【Web再録】ビフォアワンナイト
2018/5に発行したコピー本です。
7月のプチで出す本にこれの続きの短編を入れる予定のため、Web再録いたします。
(7月の本は成人向けです)
現パロ、年下槍(バイ)×年上弓(ゲイ)
金曜日の夜、とあるクラブで出会ったふたりが暗がりで耳打ちしあう話
いかがわしい全年齢がテーマでした~趣味全開~
お手にとっていただいた方ありがとうございました!
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じっとりと肌が湿る夜だった。
金曜日の激務を終え、巻き込まれた部の飲み会が終わる頃には終電も間近という時間だった。体は疲れていたし、入れたアルコールも普段の倍といったところで、正直さっさと帰りたかった。
しかし、駅へと向けた足は二人の同僚の手によって押しとどめられる。両側から挟むように腕を一本ずつ人質に取られ、鬱陶しげな目を向ければ、まあまあと宥めてくる打撃が痛かった。
「アーチャー‼ 勝手に帰るなっつったろぉ」
「そうだぞ! 夜はまだこれからだぁ!」
飲み会の終盤で、この同僚たちに捕まったのはよくなかった。仕事終わりの開放感で酒の進んだ二人は、テーブルの端で弱いサワーを舐めていたアーチャーをターゲットに決めたらしい。
曰く、「お前はもっと遊んだほうがいい」と。
「君らな……」
「夜遊びしようって約束したの忘れたのか! ほぉら行くぞ〜」
ぐいぐいと両腕を引かれて、奇妙な三人組が誕生した。如何にも酒に呑まれた、酔っ払いのそれである。朝まで彼らと一緒かと帰宅を諦めて、それに倣った。普段は気さくないい同僚たちなのだが、如何せん奔放なのだ。ネクタイやシャツのボタンさえきっちりとしたお堅い見た目のアーチャーを見るや、もっと人生楽しんだほうがいいと勧めてきて、ついに今日強行された。
何を持って彼らが「遊ぶ」と差しているかは想像に難くないが、だとしたらお門違いもいいところだった。
なぜならアーチャーはゲイである。
彼らの何倍も、爛れた夜を過ごした自負がある。
特定の相手はいない。むしろ、後腐れない関係のほうが好ましかった。ノンケには手を出さない、もちろん女性にも。
行きずりで一夜を明かしたことは何度か。
きちんとした恋人を作ったことは、未だない。
(あつい……)
雨が降りそうなほどたっぷりと水分を含んだ風が、ぬるく首筋を撫でていく。やっと解放された手で襟足をかきあげれば、指先が汗で濡れて不快だった。
アーチャーの両脇を守る二人は、千鳥足で楽しそうに歩いている。何と頼りないナイトだろうか、これで女性が靡くのか甚だ疑問だ。
何がおかしいのか、急にゲラゲラと笑い出した同僚たちの声が耳に痛い。やけに強い力で右腕を掴まれると、「着いたぞ‼」と背中を押されてつんのめった。
繁華街をぐんぐん進んだその先で、小さなネオンがアーチャーの目を灼く。
(……クラブ?)
