ユグドラシル・レムリア あの夏の日・4
綺明神社でリネと待ち合わせをして、繁華街に出た。
ゲームセンターをちょっとひやかしたが、最近盛大にお金をスった時のことを思い出したエイリは遊ぶ気にはなれなかった。それから通りを歩いて、駄菓子屋の前のカプセルトイの機械とにらめっこしたり、いつから存在するのかしれない古い喫茶店に入るか二人で悩んだりした。
結局はファストフード店に落ち着いて、二人はポテトをはんぶんこしながら携帯のカセットアプリの通信で遊んだ。
「ロボットガール……なかなか出ないな。掲示板でもあんま情報がないし」
「私はうさぎを狙ってて、それも出ないね」
「え? うさぎめっちゃ出るじゃん。うさぎとキツネばっかりだよ」
他愛ない会話をした。電子ペットはいつもと変わらず、それほど多いとはいえないパターンのグラフィックを携帯の小さな画面に表示している。
「でもうさぎ、交換不可のペットなんだよね……」
リネはふとつぶやき、携帯に触れる手を止めていた。
ゲームセンターの話をした時も、喫茶店の前にいた時も、リネはころころと笑っていた。でも、こうしてふと不安そうな顔をすることがある。
「カセット、貸そっか」
「え?」
「あたしのはうさぎ出てるし、育ててみてよ」
エイリの提案に、リネはきょとんとした顔をした。
「機種変までは粘ってみよう。自分ので出せたら返してくれたらいい」
エイリは言って、自分のカセットをリネの手に握らせた。
「……ありがとう」
リネは言って、エイリのカセットを受け取った。
中学最後の夏。その終わりが近づいて、どことなく現実感のない青空が広がっていた。エイリは駅までの道をリネと歩きながら、大きく伸びをした。
「あのね」
帰り道をいくエイリの背に、リネが声をかけた。
「エイリが届けた円盤について、わかったことがあるらしいの」
リネは小さな声で言った。エイリは振り向き、思わず無言でリネの顔を見てしまう。
目線はこちらを見ていない。リネは不安そうに下を見ている。
「あの鉄の円盤はすごく古いもので、顕微鏡で拡大すると穴が開いてるの。それは二進法の信号になってて……現代のデジタル記録の規格と一致してたらしいのね」
リネの話は少し専門的だったが、エイリにもかろうじて理解できるものだった。
デジタル情報は、エイリが使う携帯電話やパソコンで用いられるものだ。0と1、無と有という単純な記号を並べて表現することができ、数字や文字に変換することで意味のある情報として解釈できる。
暗号の解読みたいなもので、信号を解釈するには決められた表と照らし合わせる必要がある。それが決められたのは近代の出来事であり、それ以前の人間が現代のデジタルデータを作ることは不可能ということだ。
未来予知でもできない限りは。エイリは、あの円盤の重みを思い出してぞっとした。
「その記述によれば、サクヅキって本当は――」
続きを話そうとするリネに近づき、エイリは彼女をぎゅっと抱きしめた。
「やめよう、それ以上は」
そして、リネの耳元ではっきりとそう告げた。
腕を離してリネを見た。きょとんとして頬を染めているリネにエイリは微笑みかけ、高い空を見上げた。
「何があっても、あたしはリネのことを探すよ。それだけは絶対」
そして、今エイリにかけられる言葉を口にした。
エイリもリネもまだ子供で、抗いようのない大きな流れがある。この夏が終われば、学校が違う二人は頻繁に会うこともできなくなる。
「たとえどんな闇に落とされたとしても、一緒にいよう」
もし予言の通りに出来事が起きるなら、そうなった時に全力を尽くすしかない。
人間らしさや、友達を想う気持ちはなくさない。それがエイリにできる唯一のことだ。
「……エイリらしいね」
エイリのことをきっとよく理解してくれているだろうリネは、柔らかく微笑んでそう言った。
時は戻って、現代。
日本での小旅行を終えて合衆国に戻ってきたエイリは、その足で調査局本部へと向かった。
「おかえり、エイリ」
局長室で、局長の柩がエイリを出迎えた。忙しい人だが、その日はまるでエイリが来るのを待っていたかのように椅子に座っていた。
