side:Y
バイトが終わり、クタクタの身体を引きずり家へと帰る。
高校に上がった秋、1年ほど行方不明になった自分は、魔法の存在する異世界『ツイステッドワンダ―ランド』にトリップしていた。そこでまあ、あれやこれやの大騒動を経験し…いや大騒動と言うには命の危険があり余っていた気がするが……終わりよければすべてよし、である。昔の人の格言はすごい。
そうして、何やかんや――帰る時に、とある約束を結んだりもした――ありつつ無事帰ってきたはいいが、何故か経過時間はあちらとこちらの世界では同じだったらしく。出席日数不足&知識の遅れのある自分は無事高校生活に爆死し、こうして一年次から留年を経験してしまったわけである。
帰ったときも留年する時も今こうして一人暮らしするようになった時も色々と騒動があったわけだがそこはソレ、命の危険がない平和な修羅場であったのでまあ今は置いておくとしよう。生命の危機を感じないのはいいことだ。生きてるって素晴らしい。
そうして疲れた体をとっとと休めようと扉を開ければ――
玄関から廊下で一直線に繋がっている先の居間に、タコ脚生えたイケメンが倒れていた。
「――っっっって、アズ―ル先輩!!!??」
見覚えのある紫がかった黒の体色に、白に近い薄紫の髪色は、彼の世界で見た人魚の先輩そのもので。――というか、この現代日本に足がタコ型の人間なんている訳が無いし、居たとしてもこの状況だと立派な不法侵入である。
十中八九先輩であろうが、一割の確率で先輩では無い可能性が無きにしもあらず。一応念の為とうつ伏せに倒れていたアズール先輩(仮)を仰向けにしてみれば、やっぱりこのイケメンはアズール先輩(確定)だった。
ナンデ?ナンデ先輩ガ自宅ニ居ルノ?
余りの混乱に脳内で片言になる。が、当然それに答える者など居ない。とりあえず先輩に聞いてみれば何かわかるかー、とまずは意識の無い先輩を起こす事にする。起こせばなにか話が聞けるだろうしね。…楽天的?いいだろ自分一人じゃこの状況を受け入れるだけでキャパオーバーなんだよ。
「アズ―ル先輩、…先輩ってば、起きてくださいよ」
ペチペチと、腫れはしないだろうが少し強めに先輩の頬を叩けば、飛んでいた意識は比較的浅い所にあったのか、先輩はわりとすぐに瞼を震わせ目を覚ました。そうしてキョロリと室内に目を走らせ、
「…あなたは、誰ですか…?」
まるっきりこちらを知らない様子で、緊張した面持ちのまま尋ねてくる先輩に、ヒュッと小さく息を呑む。
(……ああ、そうだ…自分で約束した事じゃないか)
こうなる事は分かっていた事だ。なのに少なからずショックを受ける自身に、知らず苦笑いが込み上げる。が、今この瞬間笑ってしまえばただでさえこちらを警戒する先輩が、更に頑なになるのは明らかだ。自嘲の笑みはグッと堪え、真剣な表情に努めつつ先輩の問いに答える。
「自分の名前はユウ、この家の主です」
貴方は、自分が知らない間に我が家の居間…リビングに倒れていた不審者なんですよ、と告げれば、先輩の表情は怪訝なものに変わる。次いで「何を言って…」と反論をしようと口を開き……見慣れぬ光景に目を丸くした。
「ここは…?」と呆然と呟く先輩に自分のわかり得る情報――バイトから帰ったら、自宅に貴方が倒れていました――を簡潔に告げる。もちろん先輩からは何故貴方の家に、と当然の疑問を投げられるが、自分とてたった今帰宅した所だ、何がどうなって先輩が
自分の回答に先輩は警戒は見せつつも一応は納得したようだった。それもそうか、今の自分は上着を着て、先輩と自分の周りにはカバンと、いかにも買い物から帰ってきましたよと言わんばかりに買い込んだ食料品が散らばっているのだから。…いや、うん。あまりの光景に気が動転していたから仕方がないが、今日は卵買ってなくてよかったな!
散乱した買い物――ちなみに人参やジャガイモ、玉ねぎといった野菜類はエコバッグの下の方に入れていたからほぼ被害なし(いや打ち傷がついた可能性はあるか)、バッグの中程に入れていた刺身や肉類はギリギリのところでラップの摩擦により飛散は免れていたが、しかしパックがひっくり返っていたので半傷といったところか。無惨にも散らばっていたのは最上部に載せていたスナック菓子やパン類だ――を片付けながら、先輩はどうなんです?と尋ねれば、しかしアズール先輩からはしばし考えた後、「いえ、わかりません」との回答が。その答えが自分を警戒しての事なのか、それとも自身の弱みを見せないためかは判断出来なかったが…いやコレはどっちもだなと結論付け、とりあえずこの空気をどうにかする事から始める事にする。
「ねえ、自分と契約しませんか?」
エコバッグに散らばった食料品を詰め直し、改めて先輩に向き合えば――その言葉にアズ―ル先輩の目付きが険しくなる。
予想通りの反応ありがとうございますと胸中で笑い、しかし自分は至極真面目な顔で続ける。
「フフッ、警戒するのはもっともです。ですから、今開示出来る情報を聞いたうえで決めてください」
居間のローテーブルに中身を入れ直し終わったエコバッグを置き、先輩と向き合うように腰を下ろす。困惑からか未だ上半身を起こした姿でいた先輩と目線が合うように、正座をして。
「まず最初に。ここは、先輩が元居た世界――ツイステッドワンダ―ランドと異なる法則が支配する世界……そうですね、
自分の言葉が予想外だったのだろう、先輩の目が丸くなる。
「異世界…ですって…?
