ミカンのソーダ漬
ホロアタ時空で同棲している槍弓です。
英霊が風邪を引くという本来あり得ない事象が起きているのはひとえにくしゃみをさせたかったからに尽きます。
今年も槍弓ありがとうございました。
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くちゅん、と聞き慣れない音に目を丸くしたのは一人の男。
狭いアパートの一室でかくも可愛げのあるくしゃみが発せられ、畳の上で胡座をかきながら左手の爪を切っていたランサーは思わず音の出処を振り向いた。
「なあ、今のお前か?」
自分に背を向けて洗濯物を畳んでいた男――アーチャーに向けて彼はそう問い掛ける。
「……だったらなんだ」
少しの間を置いて返ってきた答えは不機嫌そのもので警戒の色をしていたが、しかしそれに怯むこと無くランサーは続けた。
「めちゃくちゃ可愛いな、お前のくしゃみ」
ランサーにそう言われたアーチャーはため息をひとつ溢して振り返る。すると彼の眉間には常以上に険しい谷間が刻まれていた。
「他人の生理現象をあげつらうのか君は」
「そういうんじゃねえよ。ただの感想」
「ふん、本心はどうだかね。こんなむくつけき男のたまたま出たくしゃみをかわいいなどと……っくち」
「……」
「……」
英霊がくしゃみをするというあり得ない事象に沈黙が広がる。
目を見開いて固まるアーチャーの姿に心の中がそわそわするのをランサーは感じた。腐れ縁たる弓兵の生理現象がなんとも可愛らしいものだったから、槍兵の興味が惹かれるのも無理はない。
「なあ」
「何も言うな、触るな」
伸ばそうとした手を制されてもランサーは聞かない。さらに腕を伸ばしてアーチャーの肩を引き、抵抗される前に秀でた額に自分のそれをくっつける。
「ん、……ちと熱いか?」
「たわけ、サーヴァントが熱を出すものか」
「分からんだろ。戦争は終わってるのにこうしてサーヴァントが残ってる不具合が起きてることだしな。もしものことがあるかもしれねえぞ」
「馬鹿馬鹿しい」
いつまでくっついていると言いながらランサーの顔面を押しのけようとする弓兵の褐色の手を白い手が掴み直す。するりと指が絡み合い、ランサーはアーチャーの手をきゅっと握りしめた。
「なにしてる、離せ」
「やっぱりな。ちっと熱があるぜ」
「は?」
「ほら、分かんねえか? オレよりお前のがあったけえの」
合わされた二つの手をアーチャーは見た。白い指先が褐色の手の甲を擽るように蠢いたかと思えばつよく握りしめてくる。二人の手のひらの凹凸が重なる。
刹那、思考したのだろうアーチャーは間髪入れずに呆れた目をランサーに返す。
「いつもこんなものでは?」
「んなことねえ。ちゃんと感じろ」
「いや……」
そう言われたとて、互いの手の温度なんて普段から気にしたことがないアーチャーは首を傾げるだけだった。
「んじゃあ、こっち」
埒が明かないアーチャーにしびれを切らしたランサーは、繋いだ手をそのままにして逆の腕で分からず屋を抱き寄せた。
「これなら分かんだろ」
「……む」
抱きしめた身体が一瞬強張るものの、それはすぐにほどけてランサーに悟られない程度にそっと寄りかかってくる。
「どうよ」
「…………むぅ」
度し難いと言わんばかりのアーチャーは、しかし。
「……そうだな、言われてみればそうかもしれん」
いつもは暑苦しいと感じている貴様の身体が妙に冷えているように思う、と素直にそう口にした。
そうだろうそうだろう、一言多いが素直でよろしい。そう頷くランサーはアーチャーの背中を優しくさすり、驚くようなことを口にした。
「アーチャー、お前は風邪を引いている」
+++
――何を馬鹿なことを。
アーチャーからの文句をランサーは耳に入れなかった。オレに任せておけと言った彼は自分が敷いた布団にアーチャーを叩き込んだのだ。
「すぐ戻っからな!」
