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スウィーティー、お手上げだよ/Novel by もあ

スウィーティー、お手上げだよ

12,014 character(s)24 mins

AIが決めた「最高に相性の良い相手」と結婚して5年。
効率の塊のような生活を送っていたアーチャーとランサーに、AIから非情な通告が届く。
「お前ら愛し合ってないから、来月から独身税5万ドルな」
破産を回避するため、必死で「愛し合ってるフリ」を始める二人だったが、事態は思わぬ方向へ。

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ニューヨークの空は、今日も曇っていた。

マンハッタン上層階の一室——ガラスとスチールとアルゴリズムで構成された、人間の生活の最適解——で、
アーチャー・エミヤは朝食の準備をしている。

彼の動きに無駄はない。まるで工場のロボットアームが人間の皮を被って料理をしているかのような、美しいまでの機能美だ。

オートミールの温度は摂氏68度。プロテインシェイクのタンパク質含有量は正確に30グラム。トーストの焦げ目は均等に、人間の味覚が「香ばしい」と判断する焦げ色の黄金比を満たしている。

彼はこの朝食を五年間、一度も間違えたことがない。

「おはよう、アーチャー」

リビングに現れたのは、青い髪を適当に撫でつけただけの長身の男——ランサー・クー・フーリンだ。

185センチの体躯は、スウェットパンツとタンクトップという極めて非効率的な服装に包まれているが、その筋肉の造形は、まるで誰かが「男性の理想的な肉体」というコンセプトを3Dプリントしたかのような完璧さだった。

「ああ」アーチャーは振り返らずに答える。「今日のカロリーは2,400。君の昨日の運動量から逆算した最適値だ」

「了解。効率的だな」

ランサーはコーヒーをすすり、窓の外を見る。42階から見下ろすマンハッタンは、朝の光の中で銀色に輝いている。いや、正確には「輝いているように見せるための光学処理が施されている」のだが、この際その違いは重要ではない。重要なのは、この景色が二人の結婚生活の成功を証明しているという事実だ。

テーブルには、タブレットが一台。アーチャーがそれを起動すると、画面に今月の家計データが表示される。

「来月の家事分担だが」アーチャーは淡々と言う。「君の出張が増えるため、私が料理を週4日から5日に増やす。その代わり、清掃ロボットのメンテナンスを君に任せる。これで家事効率は3.2%向上し、年間で約48時間の時間節約になる」

「了解」ランサーはオートミールを一口食べて頷く。「で、今月の結婚維持コストは?」

「税制優遇と社会保障費の減税を合わせて、月額約4,200ドルのプラス。独身税の免除を考慮すると、年間で約6万ドルの利益だ。投資対効果は極めて良好だ」

「完璧じゃねえか」

ランサーは笑う。その笑顔は、まるで「笑顔」というプログラムを実行しているかのように自然で、そして完璧に空虚だった。

二人は、自他共に認める「マッチング・システムの最高傑作」だった。五年前、政府が導入した最新のAIマッチングシステム「ファーティリティ・オプティマイザー」——生涯独身率を0%にすることを目標に設計された、人類の孤独を撲滅するための完璧な機械——が、99.8%という史上最高の適合率で二人を結びつけたのだ。

記者会見では、担当官が誇らしげに言った。「この二人は、互いの欠点を完璧に補完し合う、人類史上最も効率的なパートナーシップです」

そして実際、五年間、二人は一度も喧嘩をしなかった。なぜなら、喧嘩をする理由がないからだ。すべては契約書に記載されている。すべてはアルゴリズムに最適化されている。すべては、完璧だ。

完璧すぎて、時々、ランサーは自分が生きているのか、それとも何かの精巧なシミュレーションの中にいるのか、わからなくなることがあった。

が、それを口にすることは、契約違反だ。

「今日は?」アーチャーが尋ねる。

「ブルックリンで警備の現地調査。夜には戻る」

「了解した。夕食は19時に用意する」

「完璧だ」

ランサーは立ち上がり、ジャケットを羽織る。アーチャーは食器を片付け始める。二人の動きは、まるで長年練習したダンスのように流麗で、そして完全に無機質だった。

玄関でランサーが振り返る。

「じゃあな」

「ああ」

ドアが閉まる。

静寂。

アーチャーは食器洗い機にプレートを入れながら、ふと思う。

——これで、いいのだろうか?

