囮調査と猫被りの一般市民
Twitter再掲
ユリくん本編登場記念
◾️秘密警察のお仕事中のユリくんが思わぬ人と遭遇する話
ユリくんだって優秀に違いないのに、覚悟と経験の差で黄昏に一歩及ばないというのと、一般市民の猫かぶってる敏腕スパイが好きです。ユリロイ増えて欲しいな〜
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ユーリは国家保安局の所属だ。秘密警察と呼ばれるそれは、東国の平穏と繁栄そして治安維持のために存在していて、主な仕事はスパイ狩りや市民の監視である。
あくまで、前線の諜報員や協力者からの情報をもとに売国奴を捕捉の後、“お話“をするのが仕事であって、身分を偽り一般人として現場に赴くなんて本業じゃない。
「離せよ!なんなんだお前ら!」
「大人しくしろよ。見かけによらずやんちゃだな」
両手を背中で拘束された状態ではろくに抵抗できず、明らかにカタギではない男に連れられるまま階段を降りていく。地下へと続く空間の光源は乏しく、足下はかろうじて確認できない。
怪しまれない程度に抵抗を続けていると、(途中からは捕まれる手首から伝わる男の体温が気持ち悪くて、抵抗が本物になっていったことは否めない)不意に男の歩みが止まる。
目の前には無骨な鉄製の扉があって、ユーリを拘束したままに男は、鍵穴にキーを差し込むために、ドアノブに手をかけた。
ガチャリという音を鳴らして、空間が開かれる。
「入れ」
「ここは……?」
「兄ちゃんが知る必要はねーよ」
男が言い切る前に、ユーリは部屋に放り投げられる。怪しまれてはいけないから、受け身も取らずに床に転がった。
「痛っ…」
「じゃあな、兄ちゃん。また来てやるよ」
バタン!と勢いよく扉が閉じられるとすぐに耳に届いた足音は小さくなっていき、すぐに何も聞こえなくなった。人の気配は一切感じられない。
(よし、これで潜入成功。あとは俺を本拠地まで連れてってもらってから、先輩たちに信号を送る。そうすれば任務完了…)
国家保安局に人身売買組織の情報がもたらされたのは数ヶ月前のことだ。健全な一般市民を老若男女問わずに誘拐し、他国で取引された後の資金を元手に国家転覆を目論んでいる——
迅速な事態解決のため他の国家機関も動いていたが、なかなか尻尾を掴めずにいたらしい。
手詰まりに手詰まりを極めた結果、白羽の矢が立ったのが、ユーリが所属する秘密警察だ。抜擢の理由は、ターゲットに勘付かれずに正体を暴き、最小限の抵抗さえ許さず拘束することに長けているから——らしい。
人身売買組織の確認を国、もといボスから命じられたユーリは一般市民を装いわざと誘拐された。
この件に巻き込まれた成人の行方不明者たちは、夜中に人気のない路地にて確認された以降の消息が不明だった。だからわざと、どこにいるかも分からないターゲットの獲物になれるようにユーリは夜の街を一人歩き続けた。
そうして、唐突な頭部への衝撃と意識の混濁を引き換えにユーリの“夜の散歩“は7日目にしてようやく報われたのだ。
車から降ろされ、地下へと続く階段を降りるよう脅された時、横目で見た街並みは東国のもので間違いなかった。自分はおそらくまだ国外へ連れ出されて居ないだろう。
扉には人が立った目線の高さに小窓が設置されていて、体勢を立て直しつつそこから漏れる光を頼りに周囲を見渡した。
ユーリのネクタイピンには発信機が搭載されていて、決められたダイヤルを回せばユーリの居場所が秘密警察に伝わるようになっている。ユーリの任務はあくまで、組織の存在を確認し本拠地の在処を明らかにすることだ。
壊滅や被害者の保護は実戦部隊の管轄だから、ユーリはユーリ自身の命だけを気にかけていれば良かった。はずだったのだが、
「…ユーリくん…?」
「は?」
戸惑いがちに自分の名を呼ぶ男の存在に、ユーリの思考が強制的に中断された。
「な、なにしてるんだい?こんなところで」
「…それはこっちの台詞だ!」
ユーリと同じように両の手を拘束され、おとなしく座っている目前の男——ロイド・フォージャーは目を大きく見開いて、驚愕の意を示していた。
「なんでお前がいるんだよ!?」
「…仕事場から家に帰る途中、忘れ物をしたことに気づいてね。取りに戻るために近道しようとして裏路地に入ったら突然頭を殴られて…気付いたらここに居た」
土埃に塗れつつも上等なスーツと革靴姿はまさしく仕事帰りの男のそれだ。真っ当に労働の義務を果たしていたのにこんなことに巻き込まれて、気の毒なやつだなと同情してしまう。
言葉の外で、君はどうして?と問われているのだろうと察して、ユーリはため息を吐いた。
「僕も仕事帰りに近道しようとして…アンタとだいたい同じ」
人身売買組織の壊滅の為に囮調査をしてました、なんて言える訳もない。相手は姉の結婚相手というユーリにとっては忌々しい男ではあるがそれ以前に何の力も持たない健全な一般市民である。おいそれと自身の勤めを明らかには出来ない。
(くそっ…よりによってコイツ…何捕まってんだよ!姉さんに余計な心配かけさせんな!この野郎!)
だが、被害者の一般市民を発見した場合、保護するようにとも命を受けている。
憎い相手ではあるが、目前の男に万が一があれば最愛の姉は悲しみに暮れるだろうし、ユーリの世界の全てである姉の涙が溢れるなんて許されるものではない。
「大丈夫?怪我はない?」と義理の弟の身を案ずる声を聞き流しながら、ユーリの脳は状況に応じた目標を再構築し、明文化してしまう。
——ユーリの立場を明らかにせず、その上でロイドを守りながら帰還しなければならない。
「ボクは大丈夫だ。殴られたけど痛みは引いた。ロッティは?」
「僕も平気。……ねぇ、ユーリくん」
「…なに?」
静かで、それでいてはっきりとした声がユーリの鼓膜を刺激する。
「…頼りになるか分からないけど…二人で生きて帰ろうね」
「当たり前だ」
ユーリは知らない。
ロイドが黄昏という名の西国一の敏腕スパイで、黄昏もユーリと同じく潜入調査の為にわざと誘拐されていた事実を。その上で、自身の任務の為にユーリを気絶させて自身の姿を知られない内に諸々を済ませて、気を失っているユーリを抱えて二人で帰還しよう—と、考えているなんて。
一般市民である姉の結婚相手を守る方法の考えを巡らせるユーリは、知る由もない。
お粗末な両手の拘束を解いたロイドが、気配なくユーリの背後に回り込んでいることを。若い青年を見下ろす目が、鋭く、冷たいことを。懐から取り出した銃のグリップを振り上げていることを。
「悪いな、ユーリくん」
一切の躊躇もなく、ロイドは右手を振りかぶった。