赤い布が目の前を横切って行った。思わずはしっと掴んだランサーは、上から声をかけられて目を上げる。
「それ持っててくれ! 今行くから」
「そりゃ構わんが」
ここは鍛錬用として選ばれた空域で、レイシフトしなければこれない場所だ。廃墟のような状況のビル群と自然がないまぜになっている状況だ。
基本的には英霊が手ならしに訪れる場所だというのに、どうしてあの相手がいるのか。
「坊主じゃくるのに時間かかるだろうけど、俺が行くのもなぁ」
入れ違いになると困る。そんな思いのぼやきすぐに拂拭された。
声が「よっと」なぞとして。視線を切ったのを悔いるほど早く、同じ場所を見やる。どこかの記録に仕舞い込まれていた姿かたち、ほぼ同じ形態の少年はひょいと窓枠を潜り落下してきた。
「おいっ」
慌てた槍兵が手を伸ばすが、少年は猫のように一回転して着地した。
「どうかしたか?」
「っあー……そっか、そうだったな。坊主じゃないんだったか」
「ああ、そういう意味」
ぽんぽんと膝を祓った少年は、少し笑って赤い布を受けとる。それを自分の周りにはためかせて。
「確かに、あの俺ならきちんと階段を使うかもな」
「人間って枠で考えちまったわ」
「そういうのは、今はマスターにしてやってくれ」
「お前さんの口からマスターって言葉がでると変なもんだな」
くるりと槍を肩に担いでぼやく槍兵に、今は人でない少年も肯いた。
「俺だってまさか、こんなにも魔術の世界に浸かるとは思ってなかったよ」
この姿かたちの頃の日常を平穏と称するのならば、ここはなんて激動か。
「それはいいとして、ランサーはどこかで手合せの約束でもしてるのか」
「いや、一通りの鍛錬を終えたところだ。お前さんは?」
「俺は…くっついていたのに振りほどかれて?」
「もしかして」
「もしかして」
こくりと肯いた少年に、槍兵も苦笑いを隠さない。
「本当にちっとも砕けないよなぁ、あいつ」
「お前さんだろうが」
「違うって、元は同じだけど。別」
双子だって環境が変われば多少は違いがでるらしいし。そういうものじゃないかなぁ、なぞと呑気に呟く様だ。
風がざわりと木々を揺らし、木陰を揺らめかせる。なんとはなしに、二人してその下に移動すると地面に座り込んだ。
ビル群と木々の氾濫するこの一角は、少しだけ高台で見晴らしもいい。一番いいのはビルの屋上で、今そこにどの英霊がいるのかは、推測までもない事実だった。
槍兵はその気配を察知してここに移動してきて。少年はその英霊にここから離れていろと布を引っぺがされて放り出されたのだから。
「キャスターとランサーって形であんたも成立してるだろ」
「ん~、まぁ、そういやそうなんだけどなぁ」
そもそも違うだろう。なぞと。
槍兵から見てしまえば、神の血を引く出なく、生まれが特別であったわけでもないこの少年がアレになったということ自体が奇蹟だ。そして奇蹟が容易く起きるものではないと知悉している分だけ、この平凡だった魂が経てきた道程を思わずにはいられない。
平凡な少女が騎士王にまで上り詰めたことや、平凡な少女が聖女となった歴史と実によく似ている。
いわゆる現代の英雄譚を紡がれるに相応しいというのに、どうしてそうとすら思わせないのか。
土地柄か、人柄か。
無名の存在から英霊になった。(無名の少女が王位についた)
一つの信念を貫いて英霊になった。(一つの信仰を貫いて聖女と呼ばれた)
他の、さまざまな英霊たちり逸話に対象なりとも迫る生きざまだったというのに、こうして概念礼装として召喚されるだけだ。いいや、英霊エミヤとして成立している以上、それだけではないけれど。
何か、この少年を見ていると酷くもどかしいと槍兵はぼやく。
もう少しだけ、厳しかった世界の代わりに甘やかしてもいいのかではないか、なぞと。
そこまで思考を進めたあとに、もう一人の概念礼装を思い出して思わず笑い声が出た。
「ランサー?」
「いや、嬢ちゃんの気持ちも分かるなって思ってよ」
あの少女も随分な生い立ちだが、彼女には確固たる信念と指針と、それを受け止めるに足る血の歴史があった。
だからだろう。何もないのにこの世界で生きるしかなくなったこの少年を思いやっていたのは。
概念となっても、そういう意味での世話焼きは何一つ変わっていない。それを思えば、この静かな空気もあと少しといったところか。
今頃、弓兵と少年をセットで送り出したマスターに噛み付いて、追いかけてくる用意をしているだろうから。
弓兵を案じ、少年を案じる。生前はあったかもしれない恋情の気配なぞちらともなく、ある種の献身のごとき無心さで叱咤する様は、本当に清々しく心地よい。
「怒らせたいわけじゃないだけどなぁ…いっつも失敗してる」
「お前さん方が自分を大切にすりゃいいんだよ」
「してるぞ、俺は」
「本当にかぁ?」
「っ」
言葉に詰まった少年に、槍兵は肩を震わせ笑いを押し殺す。
「……ランサーは、キャスターの自分に憧れるか?」
「は?」
「キャスターの自分が、憧れの一つだと分かっているけど、無条件に憧れさせてくれないのが嫌だって思ったりは?」
「あぁ?」
何だそりゃと言いかけて、それが反転して少年自身に向かっていることに気づいた。
「めんどくさいなそりゃ」
「そういうことだよ。面倒なんだ」
心の底から、自分が。自分自身という範疇から逸脱して、広義の意味での自分が、果てしなく面倒くさい。
「恣意的で、露悪的で、意図的で、こっちが少しでもあいつを見直すと、鼻で笑っていく……殴りたいって思うだろ」
「えらくしみじみとした口ぶりだが、まぁ、そうだなぁ」
あいつの性格はひん曲がってるもんなぁ。苛立つのは分かるわ。
「ランサーは、俺とあいつが同じだっていうけど、今こうして話してるみたいにあいつと話せるのか」
「無理だわそりゃ」
「そういうことなんだよ…」
もう一度、しみじみと。
ため息まじりにぼやいた少年は、赤い布を風に遊ばせながら目を細めた。
何の因果か人の意識を持ったまま、概念として呼び出されて。人の頃は難しかった英霊同士のぶつかり合いの助力を許された状況だというのに、肝心の相手がそれを受け付けないのだからままならない。
憧れさせて欲しいし、助けさせてほしい。
こんなにもシンプルな感情なのに、相手が同じ存在を根幹としている一種の理想だと分かっているのに。その理想は理想に到った己というものに、複雑な感情を持っていて。
呆れるほどに愚直に、そして目極めきれないほど懇切丁寧に複雑に、在り方を定めているせいで一筋縄ではいかなかった。
今はまだガンド便りだ。あの少女のいう事であれば、弓兵だって譲歩するし、大変甘い。
「……いっそ遠坂英霊になって呼ばれないかな」
「そりゃいいアイディアって言いたいところだがな、あの嬢ちゃんだぞ」
それこそ、超弩級のうっかり英霊か、ハイパーに度胆をぬいてくれる英霊にしかなんねぇ気がする。
「それもそうか」
自分の考えに笑って、それ以上の妄想を止めた少年と槍兵だが、それから幾ばくもしないうちに、うっかり属性を供えた女神として、件の少女が英霊召喚されることなぞ、知る由もなかった。
20170423