止まない雪に祝福を
初めての方ははじめまして、そうじゃない方はまたご足労(?)いただきありがとうございます。
某雪の魔法が使える系姉と普通の妹が出てくるお話を見ていて、槍弓だったらこうだな…と妄想した結果のファンタジーパロでございます。
それのイメージ元は雪の女王だそうですから、あくまでこの話もそれが元ということにしておいてください。
略したら「やり雪」になるタイトルにならんかなあとこね回したりしていませんとも、ええ。
!注意!
・不勉強のためキャラの乖離が多分にあると思います。
宝具っぽいのとか出てきますが、細部を突き詰めてはいけません。
・槍と弓が実の兄弟です。
エロはありませんがたぶん彼らはヤるでしょうし、結婚とか言ってます。
・名も無き父母とモブが出ます。あとモブの説明がやたら長い。
そんなんでもよろしい方、お楽しみいただければ幸いです。
前作、とってもたくさんの閲覧・ブクマありがとうございました!
- 50
- 62
- 1,569
昔々、とある王国に、二人の王子がおりました。
彼らは十も年の離れた兄弟でしたが、母親似の兄と父親似の弟は大層仲良く過ごしていました。
名を、兄の方はアーチャー、弟はランサーと言いました―――。
コンコン。
「あーちゃー。起きてる……?」
子どもの就寝時間を過ぎてしばらく。弟のランサーの声に、部屋の主であるアーチャーは仕事の手を止めて顔を上げた。
「起きているよ。入っておいで」
ガチャリ、とドアが開き、顔を半分覗かせたランサーはそっとアーチャーの様子を伺っているようだった。常に快活な彼にしては珍しい行動である。アーチャーは立ち上がると、ベッドに腰掛けて隣をぽんぽん、と叩いた。
「どうした?こちらへ来ると良い」
ランサーはてこてことアーチャーに近付き、彼には少し高すぎるベッドによじ登ると、アーチャーの隣で俯いてしまった。
話したくなるまでは、多少ならこのままでも良いだろう。仕事も急ぎのものはない。ランサーの寝不足が一番の心配事ではあるが、明日は特に何もない、1日くらいは許容範囲だ。そう考えたアーチャーは、自分の肩よりも低いところにある青い頭を見つめた。
(……綺麗だな……)
ランサーの青い髪は、国王である父親譲りだ。真っ直ぐに流れ落ちる青は母の大のお気に入りで、ランサーの後ろ髪は腰辺りまで伸ばされている。(ちなみに母がランサーの髪を伸ばし始めたとき、父は首を傾げたがアーチャーは拍手喝采を贈った。)いつもは陽の下で真夏の晴れ空のような鮮やかさを振りまいているそれは、窓から入る月明かりに照らされて、夜明けの寸前、水平線に走る光の線に浮かび上がる紺碧の海のようで、それはそれで何とも美しい。そしてビスクドールのような白皙の肌と母親譲りの可愛らしいかんばせもまた、作り物かと見紛う美しさに拍車を掛けていた。しかし彼を一目見た者がまず惹かれるのは、そのルビーのような真っ赤な瞳であろう。血潮を、熱量を、生気を溢れさせる紅が、ランサーを飾り物ではない、人間として魅力的に魅せているのだ。一方アーチャーは父親譲りの立派な体躯に、母親譲りの白い髪と褐色の肌。とは言え、母の髪の白銀と並ぶと色の抜けたような真っ白であるし、王族たるもの両親どちらも美形と言える見目なのに、まあランサーに比べるまでもなくぱっとしないな、と自分では思っている。
つまり。
(は~今日もうちの弟顔が良い……)
顔が見えなくたってなんのその。兄は弟の、特に顔が大好きだった。美しいものは誰しも好きだろう?とはアーチャーが常々言っていることで、ランサーはそれによく苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、母が諸手を上げて同意するので何も問題はないはずだ。
いや、問題、と言えるような、言えないような事が、なくもない。アーチャーにとって問題と言えば、生まれた時から自分に付随してきた、解決を望むべくもなくもはやどう折り合いを付けるかというレベルのものであったが、最近になって恐ろしくすらあるものが1つ、浮上してきたのだ。それをアーチャーは軽く頭を振って追い出した。意識するからおかしな話になるんだ、やめよう。
たっぷり5分は経っただろうか、アーチャーが熱い視線を送る中、ランサーはそろりとアーチャーを見上げてようやく口を開いた。
「アーチャー……けっこん、するのか?」
アーチャーはぱちくりと目を瞬いた。けっこん。結婚?はて何の話だ、と考えて、思い出したのは昼間の会話。
『王子もご成人されたのですから、そろそろご結婚もあるのでしょう?』
『お相手はまだ決めておられないとか。国内の貴族の娘か、他国の姫か、それくらいは早い内にお決めになったほうがよろしいのでは?』
本日開かれたアーチャーの成人を祝うパーティーで、そんな話題は何度も上がった。出席していたランサーの耳に入っていたとしてもおかしくはない。
結婚。結婚か。正直、アーチャーには縁遠い世界の話だった。第一王子である以上、いずれは相手を見つけ、跡取りを残さなければならない、が。なんせ、まずは自身の「問題」をどうにかしなければいけない。
アーチャーは不安そうに見上げてくるランサーの頭を撫で、安心させるように髪を梳いた。
「相手がいないのは君もよく知っているだろう?王子であるからにはいつかはするだろうが、今すぐになんてことはないさ」
それを聞いたランサーは、安心どころか眉根をぎゅうと寄せ、口をへの字に固く結んでしまった。アーチャーが困っていると、ランサーはベッドの上を這ってアーチャーの膝に乗り上げ、首に手を回してぎゅーっとしがみついた。
「ランサー……」
「アーチャー。けっこんって、父様と母様みたいにずっと一緒にいようって約束することなんだろ?じゃあオレ、アーチャーとけっこんする。アーチャー、オレとけっこんしよう?」
二度と離れまいとでも言うように、首に回った腕に一層力が籠もる。血流と呼吸に危険を覚えたアーチャーは腕をタップしながら、はて何と言って聞かせようかと思案していた。否定の材料は山のようにあるが、ランサーを納得させるにはどう話すべきか。
「……ランサー。君と私は、結婚できないんだ」
「どうして?アーチャーは、オレのことキライ?オレと一緒にいるのはイヤ?」
ランサーは腕を解いた代わりにアーチャーの頬を両手で包む。そして、額にキスを落とした。
「オレはね、アーチャーが大好きだよ。ずっと一緒にいたい。アーチャーがオレ以外と一番仲良くするなんてガマンできない。アーチャー、アーチャー……」
言いながらランサーの唇は瞼、頬骨、鼻と徐々に下っていく。降らされる柔らかい感触に、アーチャーはきつく唇を噛んだ。
―――まただ。明らかに、求められている。
元々大人びたところのあったランサーは、10歳を過ぎて時折こうして色を見せるようになった。それも、実の兄であるアーチャーに対して。最初は誰にでもそのように甘えているのかと心配したが、人を選んでいる、というかアーチャーが選ばれているとわかり、結局それはそれで心配になった。そういうのは将来を誓い合う人とだとか、大人になって一番大切な人ができたらだとか言い聞かせてみたものの、暖簾に腕押し、糠に釘。アーチャーが一番大好きだからいいの!と言われ、そういう大好きじゃないんだと説明してもどうも伝わった気がしない。これがアーチャーの抱える1つの問題の前提条件であり、そしてその本質と言えば。
されるがままにしていたアーチャーは、ランサーの吐息を感じてその口に手を張り付けた。薄目を開き、じとりと睨み付ければ同じ表情で返される。何で止めるんだよ、と言わんばかりの視線に大きな溜め息をひとつ。
「ランサー。そこはダメだ」
アーチャーが押し止めて守ったのは、己の唇。現状アーチャーがどうにか死守している、最終防衛ラインである。
「なんで」
「いつも言っているだろう。そこは大人になって一番大切な人と、」
「だから!アーチャーがいいの!大人になっても絶対、オレの一番はアーチャーだからっ!……アーチャーは違うのか?大人になって、オレじゃない人が一番になったから、ダメなのか……?」
