自分の価値は自分が決める。
東京在住の女性A様から「ご馳走するので一緒に晩御飯を食べませんか」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。待ち合わせ時刻になると、A様から「遅れます。ドトールにでもいてください」と連絡が来た。遅れるのは問題ないが、言い方が微妙だなと思った。帰ろうと思ったが、ラムをご馳走してくださるとのことだったので、ラムが勝った。だが、これではA様を金蔓にすることと同じなので、会った時に言おうと思った。
合流後、A様に「扱われ方が雑だなと思ったが、ラムを食べられることの方が勝ったから今日は来た。これだと、ラムには価値を感じているが、A様には価値を感じていないことになる。このままだと、A様に会うのはA様に価値があるからではなくA様が提供してくれるものに価値があるからと言うことになり、全人格的な付き合いはできなくなる。そういう付き合いを俺は好まないから、会うのは今日が最後にしたいと思う」と言った。
A様は言った。母親が支配的で威圧的な人で、昔から自分に価値を感じることができなかった。だから、価値があるとされているものを提供することで、自分といる時間に価値を持たせようとして来た。大学に入るまでは友達が一人もいなくて、読書ばかりしていた。自分と向き合うことに飽きて、意識を外側に向けるようになった。これでも昔よりは自分自身を愛せるようになった。自分として生まれてよかったと言えるようになりたい。
A様には、悪気がないのではなく人類全体に対するリスペクトがないのだと思った。自分に価値を感じていない人が、他者に敬意を払うことはできない。自分に価値がないと思っている人は、外側から価値があるとされているものを持って来る必要があるため、金がかかって仕方がない。無価値感は心に空洞を作り、何を投げ込んでも後に何も残らず「もっともっと」の無間地獄に陥る。恐ろしいことは、母親みたいになりたくないと思いながら、母親そっくりになることである。母親からされて嫌だったことを、他者にやるようになる。
自己否定は現実逃避を求め、現実を否定するようになる。現実を否定する時、一緒にいる人間も否定する。支配的な環境で育つと、独創性を持つことが良心の呵責を伴うようになる。罪悪感に苦しめられて、他者に価値を提供しなければ自分はここにいてはいけないと思うようになる。自分に価値がないと思っている人は、外側から価値があるとされているものを持って来る必要があるため、金がかかって仕方がない。罪悪感を断ち切るためには、自分を生きることだと思う。自分を生きるとは、自分を越えることだと思う。自分を何者にも帰属させない。自分の価値は、自分が決める。
今日はありがとうございました。
交わせた言葉は少なくなってしまいましたが、坂爪さんの言葉に私は何発もどつかれたみたいです。
どこをどつかれているのか、痛いのかどうなのか
何も分からなかったし、結局最後まで言葉は出てこないし
これを掴んでいるとよんでいいのかも分からないけれど、
何かをくらいました。
相手に何を求めているのか、私はどうしたいのか
相手を自分のための道具としてみているのか
気に入られたいために取り繕っているのか
そもそもなんで話したいのか、仲良くなりたいのか
ずっとずっと
仲良くなりたいのに雑談もできない
なんて悩んでいたんですが、
私はただ自分を可哀想に思っていただけでした。
なにか見る角度が変わった気がします。
今日、楽しかったです。
どつかれて嬉しかったです。
今度もしお世話になることがあれば、
坂爪さんと会う時間を余すことなく味わい、
そしてもっと本心の言葉を出してまたどつかれたいです。
(ドMじゃないです)
ありがとうございました!
おおまかな予定
3月20日(金・祝日)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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