2003年、高校3年生でG大阪のトップチームに帯同
2004年、そのまま無事プロ選手として契約を結んだ
ところが最初の3年間は1試合も出場できない
2007年には出場の場を求めてJ2の徳島に移籍する
2008年はJ1の大宮に移籍したがここでも出番に恵まれず
同じ年にJ2の福岡へと活躍の場を移した
2011年まで所属した福岡ではJ1昇格とJ2降格を味わい
2012年、J1のG大阪に復帰する
ところが同年G大阪がJ2に降格
2013年は3度目となるJ2でプレーすることとなった
そして2014年、J1に復帰するとともに三冠達成
2015年には日本代表に選ばれる
2017年と2018年はシーズン途中で広島とFC東京に移籍
丹羽大輝のサッカー人生は大きな変動を繰り返している
解任後のヴァイッド・ハリルホジッチ監督に会いに行った話とともに
激動の中で何を思ったか語ってもらった
苦しい経験が自分を強くする
2015年チャンピオンシップの浦和戦で、僕のバックバスがポストに当たってオウンゴールにならずにすんだんです。それだけじゃなくて、そこから一気に逆襲して決勝点が入ったんですけど、あれは僕のサッカー人生が凝縮されてましたね。
これまでのことを振り返ってみると、自分でもすごいというか、いろいろいい経験をさせてもらったというか。ただ僕は辛かったという感覚はないんですよね。世間一般の方が辛いとか厳しいなとか、嫌だなって思ってることと僕の感覚は違ってて。
例えばここに置いてる水がこぼれたとき「うわ、こぼれてもうた、最悪や」って、僕はあんまり思わないんですよ。「こぼれてしまったことは仕方ない。今日はこの水をこれだけ飲むことになってしまったんだ」ぐらいな感じで思えちゃうんです。
それって、自分自身がサッカーに対しても何事に対しても後悔なく、全力で真摯に向き合ってきたからこそだと思うんです。そこで出た結果っていうのは、あまり辛くなかったというか、そういう感覚が自分にはなくて。
J2のときの経験にしても辛くはなかったんです。もちろん当時からJ1でやりたいという気持ちはあったけど、ちゃんと地に足を付けてJ2でやらないとJ1に行けないという思いもありました。そこは、周りからよく言われるんですけど、自分の感覚が他の人と違うんだと思います。辛いとか苦しいとかって、家族に不幸があるぐらいじゃないと僕はそう思わないというか。
そもそもサッカーができていること自体が幸せじゃないですか。それを心の底から自分の中に持っていれば、プレーしているのがJ2であろうがレギュラーを外されようが、日本代表から落ちようが、何があっても自分の中ではいい経験だと思えるんですよ。人から見て辛いとか苦しい経験は、自分を強くしてくれるというか。
もちろん、高校3年生からトップチームに入って、すぐ試合に出られるだろうと思ってました。出られなくて悔しさはありましたけど、当時のDFのメンバーはすごい方々でしたし。ツネ(宮本恒靖)さんにしても、シジクレイ、山口(智)さん、實好(礼忠)さん、入江(徹)さんという、そうそうたるメンバーで全員がセンターバック。
それぞれの選手の特長というのは今でも自分の頭の中に全部あるんです。その方々がやってたプレーとか練習の中であったこととかは取り入れたりしてましたし。自分にちょっとでも吸収しようって。しかもそれぞれの選手の特徴が違ってたんで。当時はそういうモチベーションでやってました。
じゃあ僕自身がなんで移籍をこんなにもしているのかっていうのは、もちろんサッカー選手としての成長や試合に出ることだったりもそうなんですけど、他の理由もあります。
例えばいろんなクラブの人や選手に会えるし、いろんな土地に住むことによってその地域の人や地域の文化に触れあえるんですよ。それによって、人として幅が広がって、さらにサッカー選手としても成長できると思っています。
もちろん本職のサッカーで活躍するというのは大事なんですけど、別の部分で得るものも多いし、サッカー以外の部分で得たものがサッカーに生かせるというのはすごく感じてます。
僕はいろいろなチームに行ったから、全国いろいろなところに知り合いがいて、それはすごい財産なんですよ。僕は人が大好きで、人を大事にして、人に生かされて、今の自分があると思ってます。人から成長させてもらっているというのが僕の人生なので。
