一般社団法人リディラバ代表理事/マグロ漁師/東京大学大学院博士課程
みんなが社会問題をツアーにして発信・共有するプラットフォーム『リディラバ』を2009年に設立。600名以上の運営会員と60種類以上の社会問題のスタディツアーの実績があり、これまで2000人以上を社会問題の現場に送り込む。また都立中学の修学旅行や企業の研修旅行などにもスタディツアーを提供する。その他、誰でも社会問題を投稿できるwebサービス「TRAPRO」や「Travel the Problem」の開発・運用なども行い、多方面から誰もが社会問題に触れやすい環境の整備を目指す。2012年度より東京大学教養学部にて1・2年生向けに社会起業の授業を教える。特技はマグロを素手で取ること。総務省起業家甲子園日本一、学生起業家選手権優勝、ビジコン奈良ベンチャー部門トップ賞、KDDI∞ラボ第5期最優秀賞など受賞多数。第2回若者旅行を応援する取組表彰において観光庁長官賞(最優秀賞)を受賞。
コンビニの前で座り込んでいる僕を、道行く人は見ない。怖いからというのもあるが、そもそも関心がないからだろう。
僕は中学から高校にかけてあまり学校に行かず、ふらふらしている時期があった。コンビニの前で座り込む僕やその仲間たちは、ある意味一つの社会問題だったと思う。そして当時、道行く人々がいかに僕たちという"課題"を無視しながら生きているのか、ということを強く感じた。
きっとみんな「自分のことで精一杯」だから。日々の忙しい生活の中で、知らない他人が困っていても構ってはいられない。なんだかとても生きづらい世の中だ。
生きづらいのは、弱者やマイノリティにとってじゃない。誰しもが弱者やマイノリティの側に回る可能性があるにもかかわらず、そのことに気がつくことなく無関心な日常を送る、僕やあなたたちにとって、だ。
社会の無関心の打破する
僕は今、リディラバ(Ridilover)という非営利型一般社団法人と会社を運営している。一言で言うと「社会課題の現場を巡る旅行会社とNPO」だ。多様な社会問題を取り上げ、それらを旅行商品として販売している。
僕は大学3年生のとき、仕事にするという明確な意志もないままこの活動を始めたが、今は約600人の運営会員と19名の事業部員、15名の職員に支えられながら少しずつ事業を広げている。僕らが提供する旅は、一般向けだけではなく中学・高校の修学旅行や、企業の研修にも使われ始めている。
最初は、ダムに訪れる旅から始めた。それ以降、僕自身がたくさんの社会問題を見て回ることになった。そして今も、たくさんの現場を見て回っている。
この社会的論点をまわる旅("スタディツアー"と僕らは呼んでいる)は僕がコンビニの前に座っていた10代半ばの頃から考えていたことを、確信に変えてくれるものであった。
それは、多くの社会課題は人々の無関心が原因で可視化もされず、解決にも向かわないでいる。そして、その無関心は属人的な問題というよりは、社会の構造として存在している、ということだ。
そうした前提の中、できればその構造的な無関心の状態を変えたくて、設立時から理念として「社会の無関心の打破」を掲げ続けている。この連載を開始するにあたって、僕はまず自分が持つ問題意識に触れておきたいと思う。
社会問題とは何か
まず、そもそも社会問題とは何なのか。
「個人の問題意識に端を発し、その問題意識に対して一定の人がその社会性を認めたもの」
これが、僕がリディラバを作ったときから掲げる社会問題の定義である。
社会というのは何層にも重なりそれぞれが入れ子構造になっている。僕の家族だって小さな社会だし、仲のいい数人のグループも、会社や学校の同僚や同級生も、あるいは豊島区に住む人も、東京都に住む人も、日本国に住む人も、あるいはアジアや世界に住む人も、みんなそれぞれの社会に属している。そしてその属する社会は多数存在し、色々なところで重複をしながらも曖昧に境界線を変え続ける水の流れのようなものだ。
そしてその水の流れの中で、どこかで赤い水が生じる。それは一定の範囲内では「赤」という色をなんとか保つけれど段々と薄まっていき、ある境界線を超えるとそれは「ほぼ透明」な水と判断される。
ご想像の通り、その赤い水が社会問題だ。そしてその赤い水の範囲がそれぞれの社会の範囲に対応することが多い。
少し例を出して考えてみよう。
僕は多くの地域や自治体の方から相談を受ける。首長さんから直接に相談を受けることも少なくない。よく相談される地方の"社会問題"の一つに「農家の収入が少なくなっている」ということがある。割と多くの地域で共通する悩みのようだ。
しかし、冷静に考えてみると、それっておかしいような気もする。なにせ農家も自己責任でビジネスとして農業をやっている人たちだ。売上が少なくなったから社会問題だ、と言いだしたら他の事業者は納得いかないだろう。例えば、ワタミが自社の売上が落ちたことを社会問題だ!と言いだしたら、もう炎上間違いなしなのは想像がつくと思う。
しかし、農家という業界内では当然、その業界内での"社会問題"になる。その範囲だけで"赤い水"は共有されている。ただ、その社会に属する人たち以外からは社会性は感じてもらえないだろう。
一方で、同じ課題でも見方を変えると社会性が生まれる場合もある。例えば「伝統的な農業地帯の風景が壊れるという文化的側面」であったり、「自給率を含めた食の安全保障の側面」などからすれば、農家の収入減も課題として当事者達以外からも社会性を見られる可能性が大いにある。この場合、"赤い水"は普段よりずっと薄まった状態でも「赤い」として認定される。一つの問題提起がより広義な意味で社会性を帯びるのはこういうときだ。