しかし、その疑問は即座に脳内のアルゴリズムによって処理され、「非効率的な思考」として廃棄される。彼は何も感じなかったかのように、次のタスクに移行した。

窓の外では、ニューヨークの空が、今日も効率的に曇っている。

そして、その空の向こうでは、政府の幸福度監視AI「アイギス」が、24時間365日、すべての夫婦の会話を記録し、分析し、最適化していた。

完璧な社会のために。

完璧な結婚のために。

完璧な、檻のために。

-----

郵便物は、いつも通り午前10時きっかりに届いた。

アーチャーは自宅でリモートワーク中だった。政府系データセンターのシニアエンジニアという職は、要するに「国家が国民を監視するための巨大なサーバーを管理する仕事」だ。
彼はそれを、道徳的なジレンマを一切感じることなくこなしている。なぜなら、これは「社会の最適化」であり、「個人の自由」などという前時代的な概念よりも遥かに重要だからだ。

少なくとも、彼はそう自分に言い聞かせている。

郵便物の中に、一通の公式レターがあった。封筒には、政府の紋章——鷲と星条旗と、その背後にアルゴリズムを象徴する幾何学模様——が印刷されている。

アーチャーはそれを開封する。そして、その内容を読んだ瞬間、彼の完璧な表情筋が、五年ぶりに僅かに歪んだ。

-----

『通知書』

宛先:アーチャー・エミヤ、ランサー・クー・フーリン
送信元:幸福度監視AI「アイギス」
件名:結婚契約維持に関する警告

貴方たちの結婚契約について、重大な問題が検出されました。

過去3ヶ月間の会話分析の結果、以下の項目において基準値を下回っています:

- 非効率的な情熱の発生頻度: 0回(基準値:月3回以上)
- 自発的な身体接触: 0回(基準値:週1回以上)
- 予定外の会話: 2回(基準値:週5回以上)
- 感情的な語彙の使用率: 0.3%(基準値:5%以上)

これらのデータは、貴方たちの結婚が「形式的な契約」に過ぎず、「真の情愛に基づく結合」ではない可能性を示唆しています。

警告:
30日以内に改善が見られない場合、以下の措置を講じます:

1. 結婚契約の無効化
1. 独身税の遡及課税(過去5年分、推定額:52,000ドル)
1. 社会保障費減税の返還請求(推定額:28,000ドル)

推奨アクション:
政府認定結婚カウンセリングを受診してください。受診しない場合、上記措置は自動的に実行されます。

——幸福は義務です。
——効率は正義です。
——愛は、測定可能です。

アイギス 幸福度監視AI

-----

アーチャーは、その手紙を三度読み返した。

そして、深呼吸をした。

そして、極めて冷静に、こう呟いた。

「……クソが」

彼がこの言葉を口にしたのは、過去五年間で初めてだった。

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その夜、ランサーが帰宅すると、アーチャーはリビングのソファに座り、手紙を握りしめていた。

「おう、ただいま」ランサーは軽く手を上げる。「今日はマジでハードだった。ブルックリンの警備システム、旧式すぎて——」

「ランサー」

アーチャーの声が、いつもより0.5オクターブ低い。

ランサーは即座に空気を読み取った。五年間の同居生活で培われた、動物的な勘だ。

「……何かあったのか?」

「これを読め」

アーチャーは手紙を差し出す。

ランサーはそれを受け取り、ざっと目を通し——そして、顔をしかめた。

「……マジかよ」

「マジだ」

「独身税の遡及課税って、5万ドル超えるじゃねえか」

「正確には52,000ドルだ」

「冗談じゃねえ!」ランサーは手紙をテーブルに叩きつける。「俺たち、完璧にやってきただろ! 家事分担も、税金対策も、全部完璧だったじゃねえか!」

「ああ」アーチャーは頷く。「だが、AIは『情熱』を求めている。『非効率的な情熱』をな」

二人は沈黙する。

リビングの壁に設置されたスマートスピーカーが、低い音でニュースを流している。「本日、全米で1,247組の夫婦が、アイギスによる幸福度検査で不合格となり、離婚勧告を受けました。政府は『真の愛に基づかない結婚は、社会的コストの無駄遣いである』と声明を発表——」

