狗神様のお嫁さま【槍弓】
タイトルに割と大体の要点が詰まっております。槍ショタ弓兄貴人外パラレル(弓兵真名バレ) って説明しようとしたらそういえば兄貴元々人外でした。ついったで熟成させすぎて発酵気味な妄想のひとつです。表紙はヨシュケイ様(user/2532816)よりお借りしました。
- 689
- 625
- 16,315
ようらん、ようらん、行かしゃんせ。
花は摘んだか嫁御殿。
いいやまだまだ摘みやせぬ。
ようらん、ようらん、行かしゃんせ。
しろい目隠しとくまでは、
摘ませやせぬぞ花嫁御寮。
随分聞かなかった歌が、闇夜を縫うようにほそく流れてきた。
ああまた下の里で病でも流行ったか、と彼はてのひらに蛍を呼ぶ。ちかりちかりと瞬くそれは、彼の目となり耳となる。手を翻し、洞から飛び立たせた蛍は、やがて松明を掲げ森を進む一団を見つけた。
同じ節を何度も繰り返しながら、野道を踏み入るところからもう神事なのだと、彼は知っている。男衆の枯れた歌に、ただひとりいる娘の声は混じらない。娘はいつも白い打掛を頭から被せられ、文句のとおりに白い布で目隠しをされている。それを、前後を詰める男衆が導いて進むのだ。儀式の一端であり、娘が逃げるのを防ぐためでもある。
こんな闇に溺れるような夜に、嫁ぐ娘などあるものか。娘はすなわち、生贄である。
(かわいそうにな)
蛍を通して、ふらふらと手を惹かれる娘を眺め他人事のように同情した。打掛に顔も見えぬが、背丈を見ればまだ女童ではないか。子を産める女が惜しくなったか、口減らしも兼ねての白羽の矢か。一団はほどなくして、鬱蒼と茂る樹々に囲まれた洞の前へ辿り着いた。
男衆は娘を土の上に座らせ、その前に捧げ持ってきた二つの瓶を置く。中身は供物の塩と酒だ。里が窮しているなら、そんなものを工面しなくともよかろうに。最後にあの歌をもう一度唸り、地に額をつけて洞穴を拝むと、彼らは踵を返した。無論、娘をそこに残したまま。
蛍の目を閉じ、己の目を開く。こんな夜だから獣の姿の方が楽だが、あの口では人の言葉を繰るに上手くない。蒼い毛並みを綺麗に引かせて、彼は腰を上げた。尾と耳が残るのは致し方ない。彼より高位の神霊だとて、ぴたりと人に化けおおせることはできぬ。
松明もなく、月もない夜の底に、娘は変わらず座していた。
足音は隠さず、草と土を踏みしめてゆっくりと近付く。指先に鬼火を灯し、いくつか散らすと幾分辺りが明るくなった。目の前で見れば花嫁はいよいよ小さく、そして娘ですらないと知れた。
打掛を滑り落とされ、こぼれた髪には色がなかった。色の濃い膚によく映える白は、童が戴くには早過ぎる。刈られたその髪は、女児ならば惨いほど短い。まさか、これほど幼ければ男も女も変わらぬとでもいうのか。
膝の上のちいさな手は、握りしめられているかと思ったが行儀よく重ねられていた。よほど肝が座っているか、でなければ膝を揃えたまま気を失っているかと思うほどだ。
「――――――お前が此度の花嫁か」
湖面を雫が打つ如く、静かに波紋を描く声音が童の顔を上げさせ、そして頭を垂れさせた。
「左様でございます」
歳にそぐわぬ丁重さで肯んじる、その舌つきはまだ甘い。そうせよと教えこまれたであろう言葉遣いは、かえって童をより幼く、痛々しく見せた。鬼火の蒼にたやすく染まるましろい旋毛を見下ろし、彼はひとつ嘆息する。
「まだ童の、しかも男子ではないか。里の者は何を思うておるのだ」
屈み込み、未だ目を塞いだままの面を上げさせる。その覆いを外してやるつもりはなかった。ひきずるような長さの打掛でくるむように腕に抱き、彼はすくりと腰を伸ばす。
「お前のあるべきところへ帰るがいい。案ずるな、代わりの贄などいらぬ。赦しの印も与えよう」
元より人の贄など必要のない身だ。喰って喰えないことはないが、進んで喰おうとは思わぬ。
童の手の甲にささやかなまじないの印を乗せてやり、里へ下りようと歩み出す。その彼の衿元が、ぎゅうと絞られた。人とも妖とも知れぬ者の衣を掴むとは、なかなか剛毅な童だ。
「……お気に召しませんか」
うすく怯えを帯びた声は、それでようやく子供らしい色に近づいた。今頃畏れがこみ上げてきたのか、衿に縋る指がかすかに震えだしている。苦笑しつつ、薄い背をあやすように撫でながら彼は答えた。
「召すも召さぬも、お前はまだ蜻蛉を追うて遊ぶ年頃ではないか。それに、斯様に痩せた身体では喰らう肉もないわ」
抱え上げた身体は、片腕でも日がな一日抱いていられそうなほど軽かった。翼を生やしてやれば、飛べるかもしれぬ。その体つきからやはり食い扶持を減らすための人身御供か、と考えて、彼は帰す先に頭を捻る。