地下に続く階段のそばで光を放っていた看板からは、そこが夜の遊び場だと知れた。店の名前もよく知らないので、ノーマルな彼らには相応しい牙城だろう。暗い階段を勢いで下りきり、重たい鉄の扉を開ければ、凄まじい音に包まれた。
「……っ」
酒と、甘ったるい香水の匂い。腹に響く重低音は爆音のクラブミュージック。近くのカウンターにいた店員に「いらっしゃい」と言われたのは、口の動きを見てやっとわかった。
同僚の一人が店の人間と知り合いなのか、何事かを話して適当な額を慣れた手つきで支払う。俺の奢り!と耳元で叫ばれ、クロークに預けるべく鞄を奪われた。
「じゃあ! また後でな!」
「え?」
「そうだそうだ! 好きに飲んで楽しめ、アーチャー!」
「ぅわっ」
ドン!と強く体が押されたときには、人で埋まったフロアに放り出されていた。慌てて振り返れば、同僚はナンパに精を出すようで、さっさと奥の暗がりに消えていった。
暫し途方に暮れる。仕事帰りと思しき若いスーツの男もいるが、ほとんどは遊び慣れた男女ばかり。こんなど真ん中にいては目立って仕方ないと、アーチャーは壁際の一人用のカウンターテーブルに寄りかかった。途中のカウンターでドリンクを受け取っていたのを一口。瓶の中に押し込んだライムが口の中で爽やかに弾けて、ため息が出た。
(……面倒くさい……)
これを飲んだら帰ってしまおうか。アーチャーはテーブルに片肘をついた。
クラブはもちろん初めてではない。学生の頃は入り浸ったこともあった。だがそれは「そういう」場所だったからで、アーチャーも手軽に遊び相手を探したかっただけ。元々騒がしいのが好きではなかったので、歳を重ねるにつれ足は遠のいた。
今相手を探すならネットかそれ系のバーばかり。それすら面倒なときは一人で自分を慰める。こういうところはどうも若すぎるやつが多くていけない。
「……はぁ」
ちびちびとアルコールを舐めながら、フロアを見渡す。そこそこの広さの至るところで、男女が身を寄せあっている。ナンパもあれば、恋人らしい睦み合いも。一人でいるのがやけに目立っているような気がしていたたまれない。
やはり先に帰ってしまおう――アーチャーがテーブルから身を起こしかけたとき、背後から涼やかな香りがした。
「お兄さん、一人?」
後ろかろ白い腕がテーブルに伸びる。トン、と置かれたハイネケンの瓶に振り向けば、若い美丈夫がそこにいた。薄闇の中でも光るように輝く蒼髪は背中に長く垂れ、意志の強そうな二対のルビーはぎらりとしながらも人懐っこい。二十代前半といったところか。大きな口がきゅっと弧を描いて、精悍で玲瓏とした顔を形作っていた。
恐ろしく顔がいい。アーチャーは惚けたようにその男を見つめた。こんなやつが私に何の用が?
アーチャーの混乱など意に介さず、男はアーチャーの正面に立った。一つの小さなカウンターテーブルを分け合うような形だ。
「な、聞いてる?」
「あ、ああ」
「何飲んでんの」
流れるような仕草で手にした瓶を奪われる。一口飲んで、唇の残滓を舌で舐めとるのがセクシーだった。
「オレ暇でよ。ちと付き合ってくれや」
いたずらな笑みを浮かべてこちらを伺ってくる男は、少年のように無邪気に見えた。年上の、髭が生えたような男が好みのアーチャーからすれば、目の前の男は目の保養にはなっても好みのタイプからは外れている。綺麗な顔だが、興味はない。
だから、暇だと嘯くこの男に、少し付き合ってやってもいいと思ったのは、ほんの気まぐれに過ぎない。
アーチャーは瓶を取り返すと、テーブルに頬杖をついた男を細めた目で見下ろした。ふと、気分が乗った。
「……私でいいなら?」
そう言えば、目の前の男はにやりと笑った。そう来なくっちゃな、赤い目に喜色が滲む。
「何で一人? 週末だぜ?」
「同僚がいたんだがね、今夜のお相手を探すのに夢中らしくてな。置いてけぼりだ」
「ふーん? アンタかっこいいしもう声かかってんのかと思った」
「何だそれは、嫌味かね」
「ちげーよ、マジで」
目を伏せて笑えば、冗談交じりの声色が跳ねた。
