2019年1月、巻誠一郎が引退を発表した。
波瀾に満ちた現役生活だったはずだ。
どのチーム、どのプレーが一番印象に残ったか。
その思いを聞こうとインタビューを申し込んだ。
ところが巻が話したかったのはその話題ではなかった。
彼が言葉にしたい、文字に残したいと思っていたのは、
今もまだ傷跡が残る熊本地震のこと。
あのとき人見知りの巻はみんなの前に立った。
自分の不得意なことをやらなければいけない
その必要性で巻は変わったように見える
だが自分の大きな転機にあたっても
他人のためになろうとする姿だけは変わっていなかった
「これは普通の地震じゃない」という感覚
2016年4月14日の21時26分に最大震度7の地震があった際は、サッカースクールで子供たちにサッカーを教えてたんです。あまりにも揺れてグラウンドが波打って。子供たちっていつもは元気があってやんちゃなんですけど、そのときはビビっちゃってコートの真ん中にみんなで集まって「怖い」って言ってました。
それを見てたら、これは普通の地震じゃないなと。僕自身は2011年3月11日の東日本大震災を千葉で経験していて、そのときにいろんな人を見ていたんである程度の慣れがあって、結構冷静にはなれました。だから子供たちを1人ずつ親元に帰して、最後に残ったグラウンドの利用者の人はなかなか迎えが来なかったので、自宅に入れてそこで待っててもらったりしました。
4月16日の未明にも最大震度7の地震があったのですが、そのときは実家にいました。あの揺れだったらね、そりゃ動けないです。外に出ようとか無理な状況でした。ちょっと収まったときに外に出たら津波警報が鳴って。「え? 津波って何?」って思って、東日本大震災のことが脳裏に浮かんだんですけど、警報はすぐに解除されました。
ところが警報解除の情報って行き渡らないんですよ。だからみんな「津波が来る」って高台に避難を始めてました。高台には僕が小さいころからある競技場があったんで、みんなそこを目指して。うちは競技場に近かったから、僕は3、4番目ぐらいに到着できたんです。
そうしたら道が大渋滞になってみんな登って来られない。焦ってクラクションとか鳴らす人がいて、でもぐちゃぐちゃで動けないし、右にも左にも行けない状況で。だから誰の許可を得るわけでもなく、僕個人の判断でグラウンド横のブロック塀を取り払って、グラウンドに車を入れるようにしたんです。
交通整理をする人もいないので自分でやって。そのときに実は車にサンダル履きの足を踏まれちゃって。みんな慌ててましたからね。それでおそらく小指を骨折したと思うんです。翌日には、腫れて、腫れて。今となっては笑い話ですけど、とにかくやれることはできる限りやりました。
僕は元々、人の前に出ることが好きじゃなかったんです。けど、震災の後は前に出て行って、いろんな情報の発信をしたり、自分にできることを何かしなければいけないと思ってました。自分から望んでやってましたね。
あのときって、いろんな芸能の方なんかが情報を発信しようと表に立ってたんですよ。ところがことごとく叩かれて。誰かのためにと思って情報発信したら、二言目には売名行為だとかなんだとか非難されまくってて。そうしたら震災から2日目にはもう情報発信する人がほとんどいなくなっちゃって、熊本の人からですら出てこなくなったんです。
そうしたらもうメディアも3日目ぐらいからはすっと引いちゃう感じになっちゃったんです。でも災害って起きたときよりも数日経ったほうがいろんな人たちが苦しくなってくるんですよ。日が経つにつれて被害の大きさがどんどんわかってきました。
ただ支援なんかは、九州の人たちは目を向けてくれるんだけど、それ以外の地域の人たちって注目してくれないというか、何が起きてるかわからないから、どう支援すればいいかわからなくなっちゃって。情報量もどんどん少なくなっていってましたし。
という中で誰かがやんなきゃいけない。それで僕が支援団体を立ち上げたんです。ただ、クラブからは最初、そういう活動は止めてほしい、慎んでほしいと言われました。クラブとしていろんなことが把握できないし、他のみんなは叩かれていたからというのがあったんでしょうね。
