【槍弓】限りある世界に花束を
◆誕生日と言われてもピンとこないランサーが望んだプレゼントの話。「テメエがオレのプレゼントってわけさね」「は!?」(※これ以上ないほど健全)
◆赤い弓兵とはできていませんが気持ちは槍弓。
※血しぶき飛んでますがそう酷くもないと思うので全年齢。
※個人的趣味でぐだマシュ+キャスニキちょっと出張り気味。
◆素敵な素材をお借りしました。ありがとうございます!小説表紙/Flower | ソラさま[pixiv] illust/61754109
※自家通販停止しました。再開時期現状未定です。ご利用いただきましてありがとうございました!
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誕生日おめでとうございます。
喫煙室からの戻り、廊下でばったり出くわしたところで澄んだ二重奏に出迎えられた。あまりにも予想外の言葉をかけられたランサーは、ぽかんと馬鹿みたいに口と目をかっぴらいて沈黙してしまう。
目の前には花束を抱えたマスターとマシュがいて、ニコニコとこちらを見ている。が、ランサーの反応がはかばかしくないことに気が付いて、萎れるように表情を曇らせた。
「今日がお誕生日だってドクター・ロマンから聞いたんだけど。……ご、ごめん、もしかして間違ってた……?」
「いや、あー、」
いたずらならばともかく、祝う気持ち純度百パーセントでわざわざ探しに来てくれたことは見ただけでわかる。この反応はまずかった。だが誕生日、とな。生前、生まれたその日を祝う慣習はあったもののそれは生まれ年に限ったことであり、毎年毎年重ねて祝うことはなかった。おおよそ「いつ頃に生まれた」ということは知っていてもその日付はランサー本人ですら知らない。
(や、待てよ……?)
最速の英霊よろしく素早く仮初の脳に納まった知識を紐解けば、伝承はあっさりと探る指先に絡まった。
なるほど、夏至の日に生まれし光の御子……創作と伝承が繋がり合い、この時代に残されているのか。
伝承は殆どの英霊の根幹そのものと言える。歴史上存在しなかったとされる人物や現象までもがサーヴァントとして形を持てるのは、他者によって観察、定義された外殻があるからだ。あいにくマスターの生国ではそうでもなかったが、ケルト神話の大英雄クー・フーリンの伝承は今でも現在のヨーロッパに残っている。
口伝、書物、遺構。様々な形で残るクー・フーリンの伝承は、やがて一般大衆向けに創作された物語として流布し始める。夏至の日に生まれし光の御子という情報がはっきりとくわえられたのはこの辺りからか。
おおよその事情を察し、ランサーはガリガリと髪を掻いた。そうして差し出された花束を受け取る。
しばらくぶりに嗅ぐ、華やかな花の香りだ。白いバラを中央に、周囲をアイビーの緑が彩る。他にもいくつかの花や葉がまとめあわされているが、纏いつく魔力の香りから察するにこの時代で用意したものではないのだろう。当然名前も分からない。
(ま、瑣末ごとだわな。)
花は花であることに価値がある。摘まれたそばから枯れていくはかなさと、刹那の美しさを愛でるものだ。名前が分からないことなどどうでもいい。
息を呑んでこちらを見守っていた二人の表情が、じんわりと笑顔に染まった。
「それ、私とマシュで選んだんだよ。レイシフト先で集めてきたから、花の名前まではわからないんだけどさ。」
「ありがとよ、嬢ちゃん。しかしまァ、オレみたいな男に花を贈ろうとは、嬢ちゃんらもなかなか粋なことするな。現代ではそういうのが流行ってんのか?」
「どうかなぁ。私が知る限りだとお花を贈るのは男の人から女の人宛てが多いとは思うよ。」
そういって、マスターはおどけるように肩をすくめた。
「本当はね、お花以外にも色々考えたんだ。でも形に残っちゃうものは困るのかなって。花ならほら、こういっちゃなんだけどすぐに枯れるでしょう?」
おお、存外見られているものだなとランサーは内心舌をまいた。口に出したことはないが確かにそうだ。消えものならばともかく、形に残るものは良くも悪くも重い。
モノは重しだ。マスターの信頼、信用……そういった目には見えずとも心を満たす贈りものならば願ってもないが、消えることも枯れることもないモノを亡霊の身で得るのは荷が勝ちすぎる。空ろな亡霊の方がモノに引きずられてしまう。
形あるものはその内側に念を溜め込む。良いもの、よい変化だけならばいいが、時の経過とともに訪れる変質は大抵悪い方へと転がりやすい。好意は執着へ、愛情は憎悪へ。
その点、消えもの――それも花というチョイスはなかなかいい。誰に渡してもある程度受け入れられる贈り物だ。物理的な形に残らない代わりに、受け取った時の喜びや驚き、花の美しさに対する印象は鮮明に記憶に残り続ける。
「あんがとよ。大事にする。」
「うん。しばらくの間でもお部屋に飾ってくれたら嬉しいな。あっ、あと、今夜は食堂でお酒出すことになってるから。たまにのことだし、いっぱい飲んでくれていいからね。」
「食堂って……まさかオレの誕生日会でもするつもりか? いや、どうせ黙ってたって叔父貴辺りにゃばれるんだろうが。」
いくらなんでも全員揃ってハッピーバースデーの歌を歌われるような催しは全力で遠慮したい。すっかり顔に出てしまっていたのだろう、マシュが苦笑を浮かべた。
「ご安心ください。単に今日はお酒を解禁しますよ、とそれだけ。」
「ちょっとしたサービス、くらいに思っておいてくれたらいいよ。」
「なあんだ、そっか。そりゃあいい。楽しみにしとくぜ。」