がじがじと口を塞ぐ手に緩く歯を立てながら、眉間に皺を寄せて涙をこらえるその姿はまるで鎖に繋がれてきゅうきゅう鳴く小犬のようで、アーチャーは下唇を噛む力を強くした。
そんなはずがないと、言ってしまいたい。私も大好きだと、告げてしまいたい。間の手を取り去って、ランサーの望むようにこの身を差し出してしまいたい。そう思ってしまう自分がいること、それがアーチャーの抱える問題の、忌むべき本質であった。
それでもアーチャーは、今日もまた繰り返す。王国の為、両親の為、何より、愛するランサーの為に。
「ダメだよ、ランサー。私も君が一番だけど、それは兄として、だ。君も今は私が一番かもしれないが、直にもっと素敵な人と出逢うから。だから私では、ダメなんだ」
ランサーをぎゅっと抱き締めて、唇が触れない位置になってから口を覆った手を離す。両手を背に回し、ぽんぽん、と背中を叩いた。
子ども扱いしているのを、わからせるように。そういう対象として見てなどいないと、伝えるように。
「……アーチャー。魔法見せてよ」
ずび、と肩口で鼻が啜られる。我慢するからごほうびちょうだい、とでも言うような要求に、アーチャーはぴくりと肩を震わせた。
魔法。正確には、便宜上「魔法」と呼んでいる、アーチャーの体質で、もう1つの根本的な問題。アーチャーは、雪や氷を思うままに操る力があった。室内を雪景色にすることも、精緻な氷の像を作ることも、アーチャーにかかれば一瞬だった。魔法や魔術とはまったく縁のなかったこの国で、アーチャーの力を理解できる者は皆無だ。それ故、これは家族―――父親と母親、そしてランサーにしか知らされていない。そのランサーは、アーチャーの生み出す雪や氷を大層気に入っているのだった。
「了解した。今日はもう遅い。明日、寝る準備を早く済ませてまたおいで」
「わかった」
のろのろと身を起こし、おやすみを告げるまだ小さな身体を見送る。ドアが閉まってから、アーチャーは両手で顔を覆った。
「大丈夫……大丈夫……まだ、触れられた……」
アーチャーの手には、真夏にもかかわらずぴったりとした手袋がはめられていた。
大切だから、守りたかった。
愛しているから、傷付けたくなかった。
それなのに。
「ランサー!!」
床に伏せたランサーに駆け寄って抱き起こそうとするも、自分の手が視界に入った瞬間、アーチャーの身体はびくりと硬直して動かなくなった。
―――この手が、ランサーを傷付けた。触れたら、今度は、死んでしまうかもしれない。
思った以上の高所から落ちたランサーを受け止めなければと咄嗟に放った魔法は、よりによって氷の剣となり、ランサーの頭を直撃した。ぴくりとも動かないランサー。人を呼ばねば、とアーチャーが扉に向けて走りだそうとした時、バタバタバタ、と足音がした。
「アーチャー?大きな声がしたが、何かあったのか?」
「父様!早く、早くランサーを!」
父親は急ぎ扉を開く。床に倒れている弟と、両手を胸の前できつく握り締めている兄。カタカタと震え、ランサーの側に寄りもせず、自分からも距離を取ろうとする兄の様子に、父親は何が起こったのかを粗方理解してしまった。
父親に同行していた母親が駆け寄ってランサーを抱き起こす。あり得ないほどに冷たくなった身体。そしてランサーの前髪の青が、一筋、すうっと雪のような白に変わるのを、全員が目にした。
「あ、ああ……うわっあ、あああ―――!」
「アーチャー!落ち着け、」
「来ないでくれ!私が……私の、せいなんだ。父様まで、傷つけてしまう……」
頭を抱えうずくまってしまったアーチャーに、父親は何も言えなかった。代わりのように、ランサーを検分していた母親が震える声で言った。
「魔術師様に、見ていただきましょう」
男は、魔術の盛んな東方にある国の、小さな村の出身だった。まだ子どもだった男に魔術の素養があるとわかると、村から魔術師が出るぞ!とお祭り騒ぎになるような、そんな村だった。
男は成長し、意気揚々と街へ出た。魔術で大成するんだ、と、青年らしい夢を抱えて。
そしてその夢は、あっという間に打ち砕かれた。男には確かに素養はあったが適性はなく、どんなに努力しても基礎の基礎、最低ランクの術を行使するのが精一杯だった。学友たちが(魔術の学園は国の方針で広く門戸が開かれているため、入学に支障はなかった)炎の術に長けている者、回復の術に特化した者、新たな魔術理論を構築しようと奮闘する者など、それぞれに頭角を表す中で、男は魔術師とは到底呼べぬ存在であった。
なんとか学園を卒業した男は、それでも魔術で生計を立てることに固執していた。村で唯一の魔術師として期待と羨望の眼差しを向けられたことを、忘れられなかったのだ。
街灯の点灯、玩具への魔術の封入、下水道の掃除。術を覚えたての学生がやるような、時に魔術を使わなくてもできるような、そんな仕事で男は食い繋いでいた。日雇いのものも多く、毎日のように斡旋所を訪れる男に面と向かって何かを言う者もいなかったが、男は時折視線を感じては悔しさに歯を食いしばっていた。
ある日、斡旋所の担当者がいつもと違うファイルから出した紹介状を男に差し出した。こちらの方が報酬も良いし継続できますよ、と言ったそれは、斡旋所の職員として真っ当な感覚と善意に基づくものであった。記載された要件は、読み書き計算ができること。―――魔術を要しない、一般人向けの業務だった。
男はその日、国を出ることを決めた。
西の方には、ほとんど魔術が普及していないらしい。そんな所ならば、自分も「魔術師」でいられるかもしれない。その一心で、男は山を、谷を、森を、海を越えた。それは過酷な旅で、空を飛ぶ、場所を移動するといった魔術がない現状、文化が断絶するのもさもありなんというものだった。奇跡的に西側に辿り着いた男は、路上で魔術を見せることで路銀を稼ぐことにした。奇術師の真似事は屈辱的ではあったが、如何せんこちらの国に魔術を使う仕事などありはしない。指先に火を灯し、氷の欠片を飛ばし、ほんの少しの風を起こす。そんな些細な、基本の魔術を行使して見せれば、子どもたちは目を輝かせ、大人は少しの金を落としていった。
しかしそれもやりすぎれば疑惑を生み、やれ詐欺師だの、魔法使いだのと謗られて町を追われることもあった。特に「魔法使い」は術を用いて人々を混乱に陥れた旧時代の化物を指す言葉で、そんなものと一緒にされるのは「魔術師」の男としてはとても許容できず、ある程度稼いでは自ら次の町を探して旅立つようになっていった。
そんな中で流れ着いたとある国は、西方の国家の中でも飛び抜けて魔術に馴染みのない土地であった。路上で術を見せれば誰も彼もが不思議だと言い、これが魔術だと言えば魔術ってすごいと純粋な賞賛を向けられる。
この国なら。魔術師として生きていけるかもしれない。男が期待を抱いた矢先、王城からの使者が現れた。曰く、国王がお話をされたいと仰っております、と。
国から追い出されるか、おかしなことをするなと釘を刺されるか、はたまた有無を言わさずに処刑かと戦々恐々としていた男が通されたのは、大層立派な客間であった。そこに国王本人が現れ、直々に言うことには。
―――魔法について、教授を願いたい。
この国にはこれまでそういったものが一切なく、しかし今必要に迫られているのだ。そう言われた男は、一気に気分を高揚させた。自分はこの国の、最初の魔術師だった。町に小さな店を構えるどころではない、国お抱えの魔術師になれるかもしれない!男は国王の依頼を快諾し、国王の都合がつくまで王城に逗留することとなった。
その数日後、夜分に呼び出されて見たものに、男は言葉を失った。
夏にもかかわらず、部屋の中にうずたかく積まれた雪。そこかしこには雪だるまやら氷の彫刻やら、まるで子どもが雪遊びをしたかのような光景。そして室内に漂う、むせかえるほどの魔力の気配。部屋の中央で女性が少年を抱きかかえ、少し離れた所にうずくまる、青年。
あれだ。あれが、これだけの術を。
その瞬間、男が感じたのは怒りであった。魔力を、ただただ雪に変える。理論も何もない、力任せの、もはや魔法とでも呼ぶべき現象。それを顕現させられる、強大な力。そんな恵まれたものを持ちながら、なぜこの青年は怯えている?すべてを思うがままにする力がありながら、なぜそれを使おうとしない?
