かつてここにいた女達の服も衣装櫃には多々残されていたものの、それに一切見向きもせず、自らを婢女と言った通りに、箔も刺繍もない黒の衫(ひとえの短い衣)に着替えて、化粧も落とし一切の装飾品を取り払った質素かつ動きやすそうな姿になったアーチャーは、まずランサーに訊いた。
「ところで、仙人は霞を食べると言うが、神もそうなのか」
ランサーの服をアーチャーが自分の身丈に合うように少し手直ししたのだが、女物の華やかな装束を着ていた先ほどよりも、かえって隠された女らしさが匂い立つようで、予想通りどころかそれ以上によく似合っていた。正直なところ、ランサーは一瞬ではあるが、まじまじと見惚れた。それをあからさまな態度に出せば、アーチャーは思い切り機嫌を損ねるだろうということは、今までのやり取りでも容易に想像出来たので、ランサーは質問にだけ答えることにした。
「いや、人間みたいに食わなきゃ死ぬってことはねえが、普通に飯は食うぜ」
「食材はどうやって調達するのだ」
「厨房に甕がある。そいつに必要なものを思い浮かべながら手を突っ込めば出てくる。ダグザの大釜ほどじゃないが」
「なんとまあ……」
便利というべきか横着というべきか、とアーチャーは判断に困るような顔をした。
「……浮屠(佛教)のように、肉食を禁じたりはしないのかね」
「そういうのはねえな。それに、――なんてえのかな、神っていう連中にも人間みたいな国、みたいなのがあるんだよ」
ランサーの口舌は、自分達のことである筈なのに何処か他人事のようだった。
「人間の国が違えば、信じる神も変わるだろ。西の方からとか、お前達に馴染みがない神を拝む連中が入ってきてる異国人がいる筈だ。一部、位相が重なるような所じゃ、同じ神をそれぞれ違う名前で呼んだりとかあるいは邪な存在扱いしてるようだが、神って言っても一種類しかいないわけじゃねえ。まあ、一種類しか認めねえ神もいるらしいが」
「……ほう」
アーチャーが答えた口調は実に素っ気ないものだったが、全く興味を惹かれなかった、わけではないらしい。
「では、国のように自分達と違う神達と争ったりはするのか」
その証に、訊いてきた。
「よその連中とか。まあそうなりゃそうなったで面白そうだが、世界もただじゃすまねえわな。ぶっ壊れる、程度で済めばまだ御の字だろうよ」
物騒なことをさらりと言って、ランサーはからからと笑った。戦いになると凄まじく猛る、と言われているのはどうやら誤りではないらしい好戦的であろう性格がうかがい知れる。それでも、不思議と野蛮な印象を一切与えてこない。
とはいえ、アーチャーの表情は頑なに和らぐことは無い。
「世界の理のために、戦うことはしないと?」
「それもあるが、戦いの基本ってのは『奪う』ことだろ。敵の命、財産、領土……。天地の始まりの混沌としてた時期ならまだしも、理が定まった今は奪う必要性を別段感じない、ってことだな。身内同士でちょっとした喧嘩ぐらいはあるが」
「……」
ふと、アーチャーが微かに眉を曇らせて押し黙った。
「おい?」
その沈黙が随分と続いたので、流石に妙だと思ったランサーは褐色の肌を持つ女の顔を覗き込もうとした。
「――いや」
すい、と目を逸らして何でも無い、とアーチャーはランサーの行動を制する。
「ここは……時間というものはあるのか。朝昼夜の区別は」
そして、再び口を開いたのはやはり問いかけのためだった。それは単純に好奇心というよりは、今まで自分が属していた人の世界と異なる、神の支配領域での知識を得ようとしているのだろう。態度同様に、中身も実に堅苦しい。
それを余裕が無い、というには少し違うようにランサーには感じられた。
死ぬことを恐れない女。果たして彼女に欠けているのは、恐怖心などという単純なものなのだろうか。それとも、それよりも大事な何かがあるのか。
「……ああ、あるぜ。まあ、人の世界とはちょっと違うが」
「あるにはあるのか。私が門をくぐる前は外は夕暮れ時だったのが、ここは昼間にしか見えない」
「流れが違う、ってのが近いかね。人界の時間は一定で流れているが、ここはそうじゃない。人界にありながら、人界にあらずでな。人間からすりゃあ妙な感じがするだろう」
アーチャーが着替えている間に持ってきたものか、卓の上に置いた淡青の色をした磁器にランサーは手を伸ばした。細い頸と注ぎ口を持つそれは、当代においてはいささか古風な形だが明らかに酒壺だ。その中身を酒杯に注ぐことなく、直接ぐいとあおる。ひどく自堕落な仕草だが、しかしそれが恐ろしく様になって見えた。
不作法を少し不快そうにアーチャーは顔を顰めるも、だからといって酌をする気などは毛頭無いとばかりに下座から動こうともしない。気にせずに、口元の滴を拭ったランサーは続けた。
「神連中の住んでる場所を常若の国っていうんだが、ここは、人の世と常若の国を隔てる、まあ関所みたいなもんだ」
「あなたは、関守としてここにいる……ということか?」
「そんな感じだ」
アーチャーの語気が僅かに強まった。はっきりと分かる、非難の調子を含んで。
「太陽神の御子たる者が、関守などと、小役人のような役目を?」
己の身の上を否定せずに、ランサーはひらひらと手を振って見せた。
「いや、結構重要なんだぜ? 霊山って言われる常若の国との通路は他にもあるが、直接に南門と繋がってるのはここだけなんだからな。大体、嫌な役目を渋々引き受けるほどオレも自虐的な趣味はねえよ。常若の国にいるより、よっぽど気楽だしな」