そうと決まれば一度部屋に戻って昼寝でもしておくか、という気になった。今は丁度昼を過ぎ、午後のティータイムの時間にほど近い。暇つぶしに訓練にでも出ようかと思っていたが、下手をしたら今夜は一睡もせずに飲み明かすことになるかもしれない。仮眠をとっておいた方がよさそうだ。
じゃあ礼でも言って部屋に戻るか……とそこでふと思いつきが脳裏をよぎった。
「なあ嬢ちゃん。明日は特にレイシフトも含めて予定ないってことでいいんだよな?」
「え? うん、そうだね?」
きょとんと首を傾げたマスターに、そうかそうかとランサーは何度もうなずいた。ああこれは最高の思いつきだと思いながら。
「今日の夜、飯食った後にアーチャー借りていいか? あの赤い服の弓兵だよ。」
※ ※ ※
夜六時をまわれば食堂には夕食が並ぶ。カルデアのあちこちから人が集まって、思い思いの席につき、食事を始める。今となっては当たり前のこの習慣も、定着したのはほんの数か月前のことだった。
いつもの時間から始まった夕餉の時間は、普段ならば食堂を閉める午後八時を過ぎても終わる気配がない。それもそのはず、今日は久しぶりに酒が供されているのだ。古代の英雄を中心に酒を好む者は多い。卓上には山ほど大皿料理が並べ置かれ、人間もサーヴァントも思い思いに好きな料理を取り分けては味わっている。人の声はさざ波のようだ。楽し気な談笑の様子は食堂の奥、調理場まで届いては満たしていく。
アーチャーは調理場のカウンターからその様子を眺めていた。世界の終わり、その最前線。しかしこの場は酷く温かなもので包まれている。それだけのことが酷く喜ばしい。
――ほんの数か月前は、違った。
世界最後の箱舟へとアーチャーが招かれたのは冬が終わり春になろうとしている頃だった。まだサーヴァントの数と人間の数はトントン程度、サーヴァントの大半は食事をとる習慣を持たなかった。人間たちは当然物を食べねば飢えて死んでしまうので、最低限の調理を手の空いた人が行っていたようだ。
始まったばかりの誰も経験したことのないグランドオーダーの道行の当初、人間とサーヴァントはそのような状態でカルデアに閉じ込められていたと聞く。
食材はあった。カルデアは山間の地下深くに隠された施設だ。補給無しのまま年単位で稼働させる予定があったのだろう。何事もなければ一年でも二年でも食うに困らないような備えがあった。
それでも折角の食材とて調理するものがいなければ何の役にも立たない。エーテルで構成されたサーヴァントであれば、モノがなんであれ口に入れれば微細なりと魔力補給に繋がるが、人間たちはそうはいかない。食事はまさに生きることの第一歩だ。ただ食べればいいというものでは無い。カロリー、栄養価、栄養バランスのことも考えねばならない。
実際、アーチャーがやってきた段階では食事情は崩壊しかけており、すでに職員の中に体調不良者が出始めていた。
それでもドクター・ロマンをはじめ、ほとんどの職員が不足するカロリーや栄養を山ほどのサプリメントで誤魔化し、文字通りの不眠不休でマスターのバックアップにあたっていたのだ。最初のレイシフトの段階で、四七名のマスターが瀕死に、所長とスタッフの大半が死亡し、副所長は行方しれず。食事をまともに摂るだけの余裕すらなかったのだろうことはすぐに分かった。
異常も常態化すれば日常と化す。目の下に隈を作ったまま、それでも血走った目で働き続けるスタッフの姿を目の当たりにし、アーチャーは心底肝を冷やした。このままでは早晩、栄養失調と過労による死者が生まれかねない――いや、もうその兆候は見えている、と。
幸いにも内部崩壊の危機は遠くへと去った。健全な精神は豊かな食卓から――とまで言い切るつもりもないが、無駄に磨いた家事スキルがモチベーション維持や健康維持に役立てているのならば重畳だと思う。
「ここも随分賑やかになったよね。」
「そうだな。」
片づけを終えたブーディカもアーチャーの隣に並んだ。彼女もまた、カルデアの食事事情に多大なる貢献を果たしたサーヴァントだ。ブリタニカにおける戦闘女王の異名を持つが、本人はいたって気さくなお姉さんといった風である。 彼女が料理上手であったことはカルデアにとって幸いだった。第二特異点が復元された後、すぐにカルデアにやってきたブーディカの包容力に救われたものは多かろう。正直なところアーチャー一人でここまで状況を改善できたかといわれるとはなはだ怪しい。何しろサーヴァントは今も加速度的に数を増やし続けており、比例して消費される食材の量も増え続けている。今この状態で二百名分、三食の仕込みを一人で担当するとなったらさすがに厳しいものがある。
アーチャーはぐるりと食堂を見渡した。中央より少し奥、マスターとマシュが並んで座り、そのすぐ目の前に陣取った今日の主役の一人が何事か話しかけては笑い声をあげている。キャスタークラスのクー・フーリンだ。その隣にはそっくり同じ見目をしたランサーの姿もある。周囲にはとりわけマスターを慕う――それはもう恐ろしいほどに――清姫や、キャスター同様人理修復の旅の序盤にカルデアにやってきたというアレキサンダー、彼の保護者なのかあるいは逆なのか、あまり酒には強くなさそうなロード・エルメロイ二世が集まって思い思いに会話を弾ませているようだ。
宴の中心は丁度食堂の中央付近の大テーブルである。ここには酒に強い面々が固まって、好き放題にグラスを開けていた。佐々木小次郎、フェルグスと、珍しく酒を飲む気になったか呪腕のハサンの姿もある。一番年若いクー・フーリンもこちらだ。フェルグスの隣でジョッキを開けては愉快そうに笑っている。色好みの英雄が揃っているのに女っ気が無いのはご愛敬か。
