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誓約と埋葬(前)/Novel by ちくわぶ

誓約と埋葬(前)

11,979 character(s)23 mins

版権元:Fate/stay night 
注意:腐向け(士弓) 重大なネタバレがあります 
あらすじ:ロンドンで遠坂から魔術を習っていた士郎は、“赤い服の男の幽霊“の噂を聞き、一年ぶりに冬木を訪れるが--。
 
後編はnovel/5103872です。
 
ストレス発散もしないと逆に効率悪いし、とかって言い訳しながら書いてたらなんか結構な文字数になっててもうここで一度手を止めねばならないというキリをつけるためにまだ途中ですが投稿します。
あとほんと申し訳ないですけどここまで書いておいてアーチャーがでません。どころかアーチャーのアの字もでません。やばい。士弓の要素がないとお叱りを受けても何の反論もできない。
後編はしばらく書くのを我慢するので、投稿するのはまだ先になります。気長にお待ちください。
あと、限りなくUBWルートに近い何かを通ったルートですが、もう整合性とるの大変だったので、都合よし二次元空間です。すみません。突っ込まれても深い理由はありません。すみません。書きたいシーンのために都合よく作り上げました。すみません。

3/13 追記
閲覧、評価、ブクマありがとうございます! アーチャー出てきてなくてほんとすみません。
アーチャーが一応登場してくれる予定の後編は誠意製作中ですのでお待ちください! 原作との整合性とか把握してない設定とか全部放り投げて書きたいものを書きます! 士弓増えろ!!

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 バスが停車した。
 そう多くもない荷物を担ぎ上げてステップを降りる。まだ春になりきらない冷たい風が、服の隙間から入り込んできたのに首を竦め、下げていたジッパーを上げきった。
 変わらず人に溢れている街を懐かしく思う一方、少し伸びた身長のせいで高くなった視界からは見慣れぬ場所にも見える。
 地図があったほうが確実だっただろうか。そう思いつつ歩き出せば不思議なもので、道なりを考えなくても、自然と体が動いてくれる。
 冬木市、新都。赤信号に見上げた寒空は、低い雲を湛えたまま、一年ぶりの帰郷を迎えてくれた。

「赤い服の男?」
 おうむ返しに尋ねると、ティーカップに口を付けた遠坂が頷いた。
「そう、赤い服の男。幽霊とか死神とかドッペルゲンガーとか、色々バリエーションはあったけど、確かなのはそれね」
 勧められたまま腰掛けたソファは、本来かなりの座り心地を誇るはずだが、漠然とした気持ちの悪さを感じて落ち着きなく身動いだ。
 遠坂が相談があると言って俺を呼びつけ、世間話もそこそこに切り出したのがこうだった。
 曰く、冬木の街に赤い服の男の幽霊がさ迷っている――。
 常人であれば鼻で笑い飛ばすような都市伝説の類いだっただろう。さっきまでいたはずの人間が少し目を離した隙に消えるだとか、何かを喋った気がするのに思い出せないだとか、大体が勘違いで済まされることだ。
 だが今俺たちは、その与太話に口を閉じて考え込んでいた。
 赤い服を着た男と、冬木という土地とは、聞き流すにはあまりに関わり深い符丁だった。自分の分も淹れたブラックティーに口を寄せる。ロンドンに来て一年、生粋の日本育ちの割には中々の腕前になったと自負しているが、これでもまだ、遠坂の中の至上の味には届かない。
 遠坂は難しい顔をしてカップをソーサーに戻した。俺も彼女のように苦い顔をしていることだろう。多分二人とも、同じ人物のことを考えていた。
「それで、遠坂はどうしたいんだ?」
