中途半端な未練を断ち切る。
東京在住の女性S様から「家を整理する必要があるのですがモノが多くて何も手につかず、ウロウロしているだけでちっとも進まずパンクをしてしまいました。よろしければ、お手伝いに来ていただけないでしょうか?」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。旦那が病気で入院し、退院後は家で介護をしようと思う。そのために空間を作る必要があるのだが、思い出を捨てることができない。S様は、そのようなことを言った。
S様は言った。旦那が病気になってから、いろいろな人から「あれをしたらいい」とか「これをしたらいい」と連絡が来る。ありがたいのだけど、全部をやることはできないし、かと言って何もやらないのはダメな気がして、最初は「旦那が生きているだけでいい」と思っていたのに、だんだんと「お金は大丈夫なのか?」とか「これをずっとやるのか?」とか、先のことを考え出したら不安になって、イライラすることも多いけど誰にもそれをぶつけることができなくて、憔悴している。
S様は言った。思い出があるから、絶対に使わないのに、捨てることができない。もらってくれる人がいるならあげることができるけど、捨てることができない。モノの整理もお願いしたかったけど、頭の中の整理もお手伝いをして欲しかった。なんでこうなったんだろうとか、なにがいけなかったのだろうとか、考えても仕方のないことばかり考えてしまう。坂爪さんにも、そんなことはあるのですか。イライラしたり、考えても仕方のないことばかり考えてしまうことはあるのですか。
私は「あります」と言った。人にはそれぞれキャパシティーがあって、限界を越えるとパンクをする。私の場合、極端にキャパが小さいのでギリギリ背負えるのは現在だけ。過去も未来も一緒に背負うと「無理」となって、途端にパンクをする。わかるのは今だけ。見ているものは今だけ。今必要なものだけを残して、それ以外は捨てる。容赦なく捨てる。目に見えるものも目に見えないものも捨てる。スマホの写真もアプリも捨てる。毎朝「明日死ぬかもしれない」と思って、死ぬイメージを膨らませながら瞑想して、毎朝たっぷり死んでおく。先に死ぬことで、残りが爽やかになる。
身も蓋もないけれど、家をまるごと手放すことも含めて、旦那を見捨てることさえも含めて、中途半端な未練を断ち切ること。旦那は断じて可哀想ではない。好きに生きて、好きに死ぬ。大往生。いなくなることなど、たいしたことではない。旦那に会った。旦那と生きた。それだけは残る。大事なことは、いなくなることではない。いたことだ。旦那に会った。旦那と生きた。それだけは永遠に奪われることはない。あとは、自分が自分の人生に何を望むかだと思う。たとえ他人からひとでなしと罵られても、それが本当に自分のやりたいことならば、その愛を断行することだと思う。
おおまかな予定
3月19日(木)東京都文京区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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