人生を楽にする自画自賛
いつだったか、知人からパンフレットを渡された。パラパラとめくった。写真が大きく使われているパンフレットだった。いろいろな写真が載っていたのだけれど、ある写真が載っているところでめくるのをやめた。
「この写真いいね」と私は言った。
どの写真もよかったのだけれど、中でもその写真の出来がよかった。構図も完璧だし、色味も申し分なかった。数人が何か作業をしている写真だったのだけれど、写る人たちの様子も素敵で、よくその一場面を切り取れたなと感心する写真だった。カメラマンの腕がいいのだろう、と思った。
「自分で撮った写真」と知人が言った。
私は「え?」と返した。話を聞けば、その写真は私が撮った写真だった。いつか私が撮って、クライアントに渡していたそうだ。つまり私は自分が撮った写真に「この写真いいね」と言っていたわけだ。自画自賛だ。
考えてみれば、その写真を撮った覚えがある。撮ったのは少し前なので、すっかり忘れていたのだけれど、脳内で検索をかけると、確かに撮った気がするし、現像もした気がした。記憶力の問題で本気で忘れていて、いい写真だね、と自画自賛してしまったのだ。
割とよくある。
Instagramの写真を担当している案件があるのだけれど、撮った時期と掲載時期にラグがあるし、その案件は必ずしも私が撮った写真ではないので、Instagramを見て、「この写真いいね」と思う時があるのだ。それを一緒に仕事をしている人に言うと、「自分で撮ったやつ」と言われる。自画自賛なのだ。
まだ写真はわかる。
カメラマンとしての仕事もしているので、いい写真があることはいいことだ。自分で撮ったにしても、自分で「いい写真」と思えるのは素敵なことではあるのだ。周りからはどう思われるかは別として、自画自賛も必要なことかもしれない。
音楽のパターンもある。
知人が「この音楽使える?」とデータを送ってきた。なかなかに素敵な音楽だったので、「めちゃくちゃいい音楽」と返信すると、「それ地主さんが以前作ったやつ」と言われた。私が作った音楽? と脳内に検索をかけた。
作っていた。
動画を作っている時に、音楽が欲しいと思って、ただピアノは弾けないし、楽譜を読むこともできないのだけれど、著作権を気にしない音楽が欲しくて、いつだったかGarageBandで作ったのだ。
もう一度聴いてみる。
素敵な音楽だった。世界の広がりを感じることができた気がする。青い空と青い海と新緑の大地が脳内に浮かんだ。自分で作ったと分かってから聞くと、より素敵な音楽に感じた。
自画自賛の極みだ。
分かってからの方がよりいいように感じるのだ。自分で褒めていくスタイル。私は褒められて伸びるタイプだ。そのためには褒められなければならない。自分で褒めればいいのだ。この方程式に気付けると、人生は少しハッピーになる。だって伸び放題なのだ。
永久機関のようなものだ。
褒めれば褒めるほど伸びるのだ、自分で。実際伸びているかはわからないけれど、いい写真に出会える喜び、いい音楽に出会える感動をセルフで作れてしまうのだ。そう思うとコスパもタイパもいいよね。



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