「薄汚い人間が、美しい神の国に迷い込まないように、か?」
「違うな。神連中が面白半分に人界に降りて、何かやらかさないようにだ」
ランサーの言は淡々としているが、そこには実感以上のものがこもっていた。
もっとも、それにアーチャーは何も感銘を受けなかったようだ。むしろ、問責の度合いが強まったといっていい。
「ほう、その割には祟りなどをしでかしているようだが」
「とはいえ、この所ここを通ろうとした連中はいないんだがなあ。魔性の悪さ、って可能性も捨てきれんが……。それもちっと毛色が違うような気もするな」
何処か茫洋としていたランサーの雰囲気の中に、ほんの微かに不敵なものが混じり込んだ。気ままに暮らすのも嫌いではないが、面倒事もやはり嫌いではないといったところだ。
赤い両瞳が、炯と底光りする。
「何にせよ、一度は見てみねえと何とも言えん。久しぶりに降りてみるか」
「物見遊山かね」
「いちいち突っかかるねえ」
口ぶりは呆れた風だが、ランサーの口元は笑っている。単純に、アーチャーとの会話を楽しんでいるのだ。
彼女が女性としてランサーにとって好もしいというのもある。また、人間としても神という存在を目の前にして物怖じしないどころか、逆に悪態をついてくるのを面白がってもいる。最初は帰れとは言ったが、この女と暫くでも共に暮らすのも悪くないと片頬だけで笑う。何より、アーチャーは他の女とは違ってそう簡単に死にはしないだろう。
誰かを傍に置くことを自分から望むことなど、人の時間にしたら久しぶりどころではないのを、ランサーは我がことながら面白がってもいた。
無論、そんな内心を知るはずもないアーチャーは、表情を崩しもしない。
「他にこの関所を守る者はいるのか」
「いねえな。オレだけだ。まあ面倒をしてまで押し通ろうなんて奴も、滅多にいねえしなあ」
「それで、自由気まま放埒に暮らしているというわけだ」
いかにも生真面目で融通の利かない性格を思わせる、溜息の音。
「……報暁頭陀(鉄の札や木魚を叩いて朝を知らせる寺院の行者)がいるわけでもなく、時楼があるわけでもなし、か……。やれやれ。まあ仕事もない関守なら仕方ないのか」
神への生贄として今までの生活を全て捨てて、全く秩序の違う見知らぬ世界に来たアーチャーからすれば、ランサーの暮らしぶりは相当にだらしないものらしい。
「しゃあねえわな、色々とな」
人と神では姿形が似てこそいても、考え方から何から根本的に異なるものだということをランサーはよく知っていて、それをあるがままに受け入れている。だから「仕方ない」と言うのだが、ある意味では、歩み寄りを考えてもいないという姿勢にも取れるだろう。
アーチャーより以前にランサーへの生贄にと捧げられた女達は、結局それで気を病んで早くに死んでしまったというのは否めまい。
「それはそれとして、だ。今度はオレが訊くが、アーチャー」
「何だね」
「戻る所はないと言ったな。この件が片付いた後、お前どうするつもりだ」
「どう、とは?」
心底不思議そうに、アーチャーは目を瞬かせた。
「あなたへの生贄となった時点で、私は死んでいる。それに、ここでは人は長生き出来ぬのだろう?」
あまりにもあっさりと、そう言った。
「今、先のことを問われても困るな。祟りが終わるかどうかも分からんのだし」
「まあ……そりゃそうだろうが」
アーチャーは自己の生命そのものにはまるで頓着しない割には、生活のことを気にするというのは何とも矛盾ではある。もっとも、彼女からすれば、生贄となった己自身を「生きている死人」と見なせば何も間違ってはいないのだろう。決して自暴自棄、ではないのだ。
別段死にたい願望があるわけでもなく自我はきちんとあるというのに、自己は薄い。だからこそ、神であるランサーを一切恐れない。
ランサーにとって、実に不思議な女であった。だからこそ、余計に興味を惹かれる。
「別に死にたい、っつーわけでもねえんだろ」
それで何となく確認してみたら、
「くだらんことを。死にたいだけなら、ここまで来ずとも簡単だろう。剣で胸でも喉でも突けば良いだけではないか」
案の定、軽く鼻で笑われた。
「さて、訊きたいことはもう終わりかね」
「……まあな」
もっと彼女を知るには、この程度の問答程度ではなく、共に暮らして色々な側面を見ることだろう。
アーチャーは立ち上がった。
「では、この楼の中や外を見て回っても良いだろうか」
「好きにしな。何かするにも、いちいちオレの許可を取る必要はねえぞ」
失礼する、と一礼しかけてふと。
「――そういえば」
何かを思い出したかのように、アーチャーは口にした。
「亡くなった女達は、どうなったのだ」
「ああ、山に埋葬した。街が見える場所にな。ここよりは、人間の領域の方が良いだろ」
驚愕とまではいかないまでも、ランサーの返答を聞いたアーチャーの両瞳は意外さに満ちていた。
「おいおい、お前さんはオレをどんな冷血だと思ってたんだ。……まあ、生贄を要求する神だと思ってりゃそうなるか」
ランサーは苦笑する。
「……いや、まさか神が死者を葬ることを知っているとは」
「まあオレも、人間のことを何も知らないわけじゃないからな」
その時。ランサーの赤い瞳に現れた色を何というべきか。
失ったものを遠く思う、それは人の感情ではなかったか。懐かしむ、という。