さらに警戒を強めた先輩に、まあこれも予想通りだと、自分は努めて冷静に続ける。
「それもそうですね。自分も最初はそうでした」
「貴方も、とは…?」
こちらの言いたい事がよく分からなかったのだろう、訝しげに尋ねる先輩にもう少し詳しく答える。
「そのままの意味です。…自分も一度、ツイステッドワンダ―ランドに行ったことがあるんですよ? その時の縁でNRCの学園長とは知り合いです」
「はあ!?」
どういう意味ですか!?と声を荒げる先輩に、とりあえず証拠代わりに学園長の特徴をつらつら上げてみる。
まず見た目、一言で言うなら仮面で目元を隠した不審者。鴉の濡羽とも言えるほどの黒髪を持ち、一目見ただけで美丈夫だとわかるが…
「すみません、少し熱くなりました。…その反応、少しはこちらを信用していただけた、と判断してよろしいでしょうか?」
「…ええ、貴方が学園長の知り合い、という件に関しては信用いたします」
あの学園長をそう形容するのは外聞しか知らない者には無理でしょうから、と続ける先輩に、あーなるほど…と妙に納得してしまう。
……いや待て待て、つまり自分は、学園長の日頃の行いのお陰で多少は信用してもらえたのか。その事実、地味にショックだぞ。
急に押し黙った自分に先輩より「ユウさん?」との声がかかる。純粋に不思議に思ったのだろう先輩に「いや、信用していただけた理由が学園長のおかげだと知りちょっとヘコんだだけです…」と素直に答えれば、先輩は何とも微妙な表情を浮かべた。
ちょっと気分上がるまで時間くださいと先輩をその場に残し、とりあえずエコバッグの中身を片付ける為に立ち上がる。こういう時は別の事をして気を紛らわせるのが自分の常なので。片付けついでに先輩と自分用に紅茶を用意する。いや、別にコーヒーでも良かったんだけど…ツイステッドワンダーランド的には紅茶の方がいいかとの判断だ。それに一つのポットから注いだ紅茶の方が、何か仕込んでいないかと先輩に疑われる可能性を減らせるかもしれないとの判断もあるけど。
未開封の焼き菓子(普通にスーパーで売ってるやつだ)と紅茶を手に戻れば、いつの間に室内を物色したのか先輩はその辺に放り出していた旅行誌をパラパラと捲っていた。自分が戻ってきた事に気付き、「異世界、という事も理解しました」と一言。あー、その旅行誌、観光地とかご当地グルメとかがっつり載ってますもんね、見た事の無い景色ばかりだろうから『ここが異世界だ』という言葉に説得力が出来た訳か。
改めて席に着き、先輩の眼の前でポットから注いだ紅茶を一口。このカップもどちらがどちらを飲むのか先輩に決めてもらった。抜かりはない。ついでにバイト終わりで空腹なので、と一言断りを入れてから焼き菓子を開封、口にする。あぁ…菓子の甘みが空腹に染みる…なんて思いつつ小袋一個をすぐに完食し、改めて話を戻す。…その間先輩は紅茶にも菓子にも手を付けなかったのは、カロリー的な理由だと思っておこう。いや、だってこっちを警戒する余り食べ物を口にしない、なんて普通にヘコむ。なんなら信用してもらった理由が学園長だった時よりもヘコむので。
「というわけで対価の話をしましょう。自分はあなたがツイステッドワンダ―ランドに帰れるよう、ご協力します。対価はあなたが見聞きした、この世界に関する記憶です」
「記憶、ですか…?」
オウム返しに尋ねる先輩に小さく頷く。
「ええ。この世界と向こうの世界では、魔法の有無による文化の違いがあります。自分は、その知識を向こうに持ち帰ってほしくありませんので」
どうでしょう?と尋ねれば、先輩は難しい顔でしばし黙り込む。まあ、この状況とはいえこの先輩がおいそれと契約に了承なんてする訳ないよねー、なんて思いながら、新しい小袋を開封。…や、本音はめちゃくちゃ晩ごはん食べたいんだけど!一汁三菜(と言うほどしっかりしたものは作らないけど)ガッツリ食べたいんだけど!!でもまあ、契約前の先輩をずっと放置する訳にもいかないので仕方がない。
「元の世界に戻す、というのは具体的には?」
「ああ、正確にはお迎えが来るまでは身の安全を保証する、と言った方が正しいです。自分、学園長とは毎晩お話しているので」
「………は?」
おぉ先輩、自分の回答が予想外だったのか目をパチクリさせてる。
でもまあ、毎晩話をしているのは事実なので話を続けよう。理由は言えないけどな!