 今の俺と遠坂との関係は、簡単に言えば師弟という一言に集約される。彼女が手伝えというのなら力を尽くすし、何もしないでいるというのなら、俺もその隣に控えるだけだ。そう考えての問いを、遠坂は一つ頷いて軽やかに答えた。
「あなたには冬木まで行ってもらうわ」
 やはり。内心でこちらも頷いた。彼女が俺をわざわざ呼び出して席を設けた以上、出した結論は概ね予想がつく。それでも確認のつもりで、俺は質問を重ねた。
「遠坂は?」
「私は残ることになるわね。冬木の管理者とはいえ、こんな噂話に腰を上げるような落ち着きのない人間だと思われるわけにはいかないから」
 言葉の通り堂々と落ち着き払って言う。心中はともかく、遠坂のこういう振る舞いは流石だった。管理者としての自負ももちろんあるだろうが、何よりも大切にしている妹を冬木に残しているのだ。噂の真偽に興味がないわけでも、異変の気配を帯びる自身の故郷が気にならないわけでもないだろう。加えて、噂の内容が内容である。
 しかしともすれば虚勢と取られかねないその態度は、遠坂凛が行うならば、余裕そのものの優美さに取って変わる。
「俺一人で行かせていいのか」
 彼女の姿勢に敬意を表して、長々しい言葉は飲み込んだ。 代わりに、魔術の師の監視から衛宮士郎を外していいのかという確認と、遠坂は本当に行かなくていいのかという説得とを兼ねて訊いた。
「いいわ。士郎に任せる」
 蒼玉めいた気品高い眼差しが俺を貫く。
「――そうか」
 ここまで言われて否やはない。言って頷いた俺を見て、遠坂は続けた。
「もちろん、わかってると思うけど、あんたのお得意の魔術を使うのは禁止。他の魔術も完璧に秘匿すること。これが最低の条件だから」
 遠坂を師匠と仰ぐ前から散々に言われてきたことだ。それを使わなくては誰かが死ぬという状況でも使うな、とまで言われている。
 しかし正直自分でも、その場面を目の当たりにしてしまえば、使わないとは言い切れないと思う。だから、誓わなくてもいいけど必ず言いつけは守れ、という矛盾した言い分が、いつものこの話題の着地点だった。
「わかった」
 誓えない代わりの了承を返す。遠坂はそれを聞き届けて、カップの紅茶を飲み干した。
「じゃあそういうわけだけど、詳しい説明の前に、飛行機? って確か予約が要るのよね? その辺の手続き関係だけ先にやっちゃって、話はその後にしましょう」
 ここには魔術師らしく電話線も引かれてないので、そういうことなら外に出なければならない。今にも立ち上がりそうな遠坂に続いて俺も慌ててカップをあおる。
「持ち出す礼装の選別はしてあげるから、士郎は予約よろしく。明日の朝一番ね」
 妥当な役割分担だろう。お互い杯を干したので立ち上がる。
 もう夕方だから、予約となると急がないといけない。そもそも外泊の準備も今からやらなければいけないから、のんびりしていると時間が足りなくなるだろう。
 どうせすぐ再会するからと、挨拶もそこそこにティーセットを片して、コートを羽織った。退出のためドアノブに手をかけた背中に、「あ、それから」と声がかかる。
「わかってると思うけど、経費落ちないから。ちょっとなら出したげるけど、クラスはエコノミーでね」
 わざわざ振り向いた先で言われた台詞に、どう返したものか少し悩んだが、結局苦笑とともに無難な言葉で返事をした。

 衛宮の家は、変わらず整えられているという。
 しかし、留守を守ってくれている冬木の虎としっかり者の後輩には悪いと思いつつ、日本滞在の間の宿は一般的なビジネスホテルだった。
 そもそも今回、俺は魔術的調査のために遠坂の命で派遣されたという立場であって、そこが俺の故郷だったというのは偶然の一致として処理すべきことである。藤ねえと桜が一般人として生きている以上、帰省を告げるわけにも行かなかった。
