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頭がいい人ほど「感情粒度」が高い
頭がいい人を観察していると、ある共通点に気づきます。それは「すぐに言葉を諦めない」ということです。
普通の人なら「なんとなくそういう感じ」「まあ、いろいろと」でまとめてしまうような曖昧な事象に対して、頭のいい人は粘ります。
「それって具体的にはどういうことだろう」「この感覚を正確に言い表すとしたら」と、しつこく言葉を探し続ける。その粘り強さそのものが、頭の良さの正体なんじゃないかとぼくは思っています。
面白い研究があります。心理学者のリサ・フェルドマン・バレットは、感情粒度(emotional granularity)という概念を提唱していて、「自分の感情を細かく言語化できる人ほど、感情のコントロールが上手く、精神的にも安定している」ということを示しました。
「なんか嫌だった」で終わらせる人と、「承認されなかったことへの悔しさに近い感覚だった」まで掘り下げられる人とでは、その後の思考の質がまるで違う。言語化の精度が、思考の精度に直結しているわけです。
そしてここで重要なのは、これは「言語化する能力」の話ではないということです。
バレットの研究が示しているのも、先天的に持って生まれた才能の差ではなく、「どれだけ言葉にしようとするか」という姿勢の問題です。後天的な努力の問題。要は「粘るかどうか」です。
ぼく自身もよく経験することなんですが、文章を書いていて「なんかうまく言語化できないな」と感じる瞬間があります。
そこで「まあこれくらいでいいか」と丸めてしまうのか、「いや、もう少し正確に言えるはずだ」と踏みとどまるのか。その選択の積み重ねが、文章の質を決めていくんですよね。
言葉というのは、探せばもう少し正確なものが必ずどこかにあります。もう少し伝わりやすい、具体的で、粒度の高いものがどこかにあります。
「悲しい」より「置いてけぼりにされた感じ」の方が近いかもしれないし、「嬉しい」より「じんわりと報われた感覚」の方がしっくりくるかもしれない。
その「もう少し」を諦めずに探し続けること。
具体と抽象を何度も行き来しながら、相手に届く言葉を模索し続けること。
それは才能じゃなくて、姿勢です。
頭のいい人というのは、感情の言語化において「もう少しだけ粘れる人」なのかもしれません。
参考記事。
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