「なので学園長と連絡が取れるまではうちに居ていただいて結構です。契約していただければ、ですが」
「……一応聞きますが、契約しなかった場合は…?」
「今すぐ通報コースですね!」
なるべく契約する方に持っていくために、いい笑顔を浮かべておく。…自分としては当然先輩を見捨てる気は無いが、同時に対価でもある『この世界の事』を向こうに持って帰られても困るので。
「現状では貴方は立派な住居侵入罪の現行犯なんですよね。警察呼んで、事情を話せばまあ先輩は確定で警察署に連行されますね。その後どうなるかは知りませんが。…だって先輩、この世界の戸籍なんて持ってる訳ないですもんね。――それに、この世界には『人魚』という存在はおとぎ話の住人です。そんな世界で先輩の事が世間に知られたら…どうなるんでしょうね?」
「……脅しですか?」
「自分の目的はあくまでツイステッドワンダーランドにこちらの世界の事を持ち帰らないでほしい、です。まあ脅しと取られても仕方がないですが…」
その理由に嘘偽りはない。このまま、何事も無かったように学園生活に戻ってくれれば万々歳だ。
…ああ、そういえば。我が家に留まる必要がある理由もちゃんと説明しておかねば。
「でも、学園長とはいつも我が家の鏡でやり取りをしていますので、ここで契約に乗っていただければ労をせずに貴方は無事、向こうの世界に帰れます。その方が先輩としても悪い条件では無いでしょう?」
自分の提案にしかし先輩は再度難しい顔を浮かべる。まだかなー、早くご飯食べたいなー、なんて空腹を紛らわせる為にもう一袋手に取ろうとした所で、先輩が小さく頷いた。
「……いいでしょう。では、この契約書にサインを」
そう言って先輩が小さく呪文を唱えれば、その手には見慣れた契約書が。…おぉ、この世界でも
記載された契約内容は――先輩が学園長と再会、ひいてはNRCに戻れるまで契約者は自宅に先輩を留める事を容認する。その対価として、先輩は異世界の知識をツイステッドワンダーランドに帰還する際に記憶から失う。…うん、こっちの希望通りの内容だね。
契約書を隅々まで確認し、先輩が変な条件を付け足していない事を確認する。…先輩は忘れただろうけど、こっちは住処を奪われかけた事、忘れてないんだからな!!
「…契約内容は確認出来ました。これで晴れて契約成立、ですね?」
記載内容に同意し、契約書にサインを入れる。ちなみに我が家にマジカルペンやモストロラウンジでの契約時に使用した魚の骨で出来たペンのように、インクに浸して書く、なんて上品な筆記具がある訳もなく。チラシ裏の白紙にボールペンで何重かの円を描いて見せた後、先輩にこのペンで書いても問題無いのかを確認してからサインする。…よかった、油性ボールペンでもOKで。
ちなみにサイン後、「自分の名前とか、契約内容とか、出来れば隠したいんですけど、これを上から押しても大丈夫です?」なんて言って自分が取り出したのはこちらでは百均なんかでよく見かける個人情報保護スタンプ。あれあれ、名前の上にスタンプ押して、そのまま書類の破棄とか出来るやつ。まあ、自分はそこからさらにシュレッダーまでかけて破棄するけど。やっぱり個人情報保護って大事だよね?
ペンタイプのスタンプをさっきのチラシ裏に転がして、こんな感じに隠しますと先輩に実践してみせる。コレ、ペンタイプでペン先がローラー状だから今回の契約書みたいに細かい文字でも消しやすいんだよね。…代わりに大きい字で書かれている書類…郵便物の伝票のやつとかは何回もコロコロしないと全体的には隠れない訳だけど。
これで隠したら契約書棄損で無効になったりしませんか?と尋ねれば、先輩からの回答は「上からスタンプを押すだけなら問題はないですよ」との事だった。
「じゃ、悪いですけど隠させてもらいますね!」
これで見返しても契約内容や、自分の名前が先輩の目に触れる事は無いよねと何度かスタンプをコロコロし、隠蔽完了。
「では、学園長と連絡取れるまで、食事でもしましょうか!」
自分、今腹ペコなんですよと笑えば、先輩は当たり前だがまだ警戒を解くことはなく――だが、確かに微かに呆れた笑みを浮かべた。
▼ △ ▼ △ ▼
「……よかったのですか?」
喧騒が聞こえる廊下から目をそらす監督生こと自分に、学園長は相変わらず表情のわかり辛い仮面を付けた顔を向ける。
「はい、これでいいんです。――これで」
「という割にはなんとも言えない顔をしていますねぇ」
双方納得していないのなら、とことん話し合えばよろしいのに、と呆れる学園長に、話し合って拗れた結果が今じゃないですか、と苦笑い。
帰る方法が見つかった――最初にその話を学園長から聞いたときは純粋に嬉しかった。ずっと故郷に焦がれていたのだ、嬉しくない訳がない。そして、その嬉しさを分かち合いたいとマブ達に話した。のだが…
「まさか、こうなるなんてなぁ…」
一緒に喜びを分かち合いたかった。みんな、良かったなって喜んでくれるって思ってた。なのに――
校内全体に響いているのではと思えるような言葉の数々を耳に、しばらく考え……帰れるようになったと伝えた時からのあれこれに、少し考えていた事を口にする。
「学園長、最後にもう一つ、ワガママ言ってもいいですか?」
「――まあ、よろしいでしょう。私、優しいので」
ニッコリと、底の知れない笑みを浮かべる学園長を前に、深呼吸を一回、二回。…本当は、口にしたくない。でも、口にしなければいけない“ワガママ”を告げる。
「みんなの記憶から、自分の存在そのものを抹消してほしいんです」
予想外だったのだろう“ワガママ”に、学園長の笑みが僅かに崩れる。
「……理由を伺っても?」
「立つ鳥跡を濁さず、ですよ。なんだかんだ一年もこの学園にいましたからね、自分がこの世界を去って、もう二度と会えないのに、いつまでも引きずられるわけにはいきません。――本当なら、出会うはずもなかったんだ、自分が消えて、みんなの記憶からも消えて。――これで、み~んな元通り! です」
背後から自分を探すみんなの怒号が聞こえる。「監督生はどこだ」「このまま、何も言わずに帰るつもりか」「なんとかして引き留められないものか」「いやだ、俺たちはまだ、監督生と一緒に居たい!」――それらを無視して、自分はいま、ここにいる。
生徒達の訴えと、自分の決意を聞き入れて、学園長はニッコリと笑う。
「いいですよ。そのお願い、受けましょう。――わたし、優しいので!」
そうして、故郷に通じているという闇の鏡の前で学園長が杖を一振りすれば、その先から光が溢れ出し――
▼ △ ▼ △ ▼
「ユウさん、どうしました?」
「っ、あ…すみません、ちょっとボーッとしてました」
ご飯、お口に合いました?と尋ねれば、まあまあですねと辛辣な一言が。
そう、自分は今、もう2度と会うことはないと思っていたアズール先輩と食卓を囲んでいる。それも、
ちなみに本日の晩ごはんメニューは日本食の定番・白飯大先生と新鮮なお刺身に豆腐サラダという名の水菜&豆腐in青紫蘇ドレッシング、そしてメインに肉じゃが(2日目の姿)だ。手抜きじゃないかと思ったそこの貴方(いや誰だよ)、今日はちょっとリッチに一人大盛り海鮮丼の予定だったんだよ!でもこんな事になって急遽予定が変更されちゃったんだよ!
