晩御飯のために麻婆豆腐を作っていた凛は、上でがたがたと暴れるような物音がしたことに気が付いた。ああとうとうアーチャーが起きたのかと、思いながら味付けに専念する。
「ランッ、サァァァァァァァァァ!!」
珍しい。あの弓兵が怒鳴るなんて。
思いながらがさがさと具を放り込んでいると、ラフな姿の槍兵が逃げてきた。
「嬢ちゃん! 助けてくれ!!」
「待てランサー! 凛に助けを求めるなぞ、卑怯者め!!」
「うるっせぇよお前怖ぇんだよ仕方ねぇだろ!? ちょっと手ぇ繋いで寝てただけじゃねぇかよ!!」
「――――ッ!!」
絶句する弓兵。「やべぇ」と呟き顔を青ざめさせる槍兵。キレたな、と。考えながら、凛は自分と鍋の周囲に防御のための結界を張る。
すう、とアーチャーが呼吸を整えてじろりとランサーを睨みつけた。戦争中を彷彿とさせるその殺気に、ランサーが反射的に得物を出す。ふん、と。アーチャーが満足げに笑って。彼は薄く、唇を開いた。
「I am the born of my sord……」
「ちょ……!?」
さて、あの詠唱のルビは『我が骨子は捻じれ狂う』なのか。それとも『体は剣で出来ている』なのか。思いながら、凛は麻婆豆腐の味見をする。
アーチャーの手の中に現れたのはいつもの夫婦剣ではなく、バーサーカーが持つ剣によく似た鈍器であった。ぐっと強く踏み込んだアーチャーは、それをぶんと振りかぶり、防御に回ったランサーの槍を弾き飛ばして彼の腹を打ちすえる。
ぐえ、と。ランサーが情けなく呻く声がした。しかしアーチャーは遠慮容赦なく、そのまま鈍器でランサーを投げ飛ばし。
「死ねぇ、ランサー!!」
尾を引く悲鳴を残して、ランサーは窓からホームランされた。
「ああ、ランサーが死んだ」
満足げにそう言って、やり遂げた風な気配を背中で漂わせているサーヴァント。
別に出てもいない額の汗を拭ったりと、芸の細かい彼へ。凛はぼそっと、呟いた。
「窓、割れてるんだけど」
「……」
はっと、肩を震わせるガチムキ系色黒男子。
「今日、晩御飯、寒いわねぇ」
「…………」
そろそろとガラスまで寄っていき、それにアーチャーは自らの血を垂らして復元する。士郎はできなかったが、アーチャーだとそれくらいはできるらしい。復元した窓ガラスに触れてぼそぼそと呪文を呟きながら、アーチャーは復元した窓ガラスに漏れがないかをチェックしていく。
うん、それができるなら、それでいいんだけどね。
「ところでご飯、3人分なんだけど」
きっと、自分は凄くいい笑顔を浮かべていたのだろう。
顔をしかめたアーチャーは、腕を組み。むう、と不満げに唸ってから、絞り出すように返事をした。
「……すぐに、狗を拾ってこよう」
「ええ、そうして頂戴」
不満であるということを隠しもせずに、ガラス戸を開けて外へとランサー探しに出かけるアーチャーの背中を見送って、凛は入れ物に麻婆豆腐を注ぐ。
ああ、それでいい。
幸せの中にうずもれて、なにもかも忘れてしまいなさいな。このとうへんぼく。
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あの午睡をきっかけとして。ゆっくりと、されど故意に距離を縮めていけば、あの弓兵の性格がランサーにとって相容れなくともけして嫌いなものではないということが見えてくるまでにそう時間はかからなかった。
そして同時に、なんて危うい奴なのだろうかと。そういう側面まで見えてきてしまったのだから、ランサーとしてはもうどうしようもない。近付けば近付くほど。知れば知るほど、確かにこいつは放っておけないと思うようになってしまった。
だから、今日も今日とて港でどうしてか1人立ちすくんでいる男に近付く。「おい」と声をかけて、片手に持ったビニール袋を振れば、彼は仕方ないという風に苦笑した。
「なんだ。エサの催促かね? 狗らしいな」
「狗って言うんじゃねぇよ。それより、メシ作ってくれんだろ」
