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カーテンコールのその後も/Novel by 闇鍋ジョージ

カーテンコールのその後も

18,451 character(s)36 mins

すべてが終わったそのあとも、まだまだ物語は続くのです。というお話です。

つけなくてはいけないタグがついていない。
ついているはずのないタグがついている。
つまりはそういうことです。

※作品タグはつけないようにしています。大変申し訳ありませんが消させていただきました。

※タグで誤字のご指摘いただいた??
初体験なので、記念にタグと誤字を残しておきます(せっかく教えていただいたのにすみません)。
該当箇所みつけて笑ってください!

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⚠️キャプションを読んでください⚠️
ついていなくていけないはずのタグがついていない。つかないはずのタグがついている。
……つまりはそういうことなのです。





 ロイド・フォージャーが死んだ。
 
 その報せはあまりにも突然だった。
 ありえない。
 だってアイツとは昨日も一緒に過ごした。
 姉さんが作った最高の南部シチューとロッティの当たり前にウマい飯を食べて、姉さんが作ったケーキを食べてチワワ娘と撃沈する貧弱っぷりを嗤ってやった。
 でもそれはいつものことで、2人ともさっさと復活して、夏休みに行く避暑地の話をしていた。ユーリくんもどう? と誘われて、ボクは『休めたらな!』とぶっきらぼうに答えたんだ。
 ほんとうに。ほんとうにいつもどおりのアイツだったんだ。
 
 仕事を投げ出して駆けつけた病院で、アイツはもう冷たくなっていた。
 心臓発作だという。
 病院で医者が突然死なんてバカなと思ったが、診察の空き時間にひとりで診察室にいる間……たった30分の間に倒れて死んだのだという。
 病院職員の銀髪女はこんな時でも無表情で、泣いている姉さんに容赦なく書類の束をつきつける。
 横から奪い取ろうとしたが『あなたはご家族ではありませんので』と平坦な声で一蹴された。
 家族ではない。
 ボクは姉さんのように妻じゃない。アーニャのように娘でもない。
 最近のボクは、別に用などなくともフォージャー家に行っては、飯を食べたり勉強を教えたり一緒に出かけたりしたていた。
 だから錯覚していたんだ。
 家族になったつもりになっていた。4人でひとつの家族だと、そんな風に思い込んでいた。アイツが、姉さんが、アーニャが、そう思わせてくれていただけだったのに。
 銀髪女によれば、もともと心臓に持病があり、このところはとくに調子が悪かったのだという。
 ボクはアイツにつっかかることが多くて、ネクタイや胸ぐらを掴んで揺すったりすることもあった。
 ボクの照れ隠しがアイツの寿命を縮めていたかもしれないと思うと、なんで言ってくれなかったんだと責めたくなる。
 そしてなにより自分で自分が許せなくて、どうしようもなく苦しかった。
 ウソだ。ウソだ。こんなの全部嘘っぱちだ。
 アイツはすぐにひょっこり起き上がって、『やあ』なんてヘラヘラ笑うに決まってる。そしたら『この大嘘つきめ!』って罵ってやるんだ。
 そんな事を思いながらアイツの顔を睨んでいるうちに、人が仮死状態を保てる時間などとうに過ぎているのだと気づいた。
 銀髪女から渡された遺書はボクのものだけ薄っぺらくて、それが家族ではない証明のようで、腹の奥が重く冷たくなった。
 
 
 葬儀は滞りなく行われた。
 姉さんは泣きはらした目で、アイツとは契約結婚だったのだと教えてくれた。
 体の関係はなく、恋愛感情もなく、長年連れ添った夫婦のように穏やかな家族愛で満たされていたのだという。
 ボクの血のにじむ教育の成果で、晴れて『皇帝の学徒』となったアーニャは、アイツと血がつながっていないのだと教えてくれた。
 これには姉さんも驚いていて、アーニャは隠していたことを泣きながら詫びた。
 フォージャー家はいわゆる世間一般の普通の家族ではなく、ひとりとして血のつながりがない家族だった。
 それでもボクにとってフォージャー家は幸せの象徴で、どんな家族よりも素晴らしいのだとそう言えば、ふたりに泣きつかれて、両腕で抱きしめた。
 おい、ロッティ。これはボクの役目じゃない。ふたりを抱きしめるのはオマエだろ。
 涙は出ない。
 ボクはまだ、何も受け止められずにいた。
 
 ボクには墓場まで持って行くと決めたことがふたつある。
 ひとつはボクが秘密警察であること。
 もうひとつはロッティに恋愛感情を抱いていること。
 アーニャは妙にカンが鋭いところがあって、たまにバレているんじゃないかと冷や冷やすることもあった。
 変に気を回されて、ふたりきりにされたことも一度や二度……どころか十や二十でも足りない。
 それでもボクは何も告げず、ロッティも家族として接するだけ。
 敬語が消えて、「いらっしゃい」が「おかえり」になり、特別疲れた日の夕飯には好物が並んだ。仕事の愚痴なんかもお互いに話したりした。
 もちろん秘密警察であることは言えなくて表面的なことだけだったが、ロッティはボクの話をよく聞いて労ってくれて、ごくごくたまに、いいオトナだというのに頭を撫でられたりもした。
 