ちなみに肉じゃがは昨日普通に分量を間違えて大量生産されてしまった代物だ。…え、なんで一人暮らしなのにそんなに作ってしまったのかって?ようやくちょっと起動に乗ってきた一人暮らしなんだからまだご飯の量に失敗するのは仕方がないと思います。
そんなわけで素人ながら頑張って刺し身を綺麗に2人分、各皿に盛り付け、肉じゃがも2つに分ける。豆腐サラダは大皿に盛った方が見栄えがいいから、その上にドレッシングを回しかけてトングを置いておく。そうして先輩を待たせていたテーブルに並べて無事頂きますと相成った。
本日の晩御飯は、分量的に高校生の胃袋にはちょっと物足りない量になってしまったが、そこはもう諦めてもらおう。足りないって言われたら白飯山盛りにしてやる!と胸中で決意するが…結局、食後も先輩からの量が足りない、という言葉を聞く事は無かった。
食べ始めてしばらくは、先輩は警戒からか自分提供のご飯に手は付けなかったが、自分は気にせずもりもり食べていく。だって食べ盛りだもん、仕方ないよね。そんな自分をしばし観察し――ようやく口に含んでくれた。…まあ、その感想がさっきのやつなんだけど。
「このドレッシングは?」
「青紫蘇ですねー。そちらでは観賞用でしたっけ? こちら…というか
「貴方が生魚にかけていた茶色い液体は?」
「醤油ですね。大豆を発酵させた調味料です」
「こちらの世界にも豆腐サラダはあるんですね」
「うーん…多分ツイステッドワンダーランドにある料理はだいたいこちらの世界にもあると思いますよ?」
なんて、飲食店経営者らしい先輩の質問に答えながら箸を進めていく。――余談だが、自分は箸、先輩にはフォークとナイフのカトラリーを出しておいた。やっぱり使い慣れたものがいいもんね!…その結果、二本の棒を器用に使って豆腐すら崩すことなく平らげていく自分を信じられないものを見る目で見られたけど。「よく崩しませんね」の言葉には「まあ慣れてますし」とだけ。この力加減、箸に慣れたら自然と出来るんじゃないかと思うわけですよ。
時折質問なんかを投げられつつ、一人暮らし開始からしばらく離れていた『会話のある』晩御飯を楽しむ。やっぱりご飯は誰かと一緒に食べる方が美味しいな。美味しいと箸も進むし。…気付いたら茶碗には米粒一つ残ってないし。
「ごちそうさまでしたー!」
パンっと手を合わせ、食後の挨拶。食前食後の挨拶は日本人の大事なマナーだと思うので。そんな自分にアズール先輩は何か言いたそうだったが、結局それが口に出ることはなかった。まあ、十中八九「その挨拶はなんですか?」だろうし。なんで分かるかって?NRC在学中に聞かれたことがあるからさ!
食事が終わり、食器も洗い終われば途端にやる事が無くなる。先輩も居るわけだしあまりテレビを付ける気にもならなかったので、先輩と雑談をしつつ学校の課題と復習、予習に当てる事にする。ちなみに先輩は先ほどパラパラ捲っていただけだった旅行雑誌を本格的に読む事にしたようだ。知識は持って帰れなくても知識欲は満たしたいんだろうな、と自分は放っておく事にした。声をかければちゃんと返事が返ってくる訳だしね!