正直に言うと、それを聞いて「くそ食らえ」と思ったんです(笑)。困ってる人がいてニーズがあって、僕がやらなければならないんだから。だからクラブには「もしクレームが来るようだったら、オレはクラブを辞めるから。自分の責任でやるから」って。「困ってる人がいたら助けるのは当たり前じゃん」って。
サッカー教室も出来る限りやめてほしいと言われたんですけど、子供たちはやってほしいって。だったらやるべきだろうと。やったらどうなるかなっていう不安がなかったというわけじゃないんですけど。
まぁサッカースクールって感じでもないんですよ。子供たちと戯れ合うというか一緒にボールを蹴るだけ。それで子供たちは笑顔になってくれる。その時に確信したんですよね。誰かが発信しなければいけないし、中途半端に情報発信だったり地震を扱うから叩かれる。だったら俺は突き抜けてやるって。
妻と子供たちは、地震が起きてすぐに「今は私たちの巻誠一郎じゃない。熊本の人たちの巻誠一郎なんだ」って気づいてくれて。だから地震から夏休みまでの間、大阪の実家に引っ越してくれてたんです。ランドセル1つだけ持って、車で。
頼んで向こうの幼稚園に入れてもらって、小学校もどうやって手続きしたのかわからないんですけど、入れてもらって。そういう中で僕が自由に動けるような体制を作ってくれたんですよ。
支援団体を立ち上げたら協力者が続々と現れた
それで僕を支援してくれるパートナーさんたちや、一緒にボランティア団体を立ち上げてくれたみんなと、物資の受け入れについて計画して。拠点の倉庫を提供していただいて、物資の受け入れ場所は福岡に拠点を作らせてもらって。
情報は2次ソース、3次ソースだから叩かれるんだろうって。だから直接1次ソースとして情報を入手しようと考えたんです。僕は熊本県民なんでいろんな避難所に友人がいるんですよ。それで200人ぐらいのライングループを作って、直接「こういうのが足りない」「こういう情報がある」って情報網を作って。その中での発信をするというのであれば、誰も文句が言えないだろうと。
ラインのグループのメンバーはそれまで全然関係ない、1回会ったような人たちです。中心でつながってるのは20人ぐらいで、そこからまた拡散する形で、それで全部で200人ぐらいです。みんなで1次ソースを集めて、その1次ソースが正しいかどうか確認しに行くのが中心の20人ぐらいなんです。
グループの中に東日本大震災のときにそういうことをやっていた方がいらっしゃったので、そのノウハウを生かしながらやってました。ボランティア団体は僕が作ったというより、いろんなノウハウを持ってる人がいて、僕もある意味コントロールしてもらってたんだと思います。僕が表に立ったので目立っちゃったってだけです。
あとは熊本県の地図をバンっと壁に貼って、どこに避難所があって、どこの地域がひどくてって書き込んでいってました。それから自衛隊の方々は災害拠点を作るのが上手なんで、そこに物資をどんどんおろしていくという活動もやりました。
夜中でも、23時でも24時でも物資は届くので、それを受け入れなければならない。でも、ボランティアスタッフの方々に夜中まで残ってくださいとは言えない。それでチームメイトに声をかけて、「この時間だけど手伝ってくれないか」って。そうしたらみんな集まってくれたんです。サッカーやってるんでチームワークはいいんですよ(笑)。
サッカー教室もいろんな依頼が来たので、選手たちのラインのグループで「今日はここからこういう依頼が来ました」と流すと「僕と誰々が行くね」という返事が来て。「この地域はどうしますか?」というメッセージにはすぐ「じゃあ俺とあいつが行くよ」とリプライがあって。そういうやりとりをしながら、選手が自分たちで全部やってました。
そうしたらクラブスポンサーで健康食品会社の「えがお」の社長から連絡が来たんですよ。震災から2、3日後だったと思うんですけど。「巻、一生懸命頑張ってるね。困ってることはあるか?」って。それで「えがお」さんが僕にスタッフを付けてくれて「チーム巻」を作ってくれたんです。
