午後十一時、283プロ事務所。
誰も居ないリビングルームで、テレビの光だけが部屋を照らしていた。
「(最近頭角を現しているこのユニット......少し調べておく必要がありそうね)」
険しい顔をしていた少女、黛冬優子はテレビの光を頼りにテーブルの上に広げた雑誌に目を通す。
テレビには新進気鋭のアイドルユニットが出演している番組を録画したものが流れている。
こうして、冬優子がわざわざ事務所でアイドル研究に勤しんでいるのには理由があった。
「すまん冬優子っ......!遅れた......!」
「別にいいわよ。ふゆが急に呼んだんだし」
ドアを勢い良く開けたのは、283プロのプロデューサーだった。
おそらく走ってきたのだろう。ジャケットを抱え、額には玉のような汗を浮かべている。
「それで、相談って?」
「......ふふっ、落ち着きなさいよ。────ほら、お茶でも飲んで」
「ああ、ありがとう」
コップに注がれたお茶を受け取ると、一息で飲み干してしまう。
彼がどれだけ自分のために走ってきてくれたかを考えると、思わず笑みがこぼれた。
「────それで、話って?」
「......女の子からの相談だっていうのに結論を急がない。そんなことじゃ嫌われるわよ?」
冬優子が冗談めかしく言う。
ただ、それを聞いてもプロデューサーはまっすぐに彼女を見つめたままだった。
「嫌われてもいい。冬優子のことだから。それに、こんな時間になってでも相談したいことがあるんだろ?しかも解決を急ぐ話だ。じゃなきゃ冬優子がこんな時間に俺を呼び出すはずがない」
ハッキリと、嫌われてもいいというプロデューサーに少し面を食らう。
こんなに真剣な彼のことが、ふゆは────。
「......いい推理だけど、半分はずれってところね」
「半分......?」
「そう、半分」
冬優子が、右手を上げて人差し指と中指を立てる。いわゆるピースの形だ。
そして、中指を折りたたむ。
「まず、話っていうのは、別に相談ごとじゃないの」
「そ、そうなのか?」
「ええ、だから解決する必要もない。ふゆはただ、話をしたくてあんたを呼びつけたの。──ごめんなさい」
こんな非常識な時間に呼びつけたことを立って謝罪する。
それを受けたプロデューサーは、安堵のため息をついた。
「なんだ......よかったよ。何か、冬優子を苦しめている悩みがあるんじゃないかと思ってさ。全然謝ることじゃない。いつでも呼んでくれて大丈夫だからな」
ああ、この人はどこまで聖人なのだろう。
嫌な顔一つせずここにきて、今もにこにこと笑みを浮かべている彼を見て、より一層────。
でも、
それは────ふゆだから?
それとも────『アイドル』だから?
「ありがと。......それで、二つ目。こっちが本題」
「さっき、苦しめている悩みがあるんじゃないかってあんた言ったわよね」
「ああ、言ったな」
「それは本当。でもそれは、相談じゃない」
にこにことしていたプロデューサーの顔が曇る。
ほんっと、ころころと表情が変わる人だこと。
「......すまん、謎解きか......?」
「ぷっ、あはは。......ねぇ、こっちに来てくれる?......そう、隣に座って」
彼をこちらに呼び、隣に座らせる。恐らく汗臭いからと開けた距離をずい、と詰める。
下を向いたまま、膝の上に乗せられたプロデューサーの右手に自分の左手を重ねる。
きゅっ、と彼の手を掴むと、少しこわばったのを感じた。
「ふ、冬優子......?」
顔を上げる。困惑をあらわにした双眸を見つめる。
「ね」
「ふゆ、あんたのことが好き」
「────っ!」
驚いて距離を取ろうとするプロデューサー。だが、その右手は獲物を逃すまいと意気込んだ獅子に捉えられていた。
その気になれば振りほどくこともできるが、プロデューサーはそんなことをしない。
それも冬優子の計算通りだった。
「ふふふ、隣に来たのが運の尽きね。答えを聞かせてもらうまで逃がすつもりは無いわよ」
「改めて謝罪するわ。こんなこと、答えづらいったらありゃしないわよね。それでも、ふゆはあんたの答えが聞きたいの」
「安心して。どんな答えが返ってきてもアイドル活動には影響を出さないから」
その言葉に、嘘は見られなかった。
トパーズ色の瞳がテレビの光を反射してプロデューサーの視線を吸い寄せる。
「ふ、冬優子......」
「なんですか?プロデューサーさん?♡」
可愛らしい仕草とは裏腹に、その瞳は瞳孔が開いている。
「少し、質問してもいいか」
「もちろん」
プロデューサーが冬優子の隣に座りなおす。逃げることはしないとわかっていたが、冬優子は握った手を離すことはしなかった。
「いつから、その......俺のことが好きになったんだ?」
