痛みに耐えること自体には慣れているけれど、孤独に苦痛を耐え忍ぶだけ、というのはなかなか精神的に堪えるものだ。
寝ぐらというのもおこがましいような、雨風を凌げるだけ僥倖といったレベルの崩れ掛けた廃屋で、声を殺して蹲っていた。
銃弾の痕が残っている壁際は崩壊が酷く、天井すら崩れている部分がある。そんな廃墟みたいな部屋の隅で、独り行使した魔術の反動に耐える。
神経をガリガリと削られる激痛と、頭がかち割られているかのような痛み。胃が二転も三転もひっくり返りそうなほどの壮絶な吐き気。
身を襲う痛苦の嵐は慣れ親しんだものだったけれど、いくら慣れたとは言えやはり苦しい事には変わりない。
冷や汗とも脂汗ともつかない自身の水分が、止め処なく滝のように流れ出ていっているが、薄い毛布で身体を包んでも細かい震えが収まらない。
魔力の暴走による高熱で、頭の中身は熱でぼうっとしているのに、身体の芯が寒くて寒くて仕方がなかった。
突然、突き上げるような強い嘔吐感を覚えて、慌てて手で口を押さえる。喉奥からこみ上げてきた酸い液体を、奥歯を噛み締めて無理矢理飲み下した。
口中に溜まった粘ついた唾液で、少しでも口内の不味い味を流してしまおうとするが、口の中が渇ききっていて大したごまかしにはならない。
何も入っていない胃袋は刺すような痛みを増幅させつつ引き攣っているし、胃と同じように食道の辺りもガチガチに突っ張っていた。
キリキリと痛む腹部を、宥めるように服の上からさすりながら、この嘔吐の発作が一度では治まりそうにないと判断する。
もったいないが、水筒から水を一口含んだ。
貴重な水の配分をこんなところで前倒ししてしまうとは。
水よりも安価で暑さで劣化しにくい酒ならば、持ち合わせに多少の余裕があるが、今のように胃も食道もビクビクと痙攣させているような状態では、余計に胃を荒らして、より一層の嘔吐を誘発してしまいかねない。
口に含んだ水を渇いた身体に浸透させるようにじっくりと味わい、奥歯を重点的に強化の魔法を掛ける。嘔吐を繰り返せば胃酸で歯が溶けてしまうし、苦痛を耐えるために噛み締め続けると、最悪歯そのものが砕けてしまいかねない。
そうそう簡単に医者に罹れる身分じゃない以上、この程度の自衛でも多少の気休めにはなった。
少しだけ痛みの波をやり過ごし、上体を起こして大きく深呼吸を繰り返す。過呼吸に陥ってしまわないように、最後まで息を吐ききるよう意識するのを忘れない。
苦患が耐えられる程度に落ち着いている今のうちに、何か薬でも服用しておこうか。
そう思って自分の薄汚れたザックを漁り、ふと手のひらに収まるくらいの大きさの、四角い箱が目に止まった。
震える手で蓋をこじ開けると、注射器とアンプルが収まっている。それを見て、ああ、とようやくコイツの出所に思い当たった。
襲撃した犯罪組織のアジトでたまたま手に入れて、捨てずに取っておいた、ソレ。
中身はそう。ヘロインだか何かだと、言っていた気がする。
注射器と、駆血帯替わりのゴム管、未使用のアンプルが二つ。小さくて薄いガラス製のソレを、指でそろりと撫でた。
は、と熱い息が漏れ、ゴクリと口の中に溜まった唾を飲み下す。
震えがひどくなり、眼球が飛び出すんじゃないかと思うくらい、目の前が熱く赤く染まっていた。
反射的にぎゅうと目を瞑って、持っていた箱を、壁の方に向かって勢いよく投げつける。
離れた場所で、カシャン、という殊の外軽い音が聞こえた。
「……!、の、…ッ何、が……!」
何が、の先は言えなかった。
誰もいない、誰も聞いていないけれど、言えたものじゃなかった。
自分に対する怒りと憤りで、頭が沸騰する。
ヘロインの効果は鎮痛と麻酔作用だ。分かってる。正しく使うなら薬物はちゃんと薬としての効果をもたらす。
だが、己のコレは医療行為じゃない。
目の前の苦痛から逃げるためだけの、ただ己が楽になるためだけの、都合のいい逃避でしかない。
あの小さな箱の中身は、作るのに人が死んで、商品として流通させるのにまた人が死んで、アレを使って中毒になった人と周りの人間が泣くような、そんな、死と不幸だけを呼び込む悪魔の薬だ。
オレは、そういった不幸を、そういった負の連鎖を、少しでも断ち切るために存在すると決めたのだろうが。
そのために生きて、生かされているんだろうが!
何が正義の味方だ。
何が泣いている人を見たくないだけ、だ。
夢物語に過ぎないそれを追いかけて、大事な人たちを傷付けて、泣かせて、それでも振り切って進む道を選んだのだから。振り返ることも、後悔することもしちゃいけない。
だって謝ってしまえば、オレの気持ちが楽になってしまう。
失ったもののためにも、置いてきたもののためにも、オレはそれらに対してちゃんと胸を張れるように。
ただの痩せ我慢だったとしても、だからこそ意地を通さなくてはいけない。
怒りに任せて握り込んでいた手のひらがぬるりと滑った。
強く握り込みすぎて爪が肉を裂いてしまったらしい。医療バッグから絆創膏を取り出して貼り付け、班になった体色をごまかすために着用している手袋を両手にはめた。
これなら、握り込み過ぎても手のひらの肉に食い込ませることはあるまい。医療バッグの奥に鎮痛剤を見つけたが、度重なる服用で胃がやられた可能性が高い。今はやめておいた方が得策だろう。
背筋を這い寄る悪寒と指先から冷えて痺れるような感覚で、遠ざかっていた苦痛の波がすぐそばまで戻ってきていることを知る。
比較的綺麗な布を折りたたみ、口に咥えた。
歯に強化を掛けていても舌を噛んでしまっては意味がない。原始的だが今はこのくらいしか取れる方策がなかった。
ズルズルと床に蹲ろうとする身体に鞭を打って、右側を下にして横になる。これで少しは吐き気がマシになってくれると嬉しいが、単なる気休めでしかないことは重々と承知していた。
体位を変えて壁側を向いたら、壁際の崩れたレンガや壁の破片の中に、キラキラと反射するものがあるのを見つけた。
ああ、さっきのアンプルのガラス片が、天井の孔から射し込む月明かりに照らされて輝いている。
崩れた天井の孔からは、夜空も星も見えた。
そうだ。
オレの目指すべきはあの、美しい星で。
その星に顔向け出来ないようなこと、しちゃいけないに決まってる。
永遠に届かないオレの美しい星。
何も遺せないこの身でも、あの星が、あの蒼い夜が美しかったことだけは、忘れたくない。
縋るように、星に向かって手を伸ばして、
突如ぶり返して自身を襲った鋭痛に、ギチリと手のひらを握り込んだ。
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- p13January 6, 2022