【ユリロイ】西の空は青い【リクエスト】
リクエストをいただいて書いたものです。
お題主さんへの強火のメッセージに添えた、全年齢のユロです。
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どうしてこうなった!!
ボクはこのところ、よくこの言葉を口にしている。
西国の列車は揺れが激しく、座席は古めかしい木製で尻が痛い。
みっちり埋まった座席にも、誰かが食べている飯や飲み物の入り混じった匂いにも、一向に変わらぬ景色にもウンザリだ。
「ボクは研修で来たんですが、その前に別件で行きたいところがありまして」
そしてなにより忌々しいのが、ボクの目の前の座席に、憎き姉泥棒、ロイド・フォージャーが座っていることだ。
満席な上に通路にまで客が詰まっている状態では移動することもできず、狭い座席で向かい合わせに膝を突き合わせている。
ボクは何百回目かの、どうしてこうなった!!を心の中で叫んで、窓枠に肘をついた。
「ユーリくんは観光ですか?」
「まあな」
見飽きた景色を見ながら雑に言い捨てる。
ボクは今回指令を受けて任務で西へ来ている。任務内容は観光だ。冗談ではなく、本当に観光なのだ。
西の人間がどんなものを見、どんなものを食べ、どんなものを好み、どんな場所に住んでいるのか。
それを見て、食べて、肌で感じて、ひとつでも多く西を知って〈黄昏〉を見つけ出す糧にしろ。
それがボクに下された任務内容だ。
「観光? へぇ、珍しいですね」
確かに珍しいだろう。西へ憧れを抱くヤツらは一定数いるが、ボクらに目をつけられる事を恐れて国内に留まるのが一般的だ。
「プライベートでも色んな国を見て回るのも仕事のうちだからな」
今回の任務は正直乗り気じゃない。
姉さんがいる東から離れるのが不安で不安で仕方がない。
こんなところでのんびりしている今だって、姉さんが何かの危機に遭遇しているかもしれない。
そこまで考えたところで正面を見た。
「……ロッティ?」
ロッティがいる。
「はい、なんですか?」
ボクの目の前にロッティがいる。
ボクもいる。
西にいる。
じゃあ東は、姉さんのいるあの家は……今、ノーガード、なの……で、は?
「うおおおおおおおお!!!」
ボクは勢いよく立ち上がった。
「帰るぞ、ロッティ!! 姉さんが危ない!!」
「あ、え?落ち着いて下さい。留守は友人に頼んでありますから」
「落ち着ける要素がどこにある!? ソイツは男か、女か? 姉さんに色目を使ったりしないだろうな?いつ、どこで、どんな風に出会ったヤツだ? 年齢は?学歴は?職業身長体重スリーサイズ顔面家事全般姉さんへのリスペクト、すべてボクたちより上だろうな!? そんなヤツいるわけないだろ! ボクたちは今すぐ、」
そこまで言ったところでボクの口はロッティの手で塞がれた。にこ、と人好きのする笑顔を向けられたところで、その意図に気付く。
『東へ帰るべきだ』ボクが封じられた言葉だ。
ここは西だ。当然列車に乗っているのは西の人間ばかり。
西の人間は未だに東を憎み、軽蔑していると話に聞いた。
満員列車でほぼ全員を敵に回すのは得策ではない。この中にスパイが紛れ込んでいるかもしれないのだから。
「すみません、義弟が騒がしくしてしまいまして」
ロッティがボクを座席に押し込みながら、辺りに何度も頭を下げている。ボクも下げなれない頭を下げて、騒ぎは一段落した。
義弟と呼ばれたことには腹が立ったが、救われたので今はノーカウントにしてやろう。
「……で? ソイツは本当に大丈夫なんだろうな?」
ロッティに顔を近づけて、小声でたずねると、ロッティはこっくりと頷いた。
「機械工学系の仕事です。警戒や警備に関する機械も開発しています。頭の良さと知識の豊富さは保証しますよ。
男性ですが、他に意中の女性がいます。アーニャもボンドもよく懐いていますし、ヨルの負担を軽減してくれるでしょう」
聞く限りでは姉さんに害はなさそうだが、それだけではボクは不満だ。
「でも姉さんはちょっとうっかりしたところがあるし、そういうところもすごく可愛いんだけど、ボクが心配してるのは姉さんのことであって、まあ姉さんの負担が軽くなるのはいいんだけど、とにかくチワワ娘や犬だけじゃなくて姉さんのこともちゃんとフォローして守ってくれるやつじゃないとダメなんだ」
額を突き合わせたまま、出来うる限りの小声でつっかかると、ロッティの顔が満面の笑みに変わった。
「それは仕事を休んでまで協力してくれている友人への侮辱と受け取っても?」
いつもと変わらぬ声にもかかわらず、全身が粟立つ。得体の知れない迫力に、ボクは勢いよく顔を逸らした。
「……ボクはただ姉さんが心配だっただけで……その、そういうつもりじゃない。悪かった」
「男がひとり家にいるだけで、女性や子どもが犯罪にあう確率は格段に減ります。それに、ボクはヨルより強い人を見たことがありません。ヨルの戦闘力とアーニャの勘、友人の頭脳と開発した機械があれば、彗星でも突っ込んでこない限り大丈夫ですよ」
彗!!!!! 星!!!!!