爆音が響く中では少しの距離も障害にしかならない。ただ話すだけでも密着しなければならなくて、テーブル越しに近づいては、その綺麗な男とぽつぽつと話をした。見た目よりも随分取っ付きやすくて、つい興が乗る。
「あ、今夜のお相手にオレどう?」
「ふふ、君ほどの男ならいくらでも相手はいるだろう? 現にさっきから女性たちが君に釘付けだ。横にいる私まで穴が空きそうだよ」
「んー……」
テーブルに組んで乗せた男の両腕が、酒の瓶を握るアーチャーの手にほんの少しだけ触れた。目を見張るほど肌が熱くて、酔っているのかと思う。
離れるように少し退くも、白く逞しい腕が追ってくる。小さな机上でのシーソーゲーム。
「あー、いいんだよ、別に」
一瞬、男の顔は面倒くさそうに歪んだ。吐くため息がぬるく篭って、蒸し暑いクラブの空気に溶ける。
「……女遊びは飽きたのか? 贅沢者め」
ふふ。青くて、若い。浮かんでくる笑みがアーチャーの酒を進ませた。一杯目を飲み干して瓶底でかつんとテーブルを打つと、空瓶を持つ手を上から包み込まれる。ランサーはそのまま残りのハイネケンを呷り、「同じのでい?」と尋ねた。
手を引き剥がしながら頷くと、彼の指が、触れた跡を刻むように手の甲を滑った。ぞわり、と首筋が冷える。
「――ほれ、オレの奢り」
先程も同僚から同じ台詞を聞いた。だがこの男が言うだけでまったく違う言葉に聞こえる。耳がざわざわとさざめくのは、距離が近いだけではない気がした。
男はアーチャーに開けたばかりの酒瓶を渡すと、さっきまでいたテーブルの向こう側ではなく、アーチャーのすぐ隣に立った。壁を背に隣り合うと、すぐ近くに奴の顔がある。びくりと浮いた心臓は見ないふりをして、二杯目に口付けた。話の続きだとばかりに口の端を上げる。
「私なんぞに奢らずに、女性の一人や二人口説いてきたまえ。ほら、あそこの女性などどうかね?」
「んー? あー、まあ、オレにも好みはあるっつー話さね」
「やはり贅沢者ではないか」
頑なな男が面白くなってきて、くつくつと笑いが漏れる。どうも自分も酔っているらしい、言葉の端々に拍車がかかる。首を傾げて男を見やり、瓶を片手にその美貌を指さした。
「いいだろう、その好みとやらを聞いてやる」
「そりゃどーも」
呆れたように細められた瞳は、短い蒼糸で隙間なく囲われていた。ライトが当たってきらきら光る。綺麗だった。
「顔は?」
「美人で可愛けりゃ最高」
「面食い、ね。では体つきは?」
「細すぎねぇのがいい、メリハリついてる感じ?」
その視線が、ずろり、とアーチャーの肢体を舐める。
「……ほう?」
「胸がデカくて腰が細けりゃ言うことねぇ」
「これまた注文が多いな」
「そうか? 意外といるぜ」
上から下までたっぷりと唾をつけた双眸は、ほんの少しアーチャーを見上げて挑むように鈍くぎらついた。唇の端に舌が覗く。
「……それは君の周りだけだろう。いい男にはいい女が寄って来るだろうさ」
「なぁんだ、オレのこといい男だと思ってくれてんのか?」
「それは、その見目ならな。私だって目は確かさ」
「へぇ」
一歩、奴が距離を縮めた。男の腕とシャツ越しに触れ合う。フロアの熱気か汗かで、じっとりと潤んでいるようだった。
近い。何度か離れようと試みたが、その度に追ってきて、ついには半身がテーブルに阻まれた。腕が震えて、酒瓶を取り落としそうになる。
「じゃ、さ。アンタの好みは?」
耳にダイレクトに吐息が入り込む。ノリのいい音楽が響くフロアで、その声が一番アーチャーの芯を揺らがせた。
「私、か」
「そう」
「私は……」
そこでふと思い至った。本当のことを言ったらどうなるのだろう。
相当暇なのか、男はアーチャーから離れることはなかった。酒を飲んで耳近くで話をして、時折笑う。確かにアーチャーの見た目は珍しく、面白そうに見えるかもしれない。だがそんなことはまったくないし、アーチャーもただ退屈を持て余したいい大人だ。彼への余興もここまで。熱くてたまらないから、そろそろその体をどこかへやってほしかった。
「私は」
壁に後頭部を預け顎を上向かせたまま、アーチャーは男を流し見た。聞こえるかあやしいほどの声で、唇に艶を乗せる。
