カテゴリ: アルバムから
10年前の今夜、アートバンクの忘年会。
4年前の今朝。
庭木の剪定〜切断作業は信頼できる工務店〜年賀状の素材探し〜SASの検査結果〜見違えるようになる御隆荘〜etc.
4時間たっぷりかけて昨日のブログ書く。07時30分、井門さん来られて剪定作業開始。冬場は日が短いのでこの時刻には仕事を始めないと8時間で片付かない。ホワイトカラーはサマータイム、ブルーカラーはウィンタータイム。
07:40、朝食のピザトーストを食べながら御隆荘アパートの耐震性でただひとつ残る不安について妻と話す。それは何年も前の「切り取り工事」。元々御隆荘と萌黄荘は2棟の「御隆荘」だったのだが、相続分けために間に通路を設けて分断され、道路の幅を確保するために御隆荘の方が、東の出入口から共同の階段を取り去って部屋の内壁の外に新しい壁を設ける形で整えられた。その壁の耐久性への不安。
それで妻の、「山科の工務店」「誠実」「トイレを掃除する宗教」というキーワードを手掛かりに、「トイレ・掃除・宗教」で検索すると、TOPに「一燈園」が出て、「それそれ!」ということですぐに「燈影設計工務」という工務店に辿り着いた。創業1969年、社員7名のうち3名が一級建築士。自治体の仕事も数多くこなしている。こういう会社が担当したオペなら間違いない、耐震性を担保しないような工事はしないだろうと一安心。念のため近いうちに、どういう工法でやられたのか「御隆荘切断工事」の記録を見せて貰いに行くことにする。
井門さんたちの今日の仕事、母屋の樹木の剪定と、離れの伸びすぎた銀杏の木の剪定や藤蔓の除去その他。作業の段取りが良いように車を移動し、10:30頃になってようやく出発。中信で工事費の一部を入金。
出勤して間も無く昼休み。新聞読み、仮眠を試みるが無理。親父の写真アルバムから来年の年賀状のネタを探すが、貴志川町から和歌山市内に引っ越した1950年代後半以降の僕は、街に居場所がなくて鬱々悶々としていじけた日々を送っていたので笑っている顔がほとんど無い。
このシリーズもここらで打ち止めにしようかなと思ってみたが、良くみると結構いい写真あり。3つ選んで猛の意見を聞く。親子大体同じような感覚なのですぐに決まる。どれも良いのでみんな載せたらと猛が言うが、それでは来年のネタが無くなると却下。
もうそろそろお前の写真とバトンタッチしろと言うが、猛は自分の写真は暗いので年賀状には向かないと言う。それならもっと明るい写真を撮れ。そう言えば芽生もいい写真を撮るなあ。あいつのも暗そうだが…。
(第一候補に選んだ写真、これはなかなかノスタルジックな傑作だったのだが、Photoshopでキズやゴミの修正作業をしているうちに僕の左手が心霊写真のように半透明になって消え後ろの景色が写っているのに猛気付き、後2つの候補作も修正して送ってきたのでその1つを使うことにした。年賀状に「影が薄い」写真は縁起が悪い。)
御隆荘の耐力壁。切断工事の業者の信頼性。年賀状の写真選び。
♬昨日今日で、重い荷が3つ下りた。
高橋君京大病院での診察終えて午後から出社。先日の検査入院の結果を聞いて来る。無呼吸時の血中酸素濃度は89まで低下。CPAPの使用により無呼吸の回数は半分回復。まあこのCPAP、睡眠中かなりなストレスはあっても死ぬまで使わんとしょうがないだろう。酸欠で認知症になった高橋君なんて洒落にならない。「いいえ、それまでに突然死するかも知れません」と。
予定より出発遅くなり、15時15分に退社、御隆荘に向かう。南側と西側の壁面は2度目の下塗りを終えて本番の色が着いている。いいなあ!本当に見違えるようだ!