「......多分、好意があったのはW.I.N.G.の時からだと思う。だけど、明確に好きって気づいたのは最近」
自身の好意を話すのは想像よりも勇気がいるもので、自身の好意をブレずに話す冬優子も少し頬が赤らんでいた。
「......他の誰かにこのことは話したのか?愛依とか」
「......話してないわ」
話せるわけがない。自分以外もプロデューサーに好意を持っている人間はいる。
それは、日ごろから他人をよく観察している冬優子でなくてもなんとなくは理解しているレベルだった。この男以外は。
「一度、気持ちの整理はしてみたか?......例えば、一時の気の迷いとか」
冬優子は強く首を振って否定する。
「んなわけないじゃない。ふゆがそんな行き当たりばったりの生き方をしてると思う?」
「そう、だよな」
少しの沈黙が流れる。
流れていた録画も最後まで再生しきっており、聞こえてくるのは時折外から聞こえてくる車の排気音だけだった。
「わかった。答えを出すよ」
「ちょ、ちょっと、もう?」
あまりの早さに冬優子がたじろぐ。
確かにここで答えを聞くつもりだったが、まさかこんなに早く答えを聞かせてくれるとは思ってもいなかった。
「ちょっと待って、まだふゆの心の準備が出来てないから」
「え?」
「い、いいからちょっと待って」
まさかの言葉にプロデューサーが困惑する。
当の冬優子は右手の手のひらをプロデューサーの方に向けて数回深呼吸をする。
「よ、よし。いつでも来なさい」
こんな早い結論、答えは一つしかないだろう。
プロデューサーが口を開く前に推測してしまったばっかりか、冬優子の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
やはり、聞くべきではなかったのかも知れない。でなければこんな思いはしないで、曖昧な関係のままでいられたのに。
「いくぞ」
「......うん」
涙声で返事をする。
「結論からいうと、冬優子の思いに答えてあげられない」
ああ、やっぱり聞くんじゃなかった。
少しずつ決壊していくダムをなんとか気合いで塞き止める。
泣くのは彼の姿が見えなくなってから。
「わかった。ありがと、もういいわ」
震える手を知られたくない。握っていた左手を離し、顔を背けて立ち上がるが、今度はプロデューサーの右手が冬優子を捕まえる。
「待ってくれ。......最後まで聞いてくれ」
振った上でさらに話すことなんてあるの?
これ以上は死体蹴りじゃない。
そう思った冬優子だったが、何とか口には出さずに飲み込む。
「今は、答えられないんだ」
「い、今はって何よ」
ほぼ半泣きの状態でプロデューサーを問い詰める。
冬優子の顔を見たプロデューサーは、ぎょっとした顔で説明を急いだ。
「そ、そうだよな。ええっとまず」
「俺も、冬優子が好きだ」
「意味わかんないわよ。ふゆのこと振ったくせにぃ......」
「ち、違うんだ。これには理由があって」
「冬優子はまだ19歳だ。学生だし、きっとこれから素敵な出会いがたくさんあると思う」
「だから、せめて卒業してからでもいいんじゃないか」
「は、はぁぁぁああ?」
ダムが決壊した。何を言ってるんだこの男は。
互いに好き同士なのに、そんなことが理由で付き合えない?
「馬鹿にするのもいい加減にしなさいよぉ......!」
「ば、馬鹿になんてしてないぞ!ただ、冬優子ならもっといい出会いがあるんじゃないかって────」
「ふゆはあんたが好きだって言ってんのにぃ......!」
「な、泣かないでくれ冬優子」
プロデューサーの指が冬優子の瞳からぽろぽろとこぼれる涙を掬う。
「泣かせてんのはあんたでしょうがぁ......!!」
冬優子はそのまま、頭突きをするようにプロデューサーの胸に飛び込んだ。
────────
しばらくして。
「お、収まったか?」
冬優子はまだプロデューサーの胸に頭を預けており、プロデューサーから顔は見えない。
「......付き合って」
「そ、それはだから」
「付き合ってくれるまで離さないから」
プロデューサーの背中に回した手に力が入る。
「......わ、わかった。付き合おう」
「それじゃダメ。ちゃんと言って」
「......俺と、付き合ってくれますか」
冬優子が顔を上げる。赤く腫れた目の中の瞳は、こちらを真っすぐと捉えていた。
「......はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「......ね、プロデューサー」
「どうした?」
「ふゆ、あんたのことが好きよ」
「───俺も、冬優子のことが好きだよ」
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- クロモコNovember 28, 2025