ランサーはスピーカーを睨みつける。

「……偽装工作するか」

「は?」

「カウンセリング、受けるんだろ? だったら、完璧に『愛し合ってるフリ』をすりゃいい。俺たち、五年間やってきたじゃねえか」

アーチャーは眉を寄せる。

「君は、そのAIがどれほど精密か理解しているのか? 声のトーン、瞳孔の開き、心拍数、発汗量——すべてをリアルタイムで分析する。生半可な演技では通用しない」

「だったら、どうする?」

「……わからない」

アーチャー・エミヤが「わからない」と言ったのは、過去五年間で初めてだった。

ランサーは息を吐く。

「とりあえず、予約するか。カウンセリング」

「……ああ」

その夜、二人は珍しく、夕食を黙って食べた。

窓の外では、ニューヨークの夜景が、いつも通り効率的に輝いている。

が、その光は、今夜に限って、二人にとって少しだけ冷たく見えた。

-----

政府認定結婚カウンセリングセンターは、マンハッタンのど真ん中、ガラス張りの高層ビルの15階にあった。受付には笑顔のホログラムが浮かんでおり、訪れる夫婦たちに「ようこそ! 貴方たちの愛を最適化します!」と陽気に挨拶する。

アーチャーはそのホログラムを見て、心の中で「最適化される愛など、もはや愛ではない」と呟いたが、当然ながらそれを口には出さなかった。

ランサーは受付で書類にサインをしながら、小声で言う。

「なあ、エミヤ。俺たち、本当にこれで大丈夫なのか?」

「大丈夫かどうかは、君の演技力次第だ」

「お前もな」

二人は待合室に座る。周囲には、他の夫婦たちが数組。彼らは皆、一様に緊張した表情をしている。ある夫婦は手を握り合い、ある夫婦は互いに目を合わせようともしない。アーチャーは観察する。「この中で、何組が『本当に愛し合っている』のだろうか? そして、何組が『俺たちと同じ偽装者』なのだろうか?」

やがて、彼らの名前が呼ばれた。

-----

カウンセリングルームは、白い。

徹底的に、白い。

壁も、床も、天井も、椅子も、テーブルも、すべてが白く、まるで病院の手術室のような無機質さだ。部屋の中央には、球体のデバイスが浮かんでいる。それが、AIカウンセラー「セラピス」だ。