「チーム巻」は少ないときで2、3人、多いときで10人ぐらいで、ずっと一緒に行動してくださったんです。みんなで一緒に避難所をまわるんですけど、現地に行ったら「えがお」さんは自分たちでも活動してらっしゃった。
「えがお」さんは青汁も販売していらして、「青汁も使ってくれ」って持ってきてくださったんです。震災の後ってみなさん健康に対しての不安が大きかったので、青汁というのは非常に重宝されて、すごく喜んでくれたんですよ。僕も青汁をきっかけにコミュニケーションが取れました。
他にもいろんな選手が熊本に支援に来てくれたときも全部「えがお」さんがサポートしてくださったんです。車を手配していただいて、えがおさんの食堂だけはずっと常に稼動されていたので、選手もみんなご飯を食べさせていただきました。
アテンドとか自治体さんとか学校さんのやり取りもお手伝いしていただいてました。僕1人じゃできない部分もあったんで。そんなことできる企業なかなかないですよね。これ、ちゃんと「えがお」って書いててほしいです。
SNSで流れる情報を実際に確認しに行く日々
妻たちが帰ってきた7月までの3カ月間は、ほぼ毎日、避難所、小学校、幼稚園を回ってました。のべだいたい300カ所ぐらいですか。同じところに何度も行きましたから。回るだけじゃなくて、一人一人と向き合って話を聞いて。30分ぐらい雑談をするときもあればラジオ体操も一緒にして。
こういうのがほしいと言われたらそういうものを準備して、足りなかったら物資をお願いして、いろんな人に協力してもらって。
叩かれていたんですけど、それは突き抜けましたね。誰かが伝えなきゃいけないし、誰でも伝えられるわけじゃない。それに熊本のような地方は支えてもらわないと抜け出せないという部分がある。自分たちの力で復興しようと思っても、ある程度は支援してもらわないと難しいんです。
人には迷惑をかけたくないという人が多くて、「もう大丈夫だから」と遠慮するんですよ。避難所にも行かないおじいちゃんもいました。だけど現実は全然大丈夫じゃない。本当は物資が足りなくて苦労してるはずなんです。そんなのが見えたから、僕は物資を置いてってました。次の日にもう一度行ってみたらモノがなくなってる。みなさん、持っていってくださってるんです。
「何か必要ですか?」「物資がいりますか?」って聞いてたら間に合わないんです。ほしい人に届かない。どこそこに置いてあるってわかったら、取りに来てくれるんです。だからある程度必要なものをコーディネートして、置いて回ってました。
FacebookとかTwitterとか、いろんなSNS上で流れる情報は、僕たちもそれを追いかけて近くにいる人に確認に行ってもらってました。でもその情報というのはほとんど、10割に近いくらい合ってなかった。2次ソース、3次ソースだったら、もう物資は届いているし、受け入れもしてもらってる。足りないという情報はほぼ何日か前の情報なんです。
ところがTwitterなんかができない山奥のおじいちゃん、おばあちゃんとか、そういうところでは1カ月ぐらい経っても水が足りないとかそういうことがありました。「どこそこの地域に水がないみたいなんです」っていう情報をいただいて見に行ったら、確かに水がない。
おばあちゃんと孫の2人が山から壊れた鍋を持って下りてきてくれたんですよ。話を聞いたら、田舎のほうは地域によって物資がもらえたりもらえなかったりするということがあるらしいというのがわかりましたね。だから次の日にはお水とか物資を届けたりしてました。
誰かのために動くと力を発揮できることに気付けた
僕は人見知りなんですけど、あのときは人前に出てもストレスが全くなかったんですよ。一生懸命でした。朝から練習に行って、練習が終わったらその足で物資を詰め込みに行って、避難所を回ったり、サッカー教室をしたりという生活が1週間ずっと続くんです。でもね、なんかね、やらなきゃっていう思いが強くて。疲れたとか1回もないんですよ。
