「信仰」と「左翼思想」を混ぜるな危険。〜神学校を卒業した私の違和感の正体〜
こんにちは。ナキです。
はじめに、沖縄辺野古での転覆事故により亡くなられた方々のご遺族の上に、主の慰めがありますよう、心からお祈りいたします。
負傷された皆様に、神様の癒やしと平安が豊かに注がれ、一日も早く心身ともに回復されますことを切に願います。
また、この出来事の真相が、神様の公義(正義)によって明らかにされることを求めます。
隠されていることが白日の下に晒され、責任ある者が正しく裁かれ、二度とこのような悲劇が繰り返されないよう、秩序が守られることを願って止みません。
私としてはとても腹立たしく感じた今回の事故。
今回は私が神学校で「強烈なアウェイ感」を感じ続け、私が籍を置く教会の牧師が4年かけて卒業したカリキュラムを爆走して最短2年で卒業した理由……その核心にある「キリスト教界の左翼汚染」について、今の私の思いをぶちまけたいと思います。
まず前提として、私はプロテスタントの単一の保守派教会所属です。
そして、卒業した神学校はプロテスタントの超教派で、多分キリスト教界隈ではかなり穏健です。
そして私はとっても政治的に保守派です。
アイラブ日本、日の丸大好き、国歌斉唱全力で歌う、皇室弥栄!な人です。
ぶっちゃけて言います。
私は日本の「キリスト教」という人間が作り上げた宗教組織が大嫌いです。ですが、イエス様は心から信頼しています。
だからこそ、その信頼を政治利用する「接着剤」としての反日思想が嫌いです。
1. 使徒行伝の「共同体」は、共産主義の成功例ではない
よく左翼的な牧師や活動家が「初期教会は私有財産を否定して共有していた。これこそ共産主義の理想だ!」なんて言いますよね。
確かに使徒行伝2章44-45節や4章32節には、持ち物を分かち合う姿が書かれています。
でも聖書を最後まで読めばわかるはず。これ、速攻で破綻してるんですよ。
使徒行伝5章のアナニアとサッピラの事件。自分の財産を全部出したと嘘をついて一部を隠した……つまり、人間には必ず「私利私欲」があるんです。
あの人より良いものが欲しい、多く欲しい、お金が欲しい、名誉が欲しい、権威が欲しい。
捧げたり譲ったとしたら、献身的ですね立派ですね素晴らしいですねと褒められたい。
人間そんなもんです。
ですが初期教会という聖霊に満たされた直後の熱狂的な瞬間ですら、人間の欲には勝てなかった。
その後、エルサレム教会は困窮して、パウロが他の教会から募金を集めて回る羽目になりますよね。
「平等な理想社会」なんて、罪深い人間がシステムで作れるはずがない。 それが聖書が示している現実です。
2. 「自発的な愛」と「強制的搾取」のすり替え
聖書の教えは、あくまで「神への愛による自発的な分かち合い」です。
対して、左翼思想は、システムによる「強制的な再分配」ですよね。
• 信仰: 「隣人を愛するから、私のものを差し出したい」(自由意志)
• 左翼: 「富める者から奪って、フラットに配るべきだ」(権力による強制)
この「愛」を「政治システム」にすり替えて、イエスの教えのように偽装する。この偽装工作こそが、私が感じる「気持ち悪さ」の正体です。
3. 「神の国」を地上に作ろうとする傲慢
本来、クリスチャンの希望は天の御国にあります。
でも今の左翼牧師たちは、「今の日本社会をぶち壊せば、地上に理想の平等社会が来る」と本気で信じている。
これ、バベルの塔(創世記11章)の再来みたいです。
神の無謬性を説くプロテスタントが、神を否定する無神論の共産主義者と「反日」を接着剤にして手を組む。
「平和」や「多様性」という美辞麗句のオブラートに包んで、純真な「鳩」のような信徒たちに反日思想を植え付ける。
神学校の講義では講師である牧師が合間に「電子レンジはダメ」「抗がん剤は悪」なんてデマを流し、神社仏閣を「悪魔の巣窟」と呼んで、日本の伝統を否定させる。
学生が手を挙げて「キリスト教は真理なんだから、これをもってなぜ仏教と神道を叩き潰さないのか!」と講師に言ってるのを見た時は本当に心底ドン引きしました。
学生である信徒がこう言うということは、教会内で反日左派教育をされている証左です。
なんて恐ろしい思想の人達が隣人愛をかたるのかとゾッとしました。
所属教会では、「日曜礼拝に来るのが当たり前」「家族を置いてでも来るべきだ」「なんなら子供にも神様の事を教えなければならない」と押し付けてくる。
自宅の仏壇を壊して家族にキリスト教への改宗を迫る信者のせいで、家族が「キリスト教なんか絶対に許さん!」と激怒した…という事例も実際に私は聞いています。
自国をアンチして、家族をバラバラにしてまで守る「平和」って何なんですか?