「相談があって。これのことなんですけど」
言って、エイリは日本から持ち帰ってきたものを差し出した。
「ふむ」
柩はそれを受け取り、持ち上げて見ていた。見て何かわかるというものではないが、そこは超存在のこと。人間より多くのものを見ている彼女にはわかるはずだ。
ブロッサムアース、現代の東京にある綺明神社に行った。そこで名前を告げると、エイリは過去に入ったあの蔵に案内された。
「前にあったものはもうなくて、代わりにそれがあったんです」
エイリは言う。かつて円盤を見つけた場所にそれは存在せず、代わりに別のものがおさめられていた。
あるはずのないものが。明治時代から言い伝えによって保管されていたというそれは、どう考えても携帯電話にしか見えないものであった。
薄い紙に包まれて保管されていたそれはかなり古びていたが、通電し稼働した。明治に遡っておよそ百年の年月に耐えた日本製の電子機器の耐久性がすごいのか、それともこれは何か特別な存在なのか。
「君のと同じ機種だね?」
柩は言った。そう、エイリがこのブロッサムアースに復活した時に持っていた携帯電話と同じ機種の色違いだ。
エイリのはライムグリーンで、これはオレンジ色。オレンジ色は、かつて友人のリネが使っていた。
そして、この機種はブロッサムアースでは流通していない。
理由や経緯はわからない。だが、リネの何かがこのブロッサムアースに溶け込んでいたのは確かだ。
「楪世家の研究に関わっていた人なら、エリクサーを享受できる立場にいた。ブロッサムアースの融合コアに含まれていてもおかしくはないね」
柩は、エイリの考えに一応の説明をつけた。
「……思ったんです。リネはあの日、何を話そうとしてたんだろうって」
夏の終わりにリネと別れた時、彼女は何か話そうとしていた。
あの後、エイリにもいろいろなことがあった。母の暴走、親と別れて一人暮らしを始めたこと。その日々の中で、リネの話は記憶の奥底に追いやられていた。
エイリはリネの疑問に答えられなかった。だが今は違う。それを解き明かしてくれそうな人物が近くにいるからだ。
「メールが残ってたんです。局長さんに見てほしくて」
エイリは、この携帯電話を調査局に持ってくるべきだと思った理由を言った。
「なるほど。どんな内容?」
肘をついて微笑み、柩は聞いてきた。
「サクヅキのことです。サクヤっていう、あたしたちの先祖が残した予言。それについて、あたしの友達が独自に調べていたんです」
リネによれば、予言書といわれるサクヅキの名は口伝だそうだ。あの名前の由来は記録ではないらしい。
あの鉄の円盤もサクヅキの一部だ。電子機器が発達してあの円盤に仕込まれたデジタルデータを読めるようになって、予言のタイトルについて少し解釈が変わったそうだ。
「リネによると、サクヅキの本当の名は“サクツギ”ではないか、ということだったらしいんです」
見つかった端末には、リネが教授や研究員とかわした数多くのメールが残っていた。それには、古代の予言を解釈した様々な情報が詰まっていた。
エイリが見つけた円盤のことも。あれに記録されたデジタルデータは、なんと近代の文字コードによって記述されたテキストデータと分析された。その容量は五ギガバイト弱あって、解読できる部分は全て予言書だったそうだ。
そしてその冒頭には、「
「続けてくれたまえ」
柩は、薄く微笑んだままエイリに先を促した。
「リネの分析によると、サクツギのサクはサクヤ、つまりこの予言を残した人物そのものを示すのではということでした。自分の研究を引き継ぐ相手、というような意味じゃないかって」
エイリは、リネのメールの内容をほぼそのまま言った。柩はオレンジ色の携帯を開き、それを確認してくれている。
あの円盤の名は、サクヤ――綺櫻耶と同じ真理にたどり着いたもの、すなわち「サクヤを継ぐもの」を示している。口伝の中で誤解されて、サクツギがサクヅキと変わっていったのだろう。
「……ふむ」
柩はメールを読んでいる。詳細に書かれたそれを、彼女なら完璧に理解できるはずだ。