次に男を支配したのは、目の前が真っ赤に染まるほどの嫉妬と、憎悪だった。男がどんなに欲しても手に入らなかった力を、この青年は持っている。王子で、おそらくは次の国王で、顔形も整っていて、民からの信頼も篤く、その上、魔術まで。何故。既に沢山のものを持っているのに。何故。満足に使えもしないのに。何故。自分ではなく、この青年が持っているのか。何故。何故。何故。
「魔術師殿。これは、息子の、アーチャーの、魔法によるものです」
魔法、と言うべきものかはわかりませんが、と国王は続けた。
「そしてその魔法が、ランサー―――こっちの、もう一人の息子に当たってしまった。魔術師殿、これを診てやっていただけませんか」
男は促されるままランサーに近付いた。髪の白くなっている所に強い魔力の残滓、そして全身をうっすら包む同じ魔力。これくらいなら放っておけばあっという間になくなる。魔術をかじったことがある者なら、誰でもわかるそれを、ここにいる誰も知らない。稀有な青い髪を掻き分け、傷を見る、ふりをする。上擦りそうになるのを押し殺して、声を発する。
「当たったのは……氷の塊、ですか?」
「いえ、あの……氷の、剣、です……咄嗟に、出てしまって……」
アーチャーは震える唇で答えた。男は再びランサーを見た。剣のわりに切り傷はない。大して魔力が籠もっていなかったらしい。意識がないのは、ただの脳震盪だろう。放っておけば目を覚ます。
しかし男は眉を寄せ、難しい顔を作った。まるで処置が難しいとでもいうような、そんな顔だった。
「頭ですか……。あまり、楽観視はできませんね。この『魔法』は、いつから?」
「物心付いたときには……。段々、強くなっていて……」
「ランサー王子とは、良くこのように?」
「はい……」
男は、アーチャーをちらりと見やった。顔面を蒼白に染めているこの青年から。あらゆるものを持って生まれたこの王子から。すべてを奪ってやりたい。ランサーに視線を戻す。まずは、この弟を。
「頭に当たった術―――魔法は、今もまだランサー王子を蝕んでいます。このまま身体が冷え続ければ命に関わるでしょう。王子の中の魔法をすべて、消し去る必要があります。魔法に関する記憶も、すべて」
「記憶も……!?」
国王と王妃が息を呑んだ。将来国王となるアーチャーを支える者に、魔法への理解は不可欠だ。現状、その役目を負えるのはたった一人、ランサーしかいないというのに。
「問題ありません」
逡巡する二人を差し置いて声を上げたのはアーチャーだった。
「ランサーの命より優先すべきことなど、何もない」
アーチャーは先ほどまでの怯えが嘘のように、真っ直ぐに男を見据えていた。―――そんなところも、憎くてたまらない。それを顔に出さぬよう、男は拳をきつく握った。
国王の同意を得て、男は術を施すと言ってランサーと二人きりになった。ランサーの部屋、自身のベッドに横たえられたランサーと、男。申し出てはみたものの、意識のない王子と二人きりだけにして、王子に何かあったらとは思わなかったのか。余程混乱していたか、信頼を得たか。どちらでも構わないが手間は省ける。男はほくそ笑んだ。
記憶を消すと言ったが、当然男にそんな高等な魔術は使えない。これから男が使うのは、術は術でも催眠術である。魔術の習熟のためとありとあらゆる分野に手を伸ばし、珍しく習得できたものの一つであった。魔術師としては使うのが憚られこれまでほとんど活用してこなかったが、男の新たな目的の前にそんな葛藤は吹き飛んだ。
催眠は、通常意志の強い者には掛けられない。しかし例外はあり、それは寝起きなど、意識が定まっていないタイミングであれば、大抵の人は催眠状態に入りやすい。特に強い衝撃などを受けて昏倒した後ならば、尚更。よって男は、ベッドの横に椅子を寄せてその時を待っていた。
ぴくり、まだ華奢な少年の青い睫毛が震えるのを目にして、男は指先に小さな光を灯した。―――催眠術の小道具として魔術が最も向いているとは、なんとも皮肉なことよ。ふっと漏れた自嘲の笑みを消し、男は指をランサーの眼前に持っていった。
「……んん……?」
瞼が緩慢に持ち上がる。半分ほど開いたところで光が目に入り、ランサーの意識が引き寄せられる。男の声が、脳に染み込んでいく。
この日。ランサーの、アーチャーと過ごした秘密の時間は。何の変哲もない、ただの冬の雪遊びの思い出となった。
男が扉を開くと、3人は一様に不安を顔に貼り付けて立っていた。目が覚めたと伝えればぱっと顔を明るくする。部屋に入る王妃と入れ替わるように男が廊下へ出ると、国王は涙を浮かべて感謝の言葉を述べた。実際のところ男は余計なことしかしていない訳だが、状況を見れば男がランサーを助けたように見える。男は、それを最大限に利用した。
「アーチャー王子は、力の正しい使い方を身に付ける必要がありましょう。私で宜しければお手伝いいたします。ただし、道程は険しい。この城を出て、私の下で鍛錬を積むことになります。時間も掛かるでしょう。―――いかがいたしますか?」
それはまさしく、嫉妬に狂った男が踏み出した、狂気の一歩だった。
+++
「あーちゃー……起きてる?」
あまり大きな音にならないよう、控え目にドアをノックする。疑問形ではあるものの、いつも夜遅くまで仕事をしているアーチャーがこんな時間に寝ているはずもない。しかし、今日はなかなか返事がなく、ランサーは首を傾げた。
「あーちゃ~?」
ドアノブに手を掛けると、がちゃんと固い手応えに阻まれた。鍵が、掛かっている。こんなことは初めてだ。
「アーチャー……?」
相変わらず返事はない。寝ているのかとも思ったが、扉に耳を付けてしばらくじっとしていると、驚くほど近くでかたん、と小さな音がした。すぐそこに、いる。
「アーチャー、いるよな?起きてるんだろ?……話、したいんだ。入っちゃだめか?」
再び沈黙が訪れる。忍耐強いとは言えないランサーが口を開こうとした時、扉の向こうから小さな小さな声が聞こえた。
「……だめだ」
ランサーはぎゅううと顔を歪めた。
「なんで?アーチャー、この前オレがケガしてから、なんか変だよ。オレ何かしたか?」
「違う、君は悪くない。悪いのはすべて、この私だ」
「そりゃアーチャーのせいかもしんないけど、遊んでてぶつかっただけじゃんか。オレ怒ってないよ?」
「それでも、だめだ。私がまた、傷付けてしまう」
「はああ!?」
ランサーは今の時間を忘れて声を荒げた。
「なんだよそれ!そんなんでお前、オレのこと避けてたのかよ!」
そう、あの事故から一週間、アーチャーはランサーを露骨に避けていて、話もできなかった。たった一回、ちょっと打ち所が悪かった位で、大好きなアーチャーと会えなくなるなんて。たとえそれがアーチャー自身の判断だったとしても、ランサーには到底許容できなかった。