 午前からチェックインが可能だったというのが決め手に選んだ新都のホテルに荷物を置いて、早速街に繰り出してみる。太陽は丁度南中を迎え、祝日に混み合う通りには、学生らしき年若い青年のグループもいれば、ヒールを鳴らして足早に歩き去るスーツ姿の女性もいる。昼時をどう過ごすか暫し悩んで、ロンドンですら見かけたファストフード店に入ることにした。人が集まるし、席の間隔が狭いため、他人の会話が拾いやすい。噂話が好きそうな、娯楽に飢えた若者の利用が多いのもあった。
 炭水化物と脂質と塩分とが過剰な組み合わせをサラダを足すことで誤魔化しつつ、四人掛けのテーブルに紛れた二人用の小さなテーブルにトレイを置いた。隣には六人の女子高生と思しき集団が、その反対の隣には子供用の椅子に幼児を座らせた母親たちがそれぞれ座っていた。時差とフライトのせいで腹時計はかなり狂っていたが、とりあえずハンバーガーの包みを開けてかぶり付く。咀嚼の時間を長くとりつつ、周囲の喧騒に耳を傾けた。
 遠坂から聞いた“赤い服の男”という都市伝説は、都市伝説らしく論理的整合性に欠け、得られる全体像もあやふやだ。時によっては黒い死神という呼ばれかたもあるらしいそいつは、基本的には不幸をもたらすものとして受け止められているようだった。黒猫の迷信に近いものがあるかもしれない。
 赤い服の男を見た者は近いうちに死を迎える。あるいは、死に瀕した者の前にこそ現れる。はたまた悪行を重ねているとその死神が現れ、汚れた魂を刈り取っていく――。
 概ねこんなところだろう。比較的共通しているのは、それが男性の姿として称され、赤い服を着ていると捉えられることが多く、何らかの形で死が絡んでくる、と言った点だ。ありがちな話だと思うが、それでも別の人間の口から語られた話が、それなりの共通項で括られるというのは、どんな形にせよ煙の元となる火種があると見ていいだろう。
 しかしとにかく、情報が少なすぎる。昼は噂の火元を探しつつ、遠坂から聞いた霊脈に沿ってエーテルの観測器を設置し、夜はそれに獲物が観測されるのを待つ、と言った方針で、ゆっくりと事を進めるしかないだろう。
 狩人はまず獲物の生態をよく学んでから漸く罠を備え弓をとる。その考えで言えば、獲物がなんたるかを知らずにそれを捕らえようとする今の試みは無謀と言ってよく、言い換えれば駄目で元々というところだった。
 不本意ながらも聞き取ってしまった低給取りの旦那の悪口を頭から追い出しつつ、ごみを纏めて席を立つ。あるかないかもわからない亡霊の影を追うのだから、行動のほとんどが無駄骨になるとは、予め予想がついていた。

 二日経った。
 あらかた網の設置を終わらせ、一通り霊脈の流れを確認できるようになったが、特にわかったことはない。逆に言うなら、異常らしい異常は起きていない、ということがわかったことになる。
 一方で、噂は噂としてそれなりの市民権を獲得しているらしく、男が女を送っていくときの大義名分だったり、母親が子供に言うことを聞かせるための脅し文句としてだったりと、形はどうあれ人の口に上ることは多かった。
 遠坂も俺も、真っ先に聖杯を疑った。願望器としての小聖杯は失われたとはいえ、冬木の霊脈に複雑に絡まる大聖杯の機能を完全に停止させられたとは言い難く、この一年で蓄えられた魔力を何らかの形で放出したのかも知れない、と考えたのだ。しかしその割には、この土地の霊脈は、幾つかある霊地へと縒り合わされ集約するという、ある意味で今まで通りの、聖杯のために整えられた舞台としての姿を保っていた。澱みや歪みが見つけられないのだ。
『今何かの術式が発動したのではなく、かつて組まれた術式が漸く働きだしたってこともあるかもしれないわね』
 事前に準備をしていってもなお、大変な苦労を要して何とか繋がった電話口の向こうで遠坂は言った。何の問題も発生していないという可能性はひとまず放って置くこととして、と前置きした上での発言である。