 
 ボクはロッティが好きだった。
 義兄としても、男としても、ほんとうにほんとうに好きだったんだ。
 
 
 日課の墓場通いが2年をこえた。
 たった数分墓石の前に立ち尽くすためだけに、急務と出張以外の時間外労働は控えるようになった。
 なにしろ毎日のことなので、墓前に花を手向けると山のようになってしまう。だから本当にただ墓の前に立つだけ。
 墓石を見下ろし、名前を眺め、没年を睨みつける。
 早すぎるだろ、と胸のうちで愚痴るのも、毎日のことだ。
 今日は誰かが来たのか、シロツメクサの花冠が置かれていた。
 ボクは相変わらずの手ぶらだけれど。
「こんにちは。いえ、こんばんは、でしょうか」
 帰り際に墓守に声をかけられるのにも慣れた。
 変な挨拶だ。
 そう思いながら見上げた空は、もう紺色に近い。
「こんばんは、ですね」
 欠けた月がぽっかりと出ていた。
「すみません。仕事が終わらなくて遅くなりました。急いで出ます」
「いいえ、今日はずっと開けておく予定でしたから」
 墓守は曲がった腰を叩きながら、目を細めて笑う。
「あなたのように来てくださる人がいらっしゃるとは、しあわせな方ですね」
 何百墓とある墓を管理する墓守にこんなことを言われるぐらい奇特なことなのか、と苦笑いをする。
 そりゃな、2年以上もほぼ毎日だ。出張で数日来なかった時には大層心配されたっけ。
「毎日通うぐらいには、大切な人なんです。……今も」
 世の中は冷戦が終わり、秘密警察は解体され、ボクは外務省に戻った。
 それだけの月日が過ぎている。
 けれどひとりきりの家に帰れば、よれよれになった遺書を眺めてぼーっとするだけの毎日だ。
 姉さんもアーニャもなんだかんだとふたりで騒がしく暮らしている。たまに行っては飯を食べたり勉強を見たり出かけたりもする。
 だけどそこにアイツはいない。
 ウソだろ。
 ひょっこり帰ってくるんだろ。そんで『やあユーリくん。おかえり』って言うんだろ。アイツが帰ってきた側のくせに。
 だけどいつまで待っても扉は開かないし、アイツは帰ってこない。
 ボクだけがあの日からなにも変われずにいる。
「とある国では、亡くなった方の霊が夏の数日間、地上を訪れるというならわしがあるそうですよ」
 墓守の嗄れた声を聞いて、ふと思考の渦から戻った。
「あまり興味がわかないな」
 アイツの魂が数日間……。
 うん、やっぱり興味がわかない。
「おや……理由をうかがっても?」
「霊では困るんですよ」
 勝手に死んで、勝手にボクたちを置いて行って、なにひとつ覚悟もさせてくれなかった。
「ボクは殴ってやりたいので、実体がないとダメです」
 じわりじわりと色濃くなる空を見上げて、ひとつ息をついた。
 せめて霊だけでも、だなんて殊勝なことを言うつもりはない。ボクはあの家族に出会ってから、ものすごく欲張りになったんだ。
「……それは一発もらっておかないといけないかな」
 突然墓守の語調が変化して、ボクは反射的にその場から飛び退いた。
「手をあげて膝をつけ!」
 そこまで言ったところで、懐には拳銃もなければ警察手帳すらないことに気づく。今のボクはただの外交官だ。
 墓守はゆっくりと手を……上にはあげず、自分の額にかけると、びりびりと皮膚を引き裂いた。
 足元に投げ捨てられたのは白髪つきのマスク。嫌な予感にうなじがちりちりと鳴る。
 金色の髪に青い瞳。見覚えのありすぎる顔に息が詰まった。
 でもそれは一瞬のこと。
 ゆるみかけた拳を握りしめ、まっすぐに突きを繰り出す。
 墓守だったはずのソイツは軽々といなしてボクの腕を取り、地面に投げ飛ばした。
「ああ、ごめん。つい」
 へらりと笑う顔は2年前とそう変わらず、ただすこし髪が長くなっているだけだった。
「キサマ……」
 ボクを投げ飛ばす体さばきにも既視感がある。ひったくりを投げたとき、拐われかけたアーニャを助けるとき。
 いつも誰かを守るために使われた投げ技だった。
 だからこいつは。
 こいつは、顔だけではなく、
「……ロッティ、か?」
 ありえないことだ。
 だってこいつは2年も前に死んだ。
 ボクは冷たくなった顔にも触れたし、棺の蓋に釘を打った。墓へも運んだし、黙々と土をかぶせて棺を埋めた。
 だからありえない。
 ありえないけど、ボクはアイツの顔も投げ技もこの笑い方も、嫌になるほど知っている。覚えている。
 絶対にありえないのに、それでもこいつがロッティ以外の何者でもないのだと、ボクがボクであるが故にわかってしまうんだ。
「やあ、ユーリくん。ひさしぶり」
 ロイド・フォージャーはそう言って笑った。
 
