だったとしたら――ちょっと扱いに困るわね」
首を竦める凛の手には、依然としてそのカメラがある。外見だけは何の変哲もないただのカメラが、今のアーチャーの目にはこれまで遭遇したことのない未知の怪物のように思えてならなかった。
内心でじわじわと燻り始める不穏な感情をひた隠し、アーチャーはかねてからの疑問を口にする。
「――それが本物かどうか、もう試したのか?」
「その前に貴方の意見を聞きたいんだけど。貴方はどう思う?アーチャー」
質問に質問で返すのはアンフェアだ、と柄にも無く舌打ちでもしてやりたくなったのは己が動揺しているからなのだろう。到底認めたくはないが、自分は『あれ』に不快感を抱いている。そのことを目の前にいる少女に見透かされそうで、尚更焦燥の念にかられる。
「馬鹿馬鹿しい、そんな非現実的なものが実在するとは到底思えんがね」
平静を装って吐き捨てたはずの言葉の口調が殊の外荒っぽく、苛立ちを帯びていたことに凛よりもアーチャー自身が驚いた。そっと息を吐いた後、肩を竦めてみせたのは若干の気まずさを振り払いたかったのだろうか。半ば置いてきぼりをくらったような感情を尻目に、唇だけは流暢に露悪的な台詞を紡ぎ出す。
「まあ、私たちのような存在が現界していること自体も絵空事に等しいが。ならばその、薄っぺらい心という代物を投影する反則ものの道具も認めざるを得ないだろうな」
黙ってアーチャーの話を聞いていた凛は「そうかもね」と呟いた後、苦笑を浮かべる。
「実はまだ、誰にも試してないの。衛宮くんあたりを騙して撮影してみようかとも思ったんだけど……内容が内容なだけに、ちょっとね」
確かに、自分の心象風景を他人に見せびらかしたいなどと考える人間はいないだろう。それを見る人間が自分と近しい存在であればあるほど、それは忌避すべきものだ。誰しも多かれ少なかれ、他人――自分自身にすら知られたくない(知りたくない)ものを有しているものだ。それを暴くには相応に無神経且つ無遠慮でいなければならない。
平素から積極的で気の強い凛だが、他人への気遣いを欠いているわけではない。衛宮士郎とは気兼ねなく付き合える良好な人間関係を築き上げているようだが、だからこそ越えてはならぬ一線を前にして躊躇っているのだろう。
「本当、厄介なものを残してくれたわね。悪戯の度を超していっそ嫌がらせの域に達しているわよ、これ。大師父がそれを狙ってたとしたら大成功だわ」
厄介だ、と言わんばかりに首を振ってみせる凛を眺めながらアーチャーはマスターの意図をようやっと理解し始めていた。
扱いに困るようなものであればわざわざそれを表に出す必要もあるまい。だが、『敢えて』目にふれるところに置いていた理由はただ一つ。このカメラが『本物』かどうかを試したかったからだろう。
前提すぎるほど前提であったが故に失念していたが、彼女は魔術師だ。魔術と銘打ったものに対して貪欲で、時に狡猾だ。同じ魔術師という部類に入るアーチャーにはその性質が痛いほど共感できる。未知の魔術という存在を知ってしまったら、意識的にしろそうでないにしろ、凛はそれを知り尽くそうとするだろう。例え、どんな手段に出ようとも。
彼女は、おそらくそのカメラを構えてファインダーを覗き、シャッターボタンを押す。そして、この場に於いて被写体と成り得るのは彼女を除いてたった一人しかいない。
「――予め言っておくが、私を対象にしようとするのはごめん蒙るよ、凛」
先手を打ったタイミングは、我ながら絶妙だったと思った。珍しく無防備な様子で驚愕の表情をした凛が反論する前に、アーチャーは続ける。
「ああ、羞恥や嫌悪からではない。きっと君を落胆させるであろうことが分かっているから、元より遠慮すると言っているんだ」
自然と唇の端に浮かんだ笑みに潜んだものは、自嘲か諦観か。あるいは両方だったかもしれない。だがそんなことはどうでもいい。
「何せこの『心』には何も無い。擦り切れてあちこちが綻び、崩れ落ちた感情の成れの果てしか残っていないんだ」
磨耗しきった記憶を手繰り寄せようとしても、その断片すら掴み取ることが難しい。あのカメラを敬遠していたのはおそらく、純粋な――至ってシンプルで原始的な『恐怖』によるものだ。
絶句したままの凛を見下ろしながら、アーチャーは言い含めるように呟く。
「シャッターを切ったとして、そこに何も映っていなければ意味が無い。幕が上がった瞬間に役者が舞台から降りてしまっているも同然だ。喜劇にもならない」
恐ろしいのは、自分にも分からない何かを晒されることではない。この身に備わった『心』が完全なる空虚でしかないことを思い知ること。それが、気が狂いそうになるほど、怖い。
そんな本音を、いっそ口にしてしまえたら。表情に出すことができたら、どれほど楽になれるだろうか。だが、それだけは許されない。だから、ただ余裕ありげに口元を歪めて偽りの仮面を貼りつける。
「私は生憎、道化になる資格すら持ち合わせていない。それでも君は、そのレンズに私を映すかね?」
凛の手の中に収まったカメラ。そのレンズはただ無機質な光を湛えるばかりで、重苦しい沈黙が圧し掛かった二人を他人事のように眺めているようだった。