僕は「自分はこんな経験してます」って上から目線を出したら、その時点で人としての成長は終わると思うんです。何でも知りたいとか、知らないことだらけって本気で思っている人は、どんなことにも興味があるし、どんなことでも吸収できると思うし。
僕は常に勉強家でいたいというか、どんなことでも吸収したいと思うし、常に探究心を持っていたいし。これは社会で生きていく上で大事なことなんじゃないかと思って。
そこを追求していくことで本職のサッカーでも、例えば見えていないところが見えるとか、俯瞰して試合を見られたりとか。イエローカードをもらいそうなプレーでも、ちょっと一息落ち着いてプレーできたりとか。
そういう一つひとつのプレーにもつながるんじゃないかと。今までつなげてきたっていう自信もあるし、つながってきたという経験もあるから。だからもっといろんなことを吸収することによって自分のサッカー選手としてのプレーが広がるんじゃないかなぁと思ってます。
僕の生き方の幹の部分は、人に対して真摯になることです。誠実にすること、真摯に生きること、人を馬鹿にしないこと。そこがちゃんとしてれば、他の枝葉の部分はいろんな他の考え方を取り入れても、幹の部分がブレなければ、いくらでも身につけていいと思います。
移籍して、自分がいろんな種類の枝葉をつけられるんだったら行くし、ステイして吸収することがあるんだったらそのままステイすると思います。だからどんどん移籍して自分がどうなっちゃうんだろうとかは全く思ったことがないですね。
なんでそう思えるかっていうと、それは家族の存在ですね。家族がどこにいってもついてきて、自分を信じてサポートしてくれたというのが1番大きいです。
移籍って本当にタイミングだと思うんです。2018年に僕が広島から東京に来たときも、本当はまったく移籍する気がなかったんですよ。
2017年に大阪から広島に行ったときも、長男と長女が入園と入学のタイミングだったんです。4月に入学して7月に移籍だったので、制服も買いたてだったし、子供には大変な思いをさせました。
東京からの移籍の話って、広島で家族がやっと1年住んで馴染んで、妻にしても子供にしても自分のリズムがやっと出てくるというタイミングだったんです。そこで家族が僕の意思を尊重してくれるということを言ってくれて、それが本当に大きかったですね。
それから、移籍が子供にもいい影響を与えると思ったんです。広島に行っても東京に来ても子供がすごく成長してますから。大阪から広島に行った時にそういう姿が垣間見られたので、広島から東京に行ってもまた成長できるんじゃないかというのもあって。
丹羽家がさらに強くなる。またいろんな人と出会えて、子供にしてもいろんな友達ができる。サッカーの友だちができたり、小学校でも友だちができたり、そういう経験をさせてもらえているので、だから移籍話には感謝しかないというか。
僕は見る角度が人とちょっと違うのかと思います。みんな起きたことに対して真っ正面でぶつかるから。苦しいとか辛いと感じると思うんですけど、それをちょっと斜め横や後ろからとか違う角度から眺めてみれば、意外といい出来事だったりするんですよ。
ハリルさんの言葉は真実だった
日本代表に入りたいという気持ちはずっと持ってました。でも現実を見なければいけないというのもわかってて。
ただ僕には、ちゃんとやってる人には運が来る、やり続けている人には絶対運が回ってくるという確信があって。神様がいるとは思わないですけど、どこかで見てる人が、雲の上から見てる人がいると自分で思いながら人生を過ごしてるので。
1人で努力してることってあるじゃないですか。それを誰も知らなかったとしても、雲の上から誰か見てる人がいると思いながら努力してるんです。そしてちゃんと努力してることが自分に運を引き寄せるんだと思ってるので、努力をしてることを後悔するというのは好きじゃなくて。だから誰も知らない努力というか自分を高めることをするのは大好きなんです。
そうしたら2015年に日本代表に入ったんですよ。そのときは自分の歯車がだんだん合っていくという感覚です。
ただ、これも僕の性格なんですが、日本代表に選ばれて周りの人から「すごいね」「よかったね」とか言われたんです。でもこれは違うかなって。もっと高めることはあるから。