 それから先は戦闘だ。
 あの時はゴメンだとか、ほんとうは生きていたとか、死体は他人に特殊メイクをしただとか、掘り返したから今はカラだとか、墓守に変装したのは今日が初めてだとか、墓守は無事だとか、ひたすら無言で殴りかかりながらどうでもいい言い訳を聞いて、全部ギリギリで避けられて、更に頭に血がのぼった。
 姉さん仕込みの格闘術が、ただの精神科医のロッティに通じないわけがない。
「ロッティ、キサマ何者だ!」
「2年前までウェスタリスの諜報員をしていた」
 突然の告白に、大きく振りかぶっていた拳をびたりと止めた。
「……は?」
 上がりきっていた血の気が急激に冷えて、喉の奥がひきつる。
 コイツが? ロッティが? WISEのスパイ?
「オレは任務を終えて西へ帰還した。
キミたちを “始末” せずに解放するには、他に方法がなかった」
 〈ロイド〉が消えたのは、東西の国交が正常化された数週間後のことだった。
 ボクが病院へ駆けつけられたのは、国交正常化に伴う鬼のような忙しさが一段落ついたからで、家族を亡くした姉さんやアーニャに付き添っていられたのもそのおかげだった。おそらく撤退期限を最大限まで引き延ばしたんだろう。
 事情はわかる。何年にもわたる潜伏生活で濃密に関わったフォージャー家が始末されずに済んだのは、奇跡のようなできごとだ。最後まで疑われずに立ち去るには、跡形なく消えるには、〈ロイド〉が死ぬしかない。
 秘密警察をしていたからこそ、ボクにはわかる。わかるけど……
「姉さんとアーニャがどれだけ心配したと思ってるんだ!!」
 止まっていた時間を無理矢理動かして、力任せに一発殴った。
 おきれいな顔が歪んで唇が切れたが、ロッティは口元を拭っただけでほとんど表情を変えないまま、こくりとひとつ頷いた。
「ぼ、ボクだって!! ボクだって!!」
 2年以上も墓に通いつめた。
 他人の墓に、ウソの名前が刻まれて、ウソの生年と没年が刻まれた墓石を、毎日毎日睨みに来た。
 もしもう一度会えたら殴ってやると決めていたんだ。
 姉さんとアーニャのためには殴れた。
 でも自分の為にと握った拳はどうしても振り上げる事が出来ずに、震える拳を体の横でただただ握りしめた。
「……約束を果たしに来たよ」
 地面に落ちた墓守の顔のマスク。
 覆われていたのは顔だけじゃない。腕を掴んで引き剥がした先には、たまにボクを撫でてくれた、あの大きくて筋ばった手がある。
「約束ってなんだよ」
「え?」
「なんだよ。言えよ」
「え? ……えっ??」
 ロッティはぽかんと口をあけて、水色の目を大きく目を見開いている。
 こんなに驚いた姿を見たのは久しぶりだ。いや、死んで……なかったらしいけど、消えてたから2年以上も経つので、久しぶりなのは当たり前か。
 それにしたって驚きすぎだ。
「ユーリくん、オレ、遺書に書いたよな?」
「あのクソみたいな遺書か。だぁれがオマエの身代わりになんかなってやるもんか! バーカ!」
 ボク宛ての遺言書は、ロッティのかわりにフォージャー家を守ってほしいというものだった。
 姉さんとアーニャとボクとで一緒に暮らしてほしいと書かれていた。
 それがロッティの最期の願いだとわかっていても、ロッティのいない家で、ロッティのかわりに暮らすことなどボクにはどうしてもできなかった。
 姉さん宛ても、アーニャ宛ての遺言状にも、ありがとうとかごめんねだとか、言葉を尽くして無念の想いが綴られていた。
 でもボクのものだけは、ふたりを守ってほしいということだけし書かれていなかった。
「身代わり? オレはそんなこと書いてないぞ」
「はあ!? じゃあ自分で読んでみろよ!!」
 何を隠そう、ボクはこのクソったれの遺書を持ち歩いている。バカにされるのは承知で、バッグから取り出して突き付けた。
 ロッティはそれを開いてひと目見るなり、真顔でビリィィと真っ二つに裂いた。
「うわあああ!! おまっ、なにするんだよ!!」
 見る間に細かくなっていく遺言状に、ボクは絶叫した。
 ロッティがいなくなってから、これだけがボクの支えだった。願いに応えることはできなかったけど、毎日毎日何度も読んで、持ち歩いて、文字を指でなぞった。
 それが目の前で千切ってすてられた。正気でいられる方がおかしい。
「これは偽造だ。オレが書いたものじゃない」
「ハアアアア!?」
「これを渡したのは誰だ」
「フィオナ・フロストという銀髪の女事務員だ」
 ボクの答えを聞くなり、ロッティは片手で前髪をぐしゃりと掴むと、盛大な溜め息をついた。
「オレの部下だ。任務では非常に優秀なんだが、オレのプライベートを嗅ぎ回る悪癖がある」
「おい、それストーカーだろ」
「いや、ただの部下だ」
 ロッティはキリッとした顔で言い切ったが、確実にストーカーだ。
 そういえば銀髪女は姉さんに対する当たりがやけにキツかったし、アーニャもビクビクしていた。
「アイツなら筆跡のコピーぐらい容易い。オレはいくつか使い分けているが、〈ロイド〉は特に見慣れていただろう」
 ロッティはぼりぼりと首の後ろを書いてから、ちらりとボクを見た。
 次には斜め上の空を見て、またちらりとボクを見る。
「あー……、彼女がキミ宛ての遺書を弾いたってことは、つまり、オレがキミをどう思ってるかバレてた、ってことか」
「どうって?」
 首を傾げてロッティを見る。両側に残した横髪が頬にかかった。
「その前に、まず〈ロイド〉とヨルさんのことなんだが」
「姉さんから聞いた。契約結婚だったんだろ」
「……怒らないのか?」
 そう問われてはじめて気付く。
 ボクは怒らなかった。おのれロッティ姉さんを騙していたのかアアア!!! とキレて墓にスコップを突き刺しに走るぐらいはやっていた。以前なら。
 でもボクはホッとしてしまったんだ。
 姉さんの貞操は守られていて、だけどとても大切に優しくされていて……
 そしてボクが抱え続けた気持ちが姉さんを裏切るものではなかったと知れたから。
「姉さんはボクや秘密警察に怪しまれないため、そっちはイーデンの入試のためだろ。騙して惚れさせたわけでもない。ひどい扱いをしたわけでもない。怒る理由なんてない」
「うん。……だからこれは裏切りや浮気とかではなく」
 ロッティはそこで一度口を閉じて、咳払いをした。
「オレはユーリくんのことが好きなんだ」
「……は?」
 傾けた首を更に傾ければ、横髪が更に傾いて口元にかかる。
 ロッティの指がそっと髪をよけて、軽く唇が重なった。
「本当の遺言は、月並みな挨拶と、お礼と、お詫びと、それから……
『月すら消える闇の日も、シロツメクサは白く輝くだろう。どうかその日まで、元気で』と」
 ふわり、とロッティが笑った。
「は???」
 は??? だ。本当にそれしかない。
 ボクは今まで何を読んでいたんだだとか、さすって頬ずりしていたのはストーカー女の文字だったのかとか、ホンモノの遺言書は今どこだ読ませろとか、意味不明な文言を入れるからすり替えられるんだアホとか、そもそも月がなんちゃらの意味がわからないだとか。
 だけど結局まとめてしまえば、は??? 以外のなにものでもなく。
 怒りはふつふつどころではなく、噴水のようにドバドバと噴き出した。
「〈ロイド〉が死んで初めての皆既月蝕は今日だ。この墓地にはシロクツメクサが多く、花言葉は」
「知るかバカヤローーーー!!!」
 姉さん仕込みのパンチを腹に一発入れて、吹っ飛ばした。
「ボクは月食なんて興味ないし調べもしないし花言葉なんて姉さんに相応しい豪華で美しい切り花のしか知らないし、し、し、しかも今オマエ、キ、キ、」
「キスぐらいさせてくれ。ずっとガマンしてたんだ」
 地面に尻をついたまま、ロッティが笑う。
 そのひとことで。たったひとことで間欠泉並みに噴き上がっていた怒りはしゅんと鎮まってしまった。
 卑怯だ。
 ボクの世界に突然現れて散々たらし込んで、突然消えて。
 また突然現れたと思ったら、今度は男としてたらし込むのか。西のスパイは本当に恐ろしい。
「オマエは誰彼かまわず、そうやってキスするのか! お得意のハニートラップか!」
「任務以外はしないよ。プライベートでだって、2年以上も毎日墓参りしてくれる人以外にはしないさ」
 そういえばさっきコイツが墓守だと思い込んで、毎日墓参りだとか今も大切だとか面とむかって言ってしまった。
 ぶわっと顔が熱くなる。
 コイツは何もかもがウソだらけ。だけどボクはまだコイツの事が好きなまま。
 おかしいだろ、このゲームはどこまでもロッティのペースで、ルールなんてひとつもなくて、そもそもボクにハンデがありすぎる。
 ボクはぐぬぬと口を曲げると、視線の先にある月を見た。さっきよりも大きく欠けている。皆既月食って言ってたな。
「なんで今日なんだよ。残業で危なかったぞ」
 聞いておいてなんだが、墓守に金でもつかませたんだろう。東では今もまだ賄賂が蔓延っている。
「誰にも邪魔をされたくなかったからな」
「なんだソレ」
「何回忌とか、月命日とかだとバレるだろ。2年以上も経てば監視の目もゆるむ。それに……月すら隠れる闇夜に紛れて好きな男へ会いに行く、だなんて元スパイらしいだろう?」
 ロッティが得意気に笑うが、ボクは半目だ。
「それ以前にボクが気付かなかったじゃないか。遺言自体届いてなかったし」
「大失態だ」
 元スパイが墓場にへたりこんだまま苦笑いだ。
 つられて僕も笑ってしまう。
 あまりに有り得ないことの連続で、色々どうでもよくなってしまった。
「ボクの家に来るか?」
「公務員住宅はちょっとな」
 コイツ本当に何でも知ってるな。
 げんなりしながら手を取って、立たせてやる。
「いいホテルに泊めてやる。ボクは高給取りだからな」
 楽しみだ、とロッティは笑って、それからボクにもう一度キスをした。
 