慌ただしく出掛けたと思いきや言葉通りすぐに舞い戻り、病人のためにと甲斐甲斐しく世話を焼きはじめた。ちなみに布団にはいつの間にかルーンが刻まれていて、アーチャーがどれだけ足掻こうとしても抜け出すことは不可能だった。
「あのなランサー、こんなこと時間と金と魔力の無駄遣いだからな」
たまたま体温調整が上手くいかなかっただけだと主張するアーチャーの口にランサーは買ってきたばかりの体温計をねじ込む。
「音が鳴るまで吐き出すなよ」
「……」
「噛んで壊すのもなしだかんな」
きっかり二分、電子音が鳴ってから取り出した体温計にはきちんと数値が表示されていた。
「ほれ見ろ。発熱ってんだろこれ」
眼前に突き付けられる37.2度を煩わしげに睥睨したアーチャーは「この程度で発熱だと騒ぐのはお笑い草だな」と言う。37.2度だなんて微熱も微熱。人によっては平熱の類いだ。
「お笑い草だぁ? そりゃお前、自己紹介か」
「なんだと?」
「だってよ、サーヴァントが体温の調節も出来てねえんだぞ。それこそてめぇの言うお笑い草ってやつだろうが」
夏の暑さも冬の寒さも関係ない英霊が体熱の制御も出来ないなんてな、と体温計をケースにしまい込みながら言われてしまいアーチャーは口をつぐんだ。
まさに正論、ぐうの音も出ないとはこのことか。
だんまりになったアーチャーの頭を乱暴に撫でてランサーは言う。
「サーヴァント稼業もねえくせに毎夜毎夜働き過ぎなんだよお前は。ちったあ休め、そんで寝ろ」
「やめろっ。それを言ったら君こそ」
「オレがなんだよ?」
「君こそ毎日働いているじゃないか!」
「バイトのことか? そりゃお前、この時代で生きてくための日銭を稼がねえとならんからだろ。こうして買い物が出来るのも金があればこそだしよ」
ドラッグストアで手に入れた品を検分しながらあっけらかんと当然のことを言う姿にアーチャーの眉間のシワがますます深くなる。
夜毎大橋で門番をしているオレには休めと言うのに昼日中に働く自分は棚に上げるのか。
「……きみは、生きているのだな……」
そんなアーチャーの小さな囁きはランサーがビニール袋をがさがさと漁る音で掻き消えた。
+++
「……、ん……」
寝苦しさに声を上げたアーチャーが暗い部屋の中で目を覚ました。
陽は落ち、彼の寝ている部屋の明かりは落とされていて夜の帳が広がっていた。
(……あれからすっかり寝ていたようだ)
そう気がついたアーチャーはもぞりと布団の中で億劫そうに体を縮こめた。――熱いのに、寒い。体が重くて怠い。まさか本当に風邪でも引いたとでも言うのか。そんな馬鹿な。などと自問自答をしているうちに、けほ、と喉の渇きのためひとつ咳をすると、隣の部屋に続く襖がすっと開いた。
「起きたか」
明かりを背にしたランサーが眩しい。目を細める弓兵の「らんさー……?」という声を聞いた槍兵は「うわ、声がらがらだな」と言いながら枕元に膝をついた。
「熱上がってんじゃねえの?」
傍らの盆から体温計を取り上げアーチャーに咥えさせる。舌の裏に固定させたそれから電子音が鳴るまでランサーは離れなかった。
「……38.5か。かなり上がったな」
それを聞いてアーチャーもぎょっとする。
「なに……?」
「本当に風邪じゃねえか」
そう言われても信じられない。何故こんなに熱が出ている? 魔力不足が原因だとしても発熱するなんてことにはならないはずだ。だって塵になって消えるだけなのだから、散り際に体温が上がるなんて有り得ないだろう。
苦しげに息をするアーチャーに「水飲むか?」とランサーは訊ねるが彼は首を横に振る。
「いらん……過保護だ……」
「んなこと言ったってよ、体調崩してる奴を放っておけるか」
立ち上がりかけたランサーのシャツ裾を掴んだアーチャーは嗄れ声で「いいと言っている……」と止めたものの、ランサーはその手をそっと外して「ちょっと待ってろ」と言い置いてから部屋を出ていった。
隣室には台所がある。そこで冷蔵庫の扉を開ける音や食器を取り出す音がしたと思ったら程なくしてランサーは手になにかを持って戻ってきた。
おぼん――?
