「辞めたい気持ちに…」日本ハム・水谷瞬はあの5年間を忘れない。「俺なら3日で治せる」佐藤友亮コーチとの二人三脚【コラム】
●「辞めたい気持ちにもなりました」
12球団トップクラスの戦力層を誇るソフトバンクでは、2軍でも結果が求められた。2打席連続三振で交代、場合によっては3軍降格を告げられることも珍しくない。その中で水谷がたどり着いたのは「三振しない打ち方」だった。 当時の水谷は「それが生きる道だと思っていた」と振り返る。しかし三振を恐れるあまり、打席では極端に小さく構えるようになっていた。 「あの頃は、よく他チームの選手からも『小さく構えすぎだろ』と言われていました。当時はそんなつもりはなくて、『大きく構えている方でしょ!』と思っていたんです。でも、今見ると本当に小さく構えている。魅力のない選手だったと思います」 ファームでくすぶった5年間。野球を辞めようと思った時期もあったという。 「今年もダメだったか、と毎年考えていると本当に自信が無くなってくる。年数だけが重なって、現在地は変わらない。目に見える変化がないので、自分が思い描く大きな目標に近づいているのか分からない。そう考えていたら、本当に辞めたい気持ちにもなりました」 転機となったのが、日本ハムの佐藤友亮2軍打撃コーチ(当時)との出会いだった。2軍スタートだった移籍1年目の24年春季キャンプ。キャンプイン前日、1・2軍合同ミーティングに参加するため1軍キャンプ地の沖縄・名護へ向かうバスの中でのことだ。水谷の隣に座っていた後輩に向かい、佐藤コーチが冗談交じりにこう言った。 「お前よりすごいバッターだぞ」 当時、移籍直後の水谷は佐藤コーチの名前すら知らなかった。「コーチなのかも分からなかった」と振り返る。それでも、水谷の持つ可能性を真っ先に見抜いていたのが佐藤コーチだった。キャンプが数日過ぎた紅白戦前日。フリー打撃で詰まった打球が多かった水谷に、佐藤コーチはこう声を掛けた。
「この人を信じてみよう」「交代させられるトラウマがあった」
「俺なら3日で治せる」 水谷は当初、「何を言ってんや」と思ったという。だが、佐藤コーチの指導内容はソフトバンク時代に打撃の基礎を学んだコーチの助言とどこか似ていた。半信半疑ながらも素直に受け入れると、直後の紅白戦で本塁打を放つ。佐藤コーチは笑いながら言った。 「ほら言っただろ?まだ半日しか経ってないぞ。あと2日半あるな」 その言葉を聞いた瞬間、水谷は直感的に思った。 「この人を信じてみよう」 そこからマンツーマン指導が始まった。タイミングの取り方や打席での考え方、試合後にはLINEでの「反省会」が日課となった。ソフトバンク時代、ファームでの4本塁打がキャリアハイだった水谷に対し、佐藤コーチは「自分が思っている以上にホームランバッターだよ」と、声をかけ続けてくれた。水谷本人以上に、その可能性を信じてくれたのが佐藤コーチだった。 「友亮さんに出会っていなければ、今もソフトバンク時代と同じことをやっていたと思います。バットに当てないと、交代させられるトラウマがあったので。一番の売りは打撃だったのにそれを自分から消していた。本当に出会っていなければ、確実に今はないですよね」 今では球場を見渡せば、水谷のユニホームを着用するファンの姿が目に入る。ソフトバンク時代は想像もしていなかった光景だ。それでも水谷は言う。 「どれだけ知名度が上がっても、どれだけお金を稼いでも、どれだけ選手として評価されても僕はエリート街道をたどってきたわけではない。そこは芯としてブレてはいけないと思っています」 胸に、そしてグラブに刻んだ「092」の思いを忘れることなく、水谷は今季も北の大地でバットを振り続ける。 (取材・文:正道駿介)
ベースボールチャンネル編集部