隕石よりパワーアップしている。ソイツはよっぽどの切れ者に違いない。
ボクは姉さんの強さとチワワ娘の野生の勘を信じている。
友人とやらは男だから心配ではあるが、ロッティを見慣れている姉さんなら見向きもしないだろう。ロッティが認める友人なら、頭脳明晰であるばかりではなく、人格者でもあるはずだ。
「それにヨルは守られるだけの人じゃない。背中に誰かがいるときのヨルは誰よりも強い。ユーリくんが一番それを知っているはずです」
振り返った先のロッティは柔らかな顔で、ボクの涙腺は一瞬で決壊した。
頭の中では、ボクがよちよち歩きを始めた頃からの姉さんとの思い出が、映写機のフィルムのように超高速で渦巻いている。
どの姉さんも優しく可憐で、そして強い。姉さん、姉さん、いつもボクを守ってくれた姉さん、女神のように美しくて可愛くて優しい、最高で最強の姉さん。
身体を起こして腕で涙を拭うと、目の前にハンカチを差し出された。
「たくさんの思い出話を持ち帰って、ヨルに聞かせてあげてください」
「うっ、グスッ……言われなくてもそうする……ロッティはどこへ行くんだ?」
鼻をかみながら問いかけると、意外すぎる返事が返ってきた。
「キールバーグです」
頭の中で、昨日叩き込んだ観光地図を思い返すが、名所などなにもない場所だったはずだ。
「何しに行くんだ?」
「……人に、会いにいきます」
一呼吸分の間の後にそう言って、ロッティはようやくまばらに建物が見え始めた車窓へと視線を移した。
人に会いに行く?
何もない田舎町に?
……怪しすぎる。
そもそも東に住んでいながら西に知り合いがいること自体がおかしいのだ。
「奇遇だな! ボクもキールバーグへ行くんだ!」
調べねば!
決意をこめて殊更明るく言うと、ロッティは振り返って首をかしげた。
「えっ? あそこ何もありませんよ?」
ホラ怪しい。
何もないところへ人に会いに行くだと?相手は誰だ。スパイや愛人だったら、ふたり仲良く処刑してやる。ボクがその場で執行だ。
「作られた観光地になんか行っても、ボクの仕事には役に立たない」
これは本当だ。ボクは都会だけではなく、田舎も見るつもりで来ている。ポケットの中に入っているのは、この列車の終点までの切符だけれど。
「はあ、そうなんですね。じゃあ次ですから、降りる準備をしましょうか」
ボクたちは網棚から荷物を降ろすと、人の波をかきわけてデッキへと向かった。
風がひとつ、大きく吹き上がった。
コートの裾がはためいて、触れた風に身震いする。ひりつく耳元では絶えずか細い音がひゅうひゅうと鳴り、吐く息はわだかまることなく、すぐにかき消える。
見上げた空は雲一つなく、ロッティの目と同じ澄んだアイスブルーだ。
その空の下で、ロッティはただ佇んでいる。何をするでもなく、ただただ立っている。
──そこに待ち “人” はいなかった。
ロッティと列車を降りたボクは、義理の弟だから挨拶に行くと言って、ロッティについて来た。
ロッティが、いりませんよとか、来ても意味がないと思いますよとか、そんな事ばかりを言うから余計に訝しんだ。
街を素通りする後ろ姿に不信は更に募った。
街のはずれで逢い引きか?それともボクを捲くつもりか?そんなことを考えていたボクは、ロッティが辿り着いた場所で目眩がするほど後悔した。
戦没者共同墓地。
かつてここは激戦地だったと本で読んだことがある。
東西入り乱れての戦闘で、多くの犠牲者が出た。
西の流儀とやらか、選別ができなかったからか、墓地は文字通りの “共同” で、東西の戦闘員や非戦闘員まで全員ここに眠っているのだという。
ロッティにとっての誰がここにいるのかはわからない。
ただ年齢から察するにロッティは出征していたはずだ。
ここに眠るのは、同じように西へ戦いに来た親か、兄弟か、戦友か……
いずれにせよロッティにとって大切な人だったに違いない。
当時子どもだったボクは、日々ひたすら逃げ回っていた。恐怖に震えて姉さんにしがみつき、飢えて裏山で木の実を食べた。