「あんなの、ちょっと気を付ければ良いだけだろ……。オレも注意するからさ、また前みたいに一緒に―――」
「そういう問題じゃないんだ!」
ランサーはぴゃっと跳ね上がった。常にはない、アーチャーの厳しい声。でもそれは怒っているようで、泣いているようにも感じられた。
「ランサー。怪我をした時、何が頭に当たったか、覚えているかい?」
一転して静かに続くアーチャーの突然の問いに戸惑うも、ランサーは正直にそれに答える。
「……あー、よく覚えてない。アーチャーがなんか投げたってのはわかってんだけど、そもそも何して遊んでたのかもよくわかんねえ」
扉の向こうで、ほ、と小さく息が吐かれた気がした。
「……君は、それでいい。さあ、今日はもう戻りなさい」
ランサーは納得できなかったが、アーチャーの確かな拒絶を感じとって今日はここまでにすることにした。このまま粘っても部屋には入れてくれなさそうだし、何より、アーチャーを泣かせるのは本意ではなかった。
「……明日も、来るから。おやすみ、アーチャー」
「……おやすみ、ランサー。良い夢を」
そっと扉から離れ、自室へ戻る。パタパタと響く足音に、扉にもたれて座り込む衣擦れの音が紛れて、消えた。
翌朝。目が覚めるなりアーチャーの元へ向かったランサーが見たのは、主の不在を伝えるような冷え切った部屋だった。
アーチャーがいなくなった。
それを認識したランサーは、ちょうど母と朝食を終えた父を見つけるなり飛びかかった。
「父様!アーチャーが、アーチャーがいない!」
「落ち着け。アーチャーは……勉強のために、城を出たんだ。昨夜のうちに出発した」
「なんで!」
両方に対する強すぎる疑問に、父は顔を顰めて答えた。
「王になるのに必要な勉強を、外ですることになったんだ。お前に黙っていたのは大騒ぎするとわかっていたからで、アーチャーの希望だ」
ランサーは紅の瞳をまん丸に見開いてから、ぎっと父を睨み付けた。
「急にそんなのおかしいだろ!……あいつもいない、あの魔術師、あいつが何かしたんじゃないのか!?」
「ランサー!」
びくっとランサーの身体が跳ねる。父は息子の肩を掴んで引き離すと、その手にぎゅうと力を込めた。
「あの方は、お前の命の恩人だ。そんな言い方をするんじゃない」
父の静かな剣幕に、ランサーは渋々口を噤んだ。
確かに、助けてくれたのがあの魔術師だとは聞いている。実際、自室で目が覚めた時側にいたのはあの男だった。しかし、ランサーは違和感が拭えなかった。なぜ頭を打って呼ばれたのが、いつもの医者ではなくあの魔術師だったのか。そして、あの男の目。どろりと淀んだ瞳はどうにも嫌な感じがして、それでいてアーチャーがその目に映るとぎらりと瞳孔が開くのだ。そこに含まれる感情を読み取り、さらに言語化するには、まだランサーは幼かった。
「……クリスマスには、帰ってくるよな?」
せめて前向きに会える日を楽しみにしようとランサーが発した問いに両親は微妙な顔を見せ、またざわりとランサーの胸を騒がせた。
「勉強が、どれだけかかるかはわからない。それまでに終われば、帰ってくるだろうが……」
言葉にせずとも可能性は低いというのが伝わってきて、ランサーは目の前が真っ暗になった。
「……休暇も、家族に会えないのか?いつ終わるかもわからない?そんなの、やっぱりおかしいって……!なあ、父様も母様も、あの魔術師に騙されてるんじゃないか?あいつアーチャーのこと気持ち悪い目で見てたんだ、連れてって酷いことするかもしれない!俺の怪我だって、どうやって治療したか見てないんだろ?何にもしなくても目が覚めたかもしれないじゃ……」
パシン。ランサーの言葉は、意外にも部屋に響いた軽い音と頬に走った衝撃に遮られた。ランサーが呆然と見上げれば、頬を叩いた手をそのままに、父は歯を食いしばって何かを堪えるような顔でランサーを睨み付けていた。代わりに歩み寄った母は眉を下げて、ランサーの赤くなった頬を手のひらで撫でた。
「ランサー。例えお前が納得できなくても、お前の命が危なくて、魔術師様でなければ処置ができなくて、魔術師様が助けてくださったのは事実なのです。礼を欠くことは王家の者として許されません。それに、アーチャーは賢い子です。きっとすぐに勉強を終えて戻ってきますよ」
「……アーチャーは、どこで勉強してる?」
「……お前には教えられません。押し掛けてしまうでしょう?皆で、早くアーチャーが戻ってくるように祈りましょう」
アーチャーに、会えない。いつまでかも、わからない。どこにいるかも、わからない。見送りも、できなかった。……また明日って、言ったのに。
アーチャーに、会いたい。
「……うぅっ、ふぅ、ううう~~~」
紅玉が潤んだかと思うとあっという間に決壊し、ぼろぼろと大粒の雫を落とし始めたのを見て、両親はぎょっとした。幼い頃から大人顔負けの言動で周囲を驚かせたアーチャーほどではないにしても、それなりに感情のコントロールに長けたランサーがこんな風に泣くところなど、彼らでさえ見たことがなかったのだ。
「うっく、うぅ……あーちゃ、ひっ、うぅう……あーちゃー……」
両手で涙を拭ってはその分また流し、鼻を垂らし、ただただアーチャーを呼ぶその姿に、ランサーの為でもあるとは言えこの兄弟を引き離してはいけなかったのではないかと、両親は自分たちの選択に一抹の不安を覚えた。
事実、ランサーはそのまま体力が尽きるまで泣いては糸が切れたように寝入り、また起きては泣くのを繰り返した。食事も摂らず、熱を出し、みるみる弱っていくランサーの様子に、両親は慌ててアーチャーを戻してもらおうとしたが、魔術師との連絡は不定期かつあちらのタイミングで行われることになっていた。緊急時の連絡方法など用意されていなかったことに、彼らはやっと気が付いたのだった。
『ランサー。ランサー』
アーチャー!アーチャーがいないんだ。
『大丈夫だよ。ランサー』
アーチャー、なんで黙って行ったんだ。やっぱり俺のせいか?あの日、俺が怪我したからか?
『ランサー、ランサー。君は何も悪くないよ』
本当に?……俺のこと、嫌いになってない?
『ランサー、君は本当に美しい』
答えになってない!アーチャー、俺はね、ずっと大好きだよ。今までも、これからも、ずーっと。
『私も、愛しているよ。ランサー』
アーチャー!会いたい、会いたいよ。
『ランサー。私に代わって、父様と母様と、国を頼む』
そんなの無理だ!アーチャーがいないと俺、それだけで辛くて死んじゃいそうなのに。
『ランサー。私は、きっと戻るよ。その時まで、皆を守ってくれ。私の、大切な人たちを』
帰ってくるまでだな?絶対、帰ってくるんだな?
『ランサー。私の、愛するランサー。大丈夫、君は大丈夫だ。私がいなくとも、何も案ずることはない』
アーチャー!待ってるから、それまでは俺、頑張るから!だから、早く―――!
