プロレス中継に熱狂 街頭テレビは黒山の人だかり
1954年には大阪・名古屋でもNHKのテレビ局が開局。サラリーマンの初任給が1万円にいかない時代に、テレビの大部分がアメリカ製で30万円近く。このころの「三種の神器」は電気洗濯機・冷蔵庫・掃除機。まだテレビは高嶺の花で茶の間にはない。街頭に設置されたテレビの前に、プロレス実況中継などでは黒山の人だかりができた。
街頭テレビは黒山の人だかり アメリカ製受像機 1952年発売、7インチ(NHK放送博物館所蔵)
テレビで初のヘリコプター取材を敢行した二重橋事件
1953年に朝鮮戦争は休戦協定を調印、衆議院でのバカヤロー解散。明けて1954年1月2日に一般参賀に押しかけた群集が将棋倒しになり多数の死傷者を出すニ重橋事件が起き、テレビで初のヘリコプター取材が行われた。
街頭テレビ 力道山に日本中が大興奮
民放初のテレビ局・日本テレビ(NTV)は、高価なテレビを買えない国民がテレビを見られる機会を増やす手段として、積極的に街頭テレビの設置に力を入れた。繁華街などの街頭に設置したテレビの前には人びとが集まり、野球・相撲・ボクシング中継などが人気を呼んだ。
とりわけプロレスは大人気で、小さな日本人レスラーが大男の外国人レスラーを倒すシーンに熱狂した。大相撲の関脇からレスラーに転身した力道山はスーパースターだった。新橋駅前には1か所で2万人が集まったことさえあったという。NHKも初めてプロレスタッグ・マッチ(力道山・木村政彦対シャープ兄弟)を東京蔵前国技館から中継した。
1年間でテレビ受信契約数は1万を突破
テレビの普及は、本放送開始から1年(1954年2月22日)で、テレビ受信契約数は1万を超えた。「テレビ受信中」と書いたお店があちこちにできた。テレビは街頭からお店に、そして茶の間に徐々に普及をはじめる。
そんななかNHKラジオで始まった『君の名は』は大ヒット。ショールを頭から巻く真知子巻きが流行した。映画『ナイアガラ』で人気を集めたマリリン・モンローと米大リーガー、ジョー・ディマジオの新婚夫妻が来日。『ローマの休日』のヘップバーンがショートカット旋風を巻き起こした。テレビなどの映像が加速度的に世の中に流行を伝え、変えはじめた。
舞台中継『蘭平物狂』」をキネスコープ録画で初放送
テレビにはまだVTR(ビデオテープレコーダー)という便利なものがない。10月には舞台中継『蘭平物狂』(東京・歌舞伎座、10月16日録画)が、VTRの代わりにフィルムを使って収録するキネスコープ録画で初放送された。キネスコープ録画装置の活用により、ラジオの人気番組・舞台中継・スポーツ番組などをテレビでも録画し放送できるようになった。テレビの番組の幅が大きく広がった。
12月にはNHKで待望のテレビ中継車完成
VTRがない生放送でも、ドラマはさまざまな工夫をして作られていた。前年1953年11月から初の連続ドラマ『幸福への起伏』(作:今日出海、出演:村瀬幸子・松本克平ほか)が放送された(~1954年1月、13回。)作家の今が、「テレビは茶の間のものだから」と、没落した資産家の家を舞台に「家族の幸福とは何か」を描いた“ホームドラマ”である。1954年には芸術祭にNHKのテレビドラマが初参加した。『居留地ランプ』(原作:長谷川伸、脚色:西川清之、出演:山形勲・久松保夫ほか)、『風光る』(作:今日出海、出演:石黒達也・日高ゆりえほか)が放送された。
12月にはNHKで待望のテレビ中継車が完成。テレビで中継できる体制が整いはじめた。