ケアが暴力を増やす? 子どものSOSと心理学クイズ 東畑開人さん
東畑開人さんの「社会季評」
「心理学クイズの時間です」
ほろ酔いで上機嫌のクイズ王が話に割り込んできたのは、ある研究会の打ち上げの席でのことだった。その研究会には様々な現場で働く心理士たちが参加していて、そのとき私は枝豆をつまみながら、スクールカウンセラー(SC)たちの愚痴を聞いていた。
話題は、SCを学校に配置しても、不登校の増加に歯止めがかかっていないという財務省の財政制度等審議会からの厳しい指摘についてだった。現場ではたくさんの仕事がなされて、ケアは増加している。それなのに問題は増加している。どういうことなのか。私たちが頭を悩ましていたところに、隣の机で梅水晶をつまんでいたクイズ王が乱入してきたのである。
「児童養護施設クイズ!」。クイズ王は虐待や死別、病気などの理由で家庭から離れた子どもたちが暮らす施設の中堅心理士だった。「問題です。僕の施設では、以前は1寮に12人の子どもがいましたが、できるだけ家庭的な環境に近づけるべく、今では定員が6人になって、きめ細かく子どもと関われるようになりました。すると、子どもの暴力が増えました。なーぜだ?」
難問だったが、私はまず思いつくことを言ってみた。「社会が悪くなって、前よりも家庭での暴力が増えたから!」。クイズ王は勝ち誇ったように返してきた。「ブッブー! その可能性もあるかもしれないけど、問題を人のせいにするだけじゃ、心理士失格」
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SCの女性がひらめいた。「少人数になると寮での人間関係が濃くなるので、イライラが増えるっていうのはどうですか?」「さすが、半分正解」。クイズ王はうれしそうにビールを飲み干す。「職員との関係も深まり、ケアする力が高まるんです。すると、子どもは問題を起こせるようになる」
ケア力が高まると、問題が増える。まだわからない、逆説だ。クイズ王は解説を続けた。「昔は暴力をふるうのは中高生ばかりだったんです。職員は彼らへの対応に追われて、小さい子たちは彼らに抑え込まれていた。でも、少人数になると、職員は彼らとも丁寧に話し合いができるようになります。家庭では親から『うるさい』と言われるだけだった子が、話を聞かれるようになった。すると暴力が出てくる」
やっとわかった。長期休みに入ると、体調を崩すのと同じだ。普段は封印されている苦しさは、気を抜けるときに外に出てくる。同じように、暴力を受けてきた子が、その痛みを表現できるのは、相手を信頼できたときだけだ。そしてしばしば、その痛みは暴言や暴力という形でしか表現できない。
「暴力は本当はSOSでもある。もちろん、その時期は子どもも職員も本当につらい。でも、昔は施設なんか早く出ていきたいという子が多かったけど、今は施設が好きだという子も増えてます。丁寧にSOSと付き合えるようになった結果だと思ってます」
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問題が起きるのは悪いことではない。痛みが個人の中に封印されたままでいることの方がよっぽど悪い。だから、社会にケアが広がると、問題が発見されやすくなるし、問題は表現されやすくなる。自分の痛みを聞いてもらえるかもしれないという希望が生じるからだ。心の問題に時代ごとの流行があるのはそれゆえなのだろう。
しかし、気がかりが残っていた。「でも、このクイズの答えは臨床をしていたら納得できるけど、社会はわかってくれますかね? 希望が回復したら、暴力も増える。現場の自己正当化だと言われてしまうんじゃないですか」
クイズ王はため息をつき、背中を丸め、手酌でビールを注いだ。「実際、自己正当化なのかもしれないですよね。僕らは役に立てていないのかもしれないし、かえって傷を広げていることだってあるかもしれない」
ここがいつもの終着点だった。心理学クイズに正解はない。そのクイズはできるかぎり多くの可能性を生み出して、そのすべてに開かれたまま、明日の現場に臨むためにある。結論を出す必要はないし、むしろ出さない方がいいときも多い。