ふっ、と意識が浮上する。やけにすっきりした頭とは対照的に腫れぼったい瞼を押し上げれば、いつもの天井が見えた。身体を起こそうとして手が握られていることに気付く。身動きに反応してか、手を握っていた母も目を覚ました。のそりと起き上がると、背に手を添えようとした母が目瞬いた。
「ランサー……?随分、落ち着いたわね?」
ランサーは母を見た。いつもの母だが、目の下の隈が疲労と心労を表していた。
「アーチャーの夢、見た」
そう、あれは夢だった。でも、あれはアーチャーだ。
「戻るまで、皆を頼むって」
独り言のように呟けば、そう、と母は小さく応えた。
「……次の国王は、アーチャーだよな?」
唐突にも思える問いに、母は微笑みを返した。
「ええ勿論。そのために城を出たんですもの。今までと、何も変わらないわ」
ランサーは小さく頷き、自らの両手を見つめて言った。
「俺、頑張るよ。アーチャーが、帰ってくるまで」
いつも少し冷たいアーチャーの手が、大好きだった。風邪などめったに引かなかったが、熱を持つ額に触れてくれた時の心地よさを覚えている。夢でもしてもらった気がして、ランサーは枕元を撫でた。この辺に座って、手を伸ばしてもらって。なぜかうっすら濡れた跡のあるそこに、額を押し付ける。アーチャーを感じられる気がして、ランサーはそっと目を閉じた。
+++
それから、5年。
ランサーはまだ、あの言葉を信じている。
「今更だが、お前の言うとおりだったのかもしれないと、思っていてね」
見送りに出たランサーに、国王たる父はそんなことを言い出した。近隣諸国との国王会議に出席する為、夫婦揃って出発するところである。近隣と言っても今回の主催国はこの国からかなりの距離があり、海路と陸路を使っての長旅になる予定だった。
「よく考えたら、と言うか、一般的に考えたら。お前の命を救ったこととアーチャーに危害を加えないことは、イコールではなかったな」
アーチャーが城を出てから。不定期にでも行われるはずのあちらからの連絡は、一切なかった。事前に定めていた滞在場所である別荘の一つに赴けば、使われた形跡もなく。この時点で、アーチャーの足取りは途絶えてしまった。秘密裏に国中に捜索隊を送ったが、アーチャーも、手掛かりも、何一つ見つからなかった。今や第一王子の不在は、国民にとって公然の秘密だ。
「あの時の私たちは、あれが唯一で最善だと思い込んでしまったの……あなたの言葉に、耳を傾けられないほどに。あなただけが、しっかりと本質を見ていたのにね」
王妃たる母は、ランサーの前髪を一房、指で掬った。青に混じる、一筋の白。アーチャーが何かを当てたせいで色の変わった髪は、どんなに伸びても白いままだった。
「あなたからアーチャーを、私たちが奪ってしまった。あんなに仲が良くて、大好きだったお兄さんを……。本当に申し訳ないと思っているの」
母も父も、この5年でぐっと老け込んだ。望んで差し出したせいで息子が行方不明になったのだ、気が付いた時のショックは想像に難くない。
「よしてくれよ。悪いのは母さんたちじゃない。あの男だ」
ランサーは少年から青年への変わり目に差し掛かっていた。背も伸び、少女と見紛う可愛らしさの代わりに精悍さと逞しさを身に付け始めていた。
「それに、アーチャーは帰ってくる。アーチャーがそう言ったんだ」
きっぱりと言い切られ、父はふっと笑みを零した。
「そうだな。―――今回の会議で、アーチャーの情報を各国に求めようと思う。国内で見つからない以上、外に出た可能性は高い」
他国に助力を請う為、王妃も同行して共に頭を下げるのだと父は言った。
「留守を頼むぞ。……とは言えお前はまだ子どもだからな。何かあったところでどうにもできまい。何もしなくていいぞ」
「身体に気を付けて、風邪引かないように。メイド長の言うことを良く聞くんですよ」
「二人して子ども扱いするなよ……。道中気を付けて、少しは楽しんで来いよな」
二人は馬車に乗り込み、港へと向かった。
それが、ランサーが見た両親の、最後の姿だった。
二人の乗った船は急な嵐に飲み込まれ、転覆。生存は、絶望的だった。
王国に残ったのは、王子が一人。
ランサーが15の時のことであった。
「アーチャー、帰ってくるよな……俺、頑張るから……待ってるから……」
納めるものの無い棺の前で呟かれた言葉を聞くものは、誰もいなかった。
+++
石造りの床を磨き上げ、ふう、と息をついた。顔を上げれば、窓の鉄格子の隙間から夏の真っ青な空が見える。アーチャーがここに閉じ込められてから、6度目の夏がやってきた。
アーチャーと共に城を出た魔術師は、魔法の制御には精神を鍛えなければだの、自らを追い込むことが最初の修行だのと理由を付けて、アーチャーを当初の話とは異なる場所に連れて行った。その時点でアーチャーはやはり騙されたなと思ったが、諾々とそれに従った。アーチャーにとって、これは自らを家族から引き離すチャンスだったのだ。
第一王子という立場と家族の深い愛故に、アーチャーは城を離れることができなかった。特にランサーは絶対に認めないだろう。次第に強くなる魔法が恐ろしくて仕方なかったアーチャーにとって、この状況は渡りに船とさえ言えた。
だからアーチャーは、鍛錬の為と山奥の塔に入れられて魔術で鍵を掛けられても、清らかな魂になる為と炊事やら掃除やら一切の雑用を自分で行うように言われても、一切反抗しなかった。……石造りの壁は冬には氷のように冷たかったが昔から寒さには強かったし、時に厨房で腕を振るい、時に城中をぴかぴかに磨き上げては「使用人の仕事を取らないでください!」と怒られていたアーチャーにとって、それらは苦でなかっただけとも言える。
王位を継ぐことにも大して興味はなく、然るべき時までに自分が戻らなければランサーに継がせてほしいと、両親には伝えてきた。首を縦に振ってはくれなかったが、横にも振らなかったからその時には良いようにしてくれるはずだった。
そんな訳で、魔術師に拐かされたように見えて実のところそれを利用したアーチャーは、最悪殺されることも想定していたので(その時は死んだとすぐにわかるように遺体を隠さないでほしいなあと考える程度には達観していた)、この扱いは思ったよりも悪くない、という感想すら抱いていた。
一つ、どうしても心配なのはランサーのことだった。黙って出てきたことにショックを受けているだろうランサーを思うと、他に手は無かったとは言え胸が締め付けられるように痛む。考えた末、アーチャーは魔法で小さな雪の鳥を作り、それに己の言葉を込めた。城へ行って、ランサーが寝ている間に囁いてくれと指示を込め、魔術師の目を盗んで小さな窓から飛ばせば白い小鳥はあっと言う間に見えなくなった。
