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誓約と埋葬(後)/Novel by ちくわぶ

誓約と埋葬(後)

21,863 character(s)43 mins

版権元:Fate/stay night 
注意:腐向け(士弓) 重大なネタバレがあります 原作程度の暴力表現を含みます
 
お待たせしました! novel/4933681の後編です!
戦闘シーンが書いても書いても進まなくてつらかったですが、多分初見でこの文章を読まされる皆さんのほうがよっぽどつらいと思います。すみません、頑張ってください! アーチャーはちゃんと出るので!
あと型月世界の緻密な設定との矛盾点をあまり指摘されると私が息絶えてしまいますので、ご指摘は歓迎しておりますが、どうかお手柔らかにお願いいたします。

追記(2015/4/6)
ブクマタグブクマ評価閲覧ありがとうございます! あと前編ブクマしてくださった方もありがとうございます!
結局ほとんどアーチャー出てこないので申し訳なかったですが、思いのほか受け入れていただいたようでよかったよかった。
しかし確かに弓士でも通用するかもな話でしたね……笑 私としてはお好きに楽しんでいただければ幸いです。

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 桜が自分の家から持ち込んだ材料で作った夕食は豪勢なものになった。
 二人で台所に立って料理をするというのは久しぶりながら、やってみると存外に楽しいもので、和洋折衷と言うべきか、互いの得意料理が食べあわせを考慮されずに並べられている。全体のバランスという意味では減点だろうが、桜が心底楽しそうにしてたのでよしとする。俺も、醤油や味噌の値段を気にせず作れる和食は楽しかったし。
「うーん、作りすぎちゃいましたね」
 満腹まで食べても半分弱残った食事を前にして桜が残念そうに呟いた。
 ちょっと会わないうちに俺や桜が少食になった……訳ではもちろんなく、うっかりいつものノリで藤ねえの分まで用意してしまったのが敗因だった。桜の料理は相変わらずおいしかったし、俺だって腕に寄りをかけて作った自信作なので、食べさせればさぞ喜ぶだろうとは思うのだが、そういう訳にもいかない事情がある。
 桜はすでに巻き込まれていそうなので行動を共にすることにしたが、そうでない藤ねえを巻き込むわけにはいかない。……それにあの猛獣がいたら怪意の方から遠ざかっていきそうなものである。
「ナマモノはないし、明日また食べたらいいさ」
「そうですね……。あ、ラップあったかな」
 パタパタと桜が台所に駆けて行く。そっちは桜に任せて、食卓の皿を整理しながら時計を見た。夜八時。ロンドンは昼の十一時、時計塔は丁度講義の真っ只中だろう。
 遠坂には今の状態を報告するべきだろうが、機械嫌いの巣窟である時計塔に携帯電話を持ち込むことはしていまい。こうなると、遠坂が家を出る前、つまり俺にとっての夕方の時間帯を逃したのが痛いが、一度の通話の成立が最低三十分は掛かる作業だ。というかそもそも寝起きで低血圧状態の遠坂がまともに電話に応じられるか怪しいところである。
 ここは大人しく、遠坂の帰宅時間に合わせた方がいいだろう。
「先輩、ラップありました!」
 嬉しそうな声と共に桜が戻ってくる。それに懐かしい日常を感じて返事をした。
 冬木に戻ってまだ五日。桜との再会からは半日しか経っていない。ここから遠坂に連絡を取るまでの数時間で、早々事態は動くまい。
 それなりの根拠はあったが、楽観的と言っていい判断だっただろう。かつてから今も、セイバーや遠坂から散々危機感のなさを指摘されたものだったが、見通しが甘いと叱りを受けても、今回に関しては返す言葉もない。
 つまりは事実として、桜との夕食のあと、深夜とするには早い二十二時に、事態は動いてしまったのだった。

 この家には洋室の客間もあるが、警護の観点から桜には俺の隣、かつてのセイバーの部屋で眠ってもらいたい。
 俺の布団の用意だけして、恐らく客室へ向かう気満々だったであろう桜を呼び止めてその旨を伝えると、桜は素っ頓狂な声を返事とした。
「隣って……と、隣じゃないですか!」
「そりゃあ隣なんだから隣だろう」
「隣ですよ! 鍵もかからないし!」
「ごめん、でも絶対に妙な気は起こさないって約束する」
「先輩は誓えても私は無理です! 自信がありません!」
 顔を赤くして言う桜に苦笑いが漏れる。混乱させてばかりの後輩には申し訳ないが、慌てふためく様子は正直かわいらしい。
「さっきも言ったけど、桜が見たっていう男に会うのが目的だからさ。遠くで寝てたら、いざという時困るだろ?」
「それは……えっと……。あ! 先輩も客室で寝られたらいいんじゃないですか?」
 廊下に繋がる襖を後ろに、桜がポンと手を打った。
 客室は屋敷内で唯一洋風の装いをしており、和室と違って鍵がかかる。二つの客間はやや距離があるものの殆ど隣り合っているし、桜の提案は良案だった。自分が寝る場所ではなく他人が泊まる部屋という印象が強いためすっかり失念していた。
「ああ、確かに、いい案だな」
「決まりですね!」
 明らかにホッとした様子で頷いた桜は、ならばと折角敷いたばかりの布団を嫌がる素振りもなく畳んでいく。俺も手伝って押し入れに入れ直し、二部屋の内どちらがいいか尋ねる桜に続いて、自室を後にした。先導する桜に、どちらの部屋でも構わないと答える。何やらこの一年間で、すっかりどちらが家主やらわからなくなってしまったのに、苦笑した。
 そうして廊下の分かれ道――直進すれば縁側へ、左折すれば客室のある離れへと続く場所に差し掛かった時のことだった。
「――!」
 足を止める。先を行く桜の手も、慌てて掴んで引き止めた。
 俺の足を止めたのは、古びた鈴を鳴らしたような音だった。かつて爺さんが築いた、害意ある侵入者を知らせる結界。一年前の聖杯戦争においてはランサーの襲撃を教えてくれた警報が、今夜このタイミングで作動した。
 手早く一呼吸して、撃鉄を起こすイメージで魔術回路を励起状態へ移行させる。ポケットに偽装したズボンのスリットから手を突っ込んで、大腿部に巻付けてあるロッドに手が触れるのを確認した。
「先輩」
 鼓膜を叩いた音が、桜の声だと理解するのに少し時間を要した。
 見れば、俺に手を取られて止まった桜が、心配そうにこちらを窺っている。そこに不安の色がないのは、彼女の強さの証だろうか。桜は左手を俺に取られたまま、空いた右手を所在なさげに握って胸元に置いた。