「食材まで揃えられては断りようがないだろう。
で? 凛の家でいいのか?」
「おう。頼むわ」
なんというか。お互い、手慣れたものだった。
特に荷物のないアーチャーと買い物袋を持ったランサーで、肩を並べて歩き出す。新都側にある港から遠坂邸まではそこそこの距離があるが、2人にとって苦になる道程というわけでもない。
ぽつぽつと交わされる会話は他愛のないことばかりだった。最近の釣果や、凛の失敗。士郎の愚痴、桜が怖いなど。そういえばライダーがコペンハーゲンでバイトを始めたようだと、そんな情報を仕入れてきたランサーにアーチャーが驚いたり。キャスターが料理教室に通い始めたという話に苦笑したり。いつも通りのそんな会話が、ふとした瞬間に止まった。
いぶかしげに、こちらを見やる鋼の瞳がある。そう身長に差はないが、彼の方が若干高い。
とんとんとリズムよく交わされていた会話を止めたからだろう。アーチャーが心配そうに、「どうかしたのか?」と問いかけてきた。どうしてだろう。それが無性に腹立たしくて、苛立たしくて。はふりとランサーはあからさまに溜め息をついて、その感情を表に出した。それにまた、アーチャーが困惑するのにムカつきを覚える。
ランサーには線引きがある。
セイバーたちとどれだけ親しく話しても。ギルガメッシュにねだられるように家族ごっこをしても。アーチャーや凛と寝食を共にしても。衛宮 士郎をかいぐっても。彼らは敵で、自らは『ランサー』なのだという認識がある。
あの冬の戦いがまた起こるというならば、ランサーはそれもまたよしとできる。他のどんなサーヴァントよりも、そういった切り替えがうまいという自負もある。
といっても、セイバーたちだって迷うことはしないに違いない。戦うしかないとなれば、すべてのサーヴァントは立ち上がり、昨日まで談笑していた相手を討つべく武器をとるだろう。
――だけれど、こいつは?
(……いや、戦うんだろうがなぁ)
戦いは、するけれど。きっと、躊躇い、嘆くだろう。
ランサーは嘆かない。セイバーも、ライダーも、キャスターもアサシンもバーサーカーも、ギルガメッシュも、嘆くことはしまい。ただ、あの日々もよかったと惜しむだけだ。悪くない夢を見たと、そう呟くだけ。
だがこの男は嘆くに違いない。失われた日々を、惜しむだけでなく振り返るだろう。そしてどうして続かなかったのかと呟いて、そしてようやく剣をとる。
そうして他者に感情を持つということは、自らを切り売りしているようなものだとランサーは思う。自己犠牲でも、献身でもないけれど、それは確かに切り売りだ。だってそれは、自分の大切な、形にならない『なにか』を、他者へと預けていたということ。そうして他者へ預けていたが故に失われていくモノがあるからこそ、人は別れを惜しみ嘆くのだから。
たとえば。
今この場で、自分がこの男に槍を向けるとする。
セイバーならば「貴方はやはり戦いを望むのですね」と苦笑し、武装を纏って剣を出すだろう。だがこの男は、「何故だランサー」と叫ぶ。
最初からランサーは裏切ってなどいないのに、この男は裏切られたと傷つく。どうしてそう感じてしまうのか。自分は『ランサー』で、こいつは『アーチャー』だ。その時点で、こうして共に歩いていること自体がおかしいのに。
ああ、つまるところ。
(オレぁ、こいつの向けてくる信頼にイラついてんのか)
長く考えて、ようやくランサーは結論を出した。
それを、勘違いだとは言いたくない。実際、ランサーはこの男が気に入っている。凛との穏やかな時間も、遠坂邸の居心地のよさも好きだ。ただ、アーチャーの向ける好意は、あまりにも行きすぎているだけ。
「なあ、アーチャー」
歩く速度は、揺らがない。困惑に揺れる鋼の瞳を、ランサーはじっと睨みつける。
「オレは、おまえのことは気に入ってる」
「は……?」
唐突なそれに、アーチャーは目を白黒させる。無理もない。我ながらへたくそな切り出し方だ。