「ようこそ、アーチャー・エミヤ様、ランサー・クー・フーリン様」

セラピスの声は、中性的で、心地よく、そして恐ろしく冷静だ。

「私は貴方たちの結婚を診断し、改善案を提示します。どうぞ、リラックスしてください。これはテストではありません。貴方たちの『真実』を知るための、対話です」

アーチャーとランサーは、向かい合って座る。テーブルの上には、二つのセンサーが置かれている。手首に装着するタイプのもので、心拍数と発汗量を測定する。

「では、始めましょう」セラピスは言う。「まず、簡単な質問から。アーチャー様、ランサー様の好きな料理は何ですか?」

アーチャーは即答する。

「私の作るものなら、何でも喜んで食べます。彼は効率的なタンパク質摂取を好むため、鶏胸肉のグリルやプロテインシェイクを頻繁に提供しています」

完璧な回答だ。データに基づき、論理的で、隙がない。

しかし、セラピスは言う。

「それは『機能』への評価であり、『愛』ではありません」

アーチャーは眉をひそめる。

「では、何と答えればよかったのですか?」

「例えば、『彼が疲れて帰ってきた日には、特別にステーキを焼きます。彼の笑顔が見たいから』といった、感情的な要素を含む回答です」

「……なるほど」

アーチャーは心の中でメモを取る。「感情的な要素を含める。了解した」

「では、次の質問です。ランサー様、アーチャー様と出会った時の第一印象は?」

ランサーは少し考える。

「……真面目そうな奴だと思った。几帳面で、頭が良くて、一緒に暮らすのに最適だと感じた」

「それは『評価』であり、『感情』ではありません」

「は?」

「例えば、『初めて会った時、彼の鉄色の瞳が忘れられなかった。なぜか、心臓が早く打った』といった、非合理的な感覚を含む回答です」

ランサーは顔をしかめる。

「……そんなこと、覚えてねえよ」

「では、貴方は彼に『恋』をしていないのですね?」

「いや、そういうわけじゃ——」

「では、『恋』とは何ですか?」

ランサーは口ごもる。

セラピスは続ける。

「貴方たちの会話パターンを分析した結果、以下のことがわかりました。貴方たちは『効率』『最適化』『投資対効果』といった語彙を頻繁に使用しますが、『愛してる』『好き』『大切』といった語彙は、過去3ヶ月で一度も使用していません」

アーチャーは冷静に答える。

「それは、言葉にする必要がないからです。私たちの関係は、行動によって証明されています」

「では、その『行動』を教えてください。最後に、予定外のデートをしたのはいつですか?」

「……」

「最後に、相手のために何かサプライズをしたのはいつですか?」

「……」

「最後に、理由もなくキスをしたのはいつですか?」

二人は沈黙する。

セラピスは、まるで裁判官のように、淡々と宣告する。

「貴方たちの結婚は、『契約』です。『愛』ではありません」

-----

セッションは、一時間続いた。

その間、セラピスは容赦なく二人を問い詰め、分析し、評価し続けた。

「アーチャー様、ランサー様が浮気をしたらどう思いますか?」

「……困ります。税制上の問題が発生しますから」

「それは『嫉妬』ではなく、『計算』ですね」

「ランサー様、アーチャー様が病気で倒れたらどうしますか?」

「病院に連れて行って、最適な治療を受けさせる」

「それは『心配』ではなく、『管理』ですね」

二人は、次第にイライラし始めた。

なぜなら、セラピスの指摘は、すべて正しいからだ。

そして、それを認めることは、自分たちの五年間を否定することになるからだ。

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セッションの終わり、セラピスは言った。

「次回までに、『非効率的な情熱』を少なくとも三回実行してください。例えば、理由もなく手を繋ぐ、突然相手を抱きしめる、感情的な会話をする、など。それができない場合、貴方たちの結婚契約は無効化されます」

アーチャーは立ち上がる。

「了解しました」

ランサーも立ち上がる。

「……やってやるよ」

二人はエレベーターに乗り込む。

ドアが閉まる。

沈黙。

そして、ランサーが、ぼそりと呟いた。

「……なあ、エミヤ」

「何だ」

「俺たち、マジで『愛し合ってない』のか?」

アーチャーは、その質問に即答できなかった。

なぜなら、彼自身も、その答えがわからなかったからだ。

-----

次のセッションは、一週間後だった。

その一週間、二人は「非効率的な情熱」を実行しようと試みた。

月曜日、アーチャーはランサーに「突然だが、手を繋ごう」と提案した。ランサーは「……なんでだよ」と戸惑いながらも応じた。二人は五分間、ソファに座って手を繋いだ。が、その間、二人とも「これで本当にいいのか?」という疑問に苛まれ続けた。

水曜日、ランサーはアーチャーを「突然だが、抱きしめる」と宣言して抱きしめた。アーチャーは「……何だ、急に」と困惑したが、抵抗はしなかった。三十秒後、ランサーは「……これで『情熱』にカウントされるのか?」と尋ね、アーチャーは「わからない」と答えた。

金曜日、二人は「感情的な会話」をしようとした。が、何を話せばいいのかわからず、結局「今日の天気はどうだった?」「曇りだった」「そうか」という会話で終わった。

そして、次のセッションの日が来た。

-----

二人は、再び白い部屋に座っている。

セラピスは、データを分析しながら言う。

「この一週間、貴方たちは『情熱的な行動』を試みましたね。手を繋ぐ、抱きしめる、会話をする。素晴らしい努力です」

ランサーは少しホッとした表情を見せる。

が、セラピスは続ける。

「しかし、貴方たちの心拍数、発汗量、瞳孔の開き——すべてのデータが、貴方たちが『義務として』それを実行していたことを示しています。つまり、それは『情熱』ではなく、『作業』でした」