けれど兵士として戦地には行っていない。
職場の先輩は、皆出征していたことや、自分がいかに勇敢であったかを自慢気に語る。そして経験のないボクを “お子ちゃま” だとバカにするまでが流れだった。
ロッティは何も言わない。
ここでただ静かに悼んでいる。
ボクのまわりには今までいなかったタイプの人間だ。
「……花でも買ってくればよかったな」
キャメル色のコートの背中に語りかければ、金色の頭がゆっくりと左右に揺れた。
「この中のどこかもわかりませんから」
広大な敷地に乱立する数え切れぬほどの墓標。名前が刻まれているのは、おそらくほんの一握りなのだろう。
きれいに刈りこまれた冬枯れの芝に、ぽつりぽつりと花束が置かれている。名前が彫られている墓標はおそらくその数に近い。
「これだけ風が強いんだ。真ん中からばら撒けば、花びらの一枚ぐらいは届くさ」
「ユーリくんの発想は豪快ですね」
そう言ってちいさく肩を揺らしたロッティの横に並び立つと、ボクは大きく息を吸い込んだ。
「ロッティは元気にやってるぞーー!! 美人でかわいいボクの姉さんと! 生意気な娘と! デカい犬にもみくちゃにされて! 毎日デレデレしてるぞーー!!」
ぶふっ、と隣でロッティが吹き出した。ムカついたが蹴るのは後にして、もう一度肺の中を凍りそうな空気で満たす。
「ボクはユーリ・ブライア!! 有能な義弟だ!! ボクがついている!! 心配は無用!! 静かに眠れ!!」
ロッティは体をふたつに折り曲げる勢いで腹を抱えている。
言いたいことは言ったので、尻に蹴りを入れてから身を翻した。
「いやー、本当に挨拶するとは」
「最初からそう言っただろ。ボクの用事はもう済んだ。ロッティは気が済むまでここにいろ」
土埃に目を眇ながら横を見ると、ロッティはなおも笑いながら目元を拭っている。
この涙が笑いのせいだけだといい。心の底からそう思った。
「ボクも終わりましたよ。あとは明日ルーウェンで研修に行けば帰国です」
「えっ? ボクもルーウェンだ」
「えぇ? あそこも何もありませんよね?」
「……何度も言わせるな。何もないところでもボクには意味があるんだ」
ボクがルーウェンへ行く予定だったのは本当だ。
ルーウェンは開戦の地。
外国で読んだ本では、西の自作自演だとも、東の宣戦布告なしの奇襲だとも書かれている。
ボクは西の自作自演だと教わってきた。真実はわからないままだけど、どっちにしろ思うことはひとつ。
戦争はもううんざりだ。
「外交官も大変ですね。ホテルはどこですか?」
「ホテルグレンツェだ」
「すごいな! ボクもですよ!」
「は?」
正直勘弁してほしい。仕事の邪魔だ。
ボクが見る場所は裏路地まで含まれている。所謂スラムのようなところへも行く予定で、外交官流の海外見物と言うにはさすがに無理があるだろう。
ロッティは明日は研修だと言っていたので、今日は我慢するしかない。夜の治安も確かめたかったのだが諦めよう。
「グレンツェ、良さそうなホテルですよね。楽しみです」
ロッティは小首を傾げて笑みを添えた。
「はー、これはなかなか立派ですね」
茶色い革張りのトランクを足元に置いて、ロッティはぐるりと視線をめぐらせた。
ああ、 “立派” だ。
チワワ娘の部屋並みの広さにシングルベッドがひとつ。ベッドサイドテーブルには外部には繋がらないという内線電話。
クローゼットはなく、壁に打ち付けられたフックにハンガーがぶら下がっている。
バスルームには年季の入った便器とひび割れた洗面台。鏡は四隅から緑青が浸食している。シャワーは隅の壁からオーバーヘッドシャワーがポンと生えているだけだ。
水栓金具は曇っているし、付け根には黒い汚れがこびりついている。
タイルの目地にはところどころ黒カビの点が群れていて、姉さんが見たら卒倒しそうだ。ボクだって今すぐ掃除したい。
「いやー。なんというか……すごいですね」
そう。ボクとロッティは今同じホテルにいる。同じホテルどころか、同じ部屋だ。
どうしてこうなった!!!