メールにはこうあった。「もしサクという部分に意味があるなら、それに似た名前の者が将来現れた時、その者がイクリプティカル・コードを引き継ぐという意味ではないか」と。
もし予言が事実だとすれば、既にそういう名前の人が存在してもおかしくない。
「なるほど。そういう人がいれば伝えておこう」
エイリは、柩のその言葉でほっとした。人脈が豊富な柩であれば、「サク」という名を受け継いだ最新の人物を見つけることができるはずだ。
「それにしても、他にも興味深いメールがたくさん入っている。君の端末には女の子と遊ぶメールばかりだったから」
言って、柩はくすくす笑った。確かに、リネの携帯電話には専門的な話題を扱ったメールや教授との連絡ばかりだった。
携帯のメールでやりとりしていい内容には限りがあったはずで、情報の断片にすぎないだろう。だが、その部分だけでもエイリには難しかった。
しかも陰鬱な内容だ。それがリネを苦しめていたものなのだろう。破滅が近づいてくることを知りながら、それを誰にも相談できずにいた。
「他のメールについても、知りたければうちの者にじっくり説明させるよ。講義を受けに来るかね?」
柩はそう提案してくれた。
「……いや、いいかな」
エイリは答えた。あの時もしエイリが勉強していても、真剣に研究していた母や他の研究者に追いつけたとは思えない。
エイリには勉強は向いていない。クラスターコアについて最低限の学習はしているが、どう考えても賢い研究者に任せて自分は武術でもしていたほうがいい。
ブロッサムアースの複合コアの主であるエイリは、最低限の現実干渉は習っておく必要がある。でも超存在になるのは無理だ。柩やイル、シリウスのように賢い存在になれる気がしない。
そうなるよりは、普通の人でいたほうがいい。そして必要な時にそういう賢い人達の剣として使ってもらえればいいのだ。
「後継者に任せるよ。あたしは何もできないから」
苦しむリネに対して結局何もしてやれなかったエイリは、そう宣言した。
「そうだろうか?」
そんなエイリに、柩は瞳を細めて言った。
「きみの名前、
柩は言った。エイリの名付けの時、母セツリが推した候補の字にそれがあったと聞いたが、櫻耶と関連付けて考えたことはない。
「案外、コードの継承者はきみだったりして。円盤を見つけたのもそうだし、その子がきみを頼ったのも」
ニコニコしながら柩は言った。冗談なのか、本気なのか。
「気のせいだよ。理科のテストで赤点のあたしに」
エイリは答えた。そんな大天才の跡継ぎが自分とは考えられない。
「ああ、そうだ。これをあげるよ」
去っていこうとするエイリを呼び止め、柩はデスクから取り出した小さなものを差し出してきた。
「なんですか、これ?」
それは、オレンジ色の透明なチップだった。石っぽい手触りで、どこかで見たような形をしている。
しかも最近思い出したものだ。何だっただろう。
「火星の石。お土産だよ」
「はぁ……?」
柩が言うことに疑問符が浮かんだ。そういえば、最近人類が火星探査を成功させて戻ってきたというニュースは見た。
綺麗な石だが、火星のものにしては地球っぽい加工をされている。よくわからないが、貴重なサンプルをこんなものに加工していいのか。
「持っておけばいいことがあるかもしれない。彼女は深淵の――いや、今はきみのコアとつながっているのだから」
言われて、エイリははっとした。
自分の携帯電話を取り出した。裏側にはカセットを入れるスロットがある。
そのカセットと全く同じ形の「火星の石」は、エイリの携帯にぴったりと収まった。
火星の石を起動させると、カセットは機能した。同じペットアプリが入っていて、ロボットの姿をした女の子がいきいきと画面に表示されていた。
世界が破滅した後、エイリは深淵の中にいた。
「たとえどんな暗闇に落とされても一緒にいよう……」
かつて、そんな約束があった。
(「ユグドラシル・レムリア エピローグ」へつづく)
ブロッサム:クラッシュバース 枯木紗世 @vader
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