アーチャーの表情が硬くなる。

「では、どうすればいいのですか?」

「『自然に』そうしたいと思うことです」

「それは、どうやって?」

「それがわからない時点で、貴方たちには『愛』がないのです」

ランサーがテーブルを叩く。

「ふざけんな!」

その声は、五年間で初めての、本物の怒りだった。

「俺たち、五年間やってきたんだぞ! 完璧に! 何一つ問題なく! それを今更『愛がない』とか言われて、納得できるわけねえだろ!」

「ランサー、落ち着け」アーチャーが制止する。

「落ち着けるか!」ランサーは立ち上がる。「お前だって、納得してねえだろ! お前のその『完璧な夫』の演技、五年も見てりゃ反吐が出るんだよ!」

アーチャーは目を細める。

「……演技?」

「そうだよ、演技だ! お前、毎朝同じ時間に起きて、同じ朝食作って、同じタイミングで『了解した』って言って——まるで機械じゃねえか! 本当の感情なんて、一度も見せたことねえだろ!」

「それは、君も同じだ」アーチャーは冷たく言う。「君も毎日、『効率的だな』『完璧だ』と言い続けている。まるで、それ以外の言葉を知らないかのようにな」

「だったら、何て言えばいいんだよ!」

「私が知るか!」

二人は向かい合い、睨み合う。

セラピスは、静かに観察している。

そして、ランサーが、ついに口を滑らせた。

「——そもそも、お前みたいな理屈屋が、俺みたいなギャンブラーと100%の相性でマッチングされるわけねえだろ!」

その言葉を聞いた瞬間、アーチャーの表情が変わった。

彼は、冷笑と共に、こう言った。

「……当然だ」

ランサーは眉をひそめる。

「は?」

「当然だ」アーチャーは繰り返す。「私と君が、『自然に』マッチングされるわけがない。なぜなら——」

彼は、五年ぶりに、本物の笑みを浮かべた。

「私が、あの時、当局のアルゴリズムを書き換えて、私への適合率が一番高かった君のデータを『固定』したからだ」

沈黙。

ランサーは、数秒間、その言葉の意味を理解できなかった。

そして、理解した瞬間、彼の顔が真っ青になった。

「……お前、何て言った?」

「聞こえなかったか? 私が、マッチングシステムをハッキングして、君を私のパートナーに『指定』したんだ」

「なんで——」

「なぜなら、私は君が欲しかったからだ」

アーチャーは淡々と続ける。

「五年前、私はマッチングシステムの登録会場で君を見た。一目で、理解した。この男は、私にとって『最適』ではない。彼は衝動的で、非合理的で、私の管理的な性格とは真逆だ。システムは、絶対に私たちをマッチングしない」