「起こすぞ」
不本意にも介助されてアーチャーは身体を起こした。なんとか自力で姿勢を保つもののふらふらとする頭の重さに不快感を露わにしてランサーを睨めつけると、そこで彼の手にはスプーンと深型の皿があることに気が付いた。
「なんだそれ、は……はっくしゅ!」
それ、と言いつつくしゃみをするアーチャーにティッシュを差し出しながらランサーは言う。
「これはミカンのソーダ漬ってんだそうだ」
「……はぁ?」
聞き慣れない言葉がランサーの口から出てきて、気まずげに鼻を拭いたアーチャーは目を丸くする。
いや、ミカンもソーダももちろん知っている。ソーダ漬という料理の名もしかりだ。
アーチャーが驚いたのはそれがどうしてランサーの口から出てくるのだというところだった。
そんなアーチャーの困惑を見て取ったランサーは得意げに答えた。
「買い出しに行った先でな、魚屋の常連のお嬢さんに偶然出会したんだよ」
「おじょうさん……」
ランサーの言う『お嬢さん』とは限りなく幅が広い。この場合は人生経験豊富な御婦人に出会ったということなのだろう。
「オレの連れが風邪引いたって話したらコイツの作り方を教えてくれて」
「まて誰が連れだ……」
「お前さんが寝てる間に仕込んでおいたんだ。そろそろ頃合いかと思ってな」
「ひとの話をきけ……」
「ほら口あけろ」
相変わらず制止の声を聞かないランサーはミカンのソーダ漬をひと掬い分乗せたスプーンをアーチャーの口まで運ぶ。手を添えて、しまいにはあの決まり文句まで出す始末。
「あーん」
それを聞いたアーチャーは思わず仰け反った。
本当は逃げ出したかったけれど体が鉛のように重くて仰け反ることしか出来ない、――というか布団から出されていない下半身はルーンでの拘束が外れていないままなのでどのみち逃れようもない。
「っなん、だそれは!? ケルトの大英雄がなんてことを!!」
「ぁあ?」
「いいか! それは親しき仲とくに親から食べる動作が覚束ない子へと行われる行為だ!! 貴様のような誇り高き戦士が敵へ行う動作ではない!!」
アーチャーはかすれ声を大きく張り上げて理由を伝えたもののランサーはうんとひとつ頷くだけだった。
「そうか。親しき仲の行為ならなんの問題もねえな」
「なんでさ!!?! ……あ……?」
熱のせいでもともと呼吸が浅くなっており、そして軽いパニックで腹の底から大声をあげたアーチャーは酸欠、そのまま目を回してしまった。
「あっ、ばか!」
後ろに倒れていきながら聴こえたランサーからの罵倒に「ばかとはなんだこのたわけ」と返答したつもりだったが、それがきちんと口から出たのかは彼には確認出来なかった。
+++
「…………ぅ、ん…………?」
「……よお。目ぇ覚めたかよ」
――これで二度目の確認だな。
ランサーはそう言いながらまだぼんやりしているアーチャーの額に触れた。
彼は大きな手で額を押さえるとまるで幼子にするかのようにやさしく撫でた。
「さっきよりは熱下がったみてえだな。良かった良かった」
「……」
「まだぼうっとしてるか?」
――大きな手だ。
「どうしたよ」
――それは、まるで父親のような。
「……、…………」
「うん?」
「……なんでもない……」
目を閉じたアーチャーはそれきり黙り込んでしまった。
何かを言いかけたのはランサーも気付いたが、なんでもないというのだから些事なのだろうと思い、再び寝入ってしまった男を撫で続けた。
+++
翌朝。
アーチャーの隣に寝ていたランサーが目を覚ました。
横を見ればアーチャーの布団はすでに無く、隣の部屋からなにやら物音が聞こえてくることに気が付いた。
寝床を片付けてから襖を開けて見やれば食卓に座っているアーチャーがいた。身なりは普段通りの黒シャツ黒パンツで髪も整えてあるようで、黙々と何かを食べていた。
「はよ」
「おはよう」
「調子よさそうじゃねえの」
「そうだな。ひと晩ゆっくり眠ったおかげかもしれん」
「そいつは重畳」
簡単な挨拶を交わしたランサーも向かいの席に着くと、だらしなく頬杖をついてアーチャーを柔らかに眺めた。
「どうだ?」
アーチャーが食べていたのは昨日ランサーが作ったミカンのソーダ漬だった。
アーチャーが橙色の房をスプーンで口に運び入れ、彼が房を噛み締める度にぷちぷちと弾ける音がする。
「あいにくだが炭酸は抜けてしまっている。密閉容器に入れていなかったからだろうな」
味の感想を聞いたつもりだったが返答は違うものだった。確かに作る容れ物として使った皿をラップで巻いただけで冷蔵庫にしまっていたからそれが原因だろう。
「ありゃ、そうか……」
残念そうなランサーの声を聞いたアーチャーはちらりと彼を一瞥する。
「……まあソーダの刺激は無いが甘さはある。ミカンのこの甘酸っぱさが渇いた喉に心地良いよ。筋もあらかた取り払ってあって手が込んでいたな。保存方法に難ありだったがお前の調理手順に抜かりはなかったのだろう。これもひとえに教授くださった御婦人の手が良いのだろうな」
などと、彼がぼそぼそとした小声でランサーを褒めたのはとてもとても珍しいことだ。
明日は雪でも降るんじゃないかとランサーは思いつつ、アーチャーの低い声音に心地よく耳を傾けていた。
「ランサー」
「なんだ」
「…………あ、…………あり、がとう…………」
「…………。もう一回」
「とんだ手間を掛けさせて悪かったな。次はないと思うがいい」
「アーチャー、さっきのもう一回!」
「そうだ、お前が熱で倒れたらその時は私が看病してやろう。それで貸し借りは無しだ!」
「アーチャー!!」
「うるさいな!!!」
――今日の冬木は平和です。