テーブルの上と言わず床と言わず、山積みになったビールの瓶や日本酒の一升瓶、ワインの小さな樽が役目を終えてそちこちに転がっているが、まだまだ足りていないらしい。ひっきりなしに乾杯の音頭が上がり、誰かがグラスを開けるたびに拍手が湧く。底なし沼のような飲みっぷりだ。
「ああやっておいしそうに呑んで食べてくれるのが一番いいよ。やりがいがある。まさかパーティーの準備をしてくれって言われるとは思わなくて驚いちゃったけどさ、たまにはいいよね。」
「私としては、皆が後でドクターの世話になるようなことにならなければ構わんが……まあ、そのあたりはなんとでもなるか。ブーディカ、頃合だろう。あなたもたまには楽しんできたらどうだ?」
調理台の上に残っているのは、つまみ用の小皿ばかりだ。酒盛りは翌朝まで続く可能性が高いので、念には念を入れて用意したのだった。あとは勝手に食べたいものが持って行ってくれるので、これ以上やることは無い。
「それを言ったら君もそうでしょう。ほら、言ってるそばからお迎えがきたよ?」
ブーディカがいたずらっぽく笑う。ついと翡翠の視線が向けられた先には青髪の男が立っていた。目立つ青い装束に身を包んだ、今日の主役の一人。
「弓兵。手ェ空いたんだろ。マスターに許可はもらってるからツラ貸せや。」
ランサーも、先ほどまではキャスターの隣で酒を呑んでいた。ここまでに結構な量の瓶を開けていたように見えたが 白皙の面はいつも通り平然としたもので、一見しただけでは酒を入れているようには見えない。
アーチャーは眉間にしわを寄せた。確かにマスターからランサーがどうのという話を受けた覚えはあった。仕込みに忙しく、だいぶ聞き流してしまったが。
「……ランサー。もう少し周りが落ち着いてからでもよいだろうに。」
「あと何時間待ってりゃいいんだよ。そこまで待っていたら貴様はさっさとねぐらに帰りやがるだろう? マスターもオレに許可はくれたが、あとの判断は貴様に任せるという話だったしな。」
「だったら――、」
別段アーチャーはランサーに用などない。放っておいてほしいものだと続けようとした言葉は、食い気味にかぶせられたランサーの台詞に上書きされた。
「これでも一応、オタンジョウビなんだとよ。今日くらいは素直にこちらの希望を聞いてくれてもいいんじゃねえの。」
む、とアーチャーは口を噤んだ。まさか本人がその言葉を持ち出してくるとは思わなかった。クー・フーリンという男が自らそのような不確定性の高い伝承を口にするとは思わなかったのだ。
アーチャーが知るランサーという男は、そういうことに意味を見出すような性格ではなかった。生まれた日が何時であれ、死んだ日が何時であれ、その結果を受け入れるだけの男だと知っていた。
珍しくも口ごもるアーチャーの肩をブーディカが叩く。
「エミヤ、約束していたの? だったら約束は守ってあげなくちゃ。」
「いや、そういうわけではなく……。」
「おっと、姐さんは話が分かるな。」
笑う所作で特徴的な犬歯がちらりと顔を出す。気持ちのいい笑顔だ。だがアーチャーは騙されない。ランサーの目はかけらも笑っていなかった。
「……ま、ほどほどにね。」
二人の間に走る緊張を正しく読み取りつつもそこに介入する気はないのだろう。エプロンを外して調理場を出ていくブーディカの背中を視線で追いつつも、アーチャーは息を吐き出した。
酒が進めば宴は盛り上がる。楽し気な歓声が上がる食堂の一角、人影が二つ出ていくのに気が付いて、キャスターは眉を跳ね上げた。
「大丈夫、だよね? さすがに殺し合いになったりとかそういうのは……。」
「大丈夫なんじゃねえの? 特に今日は。」
「今日は? なんで?」
「プレゼント貰っといて自分でぶっ殺すわけにもいかんだろ? ほどほどのところで折り合いがつくはずだ。」
「? よくわかんないけど大丈夫ってこと? だったらいいけどさあ。」
ちびちびとアルコールの飛んだホットワインを飲むマスターの隣では、マシュがすでにつぶれて眠っている。どうやら匂いだけで酔っぱらってしまったらしい。マスターの方に対毒スキルのすべてを回してしまっているが故の事故だ。
肩口に寄りかかってむにゃむにゃと寝言を呟いているマシュの頭を、優しい手つきでマスターが撫でる。その様子を眺めつつ、キャスターはグラスを呷った。最後の一滴まで飲み込めば、じんわりと広がる熱。
――実はこの酒は、マスターがわざわざレイシフト先で手に入れてきてくれたものだ。今朝がた、いつものように食堂で出くわした際に『お誕生日のお祝いに記念になることをしたいんだけど、モノは困るよね』と聞かれ、『そうさな、消えもの……できればうまい酒かたばこだな』と答えた結果転がり込んできた。サッパリしていながらも独特のとろみがある。蜂蜜を材料に作られた酒で、故郷ではミードと呼んでいた。
かつて口にしていたものとは味が違う。洗練されて、雑味が消え、飲みやすくなった。それが少々物足りないと言えば物足りないが、現代に続くまで蜂蜜酒が伝わっているというのは悪くないし――正直なところ、わざわざ骨を折ってマスターとマシュが探して購入してきてくれたという点が一番嬉しい。
(オレには酒、若いオレには煙草。槍持ってるオレには花と時間、か。粋な計らいだな。)
美酒を再度グラスに開ける。唇を酒で湿してから、キャスターはニコリを笑みを浮かべた。
「ま、なんにしたってオレらしくていいんじゃねえの? そんなことより、そろそろ嬢ちゃん寝かせてやった方がよくないか。」