「親西派のやつらを全員ここにぶちこんだらどんな顔をするんだろうな!」
ボクの肩越しにバスルームを覗き込んでいたロッティを肘で押しやって、狭い部屋を足音高く歩く……ほどの距離もなくベッドへダイブして、クロスがヨレた天井を睨んだ。
そもそもなんでロッティなんかと同じ部屋──しかもシングルルームにいるのかというと、ダブルブッキングがあったらしく、かなり前から押さえていたというのにボクが弾かれたのだ。
それなりのカネを払って新館を予約していたというのに、幽霊屋敷のような旧館に押し込まれた。
おそらくボクが東の人間だからだろう。
弾かれたヤツはもうひとりいて、東同士仲良くしろとばかりに同じ部屋に突っ込まれた。それがロッティで、突っ込まれたのがシングルルームというこの現状だ。
どうしてこうなった!!!
ロッティがいては、全く仕事にならない。街の視察どころか、報告書すら書けない。
本当に、どうしてこうなった。ボクは脳内で頭を抱えて転げ回った。
「ベッドどうしましょうか、ユーリくん」
「あ?」
ボクの思考に割り込んできたロッティは、特に困った様子も見られない。
チワワ娘が絡まないかぎり、ロッティはいつもフラットだ。この状況で平然としている様は、図太いとしか言いようがない。
「簡易ベッドでも寝袋でも持ってこさせればいい」
「まあ聞くだけ聞いてみますけど。多分無駄でしょうね」
なにしろ西ですから、とロッティはまるでやる気の感じられない様子で受話器を手に取った。
ロッティの悪い予想は当たった。
寝袋もベッドも用意できないと言われたボクは、もう数え切れないほどの『どうしてこうなった!!』を叫びながら、家出ならぬホテル出をしたのだった。
ルーウェン中のホテルをあたっても、祭でもないというのに見事に全滅。今はふらりと入った酒場でやけ酒の真っ最中というわけだ。
「なんらこのうまいさけはぁ~」
泡だらけの苦い酒は言うまでもなくビールだ。それは分かりきっているのだが、しゅわしゅわと喉を通る感覚がたまらない。
「うまいですねー」
一気に飲み干したロッティが、空になったジョッキを給仕に向けて軽く振る。
ビール飲めますか? と聞かれたボクは、飲めないとか嫌いだとか言うのが癪で、勿論飲めると答えた。
東で飲まされた事もあったが、苦いだけで嫌いだ。
西のビールも苦いだけで、やはりボクの好みではない。そう思いながらちびちびと飲んでいたボクの前で、ロッティが豪快にジョッキをあおったのだ。
上下する喉骨と、みるみるうちに消えて無くなるビールを見て、唖然とした。
「ビールは喉で飲むのが一番うまいですよね」
たん、と音を立ててジョッキをテーブルに置き、ロッティが口元の泡を拭った。
喉で飲む……。
試しに勢いよく喉へ流し込んでみれば、ボクはたった一口で、喉で弾けるビールの虜になった。
「うぃんなーもうまいなー」
「これもおいしいですよ。ハーブとスパイスが効いてます」
テーブルいっぱいに広がった食事は、やさぐれたボクのかわりにロッティが勝手に注文したもので、どれもボクの舌に合う。
普段なら顔をしかめるような喧騒も、料理とタバコの匂いが入り混じった空気も、酒とうまいメシの前では気にならなかった。暖房の効きが悪いと文句をたれていた空調も、酒を飲めば体が火照り、今では丁度いい塩梅だ。
「おいろってぃ、こんどこれつくれ」
揚げた芋をハーブと香辛料で和えたものをフォークで刺して突き付けると、ロッティがそれを口に入れて、咀嚼しながら頷く。
「いつものやつにハーブを足すだけで再現できそうです。帰ったらヨルやアーニャにも食べさせてあげましょう」
「キンッキンにひえたびーる、ねえさんにものませたいなぁー」
「あー……そうですね、ウン。いつか」
ロッティの目がわかりやすく泳いだ。
姉さんの酒ぐせの悪さを思い出したに違いない。
テーブルの下でロッティに蹴りを入れて、ボクはまたビールを喉に流し込んだ。
