【コラム】過去に揶揄した行動を周回遅れでやる人生。
以前ある方に「売れる為に色んな事やっていて、ちょっと恥ずかしい」と言われて「いやいや、売れる事って絶対的に正義ですから。」みたいな事を返しました。
その方の考えに共感を覚えながら、素直にその言葉を返したのですが「なぜ恥ずかしいと思ってしまうのか」ふと考えを巡らせたとき、「ずっと他人に揶揄していた事を自分がやる事が恥ずかしいからなんだな」と思ったのです。
僕も学生時代からずっとそうです。体育祭の応援合戦で一生懸命になる事や、女子と楽しげに会話しながら調理実習をやる事も、彼女がほしくて積極的になる事も全て揶揄して生きてきた結果、大人になってから必死にならなければいけない時にすぐ必死になれないのです。
この仕事を始めてからも、覚えてもらう為に色んなところに顔を出したり、みんなに好かれるように笑顔でコミュニケーションとって褒めたり、面白さではなく、使い勝手の良さを評価されたりしている人、そしてそのやり方を揶揄して生きてきました。
でも結局、仕事をしていく為に、全てやった方が良い事なので、同期や後輩がデビューしてすぐ始めた事を揶揄し倒した後、周回遅れで照れながら、上手くできないなりにやり始めています。
SNS周りの発信も、人脈や関係性を周知する事も、揶揄に揶揄を重ねて、最近ようやく出来るようになってきたし、やる事も厭わなくなってきました。
完全に周回遅れでもっと早くやっておけば良かったな、と思う事ばかりです。
一方で、自分の正義とか、こだわりみたいなものを持っていなければいけない、という美学も必要だと思っています。いや、ずっと思っていました。
その美学リストに上記のような、揶揄し続けていた行動をしない、というのが含まれていたのですが、年月を重ね、「美学じゃなくて恥ずかしくてやっていなかっただけ」となったものは、美学リストからどんどん外れていき、残っているものは少なくなってきています。
「揶揄していた事もどうせ周回遅れでやる事になるのだから、一刻も早く美学リストから外して行動すれば?」という考えと「いや、これは放送作家として、人間として、やらない方が美しいから美学リストに残しておこう」みたいな考えの狭間で揺れている感覚です。
↑の記事でも書きましたが、やる言い訳さえ見つけられればすぐに美学リストから外せられるのですが、何かと理由をつけてしまう事で、周回遅れになる人生です。
とはいえ「周回遅れになるのをやめたい!」と先走るのは自分らしくない気もします。
…これはやらない言い訳ですね。
変なプライドを拗らせながら、揶揄しながら、周りを羨み、やっかみながら、それでもコツコツやる自分を愛せるように頑張ります。



コメント
2私も今の仕事に就くまでに遠回りしました。でも、遠回りしなきゃみえなかった景色もあるんじゃないかと自分に言い聞かせてます。たけむらさんはセンスはあるしおもしろいし、応援してます。
ネジ〆子さん
コメントありがとうございます!
嬉しいお言葉です!遠回りしていろんな景色みて成長していきます!!