運用人生25年は失敗の連続だった(窪田真之)
楽天証券経済研究所所長兼チーフ・ストラテジスト
日本株ファンドマネジャーという仕事を2013年まで25年間やってきました。20歳代のころは残高約1000億円、40歳代には約2000億円のファンドの運用を担当していました。投資信託、公的年金、海外ファンドなど、さまざまな種類の運用を経験しました。25年の間には、大失敗したこともあれば大成功したこともあります。
そのころの経験をお話しすることで、少しでも個人投資家の方々のお役にたてればと、筆を執ることにしました。今日は連載の第1回目、さっそく私が運用で成功した話……でなくて、失敗した話から始めることにします。
なんで失敗した話から始めるのか。それは、失敗談の方が、皆様のお役にたつと考えるからです。私の父(故人)は32年前、私が住友銀行(当時)に就職が決まった時、「これは俺からお前への遺言だ」といって、会社勤めになったとき、気をつけるべきことを語りました。そのときのことは、私の心に深く刻み込まれています。
父が私に語ったのは、父のサラリーマン人生での失敗談ばかりだったのです。失敗してみじめな思いをした話を語ることで、社会人なりたての私に真心からのアドバイスを届けたのだと思っています。
私もまねして、2人の息子には、常々自分の失敗談から語ることにしています。息子たちが20歳になったとき、さっそく私が酒を飲み過ぎて失敗した話を伝えました。
株式運用の話に戻ります。私は、時価総額が小さい小型株が大好きでした。25年間株式運用をやっていましたが、だいたいいつでも、小型株をオーバーウエイト(市場平均より高い組み入れ比率にすること)していました。
小型株は、多くの場合、時価総額が大きい大型株よりもパフォーマンスがよく、運用パフォーマンスに貢献してくれました。ところが、私はその小型株で何回も痛い目にあっています。小型株好調が続くと、私のポートフォリオでは小型株の組み入れ比率がだんだん高くなってきます。もう大型株なんか持っていても仕方ないと、小型株の組み入れをさらに引き上げたときに限って、そこから突如、大型株が猛烈に上がる相場がやってきます。大型株相場に転換した初期、私は、何回もつらい思いをしました。
一番よく覚えているのは06年です。06年は、1月にライブドアショックがあった年です。それをきっかけに小型株が総崩れになりました。小型株が大きく下がる一方、大型株が上昇する年となりました。私は、そのとき痛い目にあって反省して、以後しばらくは小型株のオ-バーウエイトをやめました。
でも、長続きしませんでした。小型株が好調になってくると、また小型株の組み入れを増やします。それでまた、大型株ばかり上がるときに痛い目をみました。実は、私がファンドマネジャーをやっていた25年間、ずっとその繰り返しでした。
それでは私がどんな小型株を買っていたか、お話ししましょう。私が好んで投資する小型株にはいろいろなパターンがありますが、特に大好きだったのは「急落した人気株」です。よく雑誌で、落ちぶれた芸能人や有名人の特集をやっていますね。あんなに輝いていたあの人が、今やこんなになってしまった、みたいな。もし小型株で同じような特集があれば、私はそこに出てくる銘柄にまず注目します。
よく知らない銘柄の場合は、まず事業内容を確認します。次に、輝いていたときにアナリストが書いていたレポートを読みます。いいことがいっぱい書いてあります。そんなふうに持ち上げられていたのか、とあきれることも結構あります。
でも、時々、おっとうれしくなる銘柄に出会います。上がっていたときにいわれていたことが、何も変わっていないと思う銘柄を見つけたときです。テーマ株として急騰し、テーマへの市場の熱狂がさめると暴落している。でも、企業そのものは何も変わらず、堅実経営で安定成長を続けている。
そういう企業を見つけると、いてもたってもいられなくなります。早速、安値圏でコツコツと投資を始めます。でも、実際に企業に出向いて取材をして良い企業であることが確認できるまでは、あまりたくさん買い過ぎないようにしました。取材して銘柄選択に自信を深められると、そこからは投資金額を大きくしていきます。そして、その実力が広く知られて人気が復活したときに大きなリターンが得られることがあります。
でも、そこまで調べて選別した銘柄でも、失敗するときは、失敗します。じっくり調べて選んだ銘柄ほど、失敗したときに損切りが遅れて、傷口が深まることがあります。じっくり調べているうちに、その企業を好きになってしまった場合は要注意です。損切りが遅れて傷が深まるのは、思いつきで買った小型株ではなく、じっくり調べた小型株に多かったと記憶しています。人間の心理はそれほどやっかいなものなのです。