「ユーリくん、ビールはそのぐらいにして料理を食べませんか? ビールは炭酸でお腹がいっぱいになってしまうので」
ロッティは問答無用でボクのジョッキを奪い取ると、残りを一気に飲み下した。
文句を言う間もなく、やれこれがうまい、これも食えとフォークに刺した料理を突きつけられる。
口元が汚れればロッティが拭いてくれて、キレイになれば食事の再開だ。
口を開けるだけで勝手にうまいものが飛び込んでくる最高の環境に、ボクは頬をいっぱいにして顔を緩ませた。
千鳥足で辿り着いたホテルで、ボクは肩を貸してくれていたロッティごとベッドに飛び込んだ。
「うわっ、危ないですよ。もう少しで潰すところでした」
起きあがろうとするロッティを引き戻して、バチンと腹を叩く。
「はぁ? ちょーっとボクよりせがたかくて、きんにくがあるからってちょーしにのるなよ」
「違いますって。ホラ、酔い醒ましの水を持ってきますから放してください」
「よけいなおせわだ!」
ボクが酔っているからだろうか。ロッティの体温がぬるくて心地よい。しがみついたロッティの服からは、タバコや料理の匂いの奥に、姉さんが選んだ洗剤が微かに香っていた。
「……ねえさんげんきにしてるかな……」
「きっとヨルも同じ事を言っていますよ」
「とうぜんだ!」
姉さんに今回の西行きのことは話していないが、きっと毎日ボクのことを考えてくれているに違いないのだ。
起きあがるのを諦めたロッティが、ボクの隣に寝転ぶ。
シングルベッドに男ふたりはさすがに狭い。ロッティが無駄にデカいから尚更だ。
「ユーリくん、今日はありがとうございました」
唐突にロッティがそう言った。
「あ? なにが?」
列車内で迷惑をかけ、ホテルでキレ、ルーウェン中のホテルを巡り、今は盛大に酔っぱらっている。
ボクはロッティに感謝されるようなことをした覚えがない。嫌味だろうか。
横を見れば、ロッティは静かな顔でくすんだ天井を見上げていた。
「ボクは死後の世界を信じていません。死んだら終わり。だから墓にあるのはただの死体で、それ以上でもそれ以下でもない。ずっとそう思っていました」
死生観はボクもロッティと同じだ。
死後のことなど気にしていては、ボクの周りは亡霊だらけで仕事にならない。
「だけど今日は、死後の世界があって、ユーリくんの挨拶が届いていたらいいな、と。そう思いました」
墓場で叫んだ事を思い出して、酔いで熱かったボクの頬は、更に熱を増した。
「あそこには親がいます。今まで墓参りなんて考えたこともありませんでした。西で研修があると知って、なんとなしに寄ってみることにしたんですが、墓を前にしても途方に暮れるばかりで何もできなかった」
あの静かな背中にそんな想いが隠れていただなんて、考えもしなかった。
なんでも器用にこなすロッティが、何も出来ずに途方に暮れる。それがただの墓参りだなんて、誰が思うだろう。
「でもユーリくんが挨拶してくれて、今まで墓参りに来なかった後ろめたさも、墓を前にしても心が動かない薄情さも、なにもできなかった無力感も、全部すっ飛びました。だから、ありがとうございます」
ロッティのまっすぐな言葉に、ボクの胸は鈍く痛んだ。
キールバーグで降りた理由は全部ウソだ。ロッティを疑って同行しただけのこと。
だけど墓地でひとり佇むロッティの背中はあまりにも頼りなくて、置いて去ることはできなかった。
ボクは戦争には行っていない。西に知り合いもいない。あそこにいるべき人間ではないことはわかっていた。
ただ、秘密警察としてではなく、義弟としてならあの場所に立っていてもいいのではないか。そう思って叫んだだけだ。
「せっかく気持ちよく酔ってたのに、しみったれた事を言いやがって!」
金色の髪をぐしゃぐしゃに乱してやると、ロッティは声をたてて笑う。
東では見たことのない、くしゃくしゃの笑顔だ。不意に喉の奥がぎゅっと締まった。
ボクはずっと姉さんのためだけに生きてきた。秘密警察に入ったのもそのためだ。