 
 スイートルームを取ったボクは、大して喜びもしなければ珍しそうにもしていないロッティにムカついた。西のスパイは一流ホテルにも来なれてるってわけか。
 ただエレベーターに乗ってから手をつながれて舞い上がった。ちょっとだけな。
 そんなふわふわした状況から椅子にかけさせ、ニコッと笑ってロッティの前に立った。
「オマエ、なんで東へ来た? 潜伏はいつから? 関わった事件は? ミッションは達成はできたのか?」
 さあ、楽しい楽しい尋問だ。
 フォージャー家に連れて行かなかったのはこのためだ。
 ボクが早口に並べたてると、ロッティは少し困ったように笑った。
「どれも答えられないと、ユーリくんならわかると思うんだけど」
 眉をひそめて見下ろすと、ロッティは親指で喉を掻っ切る仕草をした。
「キミたちに処刑されちゃうだろ?」
 ああ、もう解体したっけ。
 小首を傾げてそう呟くロッティを呆然と見下ろす。
 ボクたちに処刑される。
 つまり、
「……オマエ、何を知っている?」
「国家保安局〈SSS〉、ユーリ・ブライア少尉。ああ、3年前に中尉に昇級したね。勤務年数が足りずに大尉への昇級を足踏みしたまま組織が解体。優秀でも若さがネックになるのはもったいないことだ」
 全身から血の気が引く。
 知られていた。よりによって好きになった男に。よりによって西のスパイに!
 階級と昇級システムまで把握されていた。それはボクがいつどの階級で秘密警察に入り、いつどんな手柄を立てて昇級し、どのタイミングで何をして本来大尉になれるはずの功績をあげたかという事まで知られているということだ。
 ボクは秘密警察の仕事を恥じたことはない。姉さんのいる国を守るためだ。手段なんてどうだってよかった。
 だけど汚れ仕事だということは十分理解していて、『家族』には絶対に知られたくないと思っていた。その『家族』にも知られていたということか。
 ボクは気合いだけで踏みとどまると、足を肩幅に開いて、手を後ろで組んだ。
 慣れた姿勢は心を平穏に保たせてくれる。
「……いつ・どこで・何をしたときに気付いた? 他に誰が知っている」
「初めてあった日に、ウチでフーガリアの話をしたとき。WISEには報告したけど、それ以外は誰にも言っていないよ」
 これには即座に全ての答えが返ってきた。
 そして能面面のまま愕然とする。
 まさか初対面だとは。
 こいつは西のスパイで、ボクが秘密警察だと最初から知っていながらずっと家族のように接してきたというのか?
 こいつの心臓には毛が生えているのか? いや、持病の心臓病が……待て、あれはウソだった。本当にウソか? どこからどこまで? むしろ本当のことなんてあるのか?
「オレは東のマニュアルを知っていた。フーガリアに関する最新情報も持っていた。だから気づいた。それだけだよ」
 混乱するボクを前に、ロッティは淡々と答えた。
「……ボクと接触するために姉さんに接近したのか?」
 ふと、契約結婚なのだと言った姉さんの顔が脳裏に浮かんだ。
「まさか。ユーリくんまで洗う時間がなかっただけだ。身内に秘密警察がいるとわかったら、最初から近付かないよ」
「ハアアア!? 姉さんは美人で可憐な女神だろう!? 惚れないなんてどうかしてるし、ボクがいたら声をかけなかっただなんて、オマエの目は節穴か!」
 ガンッと、思い切りスネを蹴飛ばすと、ロッティは心底おかしそうに笑った。
「どっちにしろ怒るじゃないか」
「ごまかすな! ボクと接触するために姉さんと結婚したのか!」
「言えないことは何をされても絶対に言わない。だからオレが言うことは本当。ユーリくんのことは知らなかったよ」
 ボクは尋問のプロだ。やろうと思えばクスリも道具もなくたってそれなりにできる。
 だけどプロだからこそ、コイツは何をやっても絶対落ちないとわかってしまう。
「オレはもうスパイじゃない。過去の任務以外で隠すべきことは何もない」
 無事本国に帰って、生きている。
 今まさに隠れて東に入国している時点で怪しいといえば怪しい。
 でもコイツのことだから、ボクが今ただの外交官以上のことをしていないことも、今のところ東西にこれといった大きな火種がないのも知っているのだろう。
 ボクは大きなため息をつくと、後ろで組んでいた手をほどき、頭を振った。
「もういい。……さっきからずっと気になってたんだけど、『オレ』ってなんだ。ロッティは『ボク』だろ?」
「そうだ〈ロイド〉は『ボク』。でも〈オレ〉は『オレ』だ」
 わかってはいたけど、結構堪える。
 ウソをつくのが仕事で、ウソで自分も国も守ってきた。
 だけどいくらなんでもウソが多すぎる。一人称なんてそんな些細なウソですらボクにとっては裏切りだ。
「……本名は?」
 ボクが問いかけると、髪と同じ色の眉が困ったように下がった。
「捨てた。戸籍はない。住んでいた町はもう消えて地図にはのってない。
 本国では以前軍で使っていた名前を名乗っているけど、どっちにしろ偽名だし……あまりキミには呼ばれたくないな」
 ボクはユーリ・ブライア。
 ニールバーグ東部の出身で、正真正銘姉さんの弟。今は外務省で外交官をしている。
 そんな簡単な自己紹介すらコイツはできないというのか。
「……なんでもいい。オマエ自身のことを話せ」
 ロッティは腕を組んで首をひねると、うーんと唸った。
 難しいことじゃないだろ。〈ロイド〉の時はペラペラ喋ってたじゃないか。
「特技は変装。趣味は……なんだろうな。最終学歴は、訓練の一環で入ったウェスタリス国立大学医学部だけど、偽名だから学位も資格もないんだよな。
 ということはオレの最終学歴は基礎学校の4年生か。ん? それも戸籍がないから証明できるものはないし……。学歴ナシ、だな」
 うん、とどうということもなさそうにロッティが頷く。
 基礎学校? 小学校? 小学4年まで? それで名門大学を卒業できて、精神科医をやっていた?
 ロッティは話せばすぐわかるほどに知的で博学で、ボクはロッティに負けじと色んな本を読んだものだ。それが学歴ナシ?
「今は軍属で、過去の資料の管理をしている」
 資料の管理?
 そんなのコイツにやらせることじゃないだろ。専門分野がまるで違う。まさか薄暗い書庫に閉じ込めているのか?
 誰だよ、西は人道的だなんて言ったヤツは。まるっきり嘘じゃないか。
「……西は、国の為に働いたアンタに戸籍ひとつすら用意しないのか」
 自然と声が低くなる。