そのとき思ったのは、「僕ってたぶん、そういう人間なんだろうなぁ」って。誰かのために動くと力を発揮できるんです。自分のために動こうと思うと「まぁいいか」と思っちゃって足が重くなるんです。プレーもそうなんですけど。
誰かのためにだと普段以上の力が発揮できるタイプなんです。だから今後の活動も、誰かのためになることを中心に、お互い喜べるような活動をすれば力を発揮できるだろうと思うんです。それが今の僕の漠然としたやりたいことです。
今考えると、自分自身もすごく成長できたし、これから自分が、何かをやる上ではこれが何事にも代えがたい経験になっていくでしょうね。
今の熊本の傷跡は、だいぶ集約はされてきて、とはいえまだ避難所はありますし、全国からの自治体も含めた国からの支援の額とかも小さくなってきている割には課題も山積みです。阿蘇大橋はまだかかっていないですし、家にまだ返られなかったり、もう帰られない地域の人たちもいます。
そういう意味では、心も住む場所も、まだまだ元には戻ってないんですよ。ただ、見えにくいんですよね。熊本の中でも見えにくいくらいです。局所的な、狭い地域の被害が大きかったから。支援をまだ必要としている人たちがたくさんいる。でもなかなか発信できずにもどかしい。ということで、僕もまだまだ今後も発信していかなければいけないなと思ってます。
それからこの震災は全国でいつ起きてもおかしくない。やっぱりこの経験だったり、みんながやったことや心構えとか、そういうものは残していかなければならないと思うんですよ。
正直な自分の気持ちを言うと、僕は誰よりも避難所に行って、行っただけじゃなくて避難された人たちと向き合って話をしたと思っています。それに自治体にも行き、子供たちと誰よりも話をしました。だから僕には起きたことを世の中に伝える義務はあると思っていて、そういうことをやらなきゃいけないと思っています。
とにかく全国を飛び回って僕がわかったことを伝えたいと思っています。それから僕が集めた熊本の情報は、僕のFacebookで発信してきます。熊本とは関係ないことも書いていますが、どうか読んで知っていただければと思います。
熊本へ来たら郷土料理と馬刺しを食べてほしい
熊本で僕のお勧めの店は、「郷土料理 はや川」さんという料理屋さんです。繁華街にある店ですね。ここは熊本の郷土料理の店で、全部お勧めなんですけど、からすみなんかも自分で作っていらっしゃるし、こだわりの食材があります。
もちろん郷土料理は食べてほしいですけど、おいしくない料理はないですから何を食べても安心ですよ。僕はいつもコース料理でお願いしてます。宴会コース、4000円から5000円のやつとかですね。雰囲気は、個室とカウンターと両方ありますから、身内だけで盛り上がるのもいいし、カウンターでご飯を食べるのもいいですね。
ただ、熊本に来たんだったらやっぱり馬刺しは食べてほしいかな。馬刺しは体にいいんですよ。低脂肪、高タンパクなので。ここの馬刺しはお勧めしたいですね。馬刺しにはいろいろな食べ方があると思うんですけど、僕はニンニク醤油が一番好きです。オーソドックスな食べ方ですね。あとは生姜もおいしいと思います。
熊本の復興していく姿を見つつ、馬肉を食べに来てくださいね。
巻誠一郎 プロフィール
駒澤大学から2003年、ジェフユナイテッド市原へ入団。オシム監督の指揮下で頭角を現し、2006年には日本代表としてW杯に出場した。その後、ロシアや中国などを渡り歩き2014年からロアッソ熊本でプレーし2019年1月に引退を発表した。
1980年生まれ、熊本県出身
取材・文:森雅史(もり・まさふみ)
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。
最終回を迎えた本連載の裏メニューとして、森雅史さんのブログで番外編を掲載していただきました。もしご興味がございましたらご一読を…!
http://morimasafumi.blog.jp/archives/2449627.html