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おれにはおれとそっくりなキョウダイがいる。
鏡の前でふたり並んだとき、自分たちですら似てるなと思うのだから、きっとおれたちふたりは似た者キョウダイというやつなのだ。
顔かたちも、身長も。見た目におけるほとんどすべてが似かよっていたけれど、色味だけは全然違った。
おれのちょっと日焼けした肌色と、あいつの焦げたような茶色の肌。
おれの赤茶の髪の毛と、あいつの真っ白な髪の毛。
おれの茶色の瞳は何かに突き動かされるように落ち着かない色をぐらぐらと煮立たせていたけれど、あいつの灰色は最初から何かを諦めたように平坦で少しくすんでいた。
おれたちはよく似ていたけれど、特段仲のいい兄弟って訳じゃない。あいつのことは別にキライじゃないけど、お互いにどう接したらいいのか距離をはかりかねてるような微妙な関係。そもそもおれの家は家庭環境ってやつがちょっと複雑で、おれとこいつは養子だった。
本当はこの家ではない別の家に家族と一緒に住んでいたのだけれど、ある日大きな災害が起きて、火の海の中で死にかけた末に、なんか色々とあってこの家にじいさんと住んでいる。
ああ、じいさんっていうのは、おれたちを引き取ってくれたちょっとさえない感じの見知らぬ他人のおじさんで。いい人だと思うしすごく感謝もしているけれど、どうにも子供っぽくて頼りない時がある。特に料理とか掃除とか、そういう何気ない日常のことをやっている時に。
いいんだ。そんなことは、おれたちがじいさんの代わりにできるようになればいいんだから。
おれたちが家族と家をなくした災害は、本当に被害が大きくて、大層ひどいものだったらしい。
それに遭遇した被害者であるおれも、未だに夢に見るとうなされるし、災害以前以後の出来事が、うまく思い出せない時がある。
思い出せないなら無理して思い出す必要はないんだ、なんて。あの大火事で負った傷のせいで歩いたり走ったりすることが難しく、日がな一日を家の中で本を読んで過ごしているヤツはそう言った。
家からロクに出ない、出られないこいつと比べたら、おれの方が圧倒的に負った傷の治りが良かったから、そう言われるとなんにも言えなくなってしまう。
おれはたまに夢でうなされるくらいで済んでいるけど、こいつは夜よく眠れてすらいないんじゃないかな、なんて思っていた。
だっておれが夢にうなされてパチリと目を開けるとき、怒ったような困ったような瞳で、おれの顔をのぞき込んでいるのは、いつだってこいつだったから。
じいさんに引き取られてから学校も校区も引っ越して、しばらくは慣れなかったけどだんだん家の中や庭以外でも遊べるようになった。
日本家屋の中を探検したり、かくれんぼしてみたりするのもそれなりに楽しかったけど、オトコってやつは外へ外へと冒険に出ていきたがるものなのだ。
それがたとえ少し行った先にある大きめの公園、という少々控えめな目的地であっても。
そこそこに広い敷地内をただ走り回ったり、近所の小さな公園のブランコにも飽きてしまった頃、家の裏手のおねえさんに「ちょっと坂を下りて住宅地に入ったところに大きめの公園があるよ」と教えて貰った。
「私は部活があるから一緒に行ってあげられないけど、ケンカとかしてこないでよぉ」と念押しをされたけれど、そのくらいの距離なら迷子にもならないだろうし、この辺りにはない変わった遊具の類も置いてあるだろう。
問題は足のよくないあいつを家にひとり残して、おれだけ抜けがけのように遊びに行くという申し訳なさだったけれど、罪悪感と好奇心とを天秤にかけてあっさり公園への興味に傾き、一時間だけだからと心の中で言い訳して、ランドセルを置いてこっそり例の公園へと駆けて行った。
家を出て行ったことがバレにくいよう、自転車を使わないという悪知恵も働かせて。
こうなると後ろ髪を引かれるような想いすら、逆に悪いことをしているという高揚に感じてしまう。変にニヤつきそうになる口元を、無意味に袖口でこすってごまかしながら、未知なる場所への道のりを急いだ。
ーー結論から言うと、教えてもらった公園は期待していた以上に大きくて遊具の数も多く、仲間に入れてくれる同世代もたくさん来ていて楽しかった。