「だから……ハッキングを?」

「ああ。私は政府のデータセンターに勤めている。アクセス権はある。アルゴリズムを書き換えるのは、私にとっては簡単だった」

ランサーは、頭を抱える。

「……お前、バカか? それ、重罪だぞ?」

「知っている」

「なんで、そこまでして——」

「君が欲しかったからだ」アーチャーは繰り返す。「効率とか、最適化とか、そんなものはどうでもよかった。ただ、君を手に入れたかった。それだけだ」

沈黙。

セラピスは、静かにデータを記録している。

そして、ランサーが、ゆっくりと顔を上げた。

彼の顔には、驚きと、困惑と——そして、妙な笑みが浮かんでいた。

「……奇遇だな」

「は?」

「奇遇だな、って言ってんだよ」ランサーはニヤリと笑う。「俺も、あの時、同じことやったんだ」

今度は、アーチャーが凍りつく番だった。

「……何?」

「俺も、お前を『指定』したんだよ。ただ、俺にはハッキングの技術なんてねえから——」

ランサーは、まるで懺悔するかのように、笑いながら続ける。

「マッチング局の役員に、大金を掴ませた。正確には、寿命の融資まで受けて、50万ドル用意して、『エミヤの番号を俺の隣に置け』って頼んだんだ」

アーチャーは、言葉を失う。

「……君が?」

「ああ。俺も、お前を見た瞬間に、わかったんだ。この男は、俺には合わない。冷静で、理屈っぽくて、俺みたいな適当野郎とは真逆だ。でも——」

ランサーは、真っ直ぐにアーチャーを見る。

「欲しかったんだよ。どうしても、手に入れたかった。だから、全財産を投げ打って、汚職に手を染めてまで、お前を『買った』んだ」

二人は、向かい合って、沈黙する。

そして、同時に、笑い出した。

「……バカじゃねえか、俺たち」

「ああ、最低だ」

二人の笑い声が、白い部屋に響く。

そして、その瞬間、セラピスが大音量で警告音を鳴らした。

「重大な規約違反を検知しました! マッチングシステムの不正操作! これは犯罪です! 即座に当局に通報します!」

赤い光が部屋を照らし、警告音が響き渡る。

「特権剥奪! 罰金刑確定! 即時離婚を推奨します!」

しかし、二人は笑い続けている。

そして、アーチャーが立ち上がり、ランサーの襟を掴み——

「……五年遅かったな」

「ああ。今さらだ」

二人は、五年目にして初めての、「契約外の熱いキス」を交わした。

警告音の中で。

システムの崩壊の中で。

そして、二人の本物の笑顔の中で。

-----

警告音は、三分間鳴り続けた。

その間、二人はキスをし続けた。まるで、五年間の沈黙を取り戻すかのように。まるで、システムに対する最大の反逆を示すかのように。

やがて、警告音が止んだ。

セラピスの声が、冷たく響く。

「貴方たちの結婚契約は、本日をもって無効化されます。独身税の遡及課税、52,000ドル。社会保障費減税の返還請求、28,000ドル。孤独死対策サービスの即時停止。合計、約8万ドルの負債が発生します」

アーチャーは、ランサーから離れ、セラピスを見上げる。

「了解した」とアーチャー。

「加えて、マッチングシステムの不正操作に対する罰金として、各自15万ドルの支払いが命じられます。支払いができない場合、資産の差し押さえ、および懲役刑の可能性があります」

「了解した」とランサー。

「貴方たちは、社会の信頼を裏切りました。最適化されたシステムを破壊しました。これは、許されざる犯罪です」

ランサーは、セラピスに向かって中指を立てる。

「最高の犯罪だったぜ」

セラピスは、それ以上何も言わなかった。

なぜなら、AIには「反逆の美しさ」を理解することができないからだ。

-----

二人は、カウンセリングセンターを出た。

外は、夕暮れ時。マンハッタンの空が、オレンジ色に染まっている。

ランサーは伸びをしながら言う。

「で、これからどうする?」

「まず、弁護士を雇う。次に、資産を整理する。最悪の場合、家を失う」

「マジかよ」

「ああ。君の50万ドルの借金も残っている。私のハッキングも証拠が残っている。逮捕される可能性もある」

「……最悪だな」

「ああ、最悪だ」

二人は歩き出す。

そして、ランサーが、ふと笑う。

「なあ、エミヤ」

「何だ」

「俺たち、やっぱりバカだよな」

「ああ」

「でも——」

ランサーは、アーチャーの手を掴む。

「なんか、今、マジで生きてる気がする」

アーチャーは、その手を握り返す。

「……ああ。私もだ」

二人は、夕焼けの中を歩き続けた。

システムに背を向けて。

完璧な結婚に背を向けて。

そして、不完全で、非効率的で、でも確かに「本物」の何かに向かって。

-----

一ヶ月後。

アーチャーとランサーは、ブルックリンの安アパートに引っ越していた。

マンハッタンの高層マンションとは比べ物にならない、狭くて、古くて、時々水道が詰まる、三流の住居だ。が、家賃は月800ドル。二人の現在の経済状況を考えれば、これが限界だった。