「確かに。あっ、じゃあさ、部屋まで運んでもらってもいい? ……隠れて筋トレはしてるんだけどさ、まだマシュを抱っこできるほどじゃないんだ。」
「はっは、役得だな!」
「もう! セクハラはダメだからね!」
※ ※ ※
男二人で歩く廊下は酷く静かだった。ほとんどの者が食堂に詰めているせいで人影はなく、今更逃げようにも前を行く男の背からは隠しようもない殺気が滲んでいる。
アーチャーは音を殺しつつ嘆息した。どうしてこんなことになっているんだ、と何度目か知れぬ自問を繰り返してみるが、最初の段階で何が何でも拒否して逃げるという手段を選べなかった時点で詰んでいた。
ランサーの足は一つの扉の前で止まる。釣られて顔を上げ、壁に取り付けられたプレートを確認すれば何のことは無い。レイシフトルームのほど近くに用意された訓練室だった。
「こんなところに何の用が?」
「今からやり合うんだからここに来るのは当たり前だろう?」
「は?」
事情がまったく分からずに眉間に皺を寄せれば、ランサーが目を眇めた。この赤い目が苦手だ。神の血を色濃く引く者はその眼に神性を宿す。ギルガメッシュに次いで神性の高いクー・フーリンはそろいもそろってこの色の目をしていた。
くくく、と押し殺したように笑いながら、ランサーは手をかざして電子錠を解除する。扉の先は簡単な控室になっており、さらにその先に二重扉が続く構造だ。右手奥の方には更衣室とシャワールームも備え付けられているが、そちらに用はないとばかりにランサーはさっさと先の部屋へと進んでいく。
「待ちたまえよ!」
「あ? んだよ、ここまで来て嫌だとでも?」
「それ以前の問題だ。どうして私がここに連れてこられているのか、その点はせめて説明しろ! こちらは細かい話を何も聞かされていないんだぞ。」
「あー。そっか、嬢ちゃんにはアーチャーを借りるとしか言わなかったわ、そういやあ。」
「……。」
散々目で、気配で、言葉の端々で従わねば殺すと突きつけておいてそれか。呆れ果てて言葉も出ない。怒りを抱くよりも先に気が遠くなりかけた。
こちらの心情など気にもとめていないのだろう。ランサーの足は止まらず、二重になった自動扉が開いて青い影を飲み込んだ。事情はわからずじまいだがここで逃げるのも癪だ。ええいままよ、とアーチャーもそのあとに続く。
眩しいまでの白一色。巨大な半円を伏せたような形をした訓練場は、サーヴァント同士の戦闘にも耐えうるように厳重に強化が施された特別な部屋だ。部屋の隅から隅までは約五〇メートルほど。壁面には衝撃吸収材が埋め込まれてており、さらに戦闘が始まれば自動で強化の結界が展開される。
ここに足を踏み入れるのは久方ぶりだ。召喚当初はサーヴァントの数も少なく、部屋を自由に使うことができたが、今は予め予約を取らなければ使えない文字通りの人気スポットだ。宝具を使えないという条件はあれど生前に出逢うことのできなかった猛者と対決できるとあってはそうもなるだろう。アーチャーとて心惹かれる。それを素直に口に出すことがないだけだ。
白い部屋を背景にランサーが歩みを止め、こちらを振り返った。輝く宝玉が、空の色を映した髪が揺れる。どうしたって人の目を惹かずにいられない色だ、悔しいがそこは認めざるを得ない。
アーチャーの背後で扉が閉まる。男が満足げに笑った。
「逃げねえのか。重畳、重畳。悪くねえ。」
「煩い。説明はどうした。」
ランサーがの口元が弓なりに持ち上がる。心底楽しいといわんばかりの様子だ。それがこちらの警戒心をさらにあおる。
こんな場所に連れてこられたのだ。相手が望むのは戦闘以外の何物でもない。知りたいのはそういうことではなかった。どうしてこの日に限ってこんなことを望んだのかということだ。誕生日だということをことさら強調するようなことはしなかったが、マスターが祝いたかったものの一人に、この槍兵も含まれていたはずだ。それなのに何故?
「簡単なことさね。分かんねえかな。」
「生憎私はテレパシストでも千里眼の所有者でもない。」
「そんな話してねえじゃん。」
呆れた風に息を吐いて、ランサーがくるりと右手首を揺らす。瞬間魔力が凝って、黄金の光を纏った呪いが姿を見せた。ランサーの身の丈を超える呪いの朱槍、ゲイボルクだ。
「どうやら今日がオレの誕生日だった――らしい。あァ、テメエは知ってるよな。料理用意しただろ? マジで好物ばっか出てくるもんだから驚いたぜ。」
「……まあ、な。おめでとう。」
唐揚げ、鮭のムニエル、マッシュポテトにシチュー。他にも山ほど料理を作ったが、覚えている範囲でこの男が――クー・フーリンが好んでいたものを作ったつもりはあった。ばれているとは思わなかったのでさすがに気恥ずかしく、ごまかすように口にした祝いの言葉に相手は微妙な顔をした。
「いや、だから別にそういうことでもねえって……。」
げんなりした様子を隠しもせず、彼は手にした槍の石突きで床をトンと叩いた。
「つまりな? オレが所望したの。」
「何をだ。」
「オマエの時間とこの部屋をだよ。言ったろ? マスターには許可を取ってんだよ。」
「そうだろうな。でなければこの部屋を自由に使えるとは思えん。」
「あー、ぜんっぜん通じてねえし……。だからさあ、今日だけは死ぬ気でテメエと殺し合って、白黒つけてえって話だよ。」
なあ、アーチャー。囁く声は興奮を孕んで掠れている。
「分かるか? それがオレが望んだプレゼント、ってわけさね。」
どくり、と血が音を立てた。頭の奥が痺れ、思わずアーチャーは片手で眉間を押さえる。動揺している。無様にも。