「女は好みじゃない」
紅玉が丸くなる。驚いたのか、男は微動だにしなかった。
何だ、拍子抜けだ。さんざ煽るような真似をしておいて。
だがまあ何だ、ゲイ専用クラブでもないここで、期待するほうが間抜けか。
アーチャーはふう、とため息をつくと、背筋を正すように壁際から離れた。もう終いだ、帰ろう。
「引いたかね? それはよかっ……」
「お兄さんさ」
がしりと、腕を掴まれた。
「……っ?」
「名前何てーの」
「え?」
男の瞳が燃えている。爛々と光るそれが、正面からアーチャーを貫いた。手加減なしの力に息を飲むと、壁と背中との隙間に腕を入れられ、あっという間に腰ごと引き寄せられた。背後で、ドンと酒瓶がテーブルに着地する音がする。密着する体。こんなところで。頭をよぎる淫らな妄想が加速していく。
「なぁ、名前」
「あ、アーチャー」
「アーチャーな。オレはランサー」
名乗る己の声が昂っている。一瞬上がった息を宥めるように、細く深呼吸した。
「……名乗る意味などあるかね?」
「あるとも。これから呼ぶんだからな」
な、アーチャー。
殊更に潜められた声色は低く色づいていた。フロアを揺らがす音楽に消えてしまいそうなのに、それだけがダイレクトに耳を射抜く。ぞくり、と背中が引き攣った。
シャツ越しに鳥肌が立ったのがわかったのか、男、ランサーはアーチャーの腰をすりすりと撫でながら笑った。
「これこれ、この細さだわ」
「……?」
「その真面目ぶってる顔もたまんねぇ、どろどろに崩してやりたくなる」
無邪気そうに笑っていた男はどこにいったのか。今はその白皙の顔に獰猛な獣の皮を被って、舌なめずりをしている。
(いや、これが本性か……)
若い若いと思っていたが、それは男の一面でしかなかった。そもそもこんな男女入り乱れる薄暗いクラブで、どう見ても屈強な男である自分に声をかけてくること自体、おかしいと思わねば嘘だろう。言葉も声も仕草さえ、その内側に爛れた下心を隠していたというのに。
そしてその毒牙にかかった自分は、どうもこの意気盛んな男の、どこかの琴線に触れたらしい。
「……ほう。君は男女の区別もつかないのかね?」
貴様が相手にしているのは男だぞと、最後通牒を突きつける気分だった。貴様は、そのラインを越えられるのかと。
「ん? ついてるだろ、ほら」
途端、びりっとした感覚が下半身に走った。慌てて見下ろすと、ランサーが指でアーチャーの股間を下から撫で上げている。スラックスの上から、たった一筋。それでも下腹を襲ったしびれは、紛れもなく快感だった。
「……っ、そっちの気が?」
「そっちの気も、だな」
「それはそれは、悪食だな」
「バァカ。オレはグルメだよ」
腰をさらに抱き寄せられて、下半身が密着した。上半身だけは逃げを打つように少し仰け反って、それを追いかけてランサーが言葉を紡ぐ。からかい混じりの応酬さえ、アーチャーの芯を震わすだけ。じわじわと追い詰められる。
「窮屈じゃね、それ。なぁ」
ランサーの手が、未だきっちりと締められたままのネクタイに伸びる。結び目に指を引っ掛けて、少しだけ引いた。緩んだのをそのままに、胸に垂れるネクタイをすくって口付ける。目線はアーチャーを捉えたまま。
「……あぁ、そうだな」
煽られるようにネクタイを解く。手つきが覚束無いのを隠すために、一際ゆっくりとシャツから引き抜いた。手伝うとばかりにシャツのボタンを二つ目まで外したランサーが、はぁ、と気だるげな息を吐く。それが汗の滲んだ首筋に触れて、下腹に熱がもたついた。
(……まずい)
ぞわぞわと、体の至る所から火がついていくのがわかる。目の前の男はどう見ても、己の普段の好みからはかけ離れていた。だが、今アーチャーの頭を占めるのは何か、何度振り払っても湧き上がる劣情は何に向けたものか。
脳裏に、ランサーに組み敷かれ激しく抱かれる己の姿が走馬灯のように瞬く。いやらしい言葉で嬲られ、あらゆる性感帯を的確に突かれ、熱い手のひらで愛撫される。凄まじい快感に身も世もなく叫ぶ声は己のもの。これまでのどの相手とも違うセックス。もちろんランサーとは初対面だ。これは妄想だ、それはわかっている。