「あの……中庭、だと思います」
 何がとは聞かなかった。俺が探していたものが来たのだ。頷いて返す。
「わかった。絶対守るから、桜もついて来てくれるか」
 中途半端に遠ざけて目の届かないところに行かれるより、俺の傍にいてもらうほうがまだ安全だろうという考えだった。相手の目的も能力も判明していない以上、桜を一人にはできない。
「はい」
 俺の緊張が伝わっていないわけでもないだろうに、桜の返事は簡潔だった。最も簡単な意思表示のあと、道を譲るように廊下の端に寄る。中庭はこの分岐の先だった。開けられた道を真っすぐ進み始める。桜が静かに付き従う。
 庭への僅かな時間の中、もしヤツがいたら、何か言うべきことはあるかと自問した。それにすぐ、否、と自答する。
 言いたいことはあっても、言うべきことなど、もはやあってはならない。そう思ったからだった。

 俺にとっての始まりの場所。あるいは、あらゆる運命の転換点が訪れた舞台。
 望月が照らす庭のほとんど中央に、拍子抜けするくらい普通に、男はいた。
 光を飲む褐色の肌、鍛えあげられた体躯を包む黒の戦闘服と赤い聖骸布、冷えた鋼色の瞳、唯一月光を弾く白い短髪。
「アーチャー……」
 小さな声が漏れる。アーチャー――そう呼ぶしかない、かつて遠坂のサーヴァントだった弓兵とまったく同じ見た目をした男は、縁側から見下ろす俺たちをなんの感慨もなく見据えていた。いや、正しくは、アーチャーが見てるのは俺の後ろの桜だった。彼女が身じろげばそれを追って視線が揺れる。
「あの人、アーチャー……なんですか」
 一切の反応もないアーチャーに反して、桜が戸惑いがちに聞いてきた。前を見たまま答える。
「そう、だな。そうだと思う」
 自信がなさげになったのは、アーチャーの様子が原因だった。姿勢良く立つ姿は俺の記憶にあるアイツのものと完全に同じだったが、表情にはおよそ色というものがない。人形のような今のこの男を構成する情報自体はかつての赤い従者と同じであったとしても、今俺の前に立つアーチャーは、俺の知りうるアーチャーではなかった。本来なら、ここで十言は厭味と皮肉を繰り出して来る男なのだ。
「最近この街にでる赤い服の亡霊ってのは、おまえだな? 何が目的だ。何故留まっている?」
 まだ武器は構えない。俺の方には見向きもしない様子から、ほとんど無駄だと思いつつ対話を試みることにした。こうして“結果”である赤い男を前にしても、その原因も何も明らかにしていない。遠坂からの依頼の達成を考えるなら、避けられないものだとしても、何もせず戦闘に持ち込むには早かった。
 ――いや、あるいは、そんな理性的な判断に基づく詰問ではなく、降って沸いた再会に女々しい期待をかけてしまった、俺の感傷だったかもしれない。
 果たして、男の返答は無言であった。無視をしたとか、解答を拒否したとかではなく、俺の言葉が全く耳に入っていないと思わせるほどの無反応だ。
「……なんで、桜の前に現れるんだ?」
 再度、静かに問いかける。これが俺にとっての一番の疑問だった。俺なりに推測した赤い服の亡霊の行動原理は、桜の話を聞いてから疑問符がつけられている。
 が、やはり応えはない。代わりに、この質問が契機というわけではないだろうが、アーチャーに動きがあった。空の右手、そこに脈絡もなく一振りの中華剣が現れる。雌雄一対の夫婦剣、その片割れたる白亜の莫耶。
 日本で生きていればまずお目にかからない武器の出現に、桜が息を飲むのが聞こえてきた。凶器を手にしたアーチャーが無造作に歩き出す。殺意はおろかなんの感情も浮かべないままの男が歩み寄ってくるのは、行動が読めない分不気味だった。
「……止まれ、アーチャー」
 魔力回路を稼動させて、隠し持つロッドに手をかけて、それでも明確な敵対行動が取れず、唸るような声を出した。アーチャーの歩みは速くもなく、遅くもなく、板に置いてつま弾いた硝子玉が転がるような無機質なものだった。当然、足は止まらない。
「止まれ、アーチャー」
 俺達のいる縁側は、彼が初めに立っていた場所から数メートルもない。アーチャーはもうほとんど目前だった。先輩、と後ろから桜の声がかかる。アーチャーの右手が振りかぶられる。言葉もなく、ただ進路上の雑草を刈り取るかのように、頂点に達した刃が落ちて来る。限界だった。
 ――同調トレース開始オン
 口の中だけの呟き。意識の転換に伴って、遠坂から譲り受けた礼装に魔力が浸透する。中核に細剣を使用して剣という概念を付与したロッドは、俺の強化に良く応えた。数合ならば、かの騎士王の剣とも打ち合いができるというお墨付きを受けた二本の獲物をスリットから引きずり出す。三段ロッドの格納分を伸長させながら、アーチャーと桜の線上に割り込んだ。刃を振り下ろす鉄色の瞳は、それでも立ちはだかる俺の姿を写すことすらしない。
「止まれ、アーチャー!」
 無駄とわかっての最後の制止は、熱のない男への抗議だった。眼前で交差させたロッドの交点に、白い刃が襲い掛かる。
 鉄を打つ音が響き渡り、見開いた眼を火花が焼いた。俺の二本一対の獲物は、形こそ違えどかつての弓兵、すなわち相対する亡霊の持つ中華剣と全く同じ長さだった。
 拮抗は僅か、そこで初めて視線が交錯する。漸くこちらを認識したアーチャーは、押し切れない高低差を嫌ってか、俺からの斥力に逆らわず腕を跳ね上げ、そのまま後ろへと跳躍した。すっと姿勢を正すまでの沈黙の後、空いた左手にも漆黒の剣が握られる。
 奇妙な感慨が襲った。その姿は、一見すれば間違いなく、俺の知るアーチャーのものと--もう二度と見ることはないと受け入れたはずの姿と同じものだった。次いで、強い怒りとやるせなさに、歯を食いしばる。色のない表情、人形じみた挙動、そして恐らく、誰かの命を救うために犯される殺人。いつか自身を奴隷と語った男の言葉の真実を、多分俺は今目にしていた。
 警戒を絶やさず、そっと縁側から飛び降りる。広げた間合いを詰められても、男の反応は特にない。ただ、桜だけを追っていた視線が、今は俺の動きに追従していた。アーチャーとの距離を保って、円を描くように横に動き桜から遠ざかる。視線は変わらずついてきている。
 庭を囲う塀との距離を目視で確認してから、魔力を足へと回して強化を強めた。そして姿勢を低く、一歩二歩と駆け出しながら声を張り上げる。
「桜はここにいてくれ!」