ちなみに先輩に、タコ姿だとやっぱり濡れてる方がいいのでは?と聞いてみたら、魔法でうっすらと水の膜を張っているから心配無用、との解答をいただいた。魔法の力ってスゲー!…今さらか。
そうして時間をつぶす事しばし。
「……遅いですね、学園長……」
いつもならこの時間には連絡取れているのに…と時計を見れば、そろそろ時刻は9時になりそうだ。
毎日夜の8時半に行われる定例集会…というと仰々しいが、内容的には毎晩恒例の二者面談だ。なお面談内容は鏡越しに会って、今日は自分はこうだった、NRCではこうだった、などとお話をするだけである。
学園長曰く、形だけとは言え一応一度は自分の保護者となったので、メンタルケアみたいなものですよ、だとか。いや形だけだったのかよとか、保護者らしい事何一つしてないのに、何で帰れた途端にそんな事言い出すの、とかツッコミどころ満載だったが、こちらの世界では決して入手できないNRCの、マブ達の現在の様子を知れる貴重な機会なので文句は飲み込んでおいた。ちなみにこのメンタルケア、自分がNRCを去ってから1年間続ける予定だ、との事だ。それまでは自分の家の自宅と闇の鏡を魔法の力で繋いでおきます、と何かの
「…本当に毎日学園長と話をしているんですか?」
「本当です! 本当だからそんな疑いの目で自分を見ないでぇえ!!!」
アズール先輩の訝しげな目がめちゃくちゃ刺さる。けどその疑いの目は学園長が来るまでどうにもならない訳で。意図せず針の
結局、学園長は先刻の会話から小一時間後に鏡の前に現れた。
「おまたせしましたお邪魔しますよ!」
「ホントに遅いですよ約束守れないならせめて時間くらいは厳守して一言くださいよ!」
「仕方がないでしょうちょっと校内でトラブルアーシェングロットくん!?!!???!!?」
自分の背後に座る先輩の姿を目にした途端、学園長の目が驚愕に見開かれる。
というか学園長、アズール先輩の名前とトラブルをくっつけるなよ。学園長と先輩の因縁()を考えたらわからなくもないけどさ(例:3章のあれ)
「なんか、バイトから帰ってきたらうちの廊下に倒れてたんですよねー。というわけで学園長、責任持って連れ帰ってください」
「いやそれは当然ですが…なんでそんな事になったんですか?」
自分の言葉に困惑の声を上げる学園長。が、自分だって分かっているのは家に帰った!先輩が!居た!って事しか分からんので何でと言われてもさあ?としか答えられない。
「自分が知ってると思います?」
「それ、偉そうに言う事じゃないですよ? …しかし困りましたね…連れ帰るのはもちろんですが、このまま人魚の姿で連れ帰るには少々問題が…」
そうして、学園長は何か閃いた!とでも言うようにポンと手を叩き――
「そうだ!ユウくん、今日の所はアーシェングロットくんをこちらで泊めていただくということで。明日の朝までに変身薬は用意しておきますよ。私、優しいので!」
「それ、自分にはなんも優しくないんですが???」
ちょっとーアンタ学園の責任者なんでしょーモーもっと責任持って生徒たちの面倒見てくださいよ!
と、文句を告げても胡散臭いカラス…げふん、学園長は暖簾に腕押し、糠に釘。ぜーんぜんこっちの言い分なんて聞いてくれず。
「では今日の所はこれで! あぁ忙しい忙しい!」
「聞けやこのっ……学園長ーーー!!!」
そうして本日の面談は学園長からの強制切断により終わり、残念ながら自分の声が虚しく響く…
「カラスだから逃げ足が早いってか? やかましいわ」
この恨み晴らさでおくべきか…!と呪詛を吐いても文字通り進む世界が物理で違う学園長に届く訳も無く――ガックリ肩を落とし、次いで先輩に向き直る。
「そんなわけなんで、今日のところは
「ええ、他ならぬ学園長の言葉ですし。…この御礼は、後でじっくりとさせていただきますよ」
全く、相変わらずのようで…と肩を竦める先輩に、そうだよ先輩だったら物理で学園長に届くじゃん!と気付いた訳ですよ自分は!
「あ、じゃあ自分の分もよろしくお願いしまーす」
「ええ、わかりました」
お互い視線を合わせ、ニィッコリと。自分と先輩の二人同時に悪い笑みを浮かべるのだった。
さて。お別れかと思われたらまさかのお泊りに予定が変更した訳で。とはいえ我が家に人魚が寝泊りできる場所などほぼ無いので、とりあえず先輩に相談する。
「それで先輩、寝る所はどうします?」
人魚姿なら濡れた場所の方がいいですか?その場合風呂場一択ですが…と告げれば、先ほども言ったように魔法で水の膜を作っていますので、ベッドで寝ても濡らしませんよとちょっと怒られた。ゴメンて先輩、(先輩は覚えてないけど)可愛い後輩のお茶目なおふざけなんですよ。
「では自分のベッドで良ければ使ってください。それが嫌なら床になります」
残念ながら我が家にベッドは2台も無い。先輩の見える範囲にある、
ちなみに見て分かるように我が家にはソファなんてリッチなものも無いからな!ベッドか床か、選べるだけ実はマシなんですよ先輩?だからあからさまに嫌そうな顔しないで???
「……床が嫌ならベッドをどうぞ。自分が床で寝ますよ」
「いくらなんでも床は無いでしょう…学園長に対する当てつけですか?」
「いやまさか。別に床で寝るくらい普通で――あ、そうか」
そういえばNRC、というかツイステッドワンダーランドは室内でも土足の文化だったか。オンボロ寮では土足厳禁にしてたし忘れてたんだぜテヘペロ。
「あー…我が家、というか自分の国では文化的に室内では履物を脱ぐんですよ。なので床で寝ても砂ぼこりの心配はありませんので」
先輩達が自分を忘れたって事は先輩も――もちろんマブ達も――室内で履物を脱ぐ文化がある事も忘れちゃった訳か。まあ、仕方がないよね。
「はい証拠。自分は帰宅と同時に靴を脱いでいるので見ての通り靴は履いていませんよ?」
そして自分は先輩と会ってから、玄関には行っていない事は先輩もよく知ってますよね?
