謎の海上廃墟「真珠養殖見張り小屋」に上陸した
海の上に廃屋が浮かんでいる。石垣で囲まれた敷地には、たくさんの木が茂っている。陸地から100㍍以上も離れているが、橋は見えない。ここは完全に孤立した島なのだ。
波静かな高知県土佐市の浦ノ内湾。グーグルマップで調べてみると、島は「真珠養殖見張り小屋跡」と表記されている。だれが何の目的で造り、なぜ無人になってしまったのか。
近くの漁港からシーカヤックを漕ぎ出し、謎の海上廃墟に向かった。
不可思議な廃屋は、入り組んだ湾内に突き出した岬の先にある。海岸沿いに道が通っているものの、島の対岸は深い森になっている。道路と島は直線距離で約300㍍も離れており、陸路で近づく方法はない。最初から人間の接近を拒んでいるようだ。
今回の調査には、友人のヒロシ君が協力してくれた。車で運んできたシーカヤックを降ろし、漁港のスロープを利用して海に浮かべた。目的地まで1㌔ほど。2人してパドルを漕ぎ、漁船が係留された港を出た。
出港して5分後、カヤックの動きに違和感を覚えた。息を合わせて漕いでいるのに、まっすぐ進んでくれないのだ。それどころか、突然沖側に流されたり、その場でクルリと回ったりする。
最初はヒロシ君が下手なのだと思ったが、それにしても挙動がおかしい。念のためカヤックを点検しているうち、とんでもないことに気づいた。
なんと私は、カヤックの「舵」の役目を果たすフィンの装着を忘れていたのだ。プラスチック製のフィン(縦、横約30㌢)を船体後部の船底にはめ込めば、カヤックは自然に直進する。その肝心な部品がないのだから、操縦が安定しないのも当然なのだ。
しかし、もう漁港は出てしまった。今さら引き返すのも面倒くさい。危険を避けるため、できるだけ岸に近づき、そのまま廃屋を目指すことにした。
「このカヤック、勝手に進みゆうがやないか。なんぼ漕いでも、言うことを聞かんぜ」
ヒロシ君は盛んにグチるが、もう遅い。パドルを細かく操作して進路を保つ。これも、非常時の訓練だと思うことにした。
不思議な島に接近
幸いにも風がなく、波高も1㍍を下回っている。東西約12㌔の細長い浦ノ内湾は典型的な内海だし、対岸までは約1㌔しかない。もし流されても、岸には着くのだ。これが外海なら大事である。いい年をしたオッサン2人が漂流すれば、遭難してサメの餌食になるだろう。
出港から20分後。緑に覆われた岬を大きく回り込むと、前方に目的地が現れた。これこそが、浦ノ内湾の「ミステリースポット」とされる海上廃墟だ。浅瀬の岩場を避けながら、すぐ近くまで漕ぎ寄せる。
「何じゃ、これ?」
2人同時に声が出た。今まで見たこともない光景が、そこにあった。
やはり「島」と呼ぶべきなのだろう。今にも倒れそうな廃屋は、20㍍四方の狭い敷地の上にそびえている。島の四面は頑丈な石垣で守られ、上部にはコンクリート塀が設置されている。
島の出入り口は1カ所しかなく、海中から延びる石の階段が廃屋の玄関前まで続いている。階段の正面には、正体不明のコンクリートの建造物があり、波に洗われている。
形からすると、桟橋の基礎部分だろうか。ちょうど満潮を迎えていたため、階段の近くに接岸した。
海のどまん中だというのに、敷地内にはネムノキや雑木が生い茂っていた。廃屋は木造平屋で、かなり傷んでいる。正直、気味が悪い。何やらお化け屋敷のような怪しい雰囲気である。
上陸に成功
カヤックを降りると、水はひざの上まで達した。足を踏み入れた階段の下部には、カキ殻が張り付いている。カヤックが流されないように、船体につないだロープを石垣に縛りつける。いよいよ、謎の島への上陸だ。
「結構手がかかっちゅう。この家は立派な造りぜ」
廃屋を見渡したヒロシ君が、感嘆の声を上げた。
グーグルマップでは「真珠養殖見張り小屋跡」とされているが、建物は一般の住宅よりもはるかに重厚な外観をしている。瓦ぶきの屋根は重々しいし、使われている木材は上質のものだ。
「小屋」と呼ぶのはふさわしくない。今は荒れて見る影もないが、かつては贅を尽くした「邸宅」だったに違いない。
コンクリート片やガラス片で埋め尽くされた通路を恐々と進み、なんとか玄関にたどり着いた。引き戸のすき間から内部をのぞく。
まさしく廃屋だ。廊下の床板ははがれ、十畳ほどの和室は見事に朽ち果てている。畳は腐り、障子は破れ、雨戸は吹っ飛んでいる。建物は何とか形を保っているものの、内装はすさまじく荒れている。
見た瞬間、中に入るのはあきらめた。無理をしたら床を踏み抜くのは確実だし、天井まで落ちかねない。
無残な室内で原型を保っているのは、天井からつるされた照明器具だけ。
四方にガラスがはめ込まれ、梅の花の飾りがある。こんなレトロな道具は久ぶりに見た。昭和40年代から50年代にかけ、私の家にもあった気がする。
玄関わきには、トイレが残っている。その奥には煙突があり、風呂場も備えていたようだ。
廃屋の後方にはコンクリート製の電柱が立ち、今でも電線が張り渡されている。電線は海を渡り、対岸の電柱伝いに山の中へと延びている。
海に面した石垣を観察したら、排水のためと思われる3本のパイプが突き出していた。しっかりとした建物にトイレと風呂場。以前、電気が供給されていたのは間違いない。これで水道が引き込まれていたら、生活に不自由はなかっただろう。
それにしても、こんな島と建物をどうやって造ったのか。地形からみて、もともと自然の島があったとは思えない。水深は満潮でも5㍍足らずしかなく、海を埋め立てて敷地を確保したと考えるのが自然だろう。
では、建物などの資材運搬はどうしたのか。対岸に道は通っておらず、橋を架けた形跡はない。やはり、船を使って運び入れたのではないだろうか。
わざわざ島を築き、多額の費用を投じて「邸宅」を建てる。
いったい、だれがこんな突拍子もない事業を思い立ったのか?