 すぐさま後輩の制止の声がかかったが、止まらずアーチャーの横を走り抜ける形で塀まで到達し、強化した脚力に任せて跳び上がった。わざと倒立するように片手を塀の瓦について、置き去りにした背後を確認する。直感めいた確証はあったが、桜を一人にすることは一種の賭けだった。
 ――追ってこい、アーチャー。
 その信頼にも似た祈りに答えるかのように、逆さまの視界の中、振り向いた赤い服の男が俺を追って地を蹴るのが見えた。刹那の光景の後、くるりと体を反転させて外の道路へと着地する。
 邪魔者を排除するためすぐにでも現れるだろうアーチャーを、桜の元から引きはがさなければならない。膝を曲げた低い姿勢を、クラウチングスタートの要領で推進力へと変換して、夜の住宅街を駆け出した。

 元々俺の育った街で、しかも最近は連日の調査がある。人気がない戦闘に適した場所に目星はつけていた。
 木々が生い茂る天然の塀を越えた先の、雑草の生い茂るうらぶれた廃墟。庭の広さからいえばうちの武家屋敷をも上回る大きさを誇る洋風の空き家に、なんとかアーチャーとの距離を取ったまま着地した。木々を越えて現れたたなびく赤い外套を見て、急いで大腿のベルトから宝石を取りだし、キーを唱えてから足裏で砕く。瞬間、すでに内部にいる俺とアーチャー以外のものの侵入を拒む、遠坂特製の人払いの結界が展開された。こいつとの戦闘は、どうあっても超常のものになる。人が立ち入らないというのは、最低限必要な条件だった。
 魔術師としての俺の配慮を一顧だにもかけず、高所から飛び降りた力を活かして、アーチャーが双剣を振り下ろしてきた。こちらも両腕のロッドでそれを受け、競り合いに持ち込まずすぐさま力の方向を巴投げのように変換して、アーチャーの体ごと俺の後方へ流しやる。足場のないアーチャーはこれに逆らえず、誘導のまま俺とは少し距離のある地点に降り立った。
 慣性に流された赤い布がしばし踊って、静止する。意思の感じられない顔と同じように、アーチャーの攻勢には積極性や苛烈さがなかった。先を行く俺に対してここに至るまで一切の追撃を加えなかったことからもそれがわかる。その、アーチャーの一種受動的な様子が、俺を冷静にする余裕を与えていた。より正しく表現するなら、敵を前にがむしゃらになれず余計なことを考える理性を与えていた。
「ここにはお前が倒すべき敵も、救うべき滅亡もない。……お前が戦う理由はないんだ」
 独り言よりずっと意味のない呟きを落とす。まだ草木の眠るような時間には早いはずだが、耳が痛くなるほどの静寂があった。どうしようもない胸の詰まりに、手にしたロッドを強く握りしめる。敵から目を逸らすなどという愚は侵すまいという理性が繋ぎ止めているが、心はもうこれ以上見たくないと叫んでいた。
 あの日、最後に。確かに俺は再会を願った。叶うなら今度はもっと心穏やかに、同じ思い出と理想を知るものと語らいたいとまで思った。だが、秘した願いだ。この世の誰も聞き届けないはずの、俺一人が抱えて生きていくはずだった願望だ。それをこんな形で拾い上げられて、会いたかったはずのやつと、望まない形で出会わされて! それでも、憎む相手も嘆く相手もどこにもないのだ。やり場の無い感情が渦巻いて、息苦しさを与えて来る。
 胸の下で淀む何かを逃がすように、努めてゆっくりと息を吐く。脱力し、両手は下へ、土の構え。奇しくもと言うべきか、当然と言うべきか、俺達の構えは鏡合わせのように同じだった。かつての身長差すら縮まって、前よりも近い目線でアーチャーに対峙する。
 彼は噂通りの亡霊で、だから、今からやるこれはあの決戦の続きでも再現でもなく、かつての戦争の後処理だ。続いてはならない儀式を終わらせる。それ以上の意味は無い。
 ――終わらせよう。
 言い聞かせて、駆け出す。 
 今までどんな問いや呼びかけにも応じなかった正面の男は、ここで初めて、応じるように地を蹴った。

 馬鹿正直に打ち合っていては、筋力で劣るこちらが不利だ。振り下ろしを片足で半身ずらして躱し、すれ違うように相手の横を駆け抜ける。一瞬背後が取れるかと期待したが、肩越しに追撃をかける姿が見えて、場からの離脱を優先した。十分距離をとって振り返る。
 二階建ての洋館の庭は、面積的には立ち回りに十分な広さがあったが、背の高い草が無造作に生えているせいで実際には狭くすら感じる。双剣の男も、後ろに回った俺を追って体ごと振り返った。わずかに生じた空白の時間に、気取られないようロッドの持ち手を握り直す。
 元がよく鍛えられた鋼だ、強化した今は厚い鉄板を穿つくらいは容易く果たせるだろう。それでも、英霊にまで至った男の刃を受け続けるには役者不足だった。強化でなんとか繋いでいるが、すでに構成に綻びが出始めている。
 男と打ち合ったのは十合ほどか。まだ一撃も食らってないが、こちらも有効打を入れられていない。体力はまだ持つとは言え、たったこれだけの戦闘で武器がここまで傷むのなら、このまま戦っていても撃破するのは難しいだろう。
 先日の遠坂との通話が頭を過ぎる。一度退却するべきか? この場からの離脱そのものは、彼女から預かった宝石で可能だろう。だがその場合こいつの行動がどうなるかが読めない。地の果てまで追って来るというのならいっそいいのだが、また行方をくらまされてしまえば再び見つけられる保障はないのだ。何故桜を狙うのかという疑問もある。できるならここで決着をつけておきたいが--。
「――っ!」
 警戒をしていたつもりだが、意識に空隙ができたか。瞬きの間に距離を詰めてきた敵の姿に一瞬反応が遅れた。
 それでも右からの切り上げを地面へ叩き伏せるように抑えつけ、残る左の白刃に備える。わずかに出遅れたとは言え体勢に問題はない。先程から男の狙いは一貫して急所だった。遊びのない恐ろしさはあれど、わかっていれば対応はそう難しくない。今も右手のロッドが軋んでいる、できれば左は受けずに躱したい。
 集中した視界で男が右手を振りかぶる。袈裟斬りか。ならば退がろうと足に力を込めたが、強い違和感に中断した。攻撃が浅過ぎる。これでは避けなかったとしても掠る程度にしかならない。牽制か、フェイクだろうか。しかし中華剣の一方は今まさに俺が抑えているのだ。ここでの遊びは非効率に過ぎる。何か他に狙いでもあるのか、そう思って辿るであろう軌跡を結んでハッとした。ロッドに吸い付くように噛み合って拮抗している干将、その上向きの刃と、振り下ろされんとする莫耶の刃が、ロッドを支点に綺麗に交差する。無論、宝具に上下から挟まれて耐えられるほどの耐久性は残されていない。すなわち、敵の狙いは武器破壊――!