僕は周りに褒められても変わらないし、貶されても変わらないし。大事なのは自分がもっと成長したいとか幹の部分をどれだけ持ってるかだと思うので。
そうじゃなかったら、周りに何か言われたことが自分の価値だと思っちゃうだろうし。それがあまりないから、みんなに「ポジティブ」と言われ続けてきたのかもしれないと思いますけど、自分の中では普通なんですよね。
日本代表でも、最初に招集されてから初出場まで短くはなかったんですよ。代表の試合に出られるのかなって思った時期もありました。ただ、やり続けてる人に運が転がってくるという考えでサッカーをやってたんで、いつかは出番が来るだろうと思ってて。
そうしたら2015年東アジアカップ、中国・武漢での中国戦でデビューしたんです。1-1で引き分けた試合でした。
その試合には右サイドバックで出たんです。ハリル(ヴァイッド・ハリルホジッチ監督)さんから試合前日の夜に呼ばれて「右サイドバックで出るから」って言われて。こっちは「あぁ、わかりました」って言いました(笑)。
ハリルさんが解任後の会見で「丹羽は1試合しか使ってないのに会いに来てくれた」と言ってたんですけど、実は2015年のイラン戦にも出てるんです。残り16分で攻め込まれてて。あのときも急きょ、しかも右サイドバックで。
だから代表の試合で僕のポジションは全部右サイドバックなんです。でも僕って、FWとGK以外は全部スタメンで出たことがありますからね。DFとしては4バック、3バックの両方やりましたし、徳島時代はボランチとトップ下で40試合ぐらい出てたんで。
トップ下の僕は想像できないと思うんですけど(笑)。だからポジションにこだわりはなくて、サッカーをするという点でポジションは関係ないと思うんで。
仲のいい人からは、「出場2試合なのに1試合って言われたな、ハハハ」って笑われたんですけど、僕はそこらへん、あまりこだわりがないというか。おもしろいな、ぐらいで捉えてたんです。むしろ僕の話が出たことにビックリしました。
その会見の中でハリルさんは、僕が挨拶に来た、と言われたんですけど、実は僕、フランスに行ってないんですよ。当時練習があったんで(笑)。
ハリルさんが解任された日、通訳の方に「僕はハリルさんに代表に呼んでもらってお世話になったから、もしハリルさんが日本に帰ってきて会うタイミングがあれば連絡ください」ってメールしてたんですよ。
そのときは「今ちょっとバタバタしているから会えないかもしれない」って言われてたんです。けれど、しばらくしたら通訳の人から、ハリルさんが急きょ日本に荷物を取りにちょっと帰ってくる時間があるって、連絡が来てたんですよ。
それである日、午前中に通訳の方から連絡が来て「今日の午後だったら1時間なら会える」って言われて。午前中に広島で練習があったんですけど、練習終わってすぐそのまま広島空港に行って、そこから羽田に飛んだんです。
空港から真っ直ぐハリルさんの家に行って、「お世話になったんで、『ありがとうございました』って直接言いたくて会いに来ました」って。で、代表の話なんかもして、そのまま夜の便で広島に帰ったんです。1時間も会ってないですね。40分ぐらい。
ハリルさんは会うやいなやすごく感動してくれて、ハグしてくれて、「いろんな選手からラインとかショートメール、SNSのメッセージは来たけど、実際に会いに来てくれたのはお前だけだ」って。
僕の中では、挨拶に来るって普通のことだったんですよ。企業に属してて、めちゃめちゃお世話になった社長なり上司が転勤になったときに、その上司に対して転勤の前にタイミングが合ったら直接お礼を言うのが人として当たり前じゃないかなって。
ところが次の日に僕がフランスまで会いに行ったって記事が出て、みんな驚いたみたいで。実は僕、会見をあの日のあの時間帯にやることどころか、会見をやることそのものも知らなかったんです。
会見が終わったタイミングだと思うんですけど、ラインのメッセージが40件ぐらい来たんです。てっきり家族ラインかなと思ってたんですけど、そうしたらいろんな人から「ハリルさんが言ってたぞ」ってたくさん来てました。
こっちは「何のこと?」ってビックリしました。「会いに行った」っていう発言があったって聞いてまたビックリですよ。