ただ、私は数カ月前の研究会でのクイズ王の発表を思い出していた。虐待を受けた子が施設に馴(な)れ、クイズ王に懐く。しかし、ふとした瞬間に猛烈に腹を立て、寮の部屋を破壊し尽くす。クイズ王はみじめな気持ちでいっぱいになりながら、しかし壊された部屋はその子の壊されてきた心であり、自分の感じているのは子どもの感じてきたみじめさでもある可能性を嚙(か)みしめながら、部屋の片づけをし続けた。痛みがにじんだ発表だった。
だからこそ、こうしてクイズを共有できる時間が必要なのだと思う。研究会はそのための場所だし、今こうして広い読者と一緒にこのクイズを共にしてきたのもそれが理由だ。現場にはバックヤードが必要なのだ。
「増えるとか減るって難しいですね」。クイズ王は呟(つぶや)く。本当にそう思う。数字は心の何かを映し出してはいるのだけど、それが何であるのかについては沈黙している。いや、数字だけじゃない。暴力にせよ、不登校にせよ、そこにはSOSがあり、痛みをめぐる心理学クイズがある。社会に「問題」が起きる。それは解消されることを求める課題であるだけではなく、まだ見えていない心を想像するようにと迫る「問い」でもあるということだ。
東畑開人さん
とうはた・かいと 1983年生まれ。臨床心理士。「雨の日の心理学」「心はどこへ消えた?」など著書多数。近著に「カウンセリングとは何か 変化するということ」。
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- 【視点】
不登校や児童虐待は典型であるが、困っている人を支援する政策のKPI設定は難しい。 例えば、就労困難者の就労支援の効果測定を行う時に「就職者」をKPI設定した場合、就職しやすそうな人を支援した方が、目標を達成しやすくなる。 その結果、本来最も困難を抱える、支援に時間と手間のかかる人たちにリソースを割かなくなるということが起こる。 小さな変化も含めて、就職に至るステップを分解して、丁寧にKPI設定をすべきだろう。 財政状況が厳しくなる中で、政策評価は無駄な予算支出を抑えるためにより活用されるだろう。 今の政権は、強い経済と強い国を目指している。社会保障の視点は担い手を増やすことだ。うまく知恵を出さないと戦力にならない人のことは後回しにされかねない。 ところで、児童養護施設で暮らす子どもたちにケアが行き届いて、安心できる場所となると、安心して暴力をふるうようになるという考察は非常に興味深い。 大人の職場にも同じようなことが言えるかもしれない。新しい上司や同僚とチームを組むと、なにか違和感があっても最初は衝突を避けてお互いストレスを抱え込んだりする。そのうち、我慢できなくなって喧嘩が怒ったりする。その結果、言いたいことを言い合って相互理解が進み、円滑に仕事ができるようになることがある。安心して、人がぶつかり合える職場のためには、最後は上司が収めてくれるという安心感が必要なのかもしれない。
…続きを読む - 【視点】
今回もとても興味深く拝読しました。 「問題が起きるのは悪いことではない。痛みが個人の中に封印されたままでいることの方がよっぽど悪い」という言葉に救われたような気持ちになりました。 自分自身の10代を振り返っても、いじめと教師による体罰と受験戦争が重なり、日々極度の緊張を強いられていた中学時代は完全に感情を殺すモードになっていました。 それが中学を出ていじめと体罰と受験戦争から解放された途端、「痛みを表現できる」状態となり、そこからリストカットや家出など問題行動だらけになりました。 地獄のような状況が終わったことが、私にとってのケアになったのでしょうか。 「暴力は本当はSOSでもある」ということ、むちゃくちゃわかります。 問題が起きると、「問題」を抑え込もうという力ばかりが働きますが、本当は、問題を起こせるようになったことを寿いでもいいのではないか。記事を読んで、そんなことを思いました。 それほどに、端からは「無問題」に見えた中学時代がつらかったです。
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