 してやられた自分への苛立ちに舌打ちを一つ、すぐに気を取り直して思考する。破壊を避けるために右手を緩めれば、押さえ付けられていた黒刃が今にも跳ね上がり襲い来るだろう。気づくのが遅すぎた、もはやこちらは諦める他ない。だが、簡単にくれてやるものか。後ろに流れかけていた体重を、すべて爪先に移して前進する。莫耶が過ぎた空間を埋めるように接近し、速度と体重を全て左手のロッドに預けて、胴に向けて体当たりした。態勢的に首と心臓をとるのは厳しい。故に狙うは、人体急所の一つ、肝臓。右の分の魔力も回して強化した先細りの武器は、狙いを違わず生々しい音を立てて男の肉に食い込んだ。
 貫通まで持ち込めなかったが、武器破壊を達した双剣がすぐさま引き戻されると予想して、腹に足をかけ思い切り蹴り、その反動でロッドを引き抜く。蹴りの土台とした男の強靭な姿勢制御も相まって、強い勢いの蹴りは、壁蹴りと同じ要領で俺の体を空に跳び上がらせた。空を見上げる姿勢から、くるりと空中でのけ反って半回転。足から着地し、そのまま二歩三歩と大きく跳び下がり、双剣使いとの距離を稼ぐ。右手のロッドは破壊されたと同時に手放したため、下がりながら残された左の武器を右に持ち替えた。
 肝臓が急所たる由縁は、打たれたときの激痛と傷ついた際の出血の多さに拠るものだが……。砂利に滑る足裏を留めながら、ロッドから伝って来る血を振り払う。鉄錆の液体を受けた茂みが揺れるのと、腰に巻かれた赤布を色濃く染めた男が突っ込んで来るのは同時だった。
「やっぱそうだよなあ――っ!」
 痛みに動けなくなるとまでは思わないが、治療する素振りでもみせればせめて可愛いげがあるものを! 舌打ちとともにロッドに両手を添えて備える。一撃目、右に誘導しようとする水平斬りを思惑に乗ってたまるかと低く伏せて躱し、お返しに膝頭を割りに行く。すぐに脚を引いて避けられたが、これは予想取りだ。引かれた右脚の分空いたスペースを姿勢を低くしたまま駆けて、体の側面を越えたあたりで急制動をかけ、背後から伸び上がるようにうなじを狙う。
 エーテルで編まれた彼らに、通常の攻撃で消滅を齎すのはほとんど不可能と言ってよい。心臓か、首。正しく急所と呼べるのは、霊核に直結する器官であるこの二カ所だった。いや、セイバーの言を思えば、彼女らにも痛みはあり、腱を断ちもすれば動けなくなる。一度霊体化すればリセットされるとはいえ、人の身としての急所はそうは変わらないはずだ。だから、流れる血にも無頓着な男の姿は、彼がもはや人でもなければサーヴァントでもないことを表していた。
 相手が常人であればそのまま頚椎をへし折ってやれる自信があったが、流石に反応が早い。引いた右足を活かして半回転した男の双刀が迫る。俺の攻撃は届く、が、その場合俺もただではすまい。相打ちは望むところではない。咄嗟の判断で、持ち手を掴む両手の内、左手のみをロッドの先端へ滑らせ、先行した莫耶の振り払いを真正面から受け止める。鉄球にでもぶち当たったような強い衝撃に逆らわず地を蹴り、僅かに遅れた干将を回避した。
 飛ばされてすぐ、停止のために足をつけたが、勢いが強すぎて止まり切れず、庭の塀に半ばぶつかりながらなんとか停止する。ぶつけた背中に咳込みそうになるのを堪え、急激に移り変わった視界から赤い服の男を探した。ロッドの構成はほとんど瓦解しており、魔力を通わせて繋ぎ留めているにすぎない。もう一合と持たないだろう。
 退却すべきか――。消えた男の姿に嫌な予感を抱えつつ思案する。だがどうしても桜のことが気にかかった。武器がない状態で桜と合流しても、守りきれる保証はない。ならばやはり、桜から明確に引き離せている現状がベストなのではないか?
 迷いが決断を遅らせ、そうして生じた停滞の中、強烈な予感に弾かれるように顔をあげた。恐怖というより、やはりそれは予感だった。いっそ懐かしさすら覚える圧迫感。“死の予感”――赤い腰布をはためかせ、双剣の一方を消して黒剣のみに両手をかけた男が、大上段に振りかぶって落下して来ていた。
 反射的にロッドを構え、それでは死ぬ、と直感した。武器ごと両断される自分の姿が脳裏に浮かぶ。後ろは壁だ、退がれない。重力はいつだって同じなのに、迫り来る死神の姿がゆっくりと見える。死へと反抗する本能が思考を加速させ、早打つ鼓動の音すら間延びして聞こえた。
 死ぬかもしれない。他人事の様にそう思う。だとしたら、どうだろう。自分が死んではならない理由を思い浮かべようとして、不思議なことに、頭を過ぎったのは師である魔術師や最高のパートナーである騎士王の姿ではなく、焼けた剣の丘に立つ一人の姿だった。
 ここで俺が死んだら。人一人殺そうと言うのに、なんの気概も意志すらもない男を見上げる。この男が衛宮士郎を殺したら。彼はかつての渇望の成就を、死者の座で知るのだろうか。本を読むように、他人事のように、どこかの自分が殺した衛宮士郎のことを。多くを殺した手で最後まで殺せなかった男の、呆気のない死を――。
 心のどこか、固く閉じて鍵をかけた扉に手が伸びる。
 それは熱された鉄だった。担い手を刻む諸刃の剣だった。だが、それでも。それでも、死ぬわけにはいかない。
 鼓動だけが重く、高く聞こえる。遠い現実を引き寄せるように告げる。
投影トレース――」
 死ねない、殺されてやれない。
 おまえにだけは、俺を殺させるわけにはいかない……!