「えーっと、つまり、発動自体は昔からしてたけど、凄く低速運転で、最近になって調子が出てきたって感じか?」
『随分頭の悪い例えだけど、まあそんなところ。聖杯が最も活性化したのは、わかると思うけど一年前のあの時期よ。何か原因があるとすればその時で、結果としての異変が時間を置いて現れたって言う考えもできるってことね』
 聖杯に原因があると仮定して、一方で現状のところ霊脈には変化がないという事実とも整合性のある仮説を立てるとすれば確かにそうなるのだろう。
『もちろん、どこぞの魔術師が何かを企んでて、暗示を掛けた結果が半端に統一性の欠けた噂話……って線もあるし、聖杯以外の可能性も捨てずに調査を進めてほしいんだけど』
「それはわかってるよ。でも、さっき言ってた、昔発動した術の結果が遅れて現れたって場合、どう調べればいいんだ?」
 ホテルにあるビジネスデスクに広げた地図には、観測器を置いた場所に青丸が、赤服の男が現れたとされる場所に赤丸が書き込まれている。具体的な地点が判然としないものは含まないので、赤丸はわずかに二点だった。内訳は一応、新都の埋め立て地の病院が一つ、深山の住宅地の路上が一つになるが、母数が少なすぎて関連性を探せる段階ではない。
『そうね……。何かの異変が現在進行形で起きているってんなら、原因を探ってそこを叩けばよかったんだけど。もう原因と結果の直接の繋がりがないんだったら、結果である事象そのものを断たなくちゃいけないわね』
 あなたの魔術と同じことよ、と遠坂は付け加えた。
 これについては何度も話に聞いたのでわかる。つまり、俺の投影した剣と同様に考えろと言うことだろう。
 俺の投影は普通のものとは違い、一度完成させてしまえば、俺の手から離れても全く変わりなく存在し続ける。もし誰かが俺の投影品を消し去りたいと思った場合、原因である俺を殺しても、術の結果として固定された剣は消えてなくならない。剣を消したいなら、剣そのものを狙わなくてはいけないのだ。この考えで言うなら、原因と思しき聖杯の調査は直接の解決には繋がらないので、赤い服の男そのものを捕まえて何とかしろ、ということになる。
「となると、どうにか噂の当人に会わなくちゃだな」
 そしてこれが難題であった。何しろいるかいないかもわからないのだ。ツチノコを探すような徒労感がある。
『そういうことね。けど原因をはっきりさせないと今後の対応がとれないし、ちゃんと並行してそっちも調べて頂戴』
「了解。まあ、まだ二日だからな。気長にやるよ」
 自分で言うのもなんだが、それなりに根気のある方だと自負している。むしろスパルタな師匠の目を離れた分、状況は楽になったと言えるかもしれない。いやもちろん、不出来な俺を厳しくも導いてくれる遠坂には感謝してるし、調査だって真剣にやっているのだが。
『じゃあ、そういうことで。そっちは遅くまでご苦労様』
 イギリスとの時差は九時間だ。こっちは今深夜一時なので、ロンドンは夕方の四時になる。
「いや、まだ正直時差ボケもあるからな。遠坂こそお疲れ」
『ええ、ありがと。それじゃあね』
 実際、極東からの魔術師だからと言って時計塔の連中に舐められないようにと、いつも以上の完璧ぶりを披露し続けているだけでも大変だろう。そこに加えて今回の事件だ。
 いや、事件と呼ぶにはささやかすぎるので、異変とでも言うべきか。しかしその内容からして、遠坂が気を揉んでいないはずもなかった。
『あ、士郎! まだ繋がってる?』
「っと。繋がってるよ、どうした」
 少し大きな遠坂の声に、今にも耳から外そうとしてたセルフォンを慌てて当て直す。一度切ってしまえばまたまともな通話に持ち込むのに何十分も掛かりかねない。危ないところだった。
『ごめん。その、噂の内容なんだけどね』
 と、ここで一度沈黙した。いつも淀みない遠坂にしては珍しいことである。俺は黙って、遠坂の吐息によるものであろう僅かな雑音に耳を傾けた。