その後部屋を訪れた魔術師に魔法の痕跡を見咎められ、制御が出来るようになるまで使用してはいけないという指示を守らなかった罰として1日食事を抜かれたが、意外にも食べなくても平気だということに気付いたくらいで特に支障は無かった。それでも。本当に魔法を正しく使えるようになる可能性が、限りなく0に近くても。アーチャーが今日この日までに魔術師の男の言い付けを破ったのは、その一度きりであった。
アーチャーは立ち上がると窓に近付いた。無骨な鉄格子はアーチャーが雪の鳥を放った後に魔術師が付けたもので、魔術的な何かが掛かっていて魔法も外に出せなくなったらしい。そんなことをしなくてもあの一回だけで良かったのにと思っても、アーチャーは口にはしなかった。
窓の外に広がるからりとした夏空、その深い青がランサーの髪色を思わせる。6年経った。愛らしかった少年も、男の子らしくなっただろうか。会いたくない、はずがない。それでも。流れる雲が、夏空に一筋の白線を描き出す。自分の罪を忘れるなと言われた気がして、アーチャーは下唇を噛んだ。わかっている。わかっているとも。
魔法を制御する為の鍛錬という建前を一応未だ保っていたが、塔での暮らしは牢に入れられているようなものだった。即ち、出ることを許されず、労働(と言うか雑用)を課され、外の情報を与えられない。手紙のやり取りが許されるという点では囚人の方がましかもしれない。
そんなアーチャーの前に、今、新聞がある。自室の掃除を終え、次は食堂でも磨こうかと階段を下っていると、魔術師の男が使っている部屋の扉が開いていた。今日は来ているはずだが部屋に男はおらず、代わりのように机の上にぽつんと、これ見よがしに置かれた新聞が目に入った。アーチャーの心臓が嫌な音を立てる。これまで一切与えられなかった外の情報が、そこにある。部屋に入ることは禁じられていない。むしろ掃除をしておくように言い付けられているので、数日前にあんなものは無かったことは知っている。あの男がうっかり放置したとは、考えられなかった。きっと見てしまえば、何かが変わってしまう。それも、悪い方へ。頭ではそう思いながらも、アーチャーはふらふらと部屋へ入り、机に近付いていった。手に入らないものは仕方がないと諦めていても、知りたくなかった訳ではない。国のこと、民のこと、家族の―――ランサーのこと。情報に飢えた身には、あまりに甘美な「餌」だった。煩い呼吸を唾液と一緒に飲み込んで、アーチャーは震える手を新聞に伸ばした。
男は、苛立っていた。
男がアーチャーを家族から引き離し、人の気配のない山奥に監禁し、身の回りの一切を自分で賄うように言ったのは、当然アーチャーへの嫌がらせであった。そんなことで魔術の制御が出来るようになる訳もなく、そもそもあんな強大な力の制御方法など、男が知るはずもない。騙したのかと騒ぎ立てるならば魔術のことなど知らないくせにと嘯いて、そんなことできないと嘆くならばそのまま死ぬかと嘲笑ってやろうと思ったのに。
アーチャーは顔色一つ変えず、言われるがままに従った。アーチャーが嘆き悲しみ苦しむところが見たかった男は大層腹を立てた。その腹いせも込めて、禁を破った罰だと言って1日食事を禁じたところ、翌日もアーチャーはけろりとしていて、男はもはやぞっとした。
―――気味が悪い。化け物め。
それからも男は自分が師であるからと延々と叱責したり、清貧を極めるべしと言って衣食住に関わる品の質を極限まで落としたりと様々にアーチャーを苛んだが、いずれも大して堪えているようには思えなかった。万が一事が露見した時の為(塔の周囲には魔術的な目くらましと結界を張ってありこの国の人間には感知できようもなかったが)あくまで魔法の鍛練だという体を崩さず、身体的な暴力に手を出せなかったのも男の苛立ちを募らせた。アーチャーにとっては幸運なことに、男は大層な小心者であった。
男はここ1、2年は気が向いた時だけ塔に赴いてアーチャーをいびり、それ以外は適当な町に出て酒を飲んでは、誰もが慕うあの王子が自分の手中にあるという仄暗い優越感に浸って無聊を慰めていた。そしてこの日、いつものようにアーチャーを苦しめるのに良いものがないかと据わった目で見回して、ふと目に入った新聞の見出しに口角を吊り上げたのだった。
新聞を机に放置して部屋を出た男が適当に塔の中をうろつき、玄関ホールまで下りてきたその時。バタバタッ、と慌てた様子の足音が上から降ってきた。今まで聞いたことのないそれに、男はにんまりと笑みを浮かべる。まもなくホールの上部、上へと続く階段から息を切らせたアーチャーが現れた。アーチャーの手には、置いてきた新聞が握られていた。
「はあ、はあ……魔術師様、これ……これは、どういうことですか……!」
アーチャーが開いて突きつけた紙面には。
『前国王夫妻崩御から1年 ランサー王子は即位を否定 王国の行方は如何に』
そんな文字が躍っていた。
「おや、見てしまったのですね。そこに書いてある通りですよ」
「……父と、母が、亡くなった……?」
「そうですね。ちょうど1年位前ですか」
「なぜ!教えてくださらなかったのです!」
「精神を鍛えるために外のことはお知らせしないと言ったではありませんか」
「……っ、だからって……!」
血の気の引いた顔で唇を震わせる様に、男は嗜虐心が満たされるのを感じていた。そうだ、その顔が見たかった。
「……ランサーに、会わせてもらえませんか」
俯いたアーチャーがくしゃりと握りしめた新聞には、ランサー王子の写真も載せられていた。少年と青年の狭間にありながらも、凛とした佇まい。しかし兄と引き離され、さらに両親を喪い、悲しみに暮れる間もなく国政の舞台に引っ張り出されたのであろう彼の表情には、痛々しいものがあった。それを見て、いてもたってもいられなくなったのだろう。男は愉しくて仕方がない。何せ、これが初めてのアーチャーの願いである。願いがあれば、それを叩き潰して絶望させることができる。
「だめですよ。まだ修行は終わっていません」
「また、やり直します!初めからになっても構いません……1時間、いや、5分でもいい。ランサーと、話をさせてください……!」
「良いのですか?魔法の制御ができないのに、ランサー王子に近付いて」
「……それは……!」
ぐっと下唇を噛むアーチャー。対して男は想像通りの展開に笑い出したい気分だった。もっと。もっとだ。もっと苦しめ。その一心で、ぺらぺらと口を回していく。
「そんなに会いたいのなら、会わせて差し上げても良いですよ」
「い、いいのですか!?」
「ここに王子を連れて来ましょう。彼も黙っていれば美しい。頭の中身を全部消して、人形として愛でるのも悪くありませんねえ!」
男はもはや隠すことなく笑い声を上げた。さあ、絶望しろ。嘆け、喚け。それだけはやめてください、何でもしますからと縋ってみせろ!
「あっはっは!あーっはっはっは……あ?」
笑い続ける男の耳に、ぴし、という小さな小さな音が届いた。断続的に響くそれはあっという間に間隔を短くし、ぴしぴしぴしっ!と鳴り続けるようになって男は慌てて周囲を見回した。
―――石壁は、こんなに白かっただろうか?