開始オンッ!」
 強い思いの元、相応しい剣を呼び寄せる。
 俺の剣製の始まり。雌雄一対の夫婦剣。
 ロッドをわざと取り落として、空いた手をそのまま構えとした。待ち受けるため交差させた白と黒の交点に、下ろされた干将が耳障りな音を立てて噛み合った。落下による慣性の間、押し切られかねない拮抗に歯を食いしばって堪える。
 初めの衝撃さえ堪え切れば、後は地に足をつけたこちらが有利だった。相手もそれを悟ったのだろう、フッと突然圧力が減じて、対応できないこちらからの斥力を利用して、男は跳ね飛ばされるように後退した。
 緊張に乱れた息を整えながら、ゆっくりと前進する。攻勢に出るというより、立ち回りの幅を狭める背後の塀から距離を空ける目的だった。脱力させるように垂らした両腕には、二振りの中華剣たる干将莫耶。久しぶりの投影は、いざやってしまえば面白いくらいよく馴染んだ。遠坂からの説教と仕置きは笑い事ではないレベルになるだろうが、命には代えられまい。
 十メートルほど開けて着地した赤い外套の男は、俺の方を色の無い目で見据えたまま、一度消した莫耶を再度右手に投影させた。自分と同じ獲物を持つ相手が現れたというのに、腹が立つくらいに無反応である。
 前へ進めていた足を止める。彼我の距離はほとんど変わらなかったが、俺ですら強化があるならば数秒となく詰められる間隔だ。それでも互いに静止して、先ほどの激突が嘘のように静かだった。
 武器の不利はなくなった。俺は相手に出血を強いて、一方俺にはまだ負傷は無い。ならば有利かと言えば、それも一概に頷けない。
 そりゃあ、俺にだって意地がある。あいつに勝って、こいつに負けるだなんて絶対に許容できない。だがそういう精神論を除いて評価するなら、敵は弱くもあり、強くもあった。
 凡才たる男を英霊にまで至らせたのは、常に最善手を打ち続ける驚異的な心眼にあった。その点で言えば、こいつは明らかに劣っている。更には闘いを征するための覇気や迫力というものもない。また、遠坂謹製とは言え、大した神秘も込められていない俺の一撃が通ったことから、霊格はかなり低下している。 セイバーがいれば最悪一太刀で切り捨てられるのではないだろうか。
 一方であの日のあいつより勝っているのは、おそらく聖杯が絡んでいるらしき魔力量だろう。そもそもあの戦争の日々の対決において、かの英霊の魔力は殆ど底をついていた。反して目の前の男に、魔力が枯渇する様子は無い。治療もせぬまま垂れ流しつづける血などはその証左だろう。俺もあの日より成長した自負があるが、この亡霊とまともに投影合戦をしては最後まで持つまい。
 逆に言えば、魔力の差さえ埋めてしまえば、こいつに負ける道理はない。結論して、莫耶を一度地に突き刺す。空けた右手の指の間を埋めるように、四つの剣……と呼ぶには足りない、直方体を投影した。
 黒鍵――そう呼ばれる洗礼具の、正しい機能をほとんど欠損させた紛い物である。欠損させたというより、再現できないといった方が正しいか。本物と共通するのは、刀身を魔力で生成することと、それ故に物質としては非常に軽量で、投擲に向くということくらいだろう。聖職者たちに殴られても文句は言えないが、俺はこれをただの投擲武器として登録していた。無論他にも牽制に向いた飛び道具はある。それでも俺がこれを選んだのは、俺達の投影は、その剣の本来の担い手の技量までも模倣するという点にあった。
 黒鍵は元来、投擲武器として使いこなすには非常に難度の高い武器だ。軽いといえば聞こえはいいが、重さの無い物体を思い通り投げることは存外に難しい。だがかつて、この武器を完璧に扱う男がいた。オリジナルを俺に託した修道女の思惑は今もってわからないが、今は亡き持ち主の歪つなまでの修練の記録は、戦闘において有用であることに違いはない。
 洗礼も魔術的付加もない黒鍵は、霊格を落としたとは言え、彼を傷つけるには及ばないだろう。だから初手で放った四撃は、相手の出方を見るためだけの攻撃だった。だがこれに、男は予想外の対応をした。
 投げられた四つの黒鍵が、鏡合わせのように飛来した同じ数の黒鍵と正面からぶち当たり地面に落ちる。言うまでもなく、撃墜したのは男が同じように投擲してきた投影品だった。つまり敵は、わざわざ双剣の一つを消して黒鍵を新たに投影したことになる。
 妙だ。違和感に自然と眉根が寄った。武器の格から言っても干将・莫耶の方が優秀だ。一振り払えばそれで終いのはずだし、わざわざ飛び道具を飛び道具で迎撃するのもあまり意味がない。俺の方には武器のランクを下げて魔力消費を抑える意図があるが、こいつにはその必要はないはずだ。
 違和感の正体を確かめるべく、続けて四つ、八つと距離を保ったまま投擲を続ける。これを男は、ほとんど芸術的な対称性をもってして放った同数の黒鍵により撃ち落とした。
 まさか、と思いつつ敵を見る。片手に黒鍵、片手に干将。姿こそ違えど、俺達の手にする武器は揃いになっていた。普通に考えれば、敵の対応は悪手である。俺達に関して言えば、同じ武器を持つということは同じ経験と技量を持つということなので、曲芸じみた迎撃は見た目ほど難しくはないだろうが、やはり非効率に過ぎる。
 だが、“同じ経験と技量”ということのみに着目するのならば、あるいは--。あまり認めたくはなかったが、思い当たった可能性を証明するために、登録された剣群を検索する。条件は一つ、およそ投影する価値もないほど武器の格が低い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こと。
 投影物を決めるのはすぐだった。黒鍵を投じてから空手だった右手にそのまま木刀が現れる。かつて遠阪が俺の投影魔術を把握すると宣言した際、彼女の命じるがまま手当たり次第投影していたころの名残である。高級でもなんでもない、当然神秘など欠片もない、殺し合いにはひどく不向きな武器だった。まともな発想ができれば、まずこれを選ぶことはあるまい。当然俺の知るサーヴァントであれば、鼻で笑って木刀ごと俺を叩き斬りにくるところだろう。だが、眼前の男は鼻で笑うどころか表情に一分の変化もなく、俺と同じく空けた右手に、何の変哲もない木刀を投影して見せた。
 やはり。予想通りの反応に怒りのような、失望のような、自分でもよくわからない感情が沸き起こる。一見して非効率な男の振る舞いは、しかし全体を広く俯瞰して見れば、感心するほど効率的にできていた。
 それが剣であるならば、一目見るだけで寸分違わぬ贋作を作り出せること。投影工程において、剣の担い手の成長経験と蓄積年月までもを追想してみせること。すなわち、敵対者が剣士であるのならば、全く同じ剣を投影して見せることで、相手の技術、癖、思考までもをなぞることができるということだ。次手を読み合い先手を取り合う戦闘において、相手の手の内をそのまま自分に落とし込めるというのは大きなアドバンテージである。いつ、どこで、何が相手であってもひたすらに勝利をせねばならない役割を思うのなら、相手の武器をそのまま投影してみせるのは、なるほどよくできた“機能”だった。
 そうやって思考して、納得のいく仮説を用意して、それでも収まらない激情に強く唇を噛んだ。多分この心には、怒りと名をつけるのが一番相応しいのだろう。原風景たる山里をネオン街が覆い尽くしたような、大事にしまい込んだ自分だけの宝物を誰かに暴かれ手垢まみれにされたような、そういう失望と怒りだった。
 魔には破魔を、王道には邪道をもって制するのがかつての男の戦闘理論だった。手にする全てが贋物でも、彼が彼自身を追い込んで身につけた理詰めの心眼は、誰に劣ることもない、紛うことなき男の強さだった。断じて、こんな、場当たり的に敵に当たるような、つまらない戦いはしない男だった。俺が知り、俺が憧れ、俺が倒した、俺の理想の体言者の強さは、こんなものじゃあ断じてなかった!