『あまりいい意味じゃないでしょう。出会ったら不幸になるって類いの』
「うん、そうだな」
『でもあなたはわざわざそれを追うわけだから、その……気を付けて。手に負えないと思ったら一時撤退して、私に連絡すること。いいわね?』
 確認というより、命令と言うべき口調だった。俺は魔術師としてまだまだだから、遠坂に心配をかける理由ばかりが沢山ある。しかし今回のこれは違うだろう。
 俺たちはずっと、同じ男のことを考えている。いるかいないかもわからない、亡霊のようなその男。彼が本当にこの都市伝説の主体だとするならば、そしてそれを退治しなければならない状況になったなら、無傷で終わる自信はない。遠坂もそう考えているのだろう。
 お互いの推測をまともに擦り合わせてもいないのに、遠坂と同じ考えをしているとはっきりと思えた。電話の向こうの赤の似合う少女に答える。
「わかってる、うまくやるよ」
 ――人に死をもたらす赤い死神。
 二人して名前を伏せたのには、こんな形の再会は望まないという恐れが、確かにあった。

 調査開始より五日目。遠坂との国際電話からは二日経ったことになる。
 冬木市の地図への書き込みは残念ながら増えていない。代わりに、と言えるかどうか。二つの丸がついたところでの話は集めることができた。
 一つは、薬物中毒で搬送され、そのまま病院で死亡した男。薬物がどういうものだったか、それから死因に不審な点が無かったかどうかは、流石に個人情報という壁に遮られ医療者からの正確な回答は得られなかった。ただ、同じ時期に救急治療室に入っていた患者いわく、夜間に“赤い男に殺される”と口走っていてうるさかった、とのことだ。さらにこちらは信憑性に乏しいが、男は病院の屋上から飛び降りて亡くなったという。
 しかし救急治療室に突然入れられて目を覚ました患者が興奮して暴れだすというのはよくある話で、勝手に歩き回らないよう通路には何ヵ所もドアが挟まるようになっている。そもそも二十四時間、必ず医師や看護師が詰めている場所だ。一階からわざわざ屋上まで行って飛び降りるなど、やろうと思っても誰かに止められてできるものではない。逆に言えば、もしその通りに亡くなっていたとすれば、通常なら起こり得ない、かなり奇妙な話だった。
 もう一つは、無免許運転で轢き逃げをした高校生が、逃走中に事故を起こして死亡したものである。こちらに関しては一つ目と違い、赤い服を着た黒いお兄さん、というのは、警察の事情聴取に応じた少女の口から語られる。住宅地を猛スピードで走っていた乗用車のエンジン音に、帰宅途中の小学生である彼女が振り向いたところ、丁度交差点の真ん中に立つ人影が、今にも撥ねられるというところだった。これが、彼女の言う、赤い服を着た黒いお兄さんである。少女は咄嗟に目を瞑ってしまい、それに続いたけたたましいブレーキ音と衝突音が止んだ頃に恐る恐る目を開けたら、乗用車は交差点の角を成す塀に食い込むように停止しており、前を見ても後ろを見ても、轢かれたはずの男の姿はなかったという。
 こちらにしても、一瞬の出来事な上に、少女はまだ十歳で、しかもその時車は彼女へと向かってくる方向で走ってきていた。時速八十キロメートルが出ていたというので、目撃者が成人だったとしても恐怖は強いだろう。当たり前だが、時速八十キロメートルの鉄の塊にぶつかられて無事で済む人間はいない。警察の結論は、轢き逃げ犯は高速運転で逃走中、進路上に子供の姿を見かけて慌てて回避をしたが失敗して衝突し死亡した。少女の証言は、車に撥ねられかけた恐怖からの記憶の混濁であろう、というものであった。
 どちらもよくある、少し不思議な話である。ちょっと話に上るくらいのインパクトはあるだろう。だが普通の見方をするならば、ただの勘違いや幻覚で片付けられる事件の一つだった。