壁も床も、黒に近い灰色だったはずが、灰色に近い白になっている。目を凝らし、それが小さな氷の結晶に覆われたからだと理解した瞬間、男の身体はがたがたと震えだした。恐怖と、急激に下がった室温の両方によって。
温度差に悲鳴を上げ続ける塔の中、男は縮こまろうとする筋肉を無理矢理伸ばし、やっとのことで階段を見上げた。アーチャーの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
「ランサーを、」
色のない瞳が、男を見据える。ホールに風が巻き起こり、氷の粒が吹き上がる。ちかちかと煌めくそれを映した瞳はなお人間離れして見え、男はただただ震えることしかできなかった。
いつしか風は暴風となり、男の体温を一層奪っていった。冗談です、そんなことするつもりはありません、許してください。言わねばならぬとわかっていても男の口はとっくに言葉を発することなどできなくなっていて、がちがちと歯を打ち鳴らす音だけを零し続ける。
「ランサーを、傷付けることは、許さない」
吹き荒れる嵐の中、ホールの壁に沿って無数の小さな渦が現れた。それらは竜巻のようにぎゅっと絞られたかと思うと、氷の塊を形成していく。その塊は細長く、片方に柄を持ち、反対は鋭利な切っ先になっていて―――つまりは、剣であった。
男は戦慄した。数多の剣が、切っ先をこちらに向けて浮かんでいる。それも、輪郭を見失うような透明度の、不純物のない固く締まった氷の剣。咄嗟にできてしまった剣とは比べ物にならないであろう、命を刈るための剣。普通の氷がそこまでの強度を持ち得ないことは何の慰めにもならなかった。だってこれは、魔法の氷だ。
男は後退ろうとしたが、足が動かない。凍てつく首を回して見下ろせば、両足は真っ白に凍り付いて床と一体になっていた。身体中が凍え切っていて、涙の一滴も出なかった。
男は6年ですっかり失念していたのだ。自分が飼い殺してきたものがただの従順な雛鳥などではなく、凶暴な爪を隠し損ねた、恐ろしい猛禽である、という事実を。
アーチャーがぴっと指を払う。一斉に剣が自分に向けて放たれるのを、瞼まで凍りついた男は目に焼き付けることとなった。悲鳴は、上がらなかった。
風が止み、ホールにはアーチャーと、数え切れないほどの剣が刺さったオブジェのような何かだけが残された。きいんとするほどの静寂に、アーチャーははたと瞬きをする。そして眼下のオブジェが何であったかに思い至り―――階段を転げるように下りて駆け寄った。びっしり全方位から刺さった剣は土台をすっかり埋め尽くしていたが、透明な剣身に透ける血潮の赤と、剣と剣との僅かな隙間からかろうじて見えた一本の指が、アーチャーの認識が正しく、かつ手遅れであることを示していた。
「……あ、あ、ああ……!」
やってしまった。感情に任せて力を振るい、人を殺めてしまった。ランサーに危害を加えると言ったところで、冷静に考えればこの男が城に近付き、あまつさえランサーを連れてくるような危ない橋を渡るはずもなかった。おそらくはったりだったのだ。それを真に受けて、言い分も聞かずに、命を奪ってしまった。アーチャーは自分が恐ろしかった。力を持ちながらそれを律することもできず、思うがままに振る舞って、挙げ句の果てに人を殺す。そんなもの、ただの殺人鬼ではないか。心臓が凍るように、ぞっとした。
ぴしり。足元が再び鳴いて、アーチャーは慌てて見下ろした。自身を中心に、白い、氷の円ができている。
「っ……!」
アーチャーが後退ると、またその足の下から新しい氷が生まれて床を覆う。
「あ……あ……、だめ、だめだ……!」
抑え、られない。また何かを、誰かを、傷付けてしまう。
アーチャーは階段を駆け上がった。氷を振り切るように、逃げるように。しかしアーチャーから生み出されるそれは無慈悲に後をついて回り、どんどんと範囲を広げていく。最上階の自室に辿り着いた時には、床も壁も何もかもが分厚い氷に閉じこめられていた。
「っ、ランサー……ランサー……!」
守りたかった。傷付けたくなかった。けれども、傷付けることしか、壊すことしかできなくて。会いたかった、励ましたかった。なのに己は、本当の化物になってしまった。こんな姿をランサーに晒すなど、絶対にしてはいけない。ランサーを、汚してしまう。
心が、身体が、絶望に冷え切っていく。足元から氷がせり上がって、アーチャー自身を包み込む。
「ランサー……どうか、私を―――」
―――見付けないで。
ぶわり、雪と氷が渦を巻く。塔の先端で一度収縮したそれは、ドン!と轟音を立てて弾け飛ぶと、夏の緑の大地を雪と氷の世界に塗り替えていった。
同時に、アーチャーを内包した塔は形を変えた。氷で床が、壁が、階段が、屋根が、作り足されていく。それはまさに、氷でできた城であった。
「……アーチャー?」
突然の轟音に顔を上げたランサーは執務室の窓を開け、辺境の山が頂上から白く染まっていくのを見た。そこに今までなかったはずの人工物を認め、先ほど無意識に呟いた言葉を反芻する。
ああ、あそこに、アーチャーがいるんだ。
何の根拠もなかったが、それは確信を持ってランサーの胸にすとんと落ちてきた。
国中に季節外れの雪が降り始めたという緊急の報告を持った側近が走り込んで来るまで、ランサーは窓の外を見つめ続けていた。
+++
雪は、氷の城を中心に何年も何年も降り続きました。雪を止めようとたくさんの兵が城に向かいましたが、辿り着くことはできませんでした。城の近くには雪と氷でできた巨大な怪物がたくさんいて、城に近付こうとする者を攻撃してきたのです。人々はすっかり諦めてしまいました。
そんな時、一人の青年が城へ向かうべく、雪の山に足を踏み入れたのでした―――。
『―――チャー、―――、』
……。
『アー―――、―――チャー、』
……?
『アーチャー、アーチャー』
……だれ、だ……?
『アーチャー、アーチャー。やっと見つけたのに、お前、こんな……』
……わたしは……なにを……。
『なあ、起きてくれよ……』
……おき、る……?
『目ぇ開けて、前みたいに呼んでくれよ、アーチャー……!』
……ああ、起きなくては。君を、泣かせたくはないんだ。
「……ラン、サー……」
まるで何年も閉じたままだったかのような、重すぎる瞼をこじ開けながらその名を呼んだ。やっとのことで焦点の合った瞳に映ったのは、絹糸のような青髪の、上半身裸の美丈夫だった。
「アーチャー!ああ良かった、こんな、もうダメかと思った……!」
紅い瞳を潤ませて喜ぶ青年に対し、アーチャーは記憶を辿った。青髪、紅眼、白い肌の、大人……?
「……父様が、若い……?」
「いやお前そりゃないわ。名前呼んだろうがよ」
青年は前髪の一筋白い部分を摘まんでぷらぷらと振って見せた。アーチャーはぼんやりとした頭で自分の発言を思い返す。
「……ランサー?」
「おう!」
「眩しっ……」
アーチャーは思わず目を眇める。アーチャーの知るランサーとは年齢も声もすっかり違っているが、この笑顔の眩さは確かにランサーだ。徐々に頭が回り始める。
「……ランサー、なぜ服を着ていない?風邪を引くだろう」
そう、ここはなぜかとても寒いのだ。アーチャー自身はかなり寒くても平気だが、ランサーには辛かろう。よく見れば唇は紫だし、小さく震えているではないか。寒いのはわかっているだろうに、一体どういうつもりなのか。
ランサーはもにもにと唇を動かした後、形の良い眉を軽く下げた。
「俺だって好きでこんな格好してるんじゃねえよ。お前のな、その氷が。焚き火でも、ルーンでも全然融けなくてよ。唯一融けたのが、俺の体温だった訳。だから服着てほしかったらさ、それ、なんとかしてくんない?」
それ、と指差された先。自身の胸から下が氷塊に閉じ込められているのを見て、アーチャーの意識がパンッ!と覚醒した。同時にランサーの言い分を理解した瞬間、残りの氷塊はバラバラに砕け散ったのだった。
よろよろと寝台に腰掛けたアーチャーは、服を着直しているランサーを眺めて言った。
「……何年経った?」
「お前が行方不明になってから、15年だ」
「15……年……、君は今……?」
「25になったぜ。男前になったろ?」
振り返ってにやりと笑う、その表情に少年らしさは微塵もなく。精悍な男の顔に、アーチャーはどきりとしてしまう。