「同じ見た目しやがって……」
 行き場のない感情をなんとか逃がそうと、上げた声は自分でも驚くほど低かった。
 そうだろう、これはやはり怒りだ。何にとか誰にとかをはっきりさせられなくても、とにかくとんでもなく、頭にくる。
 木刀を消して、左手の干将と地に刺さった莫耶も投影を解除する。一瞬とは言え無防備になったが、一太刀二太刀浴びようがこれだけは絶対に成し遂げてやると、すでに覚悟を決めていた。いや、覚悟なんて上等なものではないか。ヤケになったのだと言ったほうが多分正しかった。
 俺の持つ剣を真似しようと言うのなら、それでもいい。だったらこっちは、お前なんかには作れないくらいの最上の剣を用意するだけだ。
 心象風景に無限の剣が備えられていようとも、それだけは、探すまでもなく俺の世界の中心にあった。人の願いを束ね、星々が鍛え、公正で偉大なる王が奮い、勝利を齎しつづけた黄金の剣。それは現代を生きる俺なんかでは、何度目にしても理解しきれない最上の剣であった。それでいいのだと、かつて遠坂は言った。人は神の業を理解できない、だから投影できないことこそが正しいと。
 だけど今だけは、そんなことじゃダメなんだ。本能のあげる制止を振り払って、輝く約束の剣の、美しい柄に手をかける。それは手にするなと、お前には過ぎたものだという声も、全くその通りだと頷きながら無視をした。
「真似れるもんなら、真似てみろ――っ!」
 両手を何かを掴むような形のまま振りかぶる。その隙間を埋めるように、魔力が渦巻き紫電が迸った。
 地を蹴って距離を詰める。完成しつつある俺の洋剣を見て取って、向かい合う赤い服の男も、空手のまま両手を下げ、土の構えを取った。少しずつ編まれていく、衛宮士郎の知る中で最も美しく尊い剣。人の身に余る投影に、魔術回路が悲鳴を上げた。血管に焼けた鉄を流し込まれるような、あるいはこの肉体こそが炎でできているような熱が襲う。体が今すぐにでもバラバラになっていきそうな、自分が四散していくような圧力。
 それでも。足を踏み出す。剣が形作られる。そうだ、剣だ。衛宮士郎の全ては剣であるのだから、手にしているのが剣である限り、例えこの身が分かたれたって、俺は俺であれるはずだ。
 毛細血管が弾けて、耳がぐっと遠くなる。視界も酷く狭くなって、閉塞する世界の中、鉄色の瞳をした男のことだけを見ていた。
 もう自分には聞こえない声で、告げる。
遠く遥かエクス……」
 確かに俺の頭上で、黄金の輝きが投影された。世界が軋む音がする。それに構わず振り下ろす。迎え撃つのは、褐色の骨張った両手が掴んだ、全く同じ黄金の剣。
勝利の剣カリバーァァーー!!」
 上からと、下からと。同じ速さの、同じ剣筋が、二人の中央でぶつかりあって火花を散らした。刃越しに男の顔が見える。
 衝突の強さはほとんど互角、しかしあるべき押し合いの時は訪れなかった。
 散った火花が落ちるよりも早かっただろう。瞬間、男が目を見開いた。俺の感覚からすれば、それは蝶が羽を揺らめかせるのよりも遅く見えた。そうして、男の瞳に熱が灯って、軽い驚きが見える、意外なほど幼い表情を形作る。一瞬さ迷った視線が、真っ向から俺を捉えた。
 そうか、今になってようやく――。
 内心だけで呟きが漏れる。だが、俺がそう思い当たった時にはすでに、相手からの抵抗を失った俺の剣は、肩口から入り込んで肉を割り、アーチャーの心臓にまで到達していた。

 アーチャーの手から一振りの剣が滑り落ちる。それを追うように膝をついた男の体を、慌てて前から背中へと手を回して抱き留めた。英霊だろうが亡霊だろうがエーテル体であることに変わりはないはずなのに、人間が心臓を切り付けられたのと全く同じだけの夥しい血が溢れ、すぐに俺の胸元と両の腕を染め上げた。
「ここは……なんだ?」
 問いかけにも満たない呟きは、俺の肩へうなだれるように首を任せた男のものだった。視線を横にやっても、後頭部の白髪が映るばかりで、その表情は伺えない。
「今は、あのときから一年経ってて……」
 その体勢のまま答えかけて、こいつはどこまで記憶しているのだろうと思い至って停止した。俺の胸に預けられた上体に力はなく、下げられた両腕も弛緩している。
 “第五次聖杯戦争から一年”と言い直すべきか、少し悩んで、結局そのまま通すことにした。なんとなく、言い直してやるのは癪だった。
「ここは深山の空き家だよ。で、俺達はさっきまで戦りあってたわけだけど……覚えは?」
「ぼんやりとは」
 答える声にも全体的に力がない。寝起きのような気怠るさと無防備さを思わせる様子だった。
「だが、そうか。二度もこのザマとはな」
 クッと体が揺れる。多分自嘲したのだろうが、それに合わせて血が更に溢れた。下手人の俺が言うのもなんだが、痛くはないのだろうか? 痛くても俺の前でそういう素振りを見せる男とは思えないので、余計に心配になる。とはいえここで大丈夫かと問うのも違うだろう。
 ……いや、そんなことを聞いてる場合でもない。脈打って流れる液体の出所を、せめてと思って強く押さえる。もっと他に言うことが、あるはずだ。折角こうして会えたのだから――。
「もういいから、いい加減離れろ」
 かけるべき言葉を探し終わる前に、相変わらずの無愛想な声がかかった。同時に下げられていた両腕が持ち上がり、俺を引き離そうと両肩にかけられる。本当に大丈夫かよ、と思いはしたが、離れようと力をかけだした途端増した出血に、慌てて背に回していた手を解いた。俺の手を貸すことで成立していた膝立ちの姿勢が崩れ、すとんと腰が落ちる。アーチャーは座り込んだばかりの膝に手を置いて、おそらく立ち上がろうとしたらしかったが、暫しの奮闘の後、諦めて長い息をついた。血まみれな割に妙に所帯じみた溜息だった。
「……痛くないのか?」
 何を間抜けなことを聞いているんだ。
 口に出してしまってから思った。支えるために中腰だった背筋を伸ばせば、座り込んだアーチャーを見下ろす形になる。その眼下の彼は俺の問いに顔を上げ、馴染み深い表情をとった。見上げ見下ろしの位置関係こそ逆なものの、かつて散々人を苛立たせてくれた、こちらを馬鹿にしきった顔である。昔の俺ならムッとして何かしら言い返していた場面だが、今回は我ながら馬鹿なことを聞いた自覚がある。呆れたようなジト目にも黙り込むしかない。
 殊勝な俺の態度にどう思ったのか、二秒ほどの沈黙を経てふいにアーチャーが視線を外した。自分の手も血に濡れているのに、気にした様子もなく無造作に落ちてもない前髪をかき上げる。
 それにしても、と白い髪を斑な赤で染めた男が呟いた。視線は外れて何でもない塀の方にやったままである。