だけど墓場で立ち尽くすロッティの背中を見てしまったら、姉さんを守るためという理由に、もう二度と戦争を起こさないため、という大儀名分を添えてもいいのではないか。そう思えてきた。
「……戦争はもううんざりだ」
幼い頃から幾度となく心の中で唱えつづけた言葉を、ボクはこのとき初めて声にした。
くやしいが、ボクにできることはまだ少ない。でも、やれる限りのことはやってみたい。
「ええ。ボクもそう思います」
ロッティがぐしゃぐしゃの髪のままで、ちいさく笑った。
「おい。ココは、その、大丈夫なのか? ルーウェンにも用があるんだろ? どうしてもって言うなら、また一緒に行ってやってもいい。どうしてもって言うならな!!」
「いえ」
ロッティの返事は早く、そして短い。
「え? 遠慮ならしなくていい! 1時間ぐらいどうってことないからな!」
ボクの任務は西を知ること。解像度を上げて、〈黄昏〉を捕らえるための糧にすること。
街を歩くだけでなく、戦没者の墓へ行く事だって、多分きっと任務のうちだ。
「ルーウェンには研修で来たので、ユーリくんは会場に入れません」
「そっちかよ! クソっ! おいロッティ、死ぬ気で勉強して、姉さんが病気になったときに役立てろ! そもそも日頃から姉さんの顔色や髪や肌の艶、表情から所作にいたるまで全力で観察しろ! 毎日朝晩問診を行い、栄養バランスの良い食事を摂らせ、常に健康状態を良好に保たせるんだ! ソレが夫たるキサマのつとめだ! 姉さんが風邪でもひいたら離婚だ、離婚!」
ボクは的外れな質問をしたことを隠すかのように怒鳴りちらすと、くつくつと笑うロッティをひっぱたいた。
醒めたと思っていた酔いはまだ残っていたようで、叫んで暴れたボクの世界は、またふわふわと曖昧になっていく。
ロッティの肌がぬるくて気持ちがいい。
肩を揺さぶられていることも、シャワーを浴びろだとか、ボクは床で寝ますからなどという声も遠く遠くに聞こえるが、無視だ。とにかく眠い。
書類を書く必要もないし、寝てしまおう。
大体墓参りで挨拶をしただとか、ホテルでロッティと相部屋になったとか、ビールがうまかったとか、今日は書く必要もない出来事ばかりだった。
ボクはロッティのほどよい温もりに頬を寄せて、とろりと夢の世界へ溶け込んだ。
ひとつ、またひとつと緩慢に瞬きをする。
床を斜めに切り込む光に目を眇めたところで、ボクはあんぐりと口を開けた。
どうしてこうなった……!!!
心の中でまた叫ぶ。
ボクの目の前にはロッティがいる。
目の前どころではない。その距離はほぼないと言ってもいい。何しろボクの両手はしっかりとロッティの服を握りしめているのだから。
ドッドッとにわかに心臓がうるさくなる。
肘枕で寝そべっているロッティは、ボクが目を覚ましたことに気付いた様子もなく、まぶたを閉じて鼻歌をうたっている。奇しくも昔姉さんが歌ってくれたものと同じ子守唄。
曲名は『わたしの可愛い王子さま』。
ロッティの声は鼻歌でも耳に心地よい。それなのに胸はそわそわと落ち着きをなくした。
姉さんのように途中から歌詞を忘れたりはしない。
3番まできっちりと聞き終えたボクの顔は真っ赤だ。
母親からこどもへの歌だから、愛しいとか可愛いといった言葉が頻出する。
成人のボクがロッティに言われるようなものではないし、そもそもロッティはボクみたいな生意気な義弟を愛しくも可愛くも思っていないだろう。
懐かしいやら恥ずかしいやら腹立たしいやらで、頭の中はごちゃごちゃだ。
歌が止んでしばらくして、ぽん、と頭を撫でられた。
「おはようございます、ユーリくん」
心臓に悪い距離に、ゆったりと微笑むロッティがいる。
思わず喉がひきつって、ひっ、という情けない声が洩れた。
「キサマ、なんでここで寝てる!!」
「ユーリくんが放してくれなかったんじゃないですか。ボクはちゃんと床で寝るつもりでしたよ」
「ボクに追い出されて床で寝させられたって姉さんに告げ口するつもりだったんだろ!!」
胸倉を掴んで揺すると、ロッティは苦い笑いを浮かべてベッドから降りた。