 ロッティは今までの困り顔を一層困らせて、それから俯いた。
「仕方ないさ。野放しにはできないだろ。オレは〈黄昏〉だ」
 さらりと告げられたそのコードネームに、めまいがした。
 体中の血が激しく暴れまわる。震える手を握りしめて、奥歯を強く噛み締めた。
 ボクは最も警戒すべき脅威と親しくなり、家族だと思い、あまつさえ恋心を抱いていた。
 こんなバカな話があるか? こんな間抜けな保安局員がいるか?
 姉さんといるロッティは、器用でソツのない夫だった。それだけだったらスパイを疑ったかもしれない。
 でもアーニャといるロッティは、いつも頭を抱えたり駆けずり回ったり、叱ってほめて一緒に笑う、そんな疑いようもなく普通の、いや普通よりだいぶハードワークな父親だった。
 違和感を感じなかった唯一の理由はそれだった。
 ボクは一度たりともロッティを疑わなかった。
 ロッティの得意料理は玉ねぎを丸ごと煮込んだもので、そこにホワイトソースがたっぷりとかけられていた。
 幾重にも重なったウソを、仕上げのように極上のソースが覆い隠している。
 コイツそのものじゃないか。
「オレの正体に気付かなかったのはユーリくんの落ち度じゃない。自分で言うのもなんだけど〈黄昏〉は結構デキる諜報員だった。
 バレたらその時点でキミたちを “始末” しなくてはいけなかったしね。オレも必死だった」
 ロッティは冷静な自己評価のあとに、有り得たひとつのバッドエンドを示した。
 『結構』どころじゃない。ボクも含めて、東国中が〈黄昏〉を探し回った。〈黄昏〉さえ潰せば東は安泰だと思い込んでいた。それほどの価値があるエージェントだったんだ。
 それがコイツ……。
 何もかもを持たない、全てを捨てたコイツ。
ボクは大きく息を吸い込んだ。
そして覚悟を決める。
「………オマエに戸籍と旅券をくれてやる」
 ボクはバカだ。
 自分のことをバカだなんて思ったことは今まで一度だってない。
 でも今、ボクはバカだ。東西あわせて一番のバカだ。
「西からも東からも、さっさと出ていけ! これは散々騙されたボクからの復讐で命令だ。オマエに拒否権はない!」
 早口でそう言って、カバンから世界地図を引っ張り出す。
 床に広げて、その前にドカッと座った。
「いいか。オマエはずっとこの辺をウロチョロしている」
 地図の中央をタンタン、と指先で示す。
 次に手のひらを目一杯に広げて両手で地図を叩いた。
「どこでもいい。本や映画に出てきた国でもいい。選べなければ目を瞑って指差したところにすればいい。オマエが選んだところならどこだって、ボクが飛ばしてやる!」
 西で持て余している影の英雄の鳥かごに、ちょっと細工をするだけだ。
 そのぐらい今のボクにだってできる。
 ボクはやる。
 この大嘘つきでからっぽで、でも心の底から好きになってしまったヤツのために、ボクはもう一度だけ手を汚す。
「……ありがたいけど、」
「償いだ! 姉さんとアーニャへ償え!」
 ボクはバカだ。
 ウソまみれのコイツを未だに好きでいる。
 さっきの話だってどこまでホントかわかったもんじゃない。ボクの同情を買って、抱き込むなり利用するなりするためのウソかもしれない。今ボクがこうやっていることすら、計算済みかもしれない。
それでもいい。なんだっていいんだ。
「世界はこんなに広いんだ! 目障りだ! オマエなんかどこへなりとも行ってしまえ!」
 ばん、ともう一度地図を叩く。
 ずっと好きだった。死んでもまだ好きだった。全部まやかしだとわかった今も好きだ。ウソかホントかわからないけど、コイツもそうだと言う。
 じゃあこれがハッピーエンドか?
そんなわけがあるかよ。
 睨みつけた地図にはいくつも染みがついている。その染みはボクが瞬きをする度にふたつずつ増えて、そのうちどこかの島国が水没しそうだ。
「……泣くな」
 首の後ろに手を回されて、ぐっと強く引き寄せられる。
「頼むから、泣いてくれるな」
 〈ロイド〉とは違う匂い。
 アーニャがおまけ欲しさにねだった洗剤の香りも、姉さんが飾った花の移り香もしない。
 病院特有の消毒薬の匂いも、コイツが作った飯の匂いもしない。
「ふ、っう、」
 食いしばっても嗚咽が漏れて、ロッティの肩に顔を押し付けた。
「……行けよ、チクショウ!!」
「ありがとう、ユーリくん」
 両想いになれたからって、こんなのハッピーエンドじゃないだろう。
 こいつが何もかもを捨てて、何もかもを失って出来上がった平和の下、墓みたいなところにコイツを閉じ込めておいたままのハッピーエンドなんて、ボクは断じて認めない。
「好きだ……オマエが好きだ。だから、頼むからどこか遠くへ行ってくれ!」
 額を押し付け、背中に手を回してジャケットを握り締める。
 行けと言っているくせに、身体はちっとも言うことを聞いてくれない。行くな、行くなと抱き留める。
 ボクはバカだ。
 外交官へ戻って、もう後ろ暗いこともなく姉さんの前に立ったのに、また手を汚そうとしている。
〈黄昏〉を放つなんて、重罪だ。
 だけど放っておくわけにはいかなかった。
 墓の下から出してやりたい。
 それをできるのは、思い上がりではなくボクだけだ。
 仕方がないとあきらめ切った顔で笑うコイツを殴り飛ばせるのはボクだけだ。
 だってコイツはボクに執着している。
 自分からのこのこと東に来るぐらい、ボクに会いたがっていたんだ。
 ボクは信じる。ボクを信じる。
 ボクが、ボクこそが、ボクだけがロッティを飛ばしてやれる。
「墓守のじいさんから聞いたよ。近々在外公館へ赴任するんだろう?」
 耳元で、大好きな声がゆっくりときこえる。
 背中をあやすようにさすられて、ぐっと涙を飲み込んだ。
「それがどうした!」
「オレはそこにするよ」
 ボクは思い切り頭突きした。
「バカか! ボクは自分で選んだところへ行けと言ってるんだ!」
「好きなところへ行っていいんだろう? だったらキミの行くところがオレの行きたい場所だ」
 ……忘れていた。
 コイツはタラシだった。天然のタラシで、ボクは現在進行形で沼にハマっている。
「戸籍は自分で買う。伝手がひとつだけ残っているんだ」
 ロッティはボクの涙だらけの顔を拭って、それからボクの頭を撫でた。
「キミはもう本物の外交官だ。外交官として活躍して、オレに世界を見せてくれ」
 ボクを撫でていた優しい手のひらが、涙だらけの世界地図をゆっくりとなぞった。
 