東の階段で古田さん塩田さんらと、車の進入路から事務所棟に上がる階段新設の打ち合わせ。
夕食はラーメン。まあまあうまい。
烏骨鶏蕎麦〜孫たちへのお年玉プレゼント〜初大物の寒ブリ〜愛媛の近況〜深味の鶏肉〜etc.
朝食の烏骨鶏卵蕎麦を食べているところへ瑞から電話あり、恒例のお年玉プレゼント今年の欲しいものが決まったとのこと。BMX用のヘルメットで今、自転車屋さんで取り置きしてもらっているという。ほな今日行こうか?と問うと、今日はたまたま時間があって行けるという。部活が終わって帰宅する時刻に合わせて迎えに行くことにした。
曉郷からのリクエストの天体LEGOは金曜日に届いた。嵩が大きくて家の宅配便BOXに入らないだろうと思って会社宛に送ってもらった。
10:30、京都三菱北山店の森田さんから電話頂く。フロントガラスの修理代の見積は約17万円。ポルシェの時には60万円以上掛かったので、それに比べると格段に安くて喜ぶ。保険屋さんに昨日電話したが自動音声なので切ってしまった、すぐに人間が出て対応してくれる番号を教えて欲しいと頼むとまた暫くして電話あり。いきなり人間は無理だが、2回目に出てくれるという番号を教えてもらう。
芽生に電話。「私は誰でしょう?」「おじいちゃん」「今どこにいると思う?」「わからへん」「芽生の後ろに立ってる」「え?どういうこと?」(後ろを振り返って見ただろうか?)「冗談冗談。もうそろそろお年玉プレゼントのリクエスト考えといて。瑞のは今日一緒に買いに行くから」「え?あ、結構今欲しいものあるかも」。いつまでたっても可愛い声だ。たぶんあの声は儂だけへの特別な声で、友達と話す時はだいぶ調子が違うと思う。
小さい頃のお年玉リクエストは「ナメコシール」や「学習漫画本」など安上がりだったが、最近そういうのは要らんらしい。今年のリクエストは「ヘアアイロン」。ショートヘアに動きをつけるか、なるほどね。
15:30頃、今出川通で瑞を拾い北大路下鴨本通西入ルのスポーツ自転車専門店へ行く。途中丸く割れたフロントガラスを見せて「狙撃されたけど防弾ガラスで助かった」と言っても、全然本気にせずヘラヘラ笑う。もう中学2年だからこういう冗談はあかんか。
瑞も、ジェットコースターに7回並んで7回乗ったお姉ちゃんに負けず劣らず幼い頃からアドレナリン党で、4歳の時にはもうこんな顔してペダルの無い自転車で走っていた。
45分間の買い物イベントを終えてマンションの下に送り届ける。暫く待って瑞降りて来て、赤い紙の袋に入った鰤の刺身をくれた。瑞は最近部活が忙しく釣りに行けてないが、猛は相変わらず真冬でも土曜日は海に通い詰めている。
鰤と言えば大物なので家のガレージに着いてから猛に電話してみると、昨日遂に84cm・5kgの“ブリ”と言えるものを釣ったらしい。友達も大物を釣ったようで、インスタに載せたツーショットが送られてくる。昨日は日本海で船釣りをして大物大漁だったようだ。この寒いなかようやる。
愛媛の真郷から近況届く。こちらは工作と理科実験系。
儂は昔から子どもたちとあまり遊ばず、空いた時間は儂自身の遊びに費やしていて、こういうマメなことはほんとに苦手で、子どもたちを動物園に連れて行ったこともなかった。子ども好きだった仕事場のスタッフのひとりがそれを見かねて岡崎の動物園へ連れて行ってくれたこともある。
ところが息子たちの記憶は少し違い、ごく偶に一緒に遊んだことを鮮明に覚えており、いつしかそれが増殖して「よく遊んでもらった」ような記憶に変形しているようだ。ときどき頭を噛んだり怖がらせたりして、その短い時間が“濃かった”からかもしれないが、疲れを知らない20代で2児の父親になったのに、もっと遊んでやればよかったとようやく最近になって思う。幸い息子たちは「よく遊んでもらった」父を見習って、子どもたちとの時間をとても大切にしている。