 そして、普通じゃない見方をした場合でも、これも十分にあり得る事態だった。人知れず成人男性を連れ出し屋上から放り投げることも、車との正面衝突を生き延びて姿を眩ませることも、魔術をもってすれば不可能じゃない話になる。ましてや、人の理を超えた英霊の身であるならば――。
 昼食のコンビニおにぎりをかじりながら思案する。この他にも幾つか目撃談らしきものもあるのだが、それらは具体性にかけ、そも詳しく調査する余地すらない。恐らく噂のもととなった最初の事件が病院と住宅街との二つで、それ以降は噂が広まり、創作や先入観が入って事実から解離してしまっているのだろう。
 何日もかけて調べたわりには、初めからある“もしかして”を強めたばかりで、出現位置を予想するための手掛かりにもなりはしない。それに、並行して探っている他の可能性についても、肯定も否定もできない宙吊りの状態である。
 最後の一口をペットボトルの緑茶飲料で流し込んで、腰掛けていたベンチから立ち上がる。ともかく、確率的に考えて、人が集まるところの方がいいだろう。
 ひとまず新都の中心へ移動しようと、ズボンを叩きながら歩き出した時、
「あ」
 声を出したのは二人同時だった。
 丁度進行方向、視線を向けた先に彼女はいた。少し伸びたように思える藍色の髪が、薄桃色のワンピースと白いコートに映えている。
「先輩……?」
 暖かい日差しの印象をかき消すような冷たい風が吹き抜ける。
 きょとんと目を丸くした桜の呼び掛けにどう答えるべきか。悩んで思わず口ごもる。そして少なくとも遠坂からの説教が確定したことに、嫌な汗が背中を流れた。

「帰ってこられてたんでしたら、教えてくれてもよかったじゃないですか」
 責めるような台詞にしては、桜の声色は明るかった。
 久しぶりの畳の匂いに、どうも腰が落ち着かない。何故か俺が座ったままで、桜の方が甲斐甲斐しくお茶の準備をしてくれていることも、決まりの悪さに拍車をかけていた。
「いや、その。ごめん、帰ってきたって言っても、ゆっくり一緒に過ごす時間があるわけじゃなかったから」
 何より万が一にも桜を巻き込む訳にはいかなかった――続けようとした言葉は、振り向いた後輩の姿を見て飲み込んだ。巻き込むことを憂慮するということは、俺のやらんとすることが危険なものであるということの証明になってしまう。賢い彼女がそれに気づかないはずもなく、そうすれば心配をかけることは明らかだった。
「それでも、お食事の用意とか、お布団を干したりとか、色々準備できたのに……。先輩の部屋も、一応は泊まれる状態だとは思いますけど、あとで掃除しておきますね」
 一年間放置していたはずの武家屋敷は、そんな時間の経過を感じさせないくらいよく手入れされていた。和机にかつては毎日握っていた湯呑みが置かれる。桜の振る舞いは手慣れていた。一方お茶を受けた俺は正座だった。
「――ふふ。なんだか、随分と肩に力が入っていますね。先輩はここの家主なんですから、どどーんと構えちゃっててください」
 顔にかかる横髪を耳にかけながら桜も対面に座った。高校時代を思い出して懐かしく感じる。
「それで、いつから日本に戻ってらしたんですか? 荷物はコインロッカーに?」
 う、と言葉に詰まる。うっかり桜と再会してからここまで、散々考えて決めかねているのがそこだった。
「……日本には五日前から。荷物というか、宿がその、ホテルなんだ」
「え? わざわざですか?」
 桜の驚きも最もだ。家があるのにホテル住まいだなんて非経済的すぎる。いつ帰ってきてもいいようにと、広くて手間のかかる屋敷の維持をしてくれている桜には申し訳が立たなかった。せめても事情の説明をしようとすると、今度は出発前の俺に釘を刺してくれた遠坂の姿が浮かび上がる。
 ――桜は魔術と関係なく暮らしてるんだから、ノコノコと会いに行ったりしたら駄目よ!