自分の足元、靴下姿の足を指差し、言外に再会してからずっと先輩が自分を警戒して居た事を告げれば、先輩からは「ええ、そうですね」とだけ返ってきた。
えー、なにその反応〜もうちょっとリアクションくれません?
…とちょっと思ったが、喉元まで出かかったツッコミは飲み込んで、先輩にはお先にシャワーを譲る。タオルや後で必要になるであろう運良く見つかった替えの歯ブラシなど、必要な
先輩がシャワーで汗を流している間にベッド…じゃなくておふとぅんメイクをちゃちゃっと済ませる。
とは言ってもやる事は押し入れに片付けておいた布団を取り出し、ベッドに敷きっぱなしだった自分の寝具を引っ剥がして来客用の敷布団、シーツ、掛け布団を代わりに広げて枕を置いたら、ローテーブルを隅に寄せて範囲を確保し自分の寝具を床に敷いて準備完了だ。…いつもなら来客があれば日中に布団を干しておくが今日は仕方がない。洗濯はちゃんとしている訳だし先輩には我慢してもらおう。
そうして寝る準備をしていたら風呂場から先輩が戻ってきた。床に敷いた布団に一瞬だけ目を見張ったのはちゃんと目撃したんだからな!だから言ったでしょ、自分が床で寝るって!
「あ、先輩、ベッドメイクは済ませてるんで、何でしたらもう休んでいただいて構いませんよ」
「え、ええ…ありがとうございます……」
自分への返事はおざなりで、先輩の視線は床に敷かれた布団に釘付けだ。だーから文化的に大丈夫なんだって!そんな珍獣を見るような目で見るのは止めてもろて???
「では自分もお風呂行ってきますね。あ、とりあえず先に言っておきます。おやすみなさい」
「はい…おやすみ、なさい…」
風呂上がりから全くこっちを見ない先輩は放っておいて、とっとと自分もお風呂に向かう。
いつもはお湯を張って湯船にゆっくり浸かるが、今日は先輩も居るしシャワーだけで済まそう。――かつては1日1回は湯船に浸からないと疲れが取れないと感じていたが、約1年の
シャワーで頭も身体もキレイキレイしてお風呂タイムを終了し、髪を乾かしながらリビングに戻れば先輩は相変わらず旅行誌を読んでいた。残りページ数が少ないので読み切ってから寝るつもりなのだろう。自分もお風呂で上がった体温をもうちょっと下げてからでないとゆっくり寝れないので、先輩からちょっと距離を取って髪を乾かす事に専念する。
室内に響くドライヤーの風音以外は何も響かない室内で、各々の時間を過ごす。自分は髪を乾かし終われば冷蔵庫からペットボトルの水と食器棚からコップを2つ取り出す。「水、ご自由に飲んでください」と告げれば先輩からは「ありがとうございます」とのお言葉をいただいた。
寝る前にスマホのトークアプリに家族や友人からの連絡が来ていないかを確認し、お水を飲んで風呂上がりの水分補給をしたらやる事は無くなった(自分は風呂上がりすぐに歯磨きなどの寝る準備をする派なので)。ちらりと先輩を見れば、最終ページを熟読していたので読み終わるのを待つ。
パタリと冊子が閉じられたタイミングで「自分はもう寝ますけど、先輩はどうします?」と声をかければ「では僕もそろそろ寝ます」との返答が。お互い寝る準備は済ませていたのでとっととおふとぅんに入っておやすみなさい。念の為室内灯の明かりを消灯ではなく常夜灯(灯りがオレンジになるやつね)にしておき布団に入れば、疲れが出たのか自分は即、すやぁとなった。
――意識が途切れる直前、「ユウさん? …もう寝てしまったのですか? …全く、警戒心が足りないのでは?」と呆れた様子の先輩の声がした――ような気がした。
スマホにセットしていたアラームが鳴る。サウンドはスマホ購入時から内蔵されていたペール・ギュント組曲の『朝』だ。…え、どんな曲か分かんない?なんか『朝が来た!』みたいな曲だよ。…誰に言っているんだ、自分は…
布団から上体を上げて伸びを一つ。目の前に見えるベッドに、はて自分は何で床に布団敷いて寝たんだと首を傾げ――昨日の突然の来訪者の事を思い出す。ちょっとだけ座る位置を変えてベッドの中をチラリと見やれば、先輩はまだ起きてはいなさそう。人魚姿の青黒い額が掛け布団のすき間から見えた。
さて、目が覚めたからには朝の準備だ。――とは言え今日は休日、学校は無いしバイトは夕方から、朝はのんびり過ごせる。
布団から出て洗面所へ。顔を洗ったり歯を磨いたり髪を整えたり、朝の準備をちゃちゃっと済ませている間に、目を覚ましたらしい先輩が洗面所にやって来た。
「先輩、おはようございます」
「ええ、おはようございます、ユウさん」
軽く挨拶を交わし、先輩と半分こして洗面台に向き直る。と言っても自分の方が来るのが早かったので、一足先に準備を終わらせて洗面所を出ていくが。
さて朝食だが…どうしよう?自分は普段、食パン1枚を齧る程度だが、さすがに先輩にそんな適当すぎるものは出せない。とは言えオクタヴィネルらしい、ライ麦パンのバゲットなんて我が家にある訳が無い――あるのは食パン一択だよ菓子パンすら無いんだよ!――ので、とりあえず適当にレタスを千切ってトマトとキュウリを切って、ハムを添えたサラダボウルを作成。…うーん、色合いが偏った…ので、某しゃきっとしたコーン缶を開封。赤緑黄色とまあまあ見栄えが良くなった、かな?