 ボクの新しい勤務地が決まったのは翌週のことだった。
 フォージャー家に行ってそれを告げれば、姉さんは俯いて、美しい唇を引き結んだあと、眉を下げて笑った。
「少し寂しいけど仕方ないです。お仕事、がんばってくださいね!」
 女神ィィイイ!!!! 姉さん圧倒的女神ィィイ!!!
 ボクは姉さんのいない国でやっていけるだろうか。
「ボクがんばるよ!! 世界一の外交官になるからねっ!!」
 ひさしぶりに姉さんの極上の手料理とアーニャのクッキーを食べた。
 形はイマイチだが、このレシピがロッティのものだと、ボクは知っている。
 向こうでロッティに作ってもらおうかな。あとは新鮮な魚が入ったらカルパッチョとか……まあ酒を持って帰ればなんか合ったもんを作るだろう。器用なヤツだからな。
 そんなことをつらつらと考えたところで、アーニャがドパアッとココアをこぼした。
「うおっ、あっっつ!! なにしてるチワワ娘!!」
 思い切り腿にかかったが、アーニャはボクの顔を見ているだけで、全く動かない。
「アーニャさん! こちらは私がやりますから、ロイドさんの部屋からズボンを持ってきてください」
 アーニャは姉さんに急かされてリビングを出たが、何度もこちらを振り返る。様子がおかしい。
「ボクは怒ってないぞ。バスルームに持ってこい」
 バスルームでアーニャが持ってきてくれたズボンを履いて、げんなりした。
 クッッソォォ! 脚長いなチクショウ!! 尻やウエストまわりもなんだかゆるい。アイツ筋肉ついたからな。今これ履けないだろうな。後で履かせてみよう。
 ふと気がつくと、ドアの隙間にアーニャの顔がある。
「オイ、着替え覗くな! スケベ罪で訴えるぞ!」
 ロッティも覗かれてたのか? 後で聞いてみよう。
「……おじ、アタマおかしい?」
「オマエにだけは言われたくないな!」
 くそっ、教育どうなってんだ? 情操教育は姉さんが天使すぎて人間にはまねすることなど不可能だろうから、ロッティがやるべきだったんだ。後で文句を言ってやろう。
「おじ、何かあったか?」
 ぐっ、また何か謎のカンの良さが発動してるぞ。
 言えるわけないだろ。ロッティが生きていたとか、西で飼い殺しにされてたから攫って駐在先に連れて行くだとか、本当は挨拶したいのにふたりを危険にさらしたくないからと言ってホテルで膝抱えていじけてるだとか。
「オマエのアホさに呆れたぐらいだ」
 ふん、と鼻をならすと、ぶわりとアーニャの目に涙が溜まった。
「え?」
「ぶわーーーーーっっ!! おじィィィ!!!」
 大量の涙を零しながら、アーニャが僕に飛びついてきた。
 ウエストと尻がゆるいデニムにしがみつかれて一瞬焦るが、それどころではない。
「えっ? は??」
 ヤバい。こいつを泣かせるなと今朝も散々釘をさされてきたんだ。どんだけ親バカだ。
「ままままて! アホというのは、その、あーなんだ。あ、あいじょ」
「びぇえええーーーー!! よがっだあああ!!」
「聞けよ!! ああもう、ヤケドなんてしてないからな! ズボンもホラ入ったから! 若干ゆるいけど!」
「あ゛あ゛あ゛ーーーー!!! ぼぇえええーーーー!!」
 ホントこいつがあの名門イーデンの特待生だなんて未だに信じられない。ロッティがなんか細工したんじゃないだろうな?
「じでない゛ーーーー!!」
「ならいい。ホラ、泣き止め。姉さんにまたココアいれてもらえ」
 一生会えないわけじゃない。しばらくは隠匿生活だけど、落ち着いたらふたりとも呼ぼうと決めている。それまで忘れられないといいな、ロッティ。
 もう抱き上げるのは憚られる年齢だが、チワワ娘はまだまだ小柄だ。
 それに次会えるときにはもう立派なレディに……いや、それはないな。
 泣きながらゴスッと頭突きをくらわせてきたので睨みつける。
 本当にこのチワワ娘は無軌道すぎる。
 片付けを終えていた姉さんはすでにココアを用意してくれていて、ギャン泣きしているアーニャの頭を撫でてなだめている。
 ねねねねねえさーーーーん!! 美しいよーーー!! 慈母像かな??
 そこでボクはひらめいた。
「姉さん、今から写真屋にいかない?」
「えっ? 今からですか?」
 ふふん。ロッティに写真をくれてやろう。アイツはフォージャー家が大好きだからな。それに2年以上も会っていない。泣いて喜んでボクにひれ伏すに違いない。
 もちろんボク用に姉さんひとりの写真も忘れない。
「母、アーニャ行きたい! 写真撮る!」
 さっきまで泣き叫んでいたチワワ娘が突然スクっと立ち上がり、部屋へ突進していく。
「姉さんもほら、着替えて。あの黒いドレスはどうだい? 薔薇の髪飾りが……おい、チワワ娘。なんだソレは」
 もう中等部に上がったというのに、アーニャが抱えているのは縫い目だらけの巨大なペンギンのぬいぐるみだ。
「マストアイテム!」
「ふふふ、そうですね! 椅子に座らせて、ロイドさんのかわりにしましょう!」
 おいロッティ、おまえのかわりはデブのペンギンだ!
 必死に笑いをこらえて、姉さんが着替えに行った隙に写真屋に電話をする。
 もう店じまいだと言われたが、自分は外交官で、外交旅券の写真を撮り忘れていたことと、しばらく家族と離れるので家族写真を撮りたいのだと、しおらしく訴えてみた。交渉成立。
 秘密警察時代なら手帳を見せれば一発だったのにな、と内心でぼやく。
「おじ、嘘つき」
 いつの間にか制服にインペリアルスカラーのコートを纏ったチワワ娘が横にいて、じっとりと睨まれた。
「必要悪だ」
 そう答えれば、チワワ娘はケヒヒと笑って、ひつようあくーひつようあくーと変な踊りを踊っている。
必要悪の塊だったボクは、少なからずダメージをうけた。