 ……ノコノコじゃなくてバッタリだった場合、情状酌量の余地があるだろうか。いや、多分ないので、これ以上追及の芽となるような失言は控えるべきだった。
 そういう事情から黙り込んだ俺に、桜は不可思議そうに首を傾げたが、ややもしてハッと口許に手を宛がった。
「すみません、私には言えないこともありますよね。……そっか、やだな、私ったら。ごめんなさい、先輩の都合も考えずに。ここまでお時間大丈夫でしたか? つい浮かれちゃって……。お忙しいところすみません、あの」
 桜の謝罪は早口で自虐混じりだった。声はまだ明るさを取り繕っているが、すっかり反らされてしまった視線と、丸くなった背筋を思えば彼女の心情は明らかである。
「待った、待った桜! 大丈夫だから、謝らなくていいって」
 どんどん沈み込んでいくのを慌てて止める。
「むしろ俺の方こそ、ごめん。家の管理までしてもらってて、不義理だったよな」
「いえ、好きでやっていることですから! 頭を上げてください、先輩」
 謝罪のために下げた頭上から、慌てた声がかかる。本当はもっと長く下げていてもよかったのだが、桜が慌てているし、自己満足にしかならないと思ってやめた。戻した視界で、桜がホッと息を吐く。
 間を誤魔化すために、半分ほど減ったお茶に口をつけた。少しの渋みが強い香りを纏め上げて深い味わいを生み出している。おいしい。少し冷めて舌を焼きかねない熱さはなくなったが、気分の問題で音を立てて二口目を啜ると、その音が二つ重なった。見れば桜も、かつての彼女が愛用していた湯呑みを傾けている。
 ズズ……と平穏極まりない音を響かせて、しばらく。心を決めて湯呑みをおいた。正座の背筋も気持ち伸ばす。
 そう、桜は長らくこの街で暮らす地元民なのだ。俺が知らないことを知っているかもしれない。これは昨日一昨日と続けていた聞き込みの一環なのだ。
「桜、俺は、あることを調べに日本に戻ってきたんだ」
 ――ごめん、遠坂。
 色々言い訳を用意したところで、ガントどころかフィンの連撃を受けることは免れないだろう。
 その将来への覚悟をして、俺は桜へ、話せる限りの事情説明をすることにした。

「赤い服を着た男性の幽霊、ですか……?」
 小首を傾げながら、煎れ直したお茶を置いて桜が再度着席した。手渡されたお代わりを礼を言って受けとる。
「ええと、所謂都市伝説ってやつですよね? それを調べるなんて、大変ですね」
「まあな。地道に聞き込んだりしてる訳なんだけど……桜は何か知らないか?」
 話が長くなるのに合わせて桜が自分の鞄から出してくれたビスケットの小袋を有り難く開封する。包装の継ぎ目を全て解放し取り出しやすくして、机の中央に配置した。
「ううん。でもここって港町で、海外の人も珍しくないですよね。肌の色が暗くて赤い服を着てる人だって、普通にいらっしゃいますし」
 それはまあ、そうだろう。脚がないとか血みどろだとかわかりやすい特徴があればいいのだが、今のところそういうパターンは聞いたことがない。
「私も時々、まさにそういう褐色の肌で赤い服を着てらっしゃる方を見かけるんです。その人が最近冬木に越してこられたか何かで、噂と合体して広まってしまったんじゃないかと思うんですけど」
「……見かける?」
 目撃情報というのは、真偽を問わねばそれなりにある。そのほとんどが目立ちたがりの嘘であり、何とか残った本物らしきものが、地図に書き込んだ二件だけなのだが――。
「桜が見たのか? いつ、どこで?」
「え? あっと、ここ二週間くらいだと思います。どこってこともなくて、街中とか、商店街とかで見かけるだけなんですけど。結構背が高い方で、それで服が赤いので、つい目が行くと言うか……」