妻17:45に帰宅、早速寒鰤の刺身を頂きたいところだが、今日は妻、里美さんの味付けを見習って前夜から鶏肉をタレに漬け込んであるので今夜はそれを頂く。やはり買ったその日に短時間醤油に漬けて焼くのとは一味違う。
10年前の今日08:26、秋田県大潟村にて。
日曜日
13年前の芽生と瑞の写真があったので、blogにその日の日付で貼り付けておく。当時は今のようにblogを日記代わりにしておらず、顔出しもなくてずいぶん退屈な内容だった。ほぼ毎日にように書き始めたのは4年前の5月から。最近は一種の強迫観念みたいになってどんな些細な出来事も書き残さずにいられない。
外はどんより曇り空。昨日は、今日明日一泊して平湯温泉の濁り湯に浸かろうと思っていたが、こんな天気の日は家でゆっくり本でも読んでいた方がいい。
今朝の朝飯は和食。ぶっかけ用の烏骨鶏卵はもう残り1個になってしまった。小さいながらも1個100円(直接買いに来るお客限定価格)は安いので天気が良くなったらまた香川の松本ファームまで買いに行こう。
鶏糞がタダで貰えるそうだから、貰って帰り、御隆荘ファームの戸田さんや古田さんにあげよう。鶏糞の臭いは子供の頃から慣れていて懐かしいので久しぶりに嗅いでみたい気もある。動物の糞の臭いは今まで嗅いだ中で、猿が一番臭くて下の下だが、鶏糞の臭いは上の部類である。まして烏骨鶏なのでどんな臭いなのか楽しみだ。
妻、09:30に小雨のなか寄り合いに出かける。僕は本を読み、お昼前になって温泉の素の入ったぬるい昨日の湯にゆっくり入り、体を洗ってまた追い焚きして入り、湯を抜いて浴槽を掃除して出る。
昼食は無花果2個。
『テルマエロマエ2』が観たくなり、大画面のTVの前は椅子がないのと和室自体が物置になりかけているので、安楽死椅子に横になってiPadでNetflixの配信動画を観る。上空の厚い雲のせいか画面は汚かったが初めから終わりまで楽しめた。また第3作は作られるだろうか。阿部寛や上戸彩ちゃんがあまり老けないうちに作って欲しいものだ。
夕方早めに妻帰宅。宅配便BOXに本届いていたと。湿気多く、袋が湿っていたのでちょっと心配したが、中身は大丈夫だった。『古代エジプトの魔術』(E・A・ウォーリス・バッジ著/平河出版社刊)と、『キリスト教教父著作集8〜オリゲネス3・ケルソス駁論1〜』(教文館刊)、これで幸徳秋水が『基督抹殺論』で引用したケルソス駁論は1・2・3全部揃った。
今夜は夕食は抜きにしようかと思っていたが、賞味期限が切れたサーモンもあるので、焼き鳥は後日にしてサーモンで一杯やることにし、夫婦して『ドクターY』の最終回を観て僕は早めに寝ることにする。
12年前の瑞。
春、逝く。
哉子さん予定があり一旦アイで帰宅、また来ますと。入れ替わりで猛が近所のコンビニまで行って何か買って来ている。哉子さんと何を買ってくるのか予想したものの中で、当たっていたのはファミチキだけだった。インスタントラーメンを買って来ると思ったんだが。
猛一家は今日朽木の温泉に行ってきたらしい。最近になって仕事の疲労回復に温泉がとても良いことを実感し、行ける時には家族連れで朽木まで行っている。
帰りの運転の途中で哉子さんのスマホに春の病状についての僕からのメールが入り、今日は春のとこで泊まりやなということになったと。
何よりこうして春との別れを惜しんで、悲しみを共有する者が集まってくれることが有難い。もし僕も妻も血縁の薄い独居老人で、何年も連れ添った愛犬を失うことになったらどんな気持ちだろう、と思う。