楽しかったから時間を忘れてしまい、一時間だけなんて思っていたのに気がついたら公園の時計の長針がゆうに二周も回っていて、傾き始めた夕日を見て大慌てで公園を飛び出した。
けれど、慌てていたから曲がる角を間違えて、だんだんと知らない景色に変わっていることに気づき、これはいけないと住宅地の中の入り組んだ道をぐるぐる回る。何とかして元いた公園にまで戻ってこれた時には、ほとんど日が暮れかかっていた。
皆それぞれにあたたかい家へと帰り、誰もいなくなってしまった公園も、街灯の灯り始めたついさっき迷いかけていた住宅街の細い道も。おれの寂しさと不安をあおるには十分過ぎるほど不気味で無機質な光景で、じわりと潤みを増し始めた両目をごまかすように目をこすって、ぐずりと鼻をすする。
せめて少しでも落ち着くようにと深い呼吸を繰り返すようにしながら、この公園に来る時自分はどういう経路で来たのだったか、目印は何かなかったかを思い出そうと試みるが、早く帰らなきゃと気持ちばかり焦るせいでなかなかうまくいかない。
「……とりあえず、大きい道に行ってみるとか、かな」
住宅街の少し奥まったところにある公園の中では、通行人が少なくて人に道をたずねることもできない。
人に道を聞くなら新しい住所は覚えていたっけとか、裏に住んでる藤村組の名前を出せばわかってもらえるだろうかなどと思案しつつ、もう一度歩き出そうと足を踏み出した途端、ぐいと後ろから腕を引かれて飛び上がるほど驚いた。
「……おい」
「うっわああああああああ!」
つい大声をあげてしまってから、かけられた声が自分にはとても聞き覚えのあるものだったことに気づく。
「!! くっそ、びっくりしたからって大声を出しすぎだ。耳がキンキンする」
街灯が遠くてちょっと暗かったけれど、両耳を手でふさいで悪態を吐く、同じくらいの背格好をした子供の姿が目に入った。ソレがいったい誰であるのか、混乱していたアタマが少しずつ認識し始めた途端、安堵で視界がにじんでいく。
泣きそうだったけれど、くやしいし恥ずかしいから泣き顔なんか見せたくなくて。ずずっと盛大に鼻水をすすったら、ポケットからティッシュを手渡された。相変わらず用意がいい。いつだっておれよりも気が回るのはこいつの方なんだ。おれがなかなか帰らないことに気が付いて、いつも夕食前の時間に様子を見に来てくれる裏の家の人たちが来る前にと、歩きづらい足を引きずってわざわざ迎えに来てくれたのだろう。
もらったティッシュで鼻をかんで、かんだティッシュをポケットの中に押し込むと、グシグシと雑にズボンで手を拭いてからヤツの前に手のひらを差し出した。
「……うん、そうだな。いっしょに帰ろう」
そう言ってあいつは、いつもなら不機嫌そうにしている顔をほんの少しだけふにゃりと崩し、おれが差し出した手を握り返す。
迷って歩き通した上に泣いて体温の上がったおれと対称的に、あたたかくなってきたとは言えど、陽が落ちて気温が下がった屋外を、時間をかけて歩いてきたこいつの手はちょっと冷たかった。
それをあたためるように褐色の手をぎゅうと握って、ヤツの歩調に合わすようゆっくり歩き始める。
ちゃんと「帰り道、どっちだったっけ?」と聞くのも忘れないようにして。
なんとか歩いて家にたどり着くと、明かりのついた玄関の前で制服姿の隣のおねえさんと若いけどちょっと顔のこわいお兄さんとが、キョロキョロと何かを探しているところだった。
そしておれを見つけるなり、おねえさんは「あ! 帰ってきた!」と叫んでおれの身体をぎゅうと抱き締めた。
突然のことにおれはびっくりして、おねえさんの腕の中でジタバタと手足を動かしてもがく。……くやしいかな、全然ビクともしなかったけど。
サッと繋いでいた手を離しておねえさんの襲撃をうまい具合にかわした上、その様子の一部始終を見ていたあいつは、おれをバカにしたようにプスっと吹き出すと、急に大人びた顔になって「心配かけたんだよ」と小さな声でつぶやいた。
「よかったあ、帰ってきて。もう少し家の中を探してもいなかったら、近所を探しに行こうと思ってたの」
「…………ごめん、なさい。この前教えてもらった、公園に行ってて……」
帰り道に迷ったんだ、というのが恥ずかしくて一旦口を閉じると、おねえさんは「そっか。帰る時間を忘れて遊びすぎちゃったんだねえ」と明るく笑った。
……うん、まあ、そうなんだよ。そういうことにしておいてくれる?