 写真を撮った帰り道。途中の道で別れようとしたところで、アーニャに公園へ引きずり込まれた。
 母は待ってろ、と姉さんに言い置いてふたりきりになったはいいが、姉さんが変な男にナンパでもされたらどうするんだ。
 そわそわと落ち着かないボクをしゃがませて、アーニャも一緒にしゃがみこむ。
「おじの宿敵に伝言だ」
「は?」
「母はまかせろ、アーニャがまもる」
 アーニャの大きな緑色の瞳は、普段なら何を考えているかすぐにわかる。
 それが今は何も読むことができなかった。
 母というのは姉さんのこと。
 アーニャが守ると伝える? 宿敵に?
 ボクの宿敵といえば〈黄昏〉だ。
 コイツは〈黄昏〉のことを知ってるのか?
 ロッティが〈黄昏〉だということも?
 それが今生きているということも?
 いや、ロッティはふたりには話していないと言っていた。だからこそボクらは3人揃って無事でいる。
 でもコイツの口ぶりは、まるで……
 眉をひそめるボクに、アーニャは大きく頷いた。
「おじ。アーニャ、もうひとつヒミツある」
 ニタリ、とアーニャが笑う。相変わらず知性の感じられない顔は、インペリアルスカラーのマントには不釣り合いだ。
「アーニャ超能力使える。おじの心は筒抜けだ」
 突拍子もない言葉に、ふ、と気のぬけた笑いが洩れた。
 ボクは非科学的なものは信じない。だから超能力も信じない。
 ただこのおかしな姪にはなにか不思議な力がある。そう考えないと説明のつかないことが、あまりにも多過ぎた。
 まあいいや、本人がそう言うんだから、超能力ってことにしとこうか。
「あんまり覗くなよ」
 こんこん、とピンク色の頭を軽くノックすれば、アーニャは両手で頭をおさえて笑ったあと、きりりと口元をひきしめた。
「任せたぞ、おじ」
 超能力とやらを信じるならば、完全にバレている。
 ボクがロッティに会ったことも、この狭い世界から連れ出そうとしていることも、アーニャには何も告げずに行ってしまうことも。
「任された。……姉さんは任せるぞ、姪」
「アーニャ、がんばるます!! “皇帝の学徒” になって、えらいひとになって、ははにおいしいものたべさせたいと おもってるます!!」
 それは初めてコイツに会った日のこと。
 初めて勉強を教えた日とおなじ言葉。
 今にして思えば当時は随分な棒読みだったけど、今はとても力強い。
 姉さん、姉さん。
 ロッティは元スパイでとんでもない大嘘つきで、アーニャは超能力者でなかなかな嘘つきで、ボクは元秘密警察で相当な嘘つきです。
 姉さんに限ってそんなことはありえないと思うけど、姉さんにももうひとつぐらい隠し事があったところで、ボクらは何も変わらないよ。
 身をかがめて目線をあわせ、トレードマークの髪飾りの間に手のひらをのせた。
「オマエのことも心配だ」
「問題ない。アーニャめちゃ強い」
 いうがはやいか、高速の突きが顔面めがけて飛んでくる。慌ててバッグで受け止めた次の瞬間には、がら空きになった腹にフックが入る。それがヒットする直前で、ぴたりと拳は止まった。
「おじ、なまったな」
「つっっよ!! おま、なに!?」
「アーニャ、母の弟子」
 にやり、とアーニャは昔からよくやる三日月のような目で笑う。
「強くなるのは大事だけど、勉強もしろよ。
 知は力だ。世界を広くして、薬を作ってロケット飛ばして世界征服しろよ」
「……そうすれば、会えるか?」
「会える。外国語には特に力を入れろ。国際的な公用語を3つは極めろ。できれば6つだ」
 誰に、とは言わなくとも通じるだろう。
 アーニャは力強く頷いた。
「待ってるぞ、チワワ娘」
「母もつれて行くからな!」
「当然だ!!」
 アーニャを肩に担いで愛しの姉さんの元へ戻れば、気障ったらしい男が口説いていた。ボクが怒る間もなくアーニャが肩から飛び降りて、その勢いのまま蹴りをかまして退治した。
 合格だ、姪。姉さんはまかせたぞ。