更に卵を割って溶いて、中に刻んだピーマンと某ほぼがつく方のカニカマなんかも入れてみたりしつつちょっと半熟なスクランブルエッグを作成。チーズも入れようかと一瞬考えたけど、(カロリー的な理由で)先輩が怒る可能性があるので本日はガマンガマン。
あとは某会社のインスタントなカボチャのポタージュを準備。食パンの耳をトースターでチンして作った即席クルトンを散らせば、まあまあ豪華な朝食になったのでは?とりあえず普段の自分なら絶対作らないような品揃えになった。いやだって、作るの面倒なので。
布団を畳んで部屋の隅に寄せ、代わりにローテーブルを戻してそこに朝食を並べる。その合間に洗面所から戻ってきた先輩が「お持ちしますよ」とテーブルセッティングを買って出てくれたのでお言葉に甘えつつ。
ローテーブルにずらりと並んだ朝食を囲んで頂きます。
食パンだけだとめちゃくちゃテーブルの上がさみしいけど、本日は食パンだけじゃなくサラダにスクランブルエッグにスープまで!ちょっとリッチな気分になりながらご飯を食べる。今日は先輩も、同じタイミングで食事を開始したぞヤッター!…学園長が迎えに来たら、そこでお別れだけど。
食事は
「やっとですか遅いですよ学園長!」
「まだ朝早いですよ!?」
ユウくん達だってまだ食事中じゃないですか!と訴える学園長には「食事中じゃないです食後のティータイム中でーす」と屁理屈ですらない理屈を返して応酬しておく。
で。
アズール先輩を迎えに来た学園長が持ってきた魔法薬のビンが先輩の手に渡り、先輩がそれを飲もうとして――
「先輩ストップストップ! 今それ飲んだら先輩全裸ですよ!?」
いやまあ今までも全裸だったけど!人魚姿ならまあいいけどさすがに人間になったらマズいですよ!
って事で学園長にヘルプコールを飛ばして――ちなみに学園長も素で気付いてなかったらしい。いや気付け。魔法薬用意している時にでも気付けたでしょう貴方は!…なんて自分を棚に上げてみたり――学園長の魔法で先輩サイズの制服を無事にゲット。先輩には洗面所で魔法薬を飲んでもらう事になった。え、洗面所である理由?扉が閉まるからってだけです。
魔法薬は即効性なのか、間もなく先輩は洗面所から戻ってきた。かつて見慣れた、懐かしのNRCの制服を纏って。
「全く…今回は酷い目に合いました」
「アハハ…何と言うか、お疲れ様です…?」
ハア、と心底疲れた様子のアズール先輩。それもそうか、夜通し身体が乾かないように魔法を掛けっぱなしだったもんね、そりゃ“酷い目”だ。
「そうですよ本当に…おかげでリーチ君達が……あっ!」
愚痴をこぼしかけた学園長が慌てて己の口を塞ぐが時すでにおすし。「あいつらが何か?」と尋ねる先輩に「いえ、」だの「そのぉ…」だの口をもごつかせる。
「何かあったんです、学園長?」
「いえ、その、ね? どうも今回のアーシェングロット君の失踪は、君と契約した生徒が対価の取り立てによる腹いせに自身のユニーク魔法で――あぁ、内容は対象者の知らない土地に追いやる、というものでして――NRCから遥か遠く…まあユウくんのご自宅まで飛ばした訳なんですが……結果、リーチ君達…あ、二人ともです。彼らが酷くご立腹になっちゃいまして。昨日はずっと暴れまわっていたんですよ。――ああ、ユウくん、昨日はそのせいで面談が遅くなりました。でも私悪くないですよね? 私、学園長として学園内のトラブルに対応してた訳ですし。昨日は大変だったんですからね!」
「え? まあ、理由があるなら仕方がないですし、いいですよ?」
マジか、昨日はガチのマジで忙しかった訳か。じゃあ仕方がない、昨日の針の筵状態は水に流しておこう。…というかジェイド先輩とフロイド先輩が暴れたって、被害ヤバそうだな…なんて思っていたら、同意見だったのだろうアズール先輩が震える声で尋ねる。
「ちなみに、学園長? ジェイドとフロイドが暴れた、という事は――」
「そうですね…現場はモストロラウンジでしたので、ラウンジは壊滅状態、巻き添えでオクタヴィネル寮も昨日は寮生が自室に戻る事も叶わなかった、と言えば、被害状況は伝わりますかね?」
「何をやっているんだあいつらは!!!!!」
ここに来てアズール先輩最大のシャウトが室内に響いた。いやまあ仕方がないか。寮生が寮の自室に帰れないって何だよ。どんだけ暴れたんだよあの双子は!?!!?!??
現場の悲惨な状況は想像しただけでヤバそうで。それを目の当たりにした学園長の心労は如何程のものか……ま、いいや。学園長だしどうにかするだろうしどうにかしたんだろう、こうやって朝から迎えに来れた訳だしね。
「それでは発端となった負債者は今どうしていますか?」
「騒動の原因と言う事でリーチ君二人と共にクルーウェル先生、トレイン先生の監視下に。――続きは学園に戻ってからにしましょうか」
アーシェングロットくんには被害者として、何よりオクタヴィネルの寮長として、対応していただきますよ!