「テメエとはもう何度顔合わせたんだか分かんねえほどやり合ってるけどよ。きちんとマトモな形で勝負できたためしがねえ。――まあ、さすがにマスターにも本当に殺すのはダメだって念押し食らって令呪まで使われちまったから殺すまではできねえんだけど。」
は? とアーチャーは思わず口にしていた。まさかこの男、マスターにそこまでさせたのか。
「だが殺さずとも殺し合うことはできるわな?」
「成程……そういうことか。馬鹿馬鹿しい……。」
「はん。言ってろ。」
視線が強さを増す。相手はもうやる気だ。アーチャーは囁くように自己暗示の呪文を口にした。諸手の内側に現れる馴染んだ柄の感触を握りしめ、確かめる。
「……せっかく所望するならばもっとましなものがあっただろうに。馬鹿なことを。」
思わず零れた本音に、ランサーが一瞬面食らったような顔をしたが、その表情はすぐにニヤリとたちの悪い笑みに変わった。舌打ちをしてみても今更だ。先ほどの『馬鹿馬鹿しい』という発言が嫌味ではなく、本音だったことはもう相手には伝わってしまっているだろう。
それにしたって本当に酔狂なことだ。まさか誕生日プレゼントにそのようなものを所望されるだなんて、マスターとて大層驚いたに違いない。
「ついでに賭けでもしようぜ。負けたほうが勝った方の希望をひとつ叶える。どうだ? お互い心臓の取り合いが出来ねえ分はこれで代用ってことで。」
「結構だ。今日の日がどういう日であろうと、わざわざ負けてやる気は無いぞ。」
「当然だ。そんなことしやがったら本気で殺してやるから覚悟しろ。令呪の縛りなんぞどうにでもなる。」
「するか馬鹿者。」
気を取り直して剣を構える。刃の先に見えるのは青を纏った腐れ縁。今は同じマスターを戴く北欧の大英雄クー・フーリン。こちらの回答に満足したのか、双眸が爛々と輝きを増した。赤い赤い、命の色だ。押し返すように睨み付ける。
それなりに広いとはいえ訓練室の空間は限られている。隠れる場所などどこにもなく、対峙するのは小手先の小細工ではどうにもならない相手である。弓を射たところで矢除けの加護の前には無力。つまりは刃と刃で削り合う白兵戦になるということだ。
弓兵の身でその相手に選ばれたというならば、期待には応えてやらねばなるまい。完成された半神の英雄と、人の最果て。だがいかな小さき人の子とて、ただで潰されてやるつもりは微塵もない。
この身は剣で出来ている。しんと月夜に沈んだ学び舎で奪われた心臓のことは今でも忘れていない。そこから先、立ち止まらず駆けてきた。生前も死後も変わらずに。
不敗の戦場を重ね、時折こうして気まぐれのように聖杯戦争に導かれては巡り会う。勝敗がつくこともあればつかない事もあった。聖杯戦争のサーヴァントとして呼び出されるということは、主の命に従い戦わねばならないということ。戦場は己のものではなく、勝利も敗北もまた己のものではない。
今回はどうだろうか。常に敵同士だったはずの自分たちが同じマスターに呼び出されたことも驚きならば、その上で必要性によって発生するものではない、純粋な遊びとしての殺し合いに興じられるなど、奇跡に等しい巡り合わせだ。万が一霊基が砕けたとしても、マスターとの縁による召喚であることに加えて、現在人理は崩壊の途上にある。世界の修正力がまたこの場所に導いてくれるだろうといういいんだか悪いんだかわからない確信もある。
主のために戦うのではなく、ただ己の意思により戦う。
今回だけは本当に純粋に、ただ意味のない、何かの戦果を得るためではない死合いに興じられるのだ。
ごくりと喉がなった。
――ああ、そうか。私は興奮しているのか。
吐き出す息が熱を持つ。滲む興奮が指先から肩、胸まで伝わり、心臓から吐き出される血流にのって全身に行きわたる。ついと己の唇の端が持ち上がったことにアーチャーは気が付かない。
一方的に命を奪われた頃から遠く遠く旅をしてきた。ひよっこのままだと思われるのは大層癪だ。
今こそ真価を見せよといわれるのならば、今日だけは晒してやろうではないか。
「来い。」
「よし。――行くぜェッ!」
赤い光が宙を飛んだ。
がぁんっ。
鋼と鋼が触れ合って火花が散る。互いの双眸に相対する男の姿だけを写して、直感が囁くままに得物を飛ばす。興奮が脳髄と言わず指先から髪の先まで痺れさせ、繰り出す朱槍に熱を灯した。
一度交わり。二度重なり。探る動きはすぐに嵐のような乱舞へと変わる。
ランサーが手にするのは愛槍、ゲイボルクだ。放つ瞬間に心臓を貫いたという結果を生み出すが故に必中。真名を解放すれば、一撃をもって一軍を葬り去る代物である。
相手を殺してはならない――言い換えればこの槍が持つ必殺の一撃が封じられるということだ。たった一撃で終わるはずの戦いを引き伸ばすということでもある。
あまりにも無駄で、贅沢な話だ。戦場では効率良く、不要な苦痛や恥辱を与えずに敵対者を滅することが望まれる。敵を滅ぼす義務を得て戦に向かうかつての己では、ただ技を、心を競う戦いなんて望むべくもなかった。相手がなんであれ敵対者ならば殺さねばならず、負けは許されない。誓約に反しようと、友情で結ばれた親友であろうと、肉親であろうと。
アーチャーの刃が伸びてくる。ここに来るだろうと思う位置を過たず。こちらも返す。おそらくは相手がここだと思っているであろう場所の一つ先へ。当然のように受け止められて口元が隠しようもなくほころんだ。