「けど、オレぁおまえと戦うことになったとして、それを躊躇いはしねぇ」
こちらの言いたいことが掴めないのだろう。アーチャーはふしぎそうに眉根をよせて、こくりと1つ、頷いた。
――ああ、わかってねぇなぁ。
くしゃりと、髪を掴んで、彼を見据える。おそらく、自分の眼には怒りが篭っていたのだろう。アーチャーの周囲の空気が、ほとんど反射的に引き締まった。
「アーチャー」
「……なんだ、ランサー」
ランサーが手に持つのは買い物袋。アーチャーの手にはなにもなく。2人が纏うのはアロハと黒いシャツ。歩く道は深山の住宅街へ続く坂。
だと、いうのに。すぐに戦いが始まってもおかしくはない。そんな張り詰めた空気が2人の間にはあった。
「おまえは、なんだ? 『弓兵』のサーヴァントだろうが。
平和に浸るのが悪いとは言わねぇ。それを言いだせば他のサーヴァントたちだって同じだからな。
だけど、おまえは――――」
――――どう、言えば、いいのだろうか。
言葉が詰まる。アーチャーも、居心地悪そうに身じろぎした。
握りしめるものが槍でないというのは、どうも難しい。はふと溜め息と共にふ抜けたモノを吐き出して。
「――なあ。頼むから、そんなに信用すんじゃねぇよ。
オレぁおまえが思うような奴じゃねぇ。憧れられるほどたいした奴でもねぇんだ。オレは、セイバーほどお綺麗な出でもねぇしな」
「ランサー、君、」
「おまえのことは気に入ってるぜ、アーチャー。
だがオレには、おまえの信頼が重てぇ。つーかオレたちはサーヴァントだぞ? こんな平和ごっこしてる方がおかしいって、おまえがわかってねぇはずもねぇだろうに」
ゆっくりと一度、鋼の瞳がまたたきする。
「ああ、なるほど」
数秒。じっくりと黙りこんだ彼は、そして穏やかに微笑んだ。
「私は、邪魔か。ランサー」
「違ぇよ馬鹿野郎」
早合点に即座に切り返し、自らの言葉足らずを反省する。
ああ、といっても仕方ないではないか。こちらだって、どう伝えればいいのかわかっていないのだから。
「なあ、アーチャー」
確かめるように、なぞるように、名を呼ぶ。
「おまえは、自分をオレに預けすぎだ。オレを、信じ過ぎなんだよ」
存外、大きい瞳がゆるぅりと見開かられる。そして彼は「ふむ」と唸り、顎に節くれだった指先を添えた。
考え込んだ時間は1分近く。そうして自分の答えを出したであろうアーチャーは、少し
「そういうつもりは、なかったんだが」
「ああ、まあ、そうだろうな」
どうせ自覚していないだろうと把握してはいたので素直に頷く。困った様子の彼に小さな苦笑を零して、「ま、とりあえずな」とランサーは彼の肩を軽く叩いた。
「オレが突然に槍を向けても、『なんでだ』って喚くことだけはすんじゃねぇ。そういうこった」
「……ああ、なるほど。
しかしそれは杞憂だぞ、ランサー」
ぱん、と肩におかれた手を払いながら小さく笑って言い放つアーチャーに、ランサーは「はあ?」と首を傾げる。
どこがだと思ったのがそのまま顔に出ていたのだろう。信用がないなどと口の中でぐつぐつとぼやいてから、アーチャーは突如背筋を伸ばして。
「君がそんな暴挙に出るということは、私がなにかをやらかしたか、君自身に事情があったかだろう。それくらいはわかっているさ。
それとも、なにかね。私は、それくらいの信用も君にないと思っていたのかね?」
心外だな。と、言ってすたすたと歩いて行くアーチャーの背中を見送って。ランサーは自らの額を手で覆う。
(だからよぉ、弓兵……)
それが重たいのだと。言って、どうしてわからないのか。
溜め息を吐き出して、ランサーは早足にその隣へ並ぶ。肩の位置は変わらず、ただ目線だけが少し高い。こいつの身長にも随分慣れてしまったもんだ。1人内心でごちながら、やれやれとランサーは首を振る。
――なにが救いようがないかって。
彼の向けた真っ直ぐな信頼を嬉しいと感じてしまった、自分が一番、どうしようもないものだった。
(続き)ありがとうございました!!