「わからんな。一年後と言ったか? 何故いまさら私がここにいる」
「それは……」
 簡単な答えが一つあった。すなわち、“俺にもわからない”という返事だ。誤りではない、こう答えても何の問題もなかっただろう。
 だけど。開いた口を一度閉じて、粘性の高い唾を飲み込む。
 言いたいことは、言おう。醜くても、みっともなくても、美しい最後のために口を閉ざして後悔を残すのは、やめにしよう。
「俺が、願ってしまったからだと、思う」
 告白に、アーチャーの片眉が跳ね上がった。横へやっていた視線を戻して、感情の読みきれない目でこちらを見上げる。
「あの日お前と遠坂を見て、まだ行くなって、思った。お前は満足そうだったけどさ。俺はまだ、あったよ。言いたいこととか、話したいこととか、聞いてほしいこととか」
 不思議なもので、一度話し始めると後は流れる水の如くスラスラと流れ出た。拙く見苦しい餓鬼っぽい言い分だな、と冷静な自分が冷めた目で評する。だけど、本心だった。下手な言葉であったとしても、自分の心を偽らない、心底からの言葉だった。だから真っ直ぐにこちらを射抜く鉄の瞳にも、反らしてやるものかとじっと見つめ返した。
 対するアーチャーは無言だった。珍しく嘲りの言葉もない。それに任せて、俺も言葉を続けた。
「世界中、どこを探しても。どれだけの人に出会ったって、お前にしか言えないことが、お前からしか聞けないことがあるんだよ、やっぱり。今になってこんなこと、情けないって思うけどさあ」
 そこで声が大きく震えた。ああくそ、と思いながら堪えるように息を吐く。その息もやっぱり震えていて、零れさせてなるものかと、垂らした両手を強く握った。
「許されるなら、まだここにいてほしい。あの時そう願ったし、今もそう、思ってる」
 叶わない願いだ。
 あの時もそう思って、叶わぬのならば黙っていようと口を閉ざした。だが、黙っていてもあんな形で拾われてしまうのなら、まだ言ってしまった方がマシだった。今は人間らしく瞬きを交えて俺を見つめる男を見る。
 最後の告解から黙した俺に、アーチャーは表情を変えず問うてきた。
「つまりお前が願ったから私がここにいるということか?」
「そう、かな。より正確に言うなら、聖杯がまだ願望機の機能を残していたんだと思う。お前の今の魔力だって、霊脈から来てるだろ」
 これは遠坂にも報告するつもりのある、ほとんど確定した事実だった。霊核を欠いたとはいえ正に供給を受けている側であるアーチャーにもわからないはずもあるまい。
 だが俺の答えに、眼下の男は両目を閉じてものすごくわかりやすい溜息を吐いた。痛むだろうにわざわざ肩を竦めるジェスチャーつきである。のんびりできる状態じゃないはずなのに、あまりにこいつがいつも通りなので忘れてしまいそうになる。唯一、俺に見下ろされながらも立ち上がらないあたりが、余力の無さの証になるだろうか。
 とにかく、俺にとっては懐かしい、“この愚か者には全く呆れ果てる”といったポーズでアーチャーは返した。
「自惚れるなよ、小僧。そもそもあの戦争の勝者は凛だ。負け犬である貴様の願い一つでこうなるものか」
 ドバドバ血を垂れ流してそろそろ息の乱れも隠せなくなってきた癖に、言い草だけは立派である。死んでも治らない頑固者が意地を張るとこうなるという見本だろう。
 言われてつい何か言い返したくなる俺も大概だが、ふと視線を落としたアーチャーが「それに、」と続きの言葉を零したので口を噤んだ。
「未練を残していたというのなら、私もそうだ。聖杯が拾ったとすればそれだろう。不本意だがな」
 皮肉の色は消えていた。かと言って自嘲もない、ひどく落ち着いた声だった。
「未練って?」
 聞きながら、きっとそれはあの日こいつが言いかけたことだ、と気づいていた。気づいていたからこそ重ねて聞いた。
「未練ってなんだよ、アーチャー」
 黙して答えない男の限界は近かった。元々陽炎のような存在だった上に、俺の攻撃による霊核へのダメージは深刻だろう。恐らくアーチャーが現界への執着を捨てれば呆気なく霧散する程度の希薄さだった。それは本人が一番よくわかっているだろうに、アーチャーはやはり焦った様子もなく、俺の言葉を聞いているのかいないのか、視線を落としたまま言った。
「ひどい出来だな」
 何がだ、という疑問は、アーチャーが視線の先の剣を拾い上げたのを見て氷解した。反発するべくもない。全く言う通りの出来だった。円卓の騎士から袋叩きにされても当然の仕打ちだと受け入れるしかあるまい。
 それは贋作と言うにも忍びない、粗悪な模造品だった。銘だけを借りた別物。衛宮士郎の憧れを束ねて作った、衛宮士郎以外の担い手のいない剣――。
「だが、確かに剣だ」
 持ち上げた刀身を眺めながら男が言う。
 俺が投影したものはアーチャーを抱き留める際に放り投げて今も足元に転がっているので、今彼が持つのは、俺の投影に応じて彼自身が編み上げたものだった。黄金剣の体裁を保ってはいるが、一目見ればすぐに、それがアーサー王の奮った剣などではないとわかる。俺だけが信じる勝利の剣を、アーチャー自身が投影した産物だった。
「あの日私は未練を残した。だが、果たせない誓いならば、言わないほうがずっとマシだと思ったんだ」
 これだけの負傷だ。剣先がぶれても誰も咎めないだろうに、それでも男は愚直なまでに真っ直ぐに剣を掲げた。煌めく剣の輝きの向こう、視線を上げたアーチャーの面が見える。
 夜はまだ深い。満月は丁度頂点に差し掛かったくらいだろうか。その光を集めて、男の手にする剣が瞬く。その持ち主が自身の血で染められていても、それは例えようもなく美しい光景に思えた。
 言葉を失う俺を余所に、アーチャーは苦笑に似た柔らかい調子で続けた。
「だがこうして連れ戻され、場まで用意されたとあらば、言わないわけにもいくまい」
 すぐに気づく。今から告げられるのは俺の問いの答えであり、俺の一年越しの後悔の正体だと。
 世界は静かだ。俺の固唾を飲む音と、口上に乱れたアーチャーの呼吸の音だけが聞こえて来る。
 アーチャーが音もなくそっと目を伏せた。
「この出会いに、感謝を。衛宮士郎、――――お前を忘れない、永遠に」
 落ち着いた声でなされたそれは、この世で最も尊い宣誓の一つだった。
 ぐっと、音が立つほどの勢いで、どうしようもない熱が込み上げる。戦闘時に感じた激情よりもずっと強く心臓を締め付ける、狂おしいほどの優しい痛みが襲い掛かった。
 零れさせてなるものか。両手を痛いくらい握って、それでも足りずに歯を食いしばる。視界が滲むのが情けなかった。しっかりしろよ、衛宮士郎。この光景こそを、今目に焼き付けておかなくてどうするんだ!