互いにこれまでに交わした刃をすべて覚えている訳ではない。それでもどうしようもなく相手の心が分かった。この男が何を選び、どう打ち込んで来るか。それだけの数、顔を合わせ、戦い、命を刈りあっているのだと確信した。
放つ。避けられてカウンター。左右から首を刈り取ろうと伸びてくる干将莫耶をバックステップでかわし、反転させた朱槍の柄で弾き飛ばす。たたらを踏んだアーチャーの顎に飛び蹴りをぶち込み、ランサーは反動で距離を取るべく宙を飛んだ。
「はっ!」
追撃。投擲された刃が視界の端に触れた。接触点は丁度ランサーの落下軌道線上にある。
「舐めやがって!」
知っている。迫る速度はほとんど同時、だが、ほんの僅かに莫耶の方が着弾が早いのだ。同じように鍛え上げたつもりでもどうしたって発達の異なる、利き腕の右手で投擲するが故の、本当にかすかなブレ。
ドン、と一度爆発が起きた。規模は抑えられているようだが、弾けた魔力が辺りの空気を巻きこんで一瞬周囲の景色がたわむ。
そんな中、軽々と音も立てずに着地したランサーは朱槍を持ったままの右腕を振った。燃えるように腕が痛むが、気休めのルーンを与えておけばとりあえず動かせそうだ。骨まではいっていないが、至近で起きた爆発のせいで礼装と皮膚の一部が持っていかれた。幸い損傷面は焦げたため血は出ない――が、利き腕をやられたのは痛い。
「流石にこの程度で仕留められはしないか。種くらい明かせ。」
「ちぇ、しゃあねえな……。」
ばり、と左手で落ちかけた右の前髪を後ろになでつけ、ランサーは唇をひとつ舐める。
タネというほどのことは何もない。
左右、投擲された刃の着弾のタイミングが僅かに異なることを知っていたランサーは、先に間合いに入ってきた莫邪を槍の穂で撃ち落とした。だが右の首筋に迫る干将の方を打ち落とすにはコンマ数秒足りない。左に繰り出していた槍を引き戻すついでに、持ち上げた右肩の防具と腕とで鼓膜と顔を守り、返した朱槍の柄で僅かに干将をはじいた。ほんの少し。本来の着弾地点の手前で、朱槍の柄と剣の刀身が触れ合って軌道が変わった。
「なんだかんだで利き腕、利き足ってのはあるもんだ。他の奴じゃ気が付かねえかもしれんがな。」
「成程。次は気をつけることにしよう。」
言ったそばからアーチャーの手の中には再度干将莫邪が投影される。
構えが変わった。鋭く吐き出される吐息とともに、刃と刃は重ね合わせるように前方へ。その直線上に己がいると思えば悪い気はしない。
ランサーも槍を構えた。じっと目の前の相手に集中する。痛みは興奮に追いやられていき、今はちらとも感じない。血を啜りたがって朱槍が光る。
互いに目は逸らさない。外した瞬間負けが確定する。譲るつもりは欠けらも無い。
これはただ互いの技と心を競う、命がけの遊戯。己の命をチップに代えて、ルーレットを回すように。
※ ※ ※
ただひたすら息を切らして駆けまわり、一歩も引かずに刃を交わらせる。
槍と双剣ではそもそもリーチが異なる。内側に飛び込まれればランサーが不利になり、距離を取られればアーチャーが不利になる。逆説的に言えば、双方間合いに入らず距離を取り続ければ勝ちもない代わりに負けもない。アーチャーがもしも弓を使用したとしても、ランサーには矢避けの加護があり、見える範囲から撃たれたものならば中ることがないからだ。
とはいえそのような膠着状態を二人が望むはずもなかった。勝つ。そのためだけに互いの刃は正面からぶつかり合う。
誰かがふたりの戦いを見ていたら、きっと二人で一つの舞いを踊っているように見えたことだろう。一つ一つの動きに相手が呼応し、さらに返されもう一方も応じる。それは言葉を介さないコミュニケーションだ。
双方すでに小さくはない傷を負っている。一撃ごとに血が、肉が飛んだ。
聖骸布がなびく。隙のように見えるその位置へと追いすがる青が一撃を放つ。すんでのところで伸びてくる朱槍を躱し、アーチャーの手が振り向く反動でランサーに迫る。がきん、と干将莫邪とゲイボルクがぶつかり合い、火花が散った。途端、砕ける剣。
「投影開始。」
光とともに出でたもう何本目かもわからない陰陽刀が、振りぬかれた槍を力任せに圧し返す。
――息が苦しい。心臓の音が耳の奥を支配している。ああ煩い、とアーチャーは舌打ちをした。ランサーの息遣いが拾えないではないか。最速の英霊相手に渡り合おうと思えば、一手と言わず二手でも三手でも先んじなければならない。感覚が一つ潰されてしまえばそれだけでこちらは不利になる。
――目の前がかすみやがる、とランサーは歯噛みした。少々血を流しすぎた。もったいない。まだまだ遊び足りない。たった一度、降って沸いた機会だ。もう二度とないかもしれない。この時間が終わることが惜しくてならない。こんなにも楽しくて楽しくてたまらないのに。
言葉に出さぬ心情はそのまま刃に。赤と青の軌道が何度も交わっては弾かれ離れる。繰り返される追撃と応戦。攻め手と受け手は一秒ごとにその役割を変え、忙しなく舞い踊る。
終焉が見えつつあった。
ふっと双方、示し合わせたかのように足が止まる。気を抜けばいつ倒れこんでもおかしくない状態だ。互いの目に映る損傷の度合いはカルデアに召喚されて以来一番の酷さだった。
アーチャーの右手はもう使い物にならない。先の一撃で右肘から下を朱槍で抉られた。骨が砕けたその場所を動かすために、肉の内側から剣を生んで繋ぎとめている。激烈な痛みを伴う応急処置だが、いくら見目を取り繕えども骨も神経も砕かれてしまっては莫耶を握ることはもうできない。
