とうとうトランプ大統領は本格的にイランと戦争を始めました。昭和16年でも一方で日米交渉を続けつつじわりじわりと追い詰めていく、そのやり方は踏襲されているようです。
以下、おさらいです。
◎日米交渉と近衛内閣の展開
第二次近衛内閣は、南部仏印進駐(1941年7月)などにより悪化した日米関係を修復し、対米開戦を回避するため交渉を開始。
第3次近衛内閣の成立: 1941年7月、強硬姿勢の松岡洋右外相を更迭し、豊田貞次郎外相を起用して交渉の円滑化を図った。
近衛・ルーズベルト会談の模索: 近衛首相は事態打開のため首脳会談を提案(近衛メッセージ)し、8月28日に野村大使がルーズベルト大統領に申し入れた。
交渉の挫折: 米側は中国からの撤兵などを求め、日本軍部はこれを拒否。9月6日の御前会議で「開戦決意」が固められ、これに反対する近衛は孤立した。
◎内閣総辞職: 対米開戦を主張する東条英機陸相との対立が深まり、1941年10月に第三次近衛内閣は総辞職し、東条内閣に交代した。
昭和天皇は東條英機に日米交渉により戦争を回避するよう仄めかしたが、結局、『昭和16年夏の敗戦』に詳述したように軍部に押し切られる。そしてアメリカの思惑通りになってしまった。