マスコミの人にも聞かれたから「僕、毎日練習にいたでしょう? フランスに行けるわけないじゃないですか」って説明したんです。城福浩監督まで「お前、どのタイミングでフランスに行ったんだ?」って。だから「僕、毎日練習出てましたし、フランスに行ったら練習出られないです。東京で会いましたよ」って(笑)。
ハリルさん、僕はめちゃくちゃ好きですよ。いろんなこと言う人がいますけど、本当に真っ直ぐな方というか。いいものはいい、悪いものは悪い。あいまいにしないというか、「○」か「×」かなんです。ミーティングのときもそうでしたし、最後の話のときもそうでした。
ハリルさんは真実をそのままストレートに全部伝えるというのがスタンスなんで。本当にワールドカップで勝つというのを念頭に置いたときに、そこに対する僕らのレベルはまだ達していないと常に言ってくれてました。
ワールドカップのベスト16で負けたってことは、ハリルさんの言葉が真実だったんだと思うんです。ワールドカップに出て勝つ、その基準を僕らに投げかけてくれていたと思うんですよね。
勝つという基準に対しては、まだまだ足りない。もっと改善しなければいけないことがあるってことを、どの選手に対しても同じことを言ってくれてたんで。僕は好きでしたよ。それは呼んでくれて使ってくれたからとかではなく。すごいストレートで、こんな真っ直ぐな人がいるんだなって、そんな監督でした。
僕はまぁ……その時間、監督といろんな話を共有したことは事実なんで。そのとき監督とはすごくいい話が出来たと思っています。
監督だった当時からいろんな話はありましたけど、どの監督でも、いいことを言う方も、悪いことや当たり障りのないことを言う方もいるんで。それは本当に……うん……いろんな監督がいると思うんで。僕は好きでしたけどね。個人的には人を嫌いになることはないので(笑)。
ロシアは行きたかったですよ。本当に……。まぁ……そうですね。そんな思いはありましたけど、行けなかったことを自分のモチベーションにするしかないと思いますし。未来に対してはいいイメージしかないです。
「広島焼き」発言でサポーターに怒られたことも
いろいろ移籍したんで、いろんなところでおいしいものを食べましたね。おいしいと言えば福岡でした。水炊き、もつ鍋、魚料理、ですかね。でも僕が行った土地は本当においしいものだらけだったというか。
今一番最初に出てきたのは福岡ですけど、もちろん広島もおいしいものがたくさんあって、広島焼き……お好み焼きが。広島焼きって言ったら怒られるんです(笑)。大阪の人は広島焼きって言うんで、記者会見のときに「広島焼き」って言ったらサポーターの人に怒られて。それも勉強になりましたね。広島に行ったので理解できたというか。
なので広島のお好み焼きのおいしい店を紹介しますね。「ねぎ庵」、本店が広島インターの近くにあります。町のほうでも、「ロペズ」っていう店があります。この2つはよく行ってました。
お勧めは普通のお好み焼きです。それで十分おいしいですし、「ロペズ」に関しては、味もいいんですけど店の雰囲気とかもいいんです。コの字のテーブルで店主が真ん中にいてそれをみんなで囲んで。個室もなく、みんなで頼んでワイワイ食べるみたいな。
僕は広島に行ってお好み焼きを食事の1回として食べることを覚えたんですよ。大阪のときはおやつ感覚じゃないけど、ちょっと買い物に行ったときに家族で1枚頼むとか、お持ち帰りで1枚頼んで小腹が空いたときに食べるとか、そんな感じだったんです。
でも広島では夜ご飯や昼ご飯でガッツリ行くような感じになったんです。それはすごい変わっちゃいましたね。お好み焼きってご飯で食べるんだ、昼食とか夕食とかで食べるんだって。
あ、しまった。食事って言えば、やっぱり何と言っても大阪ですよ。何でもあります。そこを外しちゃってました。結局、食べるものは大阪です(笑)。
丹羽大輝 プロフィール
ガンバ大阪ユース所属時代から頭角を現し、高校3年時にはトップチームに帯同。2004年、ガンバ大阪へ正式に入団して以降は様々なチームを渡り歩き現在はFC東京に所属。2015年にはハリルホジッチ監督率いる日本代表にも選ばれた。
1986年生まれ、大阪府出身
取材・文:森雅史(もり・まさふみ)
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。
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