僕らは、こういった個人の問題意識を起点にし、そこから一定の周囲の社会に支持されたものが社会問題として定義されるべきだろうと思っている。言い換えれば赤い水は薄まっても赤なのだ、と判断されるときが大事なのだ。当事者以外がどれくらい問題意識を共有できるか、ということで社会性は決まる。
誰が当事者で、誰が傍観者なのか
新聞やメディアで「ある社会問題が解決されました」という記事をどれくらい見かけることがあるだろうか。僕はあまり見かけたことがない。
その一方で多くの問題「提起」は見かける。ただ、多くの人がその後を追うことはしない。根本的に、僕らは他人の問題に興味がない。問題提起されることはあっても、しっかり解決まで追いかけることはなく、そのまま放置される。
これは学校のクラスで起きるいじめの問題に近い。いじめの問題には大きく3種類のステークホルダーがいる。加害者(いじめる人)、被害者(いじめられる人)、傍観者(見て見ぬ振りをする人)だ。そして数的には圧倒的に傍観者が多い。そして最初は見て見ぬ振りをしていたのが、だんだんと気にも留めなくなってそのいじめがある状態があたりまえになっていく。
今の社会はいじめのある教室と非常に似ている。僕たちは多くの場合は加害者でもなく被害者でもない。ただ、見て見ぬ振りをしている傍観者だ。そして僕らが知らない振りをしている間に、当事者たちは必死でもがき、しかし、もがけどももがけども解決には結びつかず、いずれ諦めていく。
社会問題の特徴の一つに当事者たちだけで解決不可能であるということがある。ではいつ解決に向かうのか。
それは課題の当事者に傍観者が関心を持って関わり始めた瞬間からだろう。僕はそうやって多くの人が気軽に傍観者としてでも社会問題に関われるような仕組みを作ることができたら、と思ってこの仕事を始めた。
みんなが少しずつ、ちょっと関心を持ってあげるだけで、社会は変わるのに。僕たちはその事実に何となく気がついてはいるんだけど、どうしてもなかなか関心を持てない。「実際に何か出来る訳じゃない」「なんだか一度関わると長期的に拘束されそうで面倒」「社会貢献とかなんだか偽善っぽい」とかって思ってしまう。
だったら、もっと気軽に、後ろめたさも持たずに知的好奇心を満たすある種のエンターテインメントとして社会問題の現場を巡るようにできないだろうか。そう思ってこの旅の仕組みを作った。そしてそれが現場で課題解決に動く人々の収入源にできるようにした。もちろん現場の都合を最優先した上でだ。
明日は僕らかもしれない
僕は社会問題に対する「関心のセーフティネット」を作ることができたらと思っている。
民主主義と資本主義の世の中に生きる僕らは、誰もが弱者になりうる。昔の貴族階級と庶民の固定化された格差と比べて考えてみると、持っている富や所有物がひっくり返りやすいのは明白だし、それが「機会平等」というものだ。
現代では誰がいつどのような形で社会問題の当事者になるかわからない。綺麗に階層が分かれている訳でもない。世の中で勝ち組と言われる医師も、見る角度を変えれば社会的弱者になりうる。医師には医師法という彼らを縛る法律があるのだが、そこで決められている応召義務(患者に求められたら医師は正当な事由がない限り診察や治療をしなければならないという義務)は個人の自由を阻害するという意味で憲法に反するのではないかと度々議論が起きている。また公務員で安定していると言われる教員も心の病に罹る割合が高いとされているし、大きな企業に勤めていたってそこがいつ倒産するか分からない。僕やあなたがそういった形でいつ弱者になるかなんてわからないのだ。
社会の課題はわかりやすくラベリングされたところ以外にもたくさんあって、思っているほど社会問題と僕らは二項対立ではないのだ。あらゆるものが多様化した現代では、どんな人も必ずマイノリティとして生きている。性別や年齢だけじゃなく、趣味や嗜好や所属など本当にたくさんの要素の掛け合わせでその人が成り立っている。そしてそのマイノリティは、何かのきっかけで「社会的弱者」となり、社会問題の当事者になっていく。
大きな川が流れていて、その対岸に社会問題があるのではなく、毛細血管のように無数の小川が僕らの周りにはあって、どの小川の向こうにも社会的弱者になりうる人がいて、ふと足下を見てみると例外は自分の足下にもないことがわかる。誰もがマイノリティで、誰もが社会問題の当事者になりうるのだ。
多くの社会課題の当事者を悩ませる、とても残酷な事実は、当事者以外は、その課題には基本的に興味がないこと。当事者だけではなんともならないからこそ社会の課題なのに。
僕は、事業を、また今回はこの連載を通じて、いつか社会的弱者と呼ばれるかもしれない自分たちのためにも、お互いに少し関心を分け合おう、と思う。
<安部敏樹>
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<Travel The Problem>
学びを旅する。「普段知ることのないこと」を知る旅に出てみませんか。
Travel the Problemはリディラバが提供するスタディツアーのプラットフォームです。
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<TRAPRO(トラプロ) - イシュープラットフォーム>
TRAPROはリディラバが提供する社会問題の百科事典です。
http://www.trapro.jp/