 真剣な俺の様子に、軽い調子で話していた桜は戸惑った口調で続けた。
「あの、でも幽霊とかそんな感じじゃないんですよ。普通の男性に見えました。まあ服装は、お国のものなのか変わってるなあって印象はありましたけど」
「……いや、普通の人なら人で、そういう結果として別にいいんだ。その人の特徴、もう少し詳しくわかるか?」
 強張りそうな表情を何とか解して、何でもないような笑顔を添えて問う。桜はそれを受けて、視線を上向けながら思い出しているようにし、
「ええっと、肌は褐色で、背は多分百九十センチ近くはあって……結構若い、二、三十代の方で……黒いインナーに赤いボレロみたいなのを羽織ってて……。あ、あと、髪の毛が白かったです。白髪ってわけじゃなくて、そういう体質なんだと思うんですけど」
 ぐ、と。吐くことも吸うこともできない息が、喉のところで塞き止められて嫌な音を立てた。
 そんな特徴、もうどうしたって、一人の姿しか思い浮かばない。かつての聖杯を巡る短くも鮮烈な戦争の記憶。あの日朝焼けの中、赤い少女に見送られたサーヴァント。その最期を見つめることしかできなかった俺を見据えて、言いかけた何かを飲み込み、そのまま消えていった男――。
「先輩?」
 心配そうな声に意識を戻す。
 ここは当然朝焼けの屋外などではなく、畳の敷かれた居間だった。眼前にいるのは、言葉を止めて苦笑のまま溶けていった男ではなく、俺を覗き込む後輩の姿だ。
「ああ、いや、何でもない」
 咄嗟に誤魔化しが口をついて出た。何でもない筈はない。多大な問題だけがあった。
 赤い男に殺される――。病院で死んだ男が叫んでいた台詞だ。彼の死因すら定かではないが、少なくともそれを恐れていたことだけはハッキリとしている。
 赤い服の男の都市伝説。その影に死をちらつかせる噂。その言い伝えに酷似する男が、桜の前に現れたことこそを、今は重要視するべきだ。
「桜、悪いけど、しばらくこの家に泊まってくれないか? 俺もホテルからこっちに移るから」
「へ?」
 事件解決のためにも、後輩の安全のためにも、桜の側にできるだけいてやるのが一番だろう。
 突然の申し出に心底狼狽した様子の桜を宥めて、できるだけ不安を与えないように事情と口実を説明する。桜は「先輩と二人きりなんて」「嫁入り前なのに」と混乱も見られる遠慮を連ねていたが、最後には何とか頷いてくれた。
 荷物の準備があるというし、俺もチェックアウトをしに行かないといけないので、一度家を出ることにした。高校のころから預けたままの合鍵で施錠してくれたのを確認し、間桐の家まで送っていく。
「では、また後で」
 ニコニコと手を振ってくれた桜に手を振り返し、新都のホテルに向けて俺も歩き出した。
 まだ日は高い。今から荷物を回収して、また桜を迎えに来て家の門を潜るまで、日は落ちずにいてくれるだろう。
 慣れた故郷の道を歩く。道行きの手慰めに考えるのは、どうしてもあの男のことだった。
 遠坂は、原因は一年前にあって、その結果が時間差で現れている可能性が高いと言っていた。その言葉がぐるぐると脳裏を回る。
 一年前のあの日に、原因があるとするのなら――。
 心当たりがあった。
 俺はあの日、消え行く彼を見て、確かに“いなくならないで欲しい”と祈りを持ってしまったのだ。
「あの時お前、何を言おうとしてたんだ……?」
 噛んだ唇から鉄錆びの味を感じて足を止める。努めて息を吐いて仰いだ空は、少しの雲が早く流れる晴天だった。

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