4.聖書から見る愛国心
左翼思想に染まった人たちは、よく「平和」や「人権」を口にしますが、聖書が教える「国への態度」については驚くほどスルーしています。
私が神学校で確信したのは、日本人クリスチャンなら、日本という国を愛し、その平和を祈るのが筋だということです。
私がこう感じるのは、単なる感情ではありません。
聖書の中にも、国や権威を大切にする教えがはっきりと記されているからです。
• ローマ人への手紙 13:1〜7
「すべての人は、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」
• ペテロの手紙 第一 2:13〜17
「主のゆえに、すべての人間が立てた制度に従いなさい。(中略)すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」
• テモテへの手紙 第一 2:1〜2
「すべての人のために、また王たちと、高い身分にあるすべての人のために、願い、祈り、とりなし、感謝を捧げなさい。」
これらの言葉を素直に読めば、自分が住む国を愛し、そのリーダーのために祈り、秩序を重んじることこそが、信仰を持つ者の自然な姿だと思えてなりません。
自国を否定し、社会を混乱させることが、どうして神様の御心だと言えるのでしょうか。
5.信仰と政治思想の「決別」が必要
私が今のキリスト教界隈を見ていて、最も強く「手放すべきだ」と感じているのは、特定の左派政治勢力との密接すぎる繋がりです。
共産主義や左派思想は、一見「弱者救済」や「平等」という美辞麗句で飾られています。しかし、本来の信仰による「自発的な愛」と、政治システムによる「強制的な分配」は、似て非なるものです。
神を否定する無神論的な思想と、神の無謬性を説く信仰が「反日」を接着剤にして手を組む姿には、どうしても違和感を拭えません。
もし、自分たちの活動や教えが「政治的な道具」にされていると感じるなら、今こそその繋がりを断つべきではないでしょうか。
他のクリスチャンがやらかした事は同じクリスチャンの私の罪でもある…と懺悔し、自己陶酔に浸るのではなく、行動を伴う「悔い改め」が必要です。
ではその悔い改めとは?
左派やその活動と縁を切ることではと思います。
本当に信仰を大切にしたいのなら、政治イデオロギーという不純物を混ぜるのをやめ、純粋にイエス様の教えに立ち返ること。
それが、今の歪んだ日本のキリスト教界に必要な、唯一の「聖別」だと私は信じています。
おわりに
私は教会の牧師と同じ課程を卒業していますが牧師ではありません。
同じ課程を出た人たちは牧師だったり伝道者とか聖書教師とかしてます。すごいよね。
教会の左傾が気持ち悪くて教会そのものに近寄りもしてない、界隈からすれば変わり者、異端児、はみ出し者です。
末端のそこらへんの転がっている埃程度の私が嘆いた所で、左傾している界隈が自浄できそうにありません。
左派に批判をした牧師はクビになる─それがこの界隈です。
自浄しようとしたらクビになるんですもの。
もう解散命令でお取り潰しになればいいのにとか内心思っています。


私が通っている教会、実はナキさんと同じ事を常に話している教会です神様は日本を日本人を愛しておられる。まずは近隣の日本人に福音を、と説いてる教会です。仏壇云々は、最善を神様が成して下さる事を祈りながら考えましょう、という姿勢。うちの教会以外で、似たことを言ってる人が居たことにびっく…
ありがとうございます。 主にたてられ、祝福されているから日本がここまでずっと続いているのだと私は考えているんです。 同じ考えの教会があって驚きと共に本当にすごく嬉しく思います。
日本のキリスト教会が、日の丸、君が代、神社仏閣、天皇制を否定するのは、左翼だからではありません。それが、異教だからです。日本を愛するなら、日本人たちが罪の中に留まる事ではなく、彼らが異教の偶像崇拝を捨てて、真の神を信じる事を願うはずです。
コメントありがとうございます。 新約聖書は、異教だから自国を否定せよとは教えておらず、むしろ国や為政者のために祈るよう勧めています。 日本の教会の姿勢も、単なる異教観ではなく、戦前から戦後にかけての国家神道との関係への反省という歴史的背景によるものだと思います。 また「天皇制」と…