 直立した姿勢から、膝をついて腰を落とし、目線の高さを同じくする。
 横に落ちた紛い物の騎士王の剣を拾い上げ、掲げられた剣に滑らすように交差させた。並べると感嘆を抱くほど、全く同じ二つの剣だ。
 アーチャーの瞼は知らぬ間に開かれていた。声もなく俺を待っている。その視線に背中を押されて、俺も告げた。
「俺こそ……俺の方こそ、ありがとう。お前の生き様を、俺は決して無駄にはしない」
 言ってしまえば、この一時の夢も終わる。
 予感と共に発した言葉を聞いて、アーチャーは何も言わず、返事のように再び目を閉じた。それはかつて、俺の誓いを聞いて月下に逝った義父の姿に恐ろしく似ていた。
「そうだな。お前は、そうやって生きるといい」
 満足げに、一言。
 それが合図だったかのように、剣を持たない左手からエーテルで編まれた肉体が解け出す。ついにと言うべきか、ようやくと言うべきか。彼が受けた傷を思えば、ここまでもったのは称賛に値する意地だっただろう。
 重ねた剣も霊体と同様に消されていく。俺達の投影魔術の性質を思えば、この剣は残されてもおかしくないはずである。だから多分、この投影の解除は、彼自身の意思によるものだった。
 何も残さないつもりなのか。詰るように言いかけるのを堪えた。意地で生き、意地で誓ったような男だ。最後まで意地を通させてやらねば嘘になる。
 重ねていた剣を失い、俺の持つ方の剣の切っ先が僅かにぶれた。いつ見てもひどい出来だし歪つであるが、彼の言う通り、それは確かに剣である。であるならば、俺の創った拙い剣でも、これからは彼の剣の丘に抱かれて共にあるのだろう。アーチャーの誓いは、そういうことだった。八節を以て、製作理念や使用者の思いすら読み解く投影の使い手であるからこその、思い出の永遠化。ここまでしてようやく永遠を誓えるのがなんともこの男らしいと、遠坂あたりが聞けば笑って同意してくれることだろう。
 四肢が消え、あと数秒もなく消失は達成される。アーチャーは目を塞いだまま、それを受け入れるつもりらしかった。だがそれを見て、俺はふと、最後にもう一度、男の鍛えられた鋼のような瞳が見たいと思った。思ったらポロリと言葉がついて出ていた。
「アーチャー、会えてよかった」
 我ながらなんと捻りのない言葉か。
 多分生涯思い返しては呆れることになるだろう最後の言葉に、しかしアーチャーは目論み通り目を開いてこちらを見た。口の端が僅かに上がり、今まで一度も俺に向けられたことのない、ひどく優しい笑みが浮かぶ。
 そしてそれが、最後だった。

 エーテルの余韻もすぐに消え去り、後には剣を一つ携えて跪く俺が一人残される。恐ろしいことに、あれだけの量の血痕すらも、綺麗さっぱり無くなっていた。男の痕跡など欠片もない。やっぱりそれがどうにもアーチャーらしくて、俺はもう一度笑った。
 気を抜くと一気に体中が不調を訴えてきて、座位すら保てず殆ど倒れ込むようにして仰向けに寝転がる。痛いとか気持ち悪いとかを通り越してひたすらに力が入らない。更に言えば、感覚もほとんどない気がする。視覚情報がなければ自分が今寝ているのか立っているのかすら曖昧だった。
 まあでも、こんなもんを投影したんだから当たり前か。首を横向けるとすぐ目に入った黄金の剣を見て納得する。これが遠坂にバレたら説教どころか今すぐ破門を言い渡されても無理はない代物だ。証拠隠滅を望むのならば今のうちに投影を解除しておくべきなのだろうが、どうにもそんな気も起きない。一度投影品として落とし込んだのなら、魔力を供給しなくてもあり続けてくれるのだ。例えどんな目に遭おうとも、この剣だけは消したくなかった。
 しかし驚くほど体が動かないが、はてどうしたものか。思考能力もかなり落ちているようで、正直何も妙案が浮かばない。このままでは運よく誰かが見つけてくれたとしても、隣の剣は銃刀法違反でもれなく没収の憂き目にあうだろう。それは困る。困るのだが、どうしたものか。
「先輩!」
 と、多分傍から見たら相当呑気なことを真剣に考えていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。右を向く俺とは逆方向からの呼びかけだ。
 苦労して首を逆に向けると、錆びた門柵を今まさに乗り越えてきた桜の姿が写った。
 そうだ、桜だ。彼女の謎だけが、結局最後まで解けていない。
「大丈夫ですか、先輩! 立てないんですか? どこかに怪我は?」
 あっという間に俺の元まで駆けつけて、スカートが汚れるのも気にかけず膝をついた桜が矢継ぎ早に言う。十割で自業自得と言っていい暴挙による結果なので、ここまで心配を受けると心苦しいものがある。
「大丈夫だよ、桜。ちょっと立てないけど、怪我はないから」
 正直痛みはおろか感覚からして無いので、怪我があるかの自己申告に自信はなかったが、記憶を辿れば確か傷は受けていなかったはずだ。
 大体そんなことより、桜のことだ。アーチャーの姿をした亡霊は、おそらく“一を殺して十を救う”を機械的に実行していた。彼の生前と今の役職を思えばほとんど正解と言っていい仮説だと思うのだが、ここに桜が入ると話が合わなくなる。つまり、桜の何が、人に死を与える存在だと判断されたのか、ということである。
 心配そうな桜の手を借りなんとか上体を起こしながら、ぼうっとその辺りのことを思案する。誰が見ても百点満点のよくできた女性だ。とても条件に当てはまるとは思えない。
 暫し考えてみたが、どうにも答えが出そうに無い。もっと頭が回っていた日中でも答えを得られなかった疑問なのだからそれも当然のことだろう。昼間の俺はこの問題をどう解決するつもりだっただろうか。俺の腕を自分の肩に回してなんとか立ち上がらせようと奮闘してくれる後輩を見ながら、ゆっくりと思い返す。するとポンと、遠坂の名前が浮かんできた。
 そうだった、遠坂に聞こうと思っていたのだった。
「桜、パスポート持ってるか?」
「はい?」
 思いついたことがそのまま口をついて出たので、脈絡のない発言に桜が変に上擦った声を上げた。
 しかし言ってみると、桜もロンドンに行ってもらうのが一番いい気がしてきた。桜のことも、アーチャーのことも。遠坂に言うべきことがたくさんある。大体二人はもう一年間会ってないわけだし、遠坂もあれだけ心配していたのだから、実際に顔を見て話すのが一番だろう。
「ええーっと、先輩? 大丈夫ですか? 意識ははっきりしてます?」
 反射的に大丈夫だと答えかけたが、あまり大丈夫じゃないなと自覚して取りやめた。特に桜の言う通り意識がやばい。思考が鈍っているを通り越して、今すぐ眠りにつけそうな有様だ。
 このまま寝れば桜にものすごく迷惑がかかる。それはよくよくわかっていたのでなんとか意識を繋いでいたが、どうにも限界そうな様子である。
 自分のことなのに他人事のようにそう思って、瞬きだと言い訳をしながら目をゆっくり時間をかけて開閉した。
 ああ、そうだ。俺は最悪転がしておいてくれてもいいから、なんとかこの剣のことだけは頼まねば――。


 ――――と、そこまで考えたことは覚えている。
 結果的に無事にこの目立つ剣は俺と桜と共にロンドンへ発つことになるので、当時の俺はなんとか願いを託せたのであろう。
 とにかく俺はその辺りで睡魔に陥落し、焦った桜の声に謝意を覚えながら、ようやく長い一日を終えたのだった。

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