ランサーの方も負けず劣らず。左足の腱を切られたばかりか、避けきれなかった刃に穿たれ、あちこちから血が流れ出している。双剣で間合いの内側に踏み込まれた結果負わされた傷だ。単純な出血量だけならばランサーの方が上回っているだろう。青の礼装はもう血みどろで、元の色をとどめている箇所がない。
やはり最初に腕をやられたのは手痛かったなとランサーは振り返る。あの場で干将莫邪、双方の爆発を引き受けていれば早々にダウンというあまりにも不名誉な事態になったことは想像に難くない。その意味で言えば後悔はないのだが、次があるならばもう少しやり方を考えねばならないだろう。
「……さって。どうするよ、色男。」
「そろそろ満足いったかね?」
「はん。こんなんじゃ全然足りねえっての。」
終わるのが惜しい。口にしない言葉の先を拾って、弓兵は目を眇めた。
「……奇遇だな。今回ばかりは同意見だ。」
「…………マジかよ。槍でも降るんじゃねえのか。」
「あのなあ。」
血で汚れた前髪をやはり血濡れの手で掻き上げて、アーチャーが苦笑を浮かべる。あ、と意外に思う。こんなやり取りをしていながらも、その表情は見たこともないほどに緩んでいた。
刃を交わしているせいか。妙に素直な気持ちが胸の奥にすとんと落ちた。
なんだかんだと文句をつけてはみるが。結局、互いに無視できない相手。
細かくて嫌味っぽくて、ひとつの文句に十の小言を返してくるような気に食わない男だ。どうしたってそりが合わずぶつからずにはいられない。それでも――今だけは。この瞬間だけは、アーチャーと己の間で何かが通じ合っていると思った。
明日になれば消えてしまうに違いない、あまりにも儚い確信。この男もこの時間を得難く、失い難く思っている。
ランサーは思う。オレとて惜しい。酷く惜しいが――そういうものだ。永遠に続くものなど存在しないし、そんなものがあるとしたらそれは限りあるすべてへの冒涜に他ならぬ。
今この瞬間に得たものを自分が忘れずにいれば、それでいい。
未練を振り切るように槍をくるりと一つ回す。いつもより重く感じた。己の手指にも等しい相棒は乾いた音を立てて床に足を付ける。
「最後に一度。それで決着にしようぜ。マスターからの命令は守らねえとならんし、これ以上はお互いキツイだろ。」
「やむを得まい。」
十分贅沢な思いをさせてもらったよ。アーチャーの言葉の先が聞こえたような気がした。
血に汚れ赤く染まった視界の向こう、やはり血染めの赤い弓兵が干将を左手に構え、立つ。ランサーも槍を構え直した。穿つ場所は決めている。あとは過たず打ち込むのみ。
相手も避けることなくまっすぐ来るだろうと確信があった。
息を吸い込み、吐き出す。二度、三度。
互いを測る。
そうして――正真正銘、最後の、渾身の一撃を放った。
気が付けば天井が見えていた。ああ、やられた。存外悪くない気分で息を吐き出した。
ひゅうひゅうと風が漏れるような音がする。胸の辺りに何かが差し込まれている感触があって、たぶんこれのせいだなと回らぬ頭で考えた。重い。もう全身のどこが痛いのか判別もつかない。霊基が砕けずにいるのが不思議なくらいだ。
「今回は……私の、勝ち、か。」
ふっと腹の辺りが軽くなる。どうやらランサーは押し倒されるような格好で倒れているようだった。むくりと起き上がったのは赤い弓兵だ。その顔は天井から落ちる照明のためか、影になってよく見えない。
かろうじて見えたのは赤い色。硬質な光を放つ呪いの朱槍だ。それが、もはや原型をとどめぬほどずたずたに切り裂かれた赤い礼装をその下の肉ごと背中まで貫いている。マスターとの約束通り、真名を開放することなく己の手で狙い定めて放った槍は、アーチャーの心臓付近に突き刺さっている。勿論意図して、僅かに位置を逸らしはしたが。
しゃべろうとして激痛に呻いた。身じろぎもできぬランサーを眺め、男が笑う気配がする。
「……。」
「やめておけ、君の肺は片方、潰れている。」
溺れるぞ。そう告げたアーチャーの方も、酷い声をしている。きらりと視界の端に眩しいなにものかが映ったことに気が付いて、ランサーは視線をそちらへ差し向けた。
アーチャーの右の腕は肘から下がごっそりと千切れ飛んでいた。代わりにその内側――本来ならば筋肉と骨で埋められる場所からは、数十本の剣が生えている。柄のない、刃の束だ。ハリネズミかあるいは花を活けるために使う剣山か。間違っても人の体から生えていいものではないが、男の表情は涼しいものだ。流した血が、魔力が多すぎるからか青ざめてはいるが、恐ろしいまでにいつも通り。
ランサーの目に、男の腕を苗床に咲いた剣は花のように映った。摘まれた瞬間に死を迎え、あとはもう散るときを待つばかりの儚い花。
マスターとマシュがくれた花束は、主を待つ部屋の中で残り僅かな生命を燃やしているはずだ。今こうして死にかけている目の前の男と同じように。
肉を突き破る剣の束はどこもかしこもおびただしい量の血で染まり、今もぽたりぽたりと先端から赤いしずくをしたたらせている。ランサーの。そしておそらく幾らかはアーチャーの。
……成程最後の一撃で思いもよらぬ方法を使われたわけだ。数え切れぬほど邂逅していても、この男の底は知れない。
双剣の一方を失ったアーチャーは、己の右腕を捨てる代わりに剣を取り戻した。そしてその剣でもってランサーを砕いたのだった。
無意識の油断が招いた敗北だ。やれやれと諦め半分、清々しい気持ち半分で息を吐いたランサーの隣、よろめきながら立ち上がりかけたアーチャーの体が揺らいだ。見る間にがくりと膝が床に落ち、胸を貫通したままの朱槍が滑って折れ曲がった背中をさらに突き破る。ぐ、と押し殺した悲鳴がアーチャーの唇から漏れ出た。
