水遊び中に「サリンをまくぞ!」…児相職員が絶句した「サティアンで育ったオウム2世」の"異常な遊び方"
1995年4月、山梨県中央児童相談所はオウム真理教の教団施設から信者の子どもたち53人を一時保護した。異様な環境で育った子どもたちと児相職員はどう向き合ったのか。NHK「クローズアップ現代」取材班の著書『オウム真理教の子どもたち 知られざる30年』(集英社インターナショナル)より、その様子をレポートしよう――。 【この記事の画像を見る】 ■食事は手づかみ、歯磨きも洗面もしない 保護から2週間程度は、騒然とした日々が続いた。外には信者やマスコミが詰めかけ、警察官がものものしく警備にあたっていた。 この間、警察による子どもたちへの事情聴取が優先して行われている。子どもたちはその合間に、ビデオを観たり、ボール遊びをしたり、思い思いに遊んでいた。 ただ、食事は手づかみ、歯磨きや洗面はせず、おもちゃは出しっぱなし。判定課長だった保坂三雄さんは「まるで野生児のようだった」と、保護直後の様子を振り返る。日誌には、子どもたちの行動が次のように記されている。 ---------- ・4月15日 子供達の散らかしたり汚したりは、そうとうなものである。〈中略〉おもちゃを次から次へと出しては遊び、片付けることはせずちらかし放題である。汚れを全く気にしない子供がほとんどである。(原文ママ、以下同) ---------- 事実上、しつけをする大人がいない環境で育った子どもたち。歯磨きや手洗い、洗面など、児相の職員は少しずつ、生活のルールを身につけさせようと試みた。 例えば4月19日、朝食の後に整列して朝礼、ラジオ体操を行うことにした。しかし、子どもたちは簡単に言うことを聞いてくれない。外に並ぶよう呼びかけても、無視して遊び、体操は頑なにしようとしなかった。
■水遊び中に「サリンをまくぞ!」 職員は日誌に「オウムの教育を受けており、こちらが規律を正しくする言動に対してことごとく反発する。自由時間は文句なく楽しく遊ぶ」と記している。 さらに、子どもたちの遊ぶ様子からは、オウムの影響も垣間見えた。 ---------- ・4月17日 外へ出てブランコ、一輪車、砂遊び、水遊びなどをする。〈中略〉水遊びの中で、「サリンをまくぞ」「毒ガスだ」オウムの各種の歌など、小さい頃から、オウムの考え方の教育が徹底して行われていることがうかがわれた。 ・4月22日 土ダンゴを作り爆弾と呼ぶ。女子寮にそれを投げ、第三次世界大戦と発する。 おもちゃは石を落として壊す。生産的な活動は少ない。アニメビデオに限っては私語が少なく集中して観入っている。中学生も幼児向けアニメに興味を示す。 ---------- この間、ちょっとした騒動が起きる。4月16日、一部の子どもが、事務室に置いてある新聞を見つけ、「読ませろ」と騒いだのだ。児相では、子どもを刺激してはいけないと、テレビニュースや新聞は一切見せず、オウムの情報を遮断していた。 結局、新聞を読ませることはなかったが、日誌には「かなりしつこい」と記してある。子どもたちはその後も敷地外に脱走しようとしたり(4月19日)、外にいる信者に助けを求めたりする(4月22日)など、職員にとっては気が抜けない日が続いた。 ■徐々に職員を「オマエ」呼ばわりしなくなる この頃の子どもたちの言動として「警察は毒ガスやサリンをまいた。無理やり俺たちを連れて来た悪い人、尊師の命を狙っているんだ」「白いご飯はシロアリ駆除剤が入っている。そのうち俺たちは死ぬ」といった言葉が記録に残っている。 一方で、児相での生活が続くうちに警戒心が薄れていったのか、次第に子どもたちはさまざまな表情を見せるようになる。職員を「オマエ」と呼んでいたのが、「オジチャン」「オバチャン」と呼ぶようになったり、アニメのビデオを観て笑ったり泣いたりするようになったのだ。なかには、職員に甘え、「母親がいる第10サティアンに戻りたい」と泣き出す子もいた。 ---------- ・4月25日 本当に少しずつであるが、“ありがとう”“ごめん”が言える子が出始める。 また悪いコトバを使うことがあっても職員が注意すると、自分の非を認めることもでき始める。職員に対する警戒心がかなりなくなった感じを受ける。 ----------