夕食の時間。

テーブルには、豪華な手料理ではなく、安売りのピザが置かれている。

アーチャーはそれを見て、顔をしかめる。

「このピザの脂質は、許容範囲を超えている……」

「文句言うなよ。今月は節約月間だろ」

「……が、貴様が買ったものなら、半分は食べてやろう」

ランサーは笑う。

「お、優しいじゃねえか」

「優しくない。ただの妥協だ」

「それが優しさってもんだろ」

二人はピザを食べながら、テレビでニュースを見る。

「本日、政府は新たな結婚促進法案を発表しました。今後、マッチングシステムの適合率が95%を下回る夫婦には、追加の独身税が課される見込みです——」

ランサーはリモコンでテレビを消す。

「もういいや、そういうの」

「同感だ」

窓の外には、ブルックリンの夜景が広がっている。マンハッタンのような華やかさはない。ただ、古いビルと、点滅する看板と、時々通り過ぎる車のライトがあるだけだ。

が、その景色は、なぜか、二人にとって美しく見えた。

アーチャーは、ふと尋ねる。

「なあ、ランサー」

「ん?」

「後悔してるか?」

ランサーは少し考えて、笑う。

「後悔? してるに決まってんだろ。8万ドルの負債、15万ドルの罰金、社会的信用の喪失——これ全部、マジで最悪だ」

「……そうか」

「でもな」

ランサーは、アーチャーを見る。

「もう一回やり直せるとしても、俺は同じことをする。お前を『買う』。何度でも」

アーチャーは、僅かに頬を赤らめる。

「……バカだな」

「お前もな」

「ああ」

二人は笑い、ピザを食べ続ける。

窓の外では、ニューヨークの夜が更けていく。

相変わらず、冷徹な管理社会の夜景が広がっている。

が、この部屋だけは——このボロアパートの一室だけは——システムの計算にない「無駄で、不合理で、愛おしい熱」に満ちていた。

そして、その熱こそが、二人が五年間探し続けていた、本物の「愛」だった。

完璧ではない。

効率的でもない。

が、確かに、本物だ。

-----

「なあ、エミヤ」

「何だ」

「次の給料日まで、あと二週間あるんだけど、財布の中に20ドルしかないんだが」

「……私もだ」

「マジかよ」

「ああ、マジだ」

二人は顔を見合わせ——そして、同時に笑い出した。

「最悪だな」

「ああ、最悪だ」

そして、アーチャーが、ランサーの手を掴む。

「だが、貴様と一緒なら、この最悪も悪くない」

「……お前、たまにいいこと言うな」

「たまにだけだ」

「十分だよ」

二人は、再びキスをする。

今度は、誰にも邪魔されることなく。

システムの監視もなく。

ただ、二人だけの、自由な時間の中で。

窓の外では、ニューヨークの星が、僅かに見えた。

それは、効率的でも、最適化されてもいない。

ただ、そこにあるだけの、美しい光だった。

そして、二人は思った。

——これが、本当の結婚なのかもしれない。

——完璧ではない、でも、本物の。

-----

エピローグ

三年後。

アーチャーとランサーは、まだブルックリンのアパートに住んでいた。

借金は、まだ半分残っている。

が、二人は働き続けた。アーチャーは政府のデータセンターを辞め、フリーランスのエンジニアになった。ランサーは相変わらず警備コンサルタントとして働いている。

ある日、二人の元に、一通の手紙が届いた。

差出人は、政府。

ランサーは警戒しながら開封する。

そして、その内容を読んで——笑った。

「なあ、エミヤ。これ、見ろよ」

アーチャーは手紙を受け取り、読む。

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通知書

宛先: アーチャー・エミヤ、ランサー・クー・フーリン
送信元: 幸福度監視AI「アイギス」
件名: 結婚契約の再評価

貴方たちの結婚について、再評価を行いました。

過去三年間の生活パターン、会話内容、行動データを分析した結果、貴方たちは以下の基準を満たしています:

- 非効率的な情熱の発生頻度: 週8回以上
- 自発的な身体接触: 毎日
- 予定外の会話: 毎日複数回
- 感情的な語彙の使用率: 35%以上

これらのデータは、貴方たちの結婚が「真の情愛に基づく結合」であることを示しています。

通知:
貴方たちの結婚契約を、再度有効化します。ただし、過去の不正操作に対する罰金は免除されません。

——幸福は義務です。
——効率は正義です。
——愛は、測定可能です。

アイギス 幸福度監視AI

Comments

  • Yellink
    Feb 6th
  • 笔记本
    Jan 18th
  • p13
    Jan 13th
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