「まずいな、私もやりすぎた……。」
ランサーはかすむ目を凝らしてアーチャーを見た。
男は苦しげに血を吐きながらも、確かに笑っていた。本当にどうした事か、酷く柔らかい表情だった。
ごく、と喉が鳴るのを自覚した。周囲には血の匂いが漂っている。必然、漏れ出た魔力も。痺れるほどの飢餓感が痛みさえ押しのけた。かすれた声が喉からこぼれる。
「ワリい……すこし、」
「ああ、こんなものでいいのなら、持って行きたまえよ。」
大儀そうに持ち上げられた左手が、ゆっくりとランサーの唇の上に添えられる。ルージュでも塗り付けるように力のない親指がランサーの唇の上をなぞった。滲む血の味に、苦労して舌を伸ばす。
アーチャーの血の味がする。とろとろと指を伝い流れ込む血をねぶるように吸い取って、飲み込む。飢えた全身が与えられる甘露に震えた。
そこからまた、どれくらい時間が経ったものか。それほど長くはなかったのかもしれないし、案外長いことそうしていたのかもしれない。
僅かに痛みが遠のいて、この惨状にようやく気が回り始める。
自分も相手も、部屋の中も血だらけ。自動回復を待つにはあまりに傷を負いすぎている。さて、どうしたものか。実は後のことを全く考えていなかった。おかしくなって笑おうとしても、どこもかしこも傷んでまともな笑い声さえあげられない。
「……オマエ、動け……るわけねえよな。まずったな……。」
「通信で回収を頼むしかあるまい。……ガッツスキルがあるんだろう。何とか、耐えろ。」
「わぁってる……。」
触れていた親指が去っていく。飢えた腹に流れ込んだ魔力が熱い。
「このような時に、言うものでもないのかもしれんが。」
死にかけの体に襲い掛かる眠気を堪えながら瞬くランサーの耳に、ひどくそっけない音色が触れた。
「誕生日、誠におめでとう。光の御子殿。」
※ ※ ※
「ってことだったみたいだが?」
「へぇー。結局勝った方は何してもらったんだろうね?」
「そのあたりはオレじゃなくて本人に聞けよ。」
「知ってるんでしょ? 教えてくれたらいいのに。キャスターのけち!」
「はーん、ケチと来たか。本当にケチだったらわざわざ嬢ちゃんに原初のルーンについて手ほどきなんかしてやらねえと思うんだがなぁ? それもタダで。……マスターはオレには感謝のかの字もねえってか?」
「えっちょ、待って言葉の綾じゃん!」
引っかけないでよ、と言ってマスターが唸る。じゃれ合いを隣で見ていたドクター・ロマンとマシュは苦笑を浮かべた。
キャスターはひとしきりマスターがああだこうだと言い訳を並べ始めるのを眺めつつ、件の弓兵のことを考えた。
あれが何であったかをキャスターは知っている。聖杯戦争の記録を持って現界した今、連続した記録を重ね合わせていけばあっさりと腑に落ちた。
贋作者と蔑む者がいることも理解しているが、いずれにしろ男が選んだ道だ。それも人生を、己の魂を、死後のすべてさえ賭け賃に。その願いがいかにいびつであろうと輝く剣を胸に抱いた魂を知る以上、生きざまに対する嫌悪を抱くはずもない。あのひん曲がった思考回路だけはいただけないが。それは勿論、別側面の自分も同じはずだった。
(結局オレはオレであれの道行きを認めちまってるからなあ。)
さぞ楽しく戦ったことだろう。二時間ほど待ってから回収に向かい、案の定ばったりと床に付した二人を助けてやったが、随分すっきりとした顔をしていた。少々うらやましい。今の己は近接戦闘職ではないし、他の役目があると自覚があるのでやろうとは思わないが。
ともあれ起きたのはたったそれだけのこと。別段隠すようなことは何もない。疚しいことももちろんない。ないが、アレもまた自分の一側面ではあるわけだ。……つまり奴の心情をつまびらかにするということは、己の一部を開示することにも等しいわけで。さすがにそこまでは勘弁願いたい。
「だからって赤い弓兵の方に聞きに行かれて機嫌悪くされたんじゃめんどくせえからな……。」
マズイ飯出されたくなかったら口外すんじゃねえぞ、と脅しておきながら、キャスターはその先を語り始めた。勿論都合の悪いところは伏せたまま。
「アイツらお互い、希望は最初に叶ってたって話でな? つまりあれはただの喧嘩。放っておいて問題ねえってことだ。」
「えーっ、ぜんぜんわかんないんだけど!?」
「だぁっ、めんどくせえ! この間のはテメエが勝ち星一でいいって言ってんだろうが!」
「そういうわけにもいくまい。クラスによる差はともかく、貴様はあの時ワイン一本にビール一ダースは開けていた。私と貴様とでコンディションに違いがあったのだから、あの勝負は無効だ。」
「なんでそんなん見てるんだよ! いや、確かに呑んではいたけどよ。オレは本気でやったっつってんだろうが。その上でこっちが負けたって! ~~ああもう何度も言わせるなけったくそワリイ……! 潔くテメエが勝ったと認めやがれコンチクショウ!」
床を踏みつける勢いで地団太を踏み、びしりと指を突きつける――が、赤い弓兵は頑なに首を横に振った。ランサーの頭蓋の奥でぶつ、と堪忍袋の緒が切れる音がした。
「っし! 分かった、そこまで言うならもう一度だ。次は絶対に完膚なきまでに伸してやるから覚悟しやがれ弓兵!」
こうして一度が二度、二度が三度になり、青い槍兵と赤い弓兵による勝負合戦が恒例化していくのだが、勝負の結末はさて、神のみぞ知りたもう。
勿論この勝負、最終的にカルデア中に知れ渡ることとなり、あまりの激しさに都度マスターの雷が落ちるようにもなるわけだが。……いずれにせよ、世界の命運の前には些末事である。