下腹に重たいものが下りていく。ズンズンと響く音楽に突き上げられているようで。誤魔化せないほどに、体は昂っていた。
「……っ、は」
男にかからないように気遣った吐息は、あまりの近さに意味をなさなかった。
汗の混じったさわやかなコロンの香りに性感を煽られて、もっと嗅いでいたいとばかりにその首元に鼻筋を擦り寄せる。それに気をよくしたのか、ランサーはアーチャーの項の生え際を擽るように指で探った。ぞわ、と背筋が仰け反る。
「いつもはどんなだ?」
「どんな、とは」
尋ね返すと、空気がかすかに震えた。笑ったらしい。カマトトぶんなよと、耳殻を一口食まれる。
「ベッドの上でのダンスは得意か?」
その一瞬、ランサーの声だけが私の世界になった。来た。
「さあ、どうだろうな」
「……なあ、オレ絶対よくできると思うんだが」
「すごい自信だな、百戦錬磨というところか」
開いた唇が小刻みに戦慄く。息が荒らぐのを無理やり抑えつければ、反動で喉がひっくり返りそうになった。
「つーか、絶対相性いいと思うんだよな」
ランサーの手のひらが背中に伸びる。
「ほら」
「……っ」
「こんだけしか触ってねぇのに、全身痺れてきやがる」
その台詞で、何も興奮しているのは自分だけではないのだと知れる。ランサーの手は背中を辿って首まで、そこから再度背骨をなぞって臀部に至った。触れているかいないかのソフトな接触だというのに、神経を丸ごと撫でられているかのように淫らで、腹の奥の官能を喚び起こされる。
「ふ、そうかね」
「我慢強いねぇ」
嘘だ。ランサーの表現は的確だった。触れた端からびりびりと痺れていく。耐えきれずに顎が浮いた。晒した喉元に、ランサーの息がかかる。
「どんな声で鳴くんだか」、ランサーは歯を見せて笑った。
「……私がトップだとは思わないのかね?」
「まさか。オレの目は確かだぜ」
その問いは、アーチャーの経験に基づいたものだった。出会い目的の場所に行けば大抵見た目でトップに間違えられる。だから如何にも大人な、大柄な男が好きだった。それが、こんな年下の若い綺麗な男に見透かされるなんて。全身が発火したように熱くなる。見ないフリはもう出来そうにない。
「どういうのがいい?」
男は濡れた声で囁いた。
感じるところは? 体位は?
キスはしても? 耳弱ぇの?
焦らされんの好き? 激しい方がイイ?
いつもどんくらいイく?
奥まで入れてい?
「……はぁ……」
矢継ぎ早に吹き込まれるそれは質問というよりスパイスだった。息が上がる。どくどくと脈打つ心臓はクラブミュージックより刺激的だった。
肩や背筋、脇腹を愛撫する白く熱い手のひらに感じて、小さく跳ねてはくぐもった反応を返す。言葉と些細な触れ合いだけでとろけそうにいい。全身に伝播した痺れが、恐ろしくクる。腹が熱くてたまらなかった。
「あっちぃ……勃ちそ……」
そんなのはとっくにだ。さっきからスラックスの下で頭をもたげようとしているものを無視できなくなっている。腰を擦り付けているので、男にもバレているだろう。身じろぎすればさらに強く押し付けられた。
「ふふ、っ、随分早漏……っ」
「確かめてみるか?」
にやり、弧を描いた唇が近づいてくる。もう完全に抱きしめられていて、いくら暗いからといっても周りの目からは隠しきれない。すでに奇異の視線で見られているかもしれなかった。それでもランサーの胸を押しやる手は形だけで、頭に靄がかかって欲に飲まれそうになる。
額同士が合わさった。どちらもひどく熱く火照っていて、体が揺らぐ。こんなところで、男二人で。ばちん、と頭のどこかで何かが弾けた。
「あーちゃぁーー?」
びくりと硬直した。同僚の声だった。
虚を衝かれ、慌ててランサーを引き剥がすと、意外にもその腕はあっさりと引いていく。呆気ない幕切れに立ち尽くすアーチャーに、ランサーは、
「二時に店の裏」
と囁いた。ぶわりと汗が噴き出して、興奮と焦燥に拳を強く握った。