18時、妻寄り合いから帰る。17時と言っていたが運転している人が高速道路を走れない人だったので少し遅くなった。寄り合いで、昔うちの会社で働いてくれていた多田さんと会って、お土産に多田さんから伊藤件の『チビどら』を頂き、iPadで撮った妻と多田さんのツーショット写真を見せてもらう。染めない黒髪に綺麗な白い筋が幾つか、25年の歳月を感じる。
2階で着替えて降りて来た妻と、既にウォッカを炭酸水で飲み始めている猛が、一緒に焼き鳥を作り始める。今日は飲んでも美味くないだろうからやめておこうと思っていた僕も、風呂から上がっていつものやつを飲み始める。瑞は猛が買ってきたキムチにご機嫌、僕はキムチがあったらご飯2合は食べるというので、妻に言って今夜は白米を炊いてあげる。久々にテーブルに載る白いご飯。
食事をしながら、いつも瑞のトイレが長いのは何が原因やろと瑞も含めて4人で意見を出し合う。妻焼き鳥を焼きながら参加。瑞ふと消える。大抵は食事中に長いトイレに行くのでたぶんそれだろうと猛。
19時50分頃、瑞がトイレと春の部屋に続くダイニングの引き戸を開けて入って来る。
「春が…」
という表情を見て猛も僕も立ち上がり、春の部屋に行く。瑞が中座して行ってたのはトイレではなく春の部屋だった。そこで春がおならをしたのかと思ったら、血便を排泄していて驚いて知らせに来たのだった。キッチンにいた妻にそのことを告げに行き、ポリ袋や手袋やテッシュの箱を持って行く。
妻も、これが“終わりの印”だということを知っている。
妻、春の部屋に半身入り、次々と出て来る血便を拭き取っては春に声をかける。妻「ガス切って来て」、と猛に言う、「切って来た」と猛。瑞が何処かに消える。次々と中から出される血便の付いたオムツを、勝手口のドアを開け放して背後についた僕が外に出す。春、口からも出血、と妻は思ったが水と胃液のよう。春眼を見開きその瞳孔は開き切っている。口は大きく開き舌は垂れたまま。猛に、瑞を呼んで来るよう言う。しばらくして泣き腫らした目で瑞が来る。春の腹をみると既に呼吸は無い。瑞に、今息絶えたばかりの春の顔をしっかりと見せておく。妻、力を落とし春の前に両手をついて、泣きながら話しかけている。その悲しい声を聞いて涙が出てくる。妻の背中に右手を当ててゆっくりさすりながら、「感謝しよう」と僕が言う。しばらく妻の背中をさすり続ける。妻が「それ取って」と中から出した敷物を指差し、春の肩から下にかける。妻春の目が閉じないと言うので交代して中に入り、舌を口の中に入れて握り続け、同時に瞼も指で閉じ続けているうちに何とか整った寝顔になり、もう一度瑞を呼んで、瑞と猛が春のところに行き、僕と妻は流しで手を洗う。ため息をつき、何か話したが覚えていない。
春の死亡時刻はおよそ20時から20時2分頃。或いはもう少しだけ前かも知れない。
血圧測ろうと言って、先ず妻のを測る。150:78/脈拍69、平素高くても130までなので驚く。僕は169:107/脈拍93。こういう時に血圧はどうなるのか知っておいた方が良い。
妻、応接間のソファーに横になり、僕は机の前に座りしばらく色々話す。「また保護犬飼おうか?」と妻。自分の子供を亡くしたのと同じと言っている妻の喪失感は大きい。犬との死に別れは僕は3回目だが、妻にとっては初めての経験。「また『春』って呼ぶんか?」「うん」。「そやな、この歳になっても保証人は居てるし」。「今度は岡山まで行かんでも」と僕、「近くでもあるよ」と妻。「雑種で、春みたいに賢くて陽気で。春ってほとんど天然やったからなあ」「そうやね。真郷たちに知らせとかんでええの?」「知らせとこか」と机でiPadに向かい、ショートメールを送る。続いて収容所から解放された春を1ヶ月間トレーニングして下さった赤木先生。そしてfacebookで最初に春との出会いを作ってくれた東京の天羽さんに訃報と御礼を送る。春を可愛がってくれた大の犬好きの谷さんは酷い風邪の後でもあり、後日報告することに。