「――――いぬがみさま、狗神様、後生です、どうか、どうか」
袈裟に掛けた毛皮の肩口に、舌足らずな懇願がこぼれる。どこそこに帰してほしいと、続く言葉を期待した彼はしかし、あどけない声に裏切られた。
「ならば、私を殺してください」
「……………………はあ?」
ひとまず、格式高い口調を保つ努力は、そこで綺麗に無駄になった。
童があまりに殺せ殺せと聞かないので、彼こと狗神は己の塒にそれを担ぎ入れた。毛皮と藁で誂えた寝床に放り、委細を尋ねればなるほど、童は忌み子であった。
小さな里は因習を重んじ、閉鎖的で、あらゆる異分子を拒む。生まれながらに白い髪と灼けたような膚を持った童は、母が産褥で命を落としたことも手伝って、当然のように迫害されながら育った。父は彼が生まれる前に大水で還らぬ人となっており、物心ついた時には両親の命を喰って生まれた鬼の子と呼ばれていたそうだ。
その日の糧にもありつけぬ歳の童を、唯一ひととして養ってくれたのは山の麓に住んでいた養父だった。元は余所から流れてきたという父は、白い髪を厭うことなく頭を撫ぜてくれた。けれどその手も、半月程前に失われた。長いこと肺を病んでいた彼を疎んじ、生前から里の者は彼らの住まいに寄りつかなかった。贄を捧げる神託が下されたのは、幼い手で鍬を振り、家の裏手に養父を埋葬した数日後のことだ。
「要するに、もう誰も惜しむ奴はいねえだろうってんで、お前が選ばれたわけか」
憤りを隠しもせず、狗神は吐き捨てた。無論彼自身は神託など下してはいない。第一、その手の人間に直接意思を送り込む芸当は、彼の異能の外にある。ついでにここ二百年ほど山を護っているが、狗神はこの山の本来の主ですらなかった。知己の山神に頼まれて、留守を預かっているだけである。
寝床の上で相変わらず居住まいを正している童は、かたく拳を結んで頷いた。
「なんでそんなあっさりしてんだよ。散々疎まれた挙句、そいつらに殺されるとこだったんだぞ? 憎いやら何やらあるだろ」
わしわしと、首を胴体に沈めるように童の頭を掻き回す。まだ目隠しを取らせないのは、人里に戻す希望を捨てきれないからだ。とはいえ、山向こうの里に逃しても、確かにこの髪と肌では嫌悪の目がついて回るだろう。物の怪や妖の中では決して珍しくない色は、人にしてみれば異形なのだ。
「いいえ、初めから悪いのは私ひとりなのです」
おおきな手に押され、俯いたそのままに童は言う。
「私がいなければ、血の繋がった父も母も、育ててくれた父もきっと、永く生きておりました。里の者を怯えさせることも、子供を家から出さぬようにすることもなかった。だから、」
私が生きていることは、許されないことなのです。
濃緋よりなお鮮やかな双眼が、いっそう色を深くした。
こんな年端もいかぬ子供に、芯からこんなことを言わせるとはどういうことだ。慈しんでくれた人を想う心があり、悼む気持ちのある幼子を疎外し、挙句納得ずくで命を放らせようとするとは。そんな馬鹿げた理屈を素直に呑むほど、惨い仕打ちを受けてきたというのに、当の童は毛ほどもそれに気付いていない。
「この血で御手を穢してしまうなら、どこか人のないところへお連れください。飢えた獣があれば、餌として与えてください。お願いします、どうか」
毛皮へ額をすりつける童に堪えかね、狗神はその身を先のように抱え上げた。膝に上げた身体はやはり、目眩がするほど軽い。肉の代わりにその全身にとりついているのは、他人からの呪詛だ。重く硬くつめたく、心の臓まで食い込んで、最早童の魂に溶けてしまっている呪いだ。
ひとの思念は、一朝一夕では崩せぬ。それは蝕まれた幼子の心も同じで、一度や二度その存在を認められたからといって、己を許せるようになるわけもない。
ならば、どうする。
「…………仕方ねえな」
愛しさと憐れみは、胸の裡のふるえ方がよく似ている。獣の名残をかすかに残す爪が、とうとう目隠しの結び目に届いた。
「坊主、名前は?」
「……エミヤと、申します」
忌み子として生きてきた彼に、己の容貌はどう映るだろうか。怯えさせたくはない、と願って布を滑らせる。お前などより余程、この目は髪は、頓狂な色をしているのだから。
「そうか、エミヤ」
果たして麻布は落とされ、髪と揃いの睫に縁取られた瞼はゆるやかに開く。覗いた瞳は、黄昏前の陽を受けた鉄のいろ。なんだ、こんなにもうつくしいものを持っているではないか。
「ならいつか、オレがお前を喰ってやる」
だからそれまで、死ぬんじゃねえぞ。
新たにかけられたそのやさしい呪いが、成るのは遠い遠い先のこと。