「地上の楽園は、この世の地獄だった」北朝鮮に渡った日本人妻の慟哭、3年で帰国のはずが40年にわたる苦しみ… 金総書記に8800万円の賠償命令、異例判決が認定した「帰還事業」の実態
「被告北朝鮮の代表者は原告らに8800万円支払え」。今年1月、北朝鮮トップの金正恩朝鮮労働党総書記に高額な賠償金の支払いを命じる衝撃的な判決が東京地裁で言い渡された。裁判を起こしたのは、戦後に進められた帰還事業で「地上の楽園」ともてはやされた北朝鮮に渡り、「この世の地獄」を見た脱北者たち。その中には、家族のために海を渡った日本人もいた。「もし北朝鮮に行っていなかったら、どんな人生だったかな」。今年85歳になる斎藤博子さんは、その壮絶な半生を振り返った。(共同通信=助川尭史) 【写真】500人の前で…足の震えが止まらず 地獄のような「地上の楽園」北朝鮮
▽行きたくなかった「地上の楽園」 1941年、福井県で日本人の父、母の間に生まれた。17歳で眼鏡職人の在日朝鮮人の夫と結婚。ほどなく娘が生まれた。ちょうどその頃、自宅に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の職員が訪れ、しきりに北朝鮮へ渡るよう勧めるようになった。「病院も学校もお金はかからない。何も心配はいらない」。全く知らない異国の地への渡航をしきりに勧める職員をいぶかしんだが、同居していた夫の家族は日に日に「地上の楽園」への憧れを募らせていった。 「もし日本に残るなら孫娘は自分たちが連れて帰る。あなたにはやらない」。しゅうとめに言い放たれ、まだ1歳だった娘のために、夫の家族と北朝鮮に渡ることを決めた。「日本人は3年たてば帰ってこられる」との職員の言葉も後押しになった。 1961年、新潟の港から出発した船が北朝鮮の港に近づくと、灰色の町が徐々に見えてきた。げっそりとした迎えの人々の顔は黒く汚れ、ぼろぼろのシャツを着た子供はパンツもはいていなかった。だまされた―。帰還者たちは抵抗する間もなく、バスに押し込められた。車内で配られた菓子は、おがくずのような味がした。
▽水道のないアパートで輝いて見えたネオン 割り当てられた住居は古いアパートの一室だった。水道はなく、朝起きたら川で水をバケツでくんで4階まで運び、使った水を1階に下ろすのが日課になった。電気は頻繁に止まった。真っ暗な部屋からは、国境を流れる川向こうの中国のネオンが遠く光っていた。 配給はごくわずかで、日本から持ってきた衣類や日用品は全て売って食料に替えた。共に渡航した夫の両親はまもなく亡くなり、義姉は過酷な生活を苦に自死した。 アパートには同じ境遇の日本人妻もいたが、日本語での会話は禁じられた。「顔を合わせれば愚痴ばかり。悪い言葉ばかり先に覚えちゃった」。現地では、さらに5人の子供に恵まれた。だが、夫の給料は8人家族を支えるには到底足りない。生活の足しにするために山でワラビやタンポポを取り、ドングリを湯がいて作った酒を闇市で売った。 「あの人のことは今でも嫌いやわ」。自分の人生を大きく変えた夫のことを話す時、斎藤さんは決まって顔を曇らせた。手元に残る当時の写真には、2人で写った写真は1枚もない。けんかばかりだったという結婚生活。ただ最近、夫は口には出さなかったが妻子を巻き込んだことを後悔していたのではと思うようになった。「夫は体も強くなかったし、日本にいてもうまくいかなかったかもしれない。私にしか当たる先がなかったのかなと思うと、お互い苦労してたんやろうなって」