猛がテーブルに戻って来たのでそちらに行き、「さあ!葬式(の宴)しょうか!」と言って食べかけの焼き鳥軟骨をひと齧りしてウイスキーを飲む。瑞は、外へ散歩に出かけたらしい。猛がペットの火葬場についてスマホで調べる。21時半頃、猛から哉子さんに春のことを連絡。22:10、哉子さん帰って来る。春の部屋で寝顔をしばらく見てテーブルに就く。
そうして話すうち、瑞が散歩から戻って来た。
「思いっきり泣けたか?」
「うん」と笑顔。
それから、以前、赤木先生と天羽さんに送った春の近況のベストショットをiPadで開いて皆に見せ、楽しく盛り上がる。
丸太で琵琶湖を縦断した話の顛末。
龍谷大学二回生の時に「探検部」という同好会を作った僕は、部のことは真面目にやっていたが卒論が通らなくてなかなか卒業できず、六回生になって高校時代の同級生であった妻と結婚した後も、「卒業したい」と思いながらどうしても勉学に身が入らず、遂に最終ラウンドの八回生を迎えてしまった。もともと教員免許を取得するためだけに入った大学で、教育実習を経て、「教員の仕事は自分に不向きだ」と気付いた後は、勉学に向き合う動機そのものを喪失していた。そうなるともう無理。
そんなある日、報道番組で大谷大学探検部が筏で琵琶湖を縦断したという話が流れ、面白い!次は丸太でやれば話題になる、と思い、大谷大の探検部を訪ねて彼らの体験談を聞き、また僕らのアイデアを話した。琵琶湖の全長は約七十キロ。その後繰り返し仲間とプランを練り、現地を見るためバイクでつづら尾崎の展望台から琵琶湖を眺めたが、う〜ん…と唸るほど実際に目にする琵琶湖は大きかった。
それでどうしたものかと家で考え込んでいると、妻が「三人で交代しながら行ったらいいやん」と名案を出してくれたのであっさりそうすることにした。それまでは三人で各自一本ずつの丸太に乗って泳ぐつもりでいたが、よく考えてみるとそれでは「丸太三本」になり、苦労のわりにニュースの見出しとしてインパクトを欠く。「龍大探検部員丸太一本で琵琶湖縦断」これがいい!で、
なぜそういうことに拘っていたかというと、探検部は結成以来六年になるものの未認定の同好会で部室もなく(一度見晴らしの良い学舎の屋上に小屋を建てたが撤去された)、何かニュースになるようなことをすれば認定同好会に格上げされて、大谷大の探検部のように汚い部室ももらえるはずだと、それを期待してのことだった。例え自分は卒論が通らず大学を横に出る(中退)ことになったとしても、龍大に来たことの足跡は残せると思ったわけだ。
そうこうしているうちに妻が妊娠したことがわかった。こうしてはいられない。直ちに中央市場と氷屋のバイトを掛け持ちして稼ぎまくることにしたが、市場は朝が早いので睡眠不足になりがちで、氷屋は氷のトラックが来るまでの待ち時間に、納入先の店の入り口の階段で何度か居眠りしてすぐにクビになった。中央市場の職場は鶏の屠体を包丁や手で捌くのが最初は嫌だったが、そのうちに慣れ、また男らしい職場で肌に合っていて、しんどいながらも楽しく続けられた。
そして僕の提案に加わった探検部の仲間が二人(六人いたが参加できたのは半分)と、ヨット同好会の二人が調達してくれた伴走のヨットに材木屋で買った杉の丸太を載せ、五人で浜大津の港を出港し、数時間後に琵琶湖最北端の塩津浜に着いた。そこで僕らを待ってくれていたのは、毎日放送MBSナウのカメラマン一名と讀賣・京都新聞記者二名だった。