そう訴える学園長は心底疲れた様子。あーこの後の事後処理がまた大変そうだな〜でもまあ、自分には関係ないか、と学園長の事は早々に見捨てて先輩に向き直る。
「では先輩、お元気で。短い間でしたが楽しかったですよ?」
――たとえ、先輩が自分の事を覚えてなくっても。
最後の言葉を呑み下して別れを告げれば、先輩はようやっと、微かながらも笑みを向けてくれた。
「ええ。こちらこそ、楽しかったですよ」
対価はまた、後ほど。
そう答える先輩に相変わらずだな、なんて思いつつ。でも今度こそ二度と会うことは無いだろうと「別にいいですよ、気にしないで」と苦笑にとどめる。
「ではアーシェングロット君、行きましょうか」
ユウくん、面談は…こちらが落ち着いてからでもよろしいですか?と続ける学園長には「別にいいですよ〜」と返して。
そうして、鏡の向こうに消えた二人が見えなくなるまで見送れば、途端に沈黙が刺さる。
「……ハハッ、やっぱり…さみしいなぁ…!」
一夜だけの夢を見ただけだ。だからこの、頰を流れるモノよ止まれと自分に言い聞かせても――ソレは、中々止まってはくれなかった。
▼ △ ▼ △ ▼
それからは、ホントに学園長が顔を出すまでにしばらくかかり――ちなみに学園長の面談が再開したのは昨日からだった。いや遅すぎない?
だってアズ―ル先輩が無事に…無事に?いや無事にだね。うん、無事にNRCに帰ってから早半月も経過している訳だし。月日が経つのって早いね!
今日も毎日のルーティンこと朝の支度をする。今日は日用品の買い出しに行く予定なので服を着替えて、いつもみたいに姿見の前でコ―ディネ―トの確認。ついでに寝ぐせなんかもちょちょいっと直してみたり。…うん、前髪すごく跳ねてるね!こりゃちょちょいじゃ直らないやつだと洗面所に向かおうと姿見に背を向け――
「――へっ……?」
腕を、誰かに引かれた。どういうことなの!?とつい反射的に振り返ったのと、さらに腕を強くひかれたのはほぼ同時。1人暮らしの我が家でそんな怪現象が起こるなど考えてもみなかった訳で。そうなったら当然……
「こここコケるコケッ…!」
あわや姿見に顔面ダイブしそうで。目をつぶったのは本能的なものなので許してほしい。そうして1秒にも満たない時間で出来得る限りの衝撃に備えた――はずなのに、なぜか鏡ダイブの衝撃は全く来ず。というか、なんか鏡よりは硬くないけどやっぱり何か固いものとぶつかって――
「こけこけって…あなたは鶏ですか」
呆れたように自分に向けられた言葉は、懐かしくも三度こそ聞こえるはずのなかった声で。
「ぅえっ……?」
「全く…あなたは相変わらず、間抜けな顔をしていますねぇ」
なんて言葉が自分の頭上で続く。そっと顔を上げれば、見慣れた黒い制服が。そのままさらに上へと視線を向けると、呆れた表情の顔面イケメン、もといアズ―ル先輩が。というか、コレって先輩の腕の中というシチュエ―ション?なんやこの状況(突然の関西弁)。
「は?」
「は? じゃないですよ僕がこうして助けて差し上げたというのにお礼の一つも無いんですか? ユウさん?」
――それとも、監督生さん、とお呼びしましょうか……?
そこだけ耳元で囁いてくるアズ―ル・ア―シェングロット先輩。くっそ相変わらずイケボだな!…って、
「監…とく、生……って、なんで……っ!?」
先輩の一言に呼吸が止まる。ハクハクと、口を開いては閉じてを繰り返すが上手く息を吸えないし、返事の言葉も出てこない。
困惑しているのが自分でもよく分かる。なんで、どうして、自分の事は忘れたはずなのに、…疑問が次々と湧いてきて、でも上手く言葉にならなくて。
ただ先輩を見つめるしか出来ない自分の様子に先輩は呆れた…でも、半月前には見せなかった優しげな表情を浮かべ、
「言ったでしょう? 対価は後ほど、と。――ほら、監督生さん、お客さんですよ」
え?と思う間もなく背中を強く押される。「うわっ!」と小さな悲鳴の上がった自分の目には、涙でぐしょぐしょになったマブ達と、そして何より懐かしい相棒がこちらへと駆け込む姿が映った。
内約としては1P監督生視点(誤字とか修正は入れましたが、話の流れはそのままです)、2P先輩視点(ほぼ1Pの焼き増し。中間部分は読み飛ばしてもあまり支障は無いかと)、3P引き続き先輩視点で再会直後談、4Pオチ(多分)三人称
となります
なお、七章までの内容に抵触していますので、ネタバレ厳禁の方は要注意
※先に公開していた分で恐らく疑問に思うであろう所はなるべく補足したつもりですが、きっとまだまだ説明不足がありそうなので、コメント等いただければ改めて補足します…
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【注意】話の設定上、この監督生は「ユウ」と呼ばれています。
タイトルの出落ち感が酷いですが、もうこれ以外のタイトルが浮かばなかったので…(ォィ)
タイトルはアレですがあんまり全裸要素は無いです。なのでこの話はド健全です(笑)