昭和44年(1969年)8月、吾妻連峰一切経山のふもとに「慶応ヒュッテ」がが完成した。持ち主は、慶応大学山岳部OB会(慶応登高会)、管理は高湯温泉安達屋旅館が当たり、三角屋根の瀟洒な山小屋としてスタート。

 その後、日本山岳会会長槙有恒氏が「慶応吾妻山荘」と命名し、長く岳人に親しまれ、令和2年をもって取り壊わされることとなったようです。この7月、元小屋番人として働いていた高橋さんの「取り壊される前にもう一度見てみたい」との声がかかり、訪れた山荘は寂しげでありました。

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槙有恒氏は吾妻山をこよなく愛し、微温湯温泉、吾妻小舎との親交も深かったといわれています。


慶応15
慶応山荘入口で記念撮影



懐かしそうに山荘を見上げる

山荘を北側から見上げる。


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ソーラーパネル
コマクサ
山荘近くのがれ場にはコマクサも咲く