季節は八月、いざ水に入ったもののぶっつけ本番で練習もしておらず、最初は一回生の淀瀬君が漕ぎ出したのだが、水掻き用に手に持っていた卓球のラケットは使い物にならず、丸太も跨って乗ると体が立って前に進まない。結局丸太を腹の下に抱き込んで足ヒレと手で水を掻きながら進むことになった。初日の一泊は竹生島で、夕方宿の食堂でTVをつけてもらい自分たちの“活躍ぶり”を笑いながら鑑賞した。ニュースキャスターは後に大阪市長になる平松邦夫さんだった。
遊泳中、事前に届を出していた水上警察は毎日僕らの無事を確かめにやってきてくれた。ああいういかめしい船に見守られているとVIPにでもなった気分だ。僕らは、海パンTシャツの上にライフジャケットを着込んでいたがこれはルールで、泳げない僕は喜んで着用していた。我が部は皆ヨット初体験であり、船上で船酔いしながら真夏の太陽を浴びているよりも泳いでいる方が楽なので、皆代わってくれと言わんばかりに水に入った。竹生島から三日かけて大津港に着いたのだが、最後のトリは八回生の僕がやらせてもらった。
後日中央市場で弁当屋の若旦那がその話を誰かとしていて、あっそれ僕ですと言うと、「おまえか!あんなものは冒険と違う!暇さえあったら誰でもできることや」と怒られた。
琵琶湖から1~2か月経って、当時川釣りに凝っていた僕は、秋の天気の悪い日に、左京区の高野川へいつものように「龍大探検部」と書いたドカヘルを被ってバイクで出かけたのだが、いつも釣る堰の下で、その日は雨がパラパラ降って、また上流もそこそこ降っていそうなので魚も釣れないことだし竿を仕舞って帰ろうとして、顔をあげ呆然とした。それまで堰の真ん中半分ぐらいの幅で水が流れ落ちていたのが、今や川の端から端に至り、音もザーからドーに変わり、向こう岸と繋がっていた釣り場が中洲になって孤立している。一瞬寒気がした。川岸に爺さんの姿が見えたので、「ロープを投げて欲しい」とジャスチャー(叫んでも聴こえない)し、それを持ってきてくれたもののなかなか投げてくれない。どうしたのかとヤキモキしていたら、消防署のレスキュー隊が到着した。ライトがこちらを照らし出し、TVカメラが回っている。
やばい、非常にやばい。
レスキュー隊の指示通り、投げてもらったロープを胴に巻き体重を重くして渡るために胸に石を抱いて増水した川に入ったのだが、2、3歩歩いたところで水中の苔に足を滑らせて転倒、一瞬茶色の濁流にのまれて上も下も分からなくなった状態で、対岸の堤防に引き揚げられた。
「琵琶湖縦断の龍大探検部員・高野川で救助」云々。マスコミは都合のいいことばかりは報じてくれない。TVで顔や氏名を晒された挙句に翌日の京都新聞に載った記事だが、琵琶湖丸太縦断での認定同好会昇格・部室獲得の夢もこれで露と消えた。自分で作って自分で潰した探検部。認定倶楽部昇格を期待してくれていた仲間には誠に申し訳ないことをしてしまったと思い出す度に頭を掻く。
それからまた日常の日々に戻り、卒論を書き口頭試問に臨んだわけだが、これまで4回の試問で渋い顔をしていた教授がその日に限ってニコニコしている。「君か!テレビに出ていたのは」とその“偉業”を讃えられ45分間の口頭試問の約3分の2が、琵琶湖縦断と遭難救助の話に費やされた。卒論が通ったのは言うまでもない。別に念願の卒業をするために企んだわけではないが、結果的にこの珍事が卒業に結びついた。
よかったよかった。八年かかったが卒業した時には結婚して子供もできて中央市場という就職先も決まって、貧しいながらもどうにかこうにか生活の基盤は整っていた。
(増水時の高野川の現場と濁流。孤立したのは右上の草叢の辺り)
アルバムから。……………………………………………………………