ランサーはそのまま足早に店の奥へと消えていく。呆然とその背中を見送ると、あーちゃーいた!という大声とともに酔っ払った同僚が腰にタックルしてきてよろける。何とか抱き起こすと、同僚はぐだぐだと大声で文句を垂れた。どうやらナンパは失敗したらしい。
このまま騒がせていても迷惑なので、肩を支えて店を出る。入口横で寝ていたもう一人の同僚と荷物も回収して、それぞれタクシーに押し込んだ。寝ているほうはまだしも、女性に振られたほうは一緒に帰ろうとぎゃんぎゃん喚いていて、運転手に謝る頭も随分低くなった。
その同僚とは帰り道が同じだった。共に帰らなかった理由は言うまでもなく。期待に胸が騒ぐ。
「……は……っ」
大きく息を吐いて、のろのろと左腕を上げた。手首にはめた腕時計は、男の言った午前二時まであと十分程度しかないことを示している。もたつく足で店まで戻り、自分の荷物を引き取って外への階段を登った。酒は飲みかけで置いてきた。きっとそのまま小さなカウンターテーブルの上に鎮座しているだろう。男のハイネケンと一緒に。
「……っ」
アーチャーは店の入口近くで立ったまましばらく動けなかった。
急激に酔いが覚めていく。だのに、体は燃えるようだった。寒くもないのに背筋がぶるりと震える。どきどきと落ち着かない。それは欲と予感に揺らぐ己の心だった。
このまま十分後に店の裏へ行けば、絶対に抱かれる。
あの男に、ランサーに。
この手を引かれれば最後だ。戻るなら今、このとき以外にない。アーチャーは頭の中をこねくり回して、必死に「行かない」理由を探した。あるわけがなかった。
「……ふ、ぅ」
先程までのもどかしい触れ合いを思い出して、体の奥の炎がまたも燻る。あと数秒、同僚がアーチャーを探すのが遅かったら、キスしていただろう。そして、キスしていたなら、この心と体はとっくに奴のものだったはずだ。抱かれたくてたまらなくなって、アーチャー自らホテルに誘っていたに違いない。
風がなぞっていくのすら耐えられなかった。もう我慢出来そうにない。
アーチャーは店の裏に足を向けた。脳髄がどろどろと溶け始める。もうそのことしか頭になかった。
最後に後ろで遊んだのはいつだったか。最近は仕事が忙しくてめっきり慰めていない。後孔がじゅくじゅくと潤みだし、その柔壁を埋める硬い楔をずっと探している。
(やつは……本気なのだろうか)
あの口ぶりは男女どちらでもオーケーだということだろう。だがなぜ自分に声をかけたのか、まったくわからない。年下の若い男に手を出す罪悪感もあった。ぐるぐると考えが巡る。酔いが形を潜めるのと相反して、頭はぐらぐらと煮えたぎった。わからない、わからなかった。
――だがそれが何だ。
(……私の目は「確か」だ)
そう、そうだった。何を悩むことがある。一番初めに男に声をかけられたとき、腰を抱き寄せられたとき、シャツ越しの肌をなぞられたとき。一切拒まなかったのは誰だ。それが答えだろう。
やっと頭と体が繋がった。遅すぎる答え合わせに、肉体のほうが歓喜に沸く。悩むことなど一つもなかった。見た目の好みや年齢など、今は関係ない。ただ欲に素直になるだけ。
運がいい、あんな綺麗で若い男に抱いてもらえるなど。
しっかりとした足取りでそっと店の裏を覗くと、ランサーは壁にもたれて一人、煙草をふかしていた。暗闇に伸びる紫煙がくゆる。古ぼけた街灯がランサーを照らして、スポットライトのように輝いた。
こちらに気づいたのか、ランサーが振り返る。
煙草を挟んだ手を下ろして、ふっと笑った。
「覚悟は出来たかよ」
獰猛な獣の目だった。激しく燃える劣情の炎に、アーチャーは観念したように細く息を吐く。
ああ、捕まった。その牙に、その爪に。
「……ランサー」
初めて唇に乗せた名に、男が嬉しそうに目を細める。一歩ずつゆっくりこちらに向かってきて、アーチャーの手を取った。
ばさりと落ちる鞄、迫る赤い唇。煙草と香水の香りがアーチャーを包み、狂わせる。
夜が始まる、その前に。
二人の男の影が重なった。
Comments
- わんわんおJanuary 12, 2025
- September 18, 2023
- June 11, 2022