夕飯を裏のお家で食べないかと誘われたけれど、なるべく丁寧に断って、心配かけてごめんなさいともう一度おねえさんと顔のこわいお兄さんの両方に謝ると、おねえさんは「いいのよお」とおれの頭をひと撫でしてから二人して家に帰っていった。
二人の姿が見えなくなるまで手を振って、玄関にぽつんと取り残される。
家の中に入ろうと引き戸を開けると、あいつはネコのようにするりとおれの横をすり抜けて、振り返りもせずに小さな声でつぶやいた。
「…………キリツグ今日は帰れないってさ」
そっか、と気のない返事を返しつつ、養父のことを「じいさん」と呼んでるおれが言うのも何だけど、随分と歳上の人のことを呼び捨てするのは子供としてどうなのかなぁなんて考える。
玄関の鍵をきちんとかけて戸締りを確認すると、靴を揃えてからいつも通り居間の方へと歩いていった。おねえさんたちがおれを探していたからか、家の中の電気がついていて明るかったことに少しだけほっとする。
誰もいない居間に入るとテーブルの上にメモ代わりの裏の白い広告が置いてあって、じいさんの字で今日の夜は居ないから藤村さんのところのお世話になるようにと、走り書きが残されていた。
さっき同じことをこいつからも聞いていたけど、失望したようなこれで良かったような、複雑な想いが胸にこみ上げてくる。
「…………そういうことだからまあ、泣いても誰にもバレないと思うぞ」
見ないでやるから、というあいつの言葉は、さっきの話の続きだったのだろう。
ぽつと落とされた許しに、張り詰めていた糸がとうとう切れた。
家に帰ってようやく安心して、こらえていたものがあふれ出してきて止められない。目と鼻がグチャグチャになっているおれの前にティッシュを箱ごと差し出すと、あいつはひとりで台所の方へと歩いていった。
踏み台を用意して、ごそごそと戸棚を漁り始める。
あいつがひとりで台所に立って何をやっているのかは気になったけれど、ひとまずあふれて止まらなくなってしまった涙を何とかすることに努めた。
ひとしきり泣いてから鼻水をかんで、ついでにポケットのゴミも屑入れに捨ててからおずおずと台所をのぞくと、ギロリとにらみつけられた上に「手を洗ってこい」というごもっともな言葉と共に追い返される。
そういえば帰ってきてから手も洗っていなかった。慌てて洗面所で手を洗い、うがいをしてから部屋に戻ると、居間のテーブルの上にちょこんとカレーが用意されていた。
目をぱちくりしながら夕飯の準備がされた席へと座ると「ご飯もカレーもレトルトをチンしただけだけどな」と言いながら、あいつがコップに注いだお茶を運んでくる。
おれの前に水出しの麦茶を置くと、当然のような顔をしてテーブルの向かい側に座った。
「冷める前に食え。腹が減ってると余計に気分が落ち込むから」
そう言うとおもむろにリモコンをつかみ、テレビのスイッチを入れる。バラエティやらクイズ番組やらと色々チャンネルを変えたあげく、一番うるさくないニュース番組に落ち着いたようだ。程なくして始まった天気予報を見ながら「明日は雨か」なんて、忌々しそうに呟く。雨だと洗濯物が乾かないし、こいつの場合、気圧が下がると傷痕や関節が痛んでつらいらしい。