「昨日のユーリくんはどこに行っちゃったんですかね。格好良くて、すごく頼りになって、ちょっと可愛らしいところもあったんですけど」
先程の子守唄が耳に蘇って、それを振り払うかのように頭を横に振る。
「ボクは1ミリも覚えてないぞ!」
ボクは列車でわめいて迷惑をかけたことも、キールバーグの墓地で叫んだことも、ホテルでキレたことも、ルーウェン中のホテルを探し回ったことも、ビールのうまさを知ったのも、ロッティごとベッドにダイブしたことも、全部全部覚えていない。断じて覚えてなどいないのだ。
「チェックアウトまであまり時間がありません。手早くシャワーを済ませて出ましょう」
「は? もっと早く起こせ! コイントスで順番決めるぞ!」
「ユーリくんお先にどうぞ」
「とっ、年上ぶるな!」
「じゃあ一緒に入りますか?」
「んなっっ!?」
「冗談です」
ロッティといると調子が狂う。
それは東にいたときよりも多く感じる。
西にいるロッティは、少しだけ身近かもしれない。そんな事を考えながらシャワーを浴びて、ふたり揃ってボロボロのホテルを出た。
ドアの外は、今日も鼻がつんとするほど寒かった。
西の冬は東とそう変わらず冷えるし、風が吹けば雲は飛ぶ。
隣国人には冷たく接し、酒場は騒がしくてビールは苦い。
──なんとなく。なんとなくだけれど、体感した西は、思っていたほど遠くはなかった。
「……西の空は、青いな」
昨日見上げた空も、今日も、西の空は青い。
それはバーリントで見た空とさして変わりはなく、もし変わったところがあるとしても、気流による日々の天候の変化ぐらいなものだろう。
「ええ。いい天気ですね」
同じように空を見上げたロッティは、そんな間の抜けた返事を寄越した。
賢いヤツだ。
異国の雰囲気に流されて『東も西も変わりませんね』だとか『同じ空の下ですから』なんて口にしたら、通報される。
ロッティは東流に自分の身を守り、同じようにボクを守るために、通報するつもりはないという意図で言葉を発したのだ。
ただボクは、空の色ひとつで感じた、小さくとも大きな発見を、ロッティと共有できないことをほんの少しだけ寂しく思う。
西の空は青い。
空は繋がっているのだ。
こことひと続きの祖国の空を、炎で赤く焼かぬよう、煙で黒く染めぬよう、ボクはボクなりに頑張ろう。
そう心に決めて、ロッティと別れる。
ボクの仕事は西を知ること。
まずは共同墓地、それからどこへ行こうか。
頭の中で地図をなぞりながら、ボクは同じ空の下で大きく一歩を踏み出した。
─────────────────
【お題より】
任務とかで西でばったり会ったロッティとユーリが、ホテルでダブルブッキングでシングルに詰め込まれる話をお願いします。雰囲気はお任せです!
(後日追加分)
言い忘れたことがありました。私は18才以下なので、R-18は読めません。書いていただけるかどうか解りませんが、宜しくしくお願いします。
(ここまで)
まず何より先に、お題主さんに心より敬意を表します。
年齢制限に抜け道がある現状に胸を痛めている書き手のひとりとして、ルールを守って下さる18歳以下の読者さんの存在が、本当に有り難く、またこれ以上ないほどに嬉しいです。
また全年齢を書いた際には、読んでいただけたら幸いです。
さて、追加メッセージを頂戴するまで最初から最後まで致すつもりでいましたが、全年齢でテイストはお任せということで、ちょっとしんみりにしてみました。
恋愛要素はあまり感じられないかもしれませんが、無自覚ユ→ロでうっすら入れたつもりです。無自覚攻め大好きなんじゃよ……
ルーウェンでだけ邪魔するつもりが、キールバーグまで来られて焦るロと、ルーウェンで邪魔されていると気付かないユ。ちょっとドタバタも入れてみました。
ふたりは何もかもが敵なのではなく、目指すところは同じ「平和」であればいいなと思って書きました。
お題主さん、大丈夫でしょうか?(もはや定型文)