 フーガリアの首都、オブダの端にうまい店がある。
 そんなウワサが広がりはじめたのは、店ができてすぐのことだった。
 黄昏時になると、店主がふらりと……いや、時々猛ダッシュで現れて、店を開ける。
 あまり若くはみえないが、昼間は大学に通っているのだという。
 店内はせまく、店主ひとりで切り盛りできる分しか客を入れない。
 人当たりのいい店主が作る料理は安価でうまい。
 閉店時間間近になると、きまって黒髪の若い男が入ってくる。注文せずともトレーに載った料理が出されて、時折店主と短い会話をかわしては笑い合う。
 closed のドアプレートをかける頃には程よく酔っ払った黒髪の音がテーブルに突っ伏していて、客は皆黒髪を残して店を出るのが日常だ。
 店に看板はなく、店名もない。
 面倒くさくてつけていないんですよ、と店主はへらりと笑うのだ。

 人影がふたつ。犬影がひとつ。名もなきレストランの前で止まった。
「落ち着くのです、私。スー……ハー……。
 も、もしもぉし!!」
 次の瞬間、轟音と共に小さな店が爆発四散した。
「あの、や、夜分遅くに申し訳ありま」
「母、ノックでかい。レストランこわれた」
「はっ! どうしましょうアーニャさん!」
「おじ、母つれてきたぞ。父、アーニャめっちゃ飛び級でオブダ大合格した」
「「ハアアアアアアアアア!?」」
 埃やら木片まみれになった男がふたり、絶叫しながら瓦礫の山から飛び出した。
 そこに超大型犬が乱入して、ちいさくひっそりとした店……だったはずの路地は突然騒がしくなった。
 
 
 首都オブダに、またうまいレストランができた。
 開店時間は黄昏時。どこかで見かけた気さくな店主に、愛想のいいウェイトレスがふたり。やたら動きが素早い美女と、やたらオーダーのはやい小柄な娘だ。
 看板犬は蝶ネクタイをつけた超大型犬。皿やグラスが落ちそうになると、なぜか既にそこにいてキャッチする。
 一番の得意客は閉店間際に現れる、これまたどこかで見かけた黒髪の若い男で、カウンターの左端は彼の為に常に空けてある。
 ウェイトレスたちに手を出すと、文字通り店を蹴り出される羽目になる。その後ふらりと黒髪の男が出て行って、翌日セクハラ野郎が川に浮かぶとか浮かばないとか。
 名物は目玉焼きののった、オスタニアの南部シチュー。
 少し前までオブダでシチューといえば『カルパティア』だったが、素朴な郷土料理は味わい深く、『カルパティア』と並んで名をあげられるようになった。
 
 黄昏時から夜の間だけ賑わうその店は、名を『フォージャース』という。

Comments

  • 梅月
    January 27, 2025
  • 朔夜

    理想のユリロイと物語の終着点だなぁと... さいっこうでした!!!テンポがよくてスルスルっと読んでしまいました...! 素敵な物語をありがとうございました。

    January 4, 2023
  • 月永

    最高です。 ユリロイベースだけど、こってりしすぎず、切ない話も織り交ぜながら、温かく『日常』を描いていて——… オチも良き。アーニャの秘密をアーニャがあの顔で言うシーンもめっちゃよかった!信じてなさそうで一人の人間としてアーニャを信頼してるおじ、家族一人一人のことを愛している黄昏

    December 14, 2022
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