島の主は土佐の真珠王だった
調べたところ、海上邸宅のかつての主は「土佐の真珠王」として知られた実業家井上作次郎だった。建物は明治から大正初期にかけ、別荘として建てられ、当時は「蔵珠堂」と称したという。
海の上で存在感を示し、夜になれば明るい灯が輝く別荘は人々の話題になった。大正時代に発行された写真集「土佐十景写真帖」にも登場した有名な建造物だったのだ。
浦ノ内湾では明治末期から真珠養殖が始まり、昭和30年代に急速に発展した。しかし、生産過剰や赤潮発生などの影響を受け、生産数は徐々に減少。昭和47年には養殖が中止される。
高知県香南市赤岡出身の井上作次郎は、高知における真珠養殖の草分けだった。昭和35年に発行された真珠研究会伊勢部会の「真珠技術研究会会報」には、三重県鳥羽市で真珠養殖に成功し、「御木本真珠店」(現・ミキモト)を創業した御木本幸吉とともに井上のエピソードが紹介されている。
浦ノ内湾では昭和34年からハマチの養殖が始まり、やがて真珠養殖にとってかわった。現在はマダイ、カンパチなどが中心となり、湾内には養殖いかだが点在している。
真珠養殖で財を成した井上作次郎が海上の別荘を手放すと、建物は真珠の盗難を防ぐ見張り小屋として利用された。
別荘周辺には人家がないことから、周囲を見渡せる建物に番人が常駐したのだろう。建物がいつまで使われたのかははっきりしないが、少なくとも昭和40年代後半までは養殖場ににらみをきかしていたとみられる。
建物がある島の対岸にも、建物の基礎となったコンクリートの構造物が残っている。もしかしたら、真珠養殖に関係した施設だったのかもしれない。
対岸から眺めると、井上作次郎が造った島は本当に小さい。そこに建物がポツンと載り、陸地と変わらない「庭木」が生い茂っている。
見れば見るほど不思議な光景だ。
廃墟と化した建物は人を寄せ付けず、ただ海の上に浮かんでいる。もう何十年もの間、建物は潮風に耐えてきた。台風銀座の高知県で、吹き飛ばされもせずに残っているのは奇跡だ。
真珠養殖が盛んだった時代、井上は奇妙な島の別荘でどんな時間を過ごしたのだろう。当時は島の周りに養殖いかだが数多く設置されていた。座敷から海を眺め、酒でも飲んだのか。だれか客を招待すれば、みんな想像もしなかった環境に目を見張ったはずだ。
そして時は流れ、真珠の輝きは失せた。あと何年かすれば、老朽化した建物は完全に倒れ、島の土台だけが残るだろう。そうなれば、もう廃墟ですらない。
遠くない将来、すべての記憶と物語の証が浦ノ内の海に沈んでしまう。


コメント
7Xのこちらの投稿からおじゃまします。
https://x.com/MWT021/status/1969276886791409827
とても貴重な冒険の記録おもしろかったです。調べてみたところ、この写真に屋根の形状や縦横比が似ていて、地理的にも一致しそうな建物があります。
「真珠養殖(浦ノ内湾)」の画像です。
↓ ↓ ↓
https://www.city.susaki.lg.jp/life/detail.php?hdnKey=109
当時は、養殖の板の上を歩いて高知本土から小屋に渡ったり、船で荷物を運んだりしていたのかもしれませんね。
貴重な情報をいただきまして、ありがとうございます。確かに、養殖場を利用すれば、資材が運べます。この仮説は、たぶん当たりですね。また、調べてみます。ありがとうございます。
養殖場の上を歩くときは板を引いてうまく力を分散して、足を踏み外さないようにしてたのかもしれませんね。自分は一時期遺跡発掘調査の仕事をしていて、でこぼこした場所によく分厚いベニヤパネルを引いていたので、そんなことを想像しました。
今後も応援してます。お気をつけて冒険されてください。
養殖場の歩き方❗確かにそうですね。調べてみます。発掘調査は何度も取材し、大地を細かく刻む仕事に驚きました。私は考古学の知識がなく、かなり苦労しました。応援、ありがとうございます。