スプーンでカレーをすくって食べ始める。無言でニュースを見ているあいつと、黙々とカレーを食べ進める自分。
ふと視線を上げると、真剣な顔つきのキャスターが読み上げる事件の内容を、頬杖をついてつまらなそうに眺めている横顔が目に入って、とうとう耐えきれなくなって口を開いた。
「…………ごめん」
あいつは頬杖をついてテレビの画面を見たまま、「何が?」なんてそっけない返事を返してくる。
「今日家に置いてひとりで遊びに出ちまったから」
すると、あろうことかヤツは「そんなことか」と小馬鹿にしたように鼻で笑った。その態度に思わずカチンときて声を荒げる。
「“そんなこと”なんかじゃないだろ?! おまえは外に出られないのに!!」
おれだけひとりで勝手に遊んでたんだぞと、くやしそうに苦しそうに自分の悪事を告白すると、あいつは何も言わずにぷちりとテレビを消し、真面目な顔でおれの方に向き直った。
「……ずっと言おう言おうと思っていたんだが。
この機会に言っておくが、オレが外に出られないからと、おまえまで家にいる必要はないんだ。むしろひとりで公園に行こうと思って実行したのは、とてもいいことだと思った」
迷ったのは予想外だったけど、と続けておれの弱みを締め付けるのも忘れない。
ヤツは無感動かつやたらと口達者に、おれがそうすべき理由を説明した。
曰く、転入してきてからあまり交友をひろげていないんだから、同世代と馴染むのにいい機会であること。キリツグはその辺りのことに馴染みがないし、保護者として気が回せるようなタイプではないから、自分の力で外部との交友関係を築くべきだと。
「オレはどうしてもできないことが多いんだ。だから、動けるおまえがオレに遠慮してガマンする必要はこれっぽっちだってない。オレの存在がおまえの行動の妨げになるなんて、どんな状況だろうが耐えがたい」
いつもは無機質で単調なくらいに淡々と喋るヤツが、珍しく語気を荒げる。
そのことに自分で気づいたのか、やってしまったことを悔やむようにため息をつき、「……おまえはオレにできないことをやれとは言わないだろう」とすがるような声で聞いてきた。
それに「そりゃそうだよ」と深く頷いてやると、どこかが痛いかのような、目の前が眩しいかのような表情で、ぎゅと眉根を寄せ目を細める。
「じゃあ、この話は終わりだ。おまえが反省すべきは出かけたことそのものじゃなくて、行くあてと帰宅時刻を告げずに出て行ったことだ。藤村さんたちも心配していただろうが」
「ぐっ、その、とおり……です……」
「ま、これからは行き先を告げて自転車で出かけるようにするんだな。もちろん、日が暮れる前に帰宅するようにして。
……おい、ご飯はもうないのにカレーがあまり減ってないじゃないか」
「……………………うるさいな。中辛のカレー、すっげえからいんだよ……」
「………ふっ、あはははは! 」
普段は食べないカレーの中辛に四苦八苦しているおれを笑いやがったムカつくヤツは、ニヤニヤしながら台所に立ちーー麦茶のボトルとハチミツを持って戻ってきた。
くそ、しゃべってて腹が立ったりすることもしばしばだけど。相変わらずこいつは気が回る。
「そういえばここにレトルトの箱に付いていた辛みスパイスがあるんだが使うか?」
「使う訳ないだろ!!」
…………やっぱり、ムカつくけど。