「あ、ああ、そうだな」
目線をほんの少し逸らして言えば、やった、と嬉しそうな声が聞こえる。そんなところは子どもの頃と変わらないなと微笑ましく思っていると、ランサーがアーチャーをじいっと見てから言った。
「アーチャーは……変わんねえな?」
「失礼な。私だって26に……ん?」
ランサーはじとりとアーチャーを睨み付けた。
「おいそりゃ計算が合わねえぞ。……まさかお前、9年も氷ん中にいたってんじゃねえだろうな?」
「き、君は口が悪くなったな!?」
「誤魔化してんじゃねえよ。なあ、なんであんなことになってた?あの魔術師の男はどうした」
防寒着まで身に付け終わったランサーに問われ、アーチャーはざあっと青ざめた。そうだ、私は、あの男を―――。
「アーチャー?どうした……」
「触るな!」
アーチャーの顔から血の気が引いたのを見て、ランサーは隣に腰掛けて手を取ろうとした。しかしアーチャーはその手を叩き落とすと、立ち上がって壁際まで後退った。
「な、んだよ……」
「私は……私は。あの男を、魔術師を……殺して、しまった。感情の、高ぶりのまま、無数の剣を、突き立てて……!」
アーチャーが両手で顔を覆うと、ランサーは呑気な声を上げた。
「あ、もしかしてあのハリネズミか?」
「ハリネズミ……?」
「ここの一番下にあった、やたら氷の剣が刺さったやつ」
オブジェにしちゃあ趣味わりいなと思ったんだ、と頷くランサーは、笑っていた。
「じゃあ問題ねえな。アーチャー、また一緒に暮らそう」
「だ、めだ!私は人を殺したんだ、犯罪者だぞ!」
「あんな奴死んで当然だろうがよ。まだ生きてたら俺が殺してやったさ」
すぅっと温度の下がった声に、アーチャーは思わずランサーを見やった。一切の迷いのない顔に心の底からそう思っていることがわかってしまい、アーチャーは頭を振った。
「……たとえ大罪人であっても、裁判にもかけず一方的に命を奪うなど許されない。君がそんなことを言ってはだめじゃないか。……今は君が、国王なのだろう?」
ランサーはぐっと息を呑んだ。
「知ってたのか、父さんと母さんのこと。……ならわかるだろ?なおのこと、アーチャーがいてくれないと困るんだよ」
ランサーはきゅうと眉を下げた。昔から、アーチャーはランサーのお願いに弱かった。それでも、これだけは聞くわけにはいかない。なぜなら。
「君は、知らなかっただろうが。……見ただろう。氷の剣も、私を閉じ込めていた氷も、この氷漬けの塔も。全部、私の……」
「魔法って、呼んでたな。昔」
アーチャーはハッと顔を上げた。ランサーは、昔を懐かしむように、微笑んでいた。
「君、記憶が……?」
「ああ、師匠に戻してもらった。おっかしいと思ったんだよなあ。お前と遊んだ記憶が庭での雪遊びばっかりで、夏は一体何してたんだって」
からりと笑うランサーにアーチャーは驚き、そして、ぎゅうっと眉根を寄せて言った。
「そう、か……。ならば話は早い。私は、この力を制御できない。ついに人を殺めてしまうほどに。君のそばにいればこれがまた、いつ君を傷付けてしまうかわからないんだ。……私は、君を守りたい。だから君と一緒には―――」
「……それが、帰ってこなかった理由か?」
ざわり、肌が粟立った。ランサーの問いは静かなものだったが、彼から発される怒気は凄まじく、アーチャーはひっと息を呑んだ。
「俺を守るために?雪を降らせて、怪物置いて、9年も引きこもったって?アーチャーがいなくなって、俺がどんな思いで今日まで生きてきたか、わかんねえとは言わせねえ。……必ず戻るって、言ったじゃねえか。あれは嘘だったのか?」
「だって戻れるはずがないだろう!……君を、傷付けない為には、これしかなかった!私は君を、私から守らなくてはならなかったんだ!」
「さっきから聞いてりゃ守る守るって人をガキ扱いしやがって!俺ァ自分の身くらい自分で守れるわ!」
「兄が弟を守って何が悪い!?それに、力のある者がない者を守るのは当然の責務だろう!」
「ほう?」
すうっ、とランサーの瞳が細まった。冷え切っていたはずの部屋の温度が、さらにひとつ、下がった気がした。
「つまり、俺に力があれば良い訳だ。お前の氷が飛んでこようが、剣が降ってこようが、自分でどうにでもできれば良い、と」
「……ランサー?君、何を……」
「弟ってのはどうにもなんねえが、9年寝てたなら年の差は1つだよな。あってないようなもんだろ」
「いやそういう問題では……」
部屋の隅に置かれた荷物をごそごそと漁り始めたランサーにアーチャーが困惑を隠せずにいると、ランサーは目当ての物を見つけたのか立ち上がって振り返った。
「アーチャー」
その顔は笑っていたが、ルビーの瞳はぎらりと光り、肉食獣の怒りを湛えていて。
「一丁やろうぜ。初めての『兄弟喧嘩』ってやつをさ」
加減は無しだ。そう言ってランサーはその手に握った朱槍をアーチャーに突き付け、獰猛な笑みを浮かべたのだった。
「うわ!ちょっ、ランサー、やめ、うわっああ!」
「オラオラオラ、来ねえんならこっちから行くぜぇ!」
振り回される朱槍に追い立てられ、アーチャーは部屋から転げ出た。立ち止まろうものなら風穴が空くぞと言わんばかりにガツンガツンと石壁が削られているのが聞こえていて、アーチャーは足を止められずに階段を駆け下りる。
「ランサー!塔が、塔が崩れる!」
「んなの知るかよ、っとぉ!」
ぶん、と頭上を横に振り抜かれた切っ先を、首をすくめて回避する。すぐさま突き出される槍から逃げるべく、アーチャーはひたすら下を目指した。
「オラ、さっさと、氷でも剣でも、投げてきやがれっ!」
「なんでそうなる!?君を傷付けたくないんだと言ってるのが、わからんのか!」
やっとの思いで玄関ホールに出たアーチャーは、そこに魔術師のなれの果てを見て息を呑んだ。しかし後ろからは石壁を抉る音がどんどん近付いてきていて、アーチャーは一度ぎゅっと目を瞑り、何かを振り切るようにその横を駆け抜けた。せめてランサーに砕かれませんように、と祈りながら。
鉄の扉を抜けた先には少しの開けた土地と森がある、はずだったのだが。建物が続きアーチャーは困惑しながらも外を目指した。なんとなく覚えのある造りとその材質―――氷でできていたが故に、己が作ったのだろうと推測する。恐ろしい。こんな巨大な物を、いつの間に。
アーチャーは今度こそ外に出て、ある程度距離を稼いだところでやっと振り返った。ランサーも槍を肩に担ぎ、悠々と城から出てきて、多少外壁から離れた所で立ち止まる。
「追いかけっこは終いか?アーチャー」
「たわけ、あれがそんな可愛らしいものであるものか」
あれは狩りだった。狩人と、獣。いや、肉食獣と、その獲物。
「お前がやり返さねえからだろ?」
「私のは魔法だぞ!槍でどうにかできるものじゃない!」
「それを確かめてみろっつってんのに、わっかんねえ奴だな~」
「君が言うな!」
ぜー、はー、ぜー、はー。激しい呼吸音が雪と木々に吸われていく。息を切らせているのはアーチャーだけだ。監禁生活もあって体力はランサーに分があることは認めても、それとこれとは別問題だ。アーチャーはぐっとランサーを睨み付けた。
「あとな、俺が使えるのは、槍だけじゃないんだぜ?」
ランサーがぴっと指を立てて自身の前を滑らせると、図形と共に小さな炎がいくつも現れる。宙に浮かび続ける炎の玉に、アーチャーは目を丸くした。
「君も、魔法が使えるのか……!?」
「厳密には魔法じゃねえが、今はその認識でいいわ。どうよ、やる気になったか?」
「いや、でも。私は制御ができないし、君が耐えられるとも限らないし、万が一にも君が怪我をするようなことは……」
この期に及んでまだごにょごにょと言い続けるアーチャーに、ランサーはじとりと冷たい目を向けた。そして、はああ~、とこれ見よがしの大きな大きな溜め息をついた。
「……な、なんだ」
「アーチャー。お前がその気になるような、良いこと教えてやるよ」
にい、と笑うランサーに、アーチャーは嫌な予感を覚えた。あの新聞を、見つけてしまった時のような。聞いてしまったら、何かが変わってしまう。しかも、良くない方に―――。
「お前の愛したこの国の民は、もういない」
「……は?」
「俺がやった。一人残らず、な」
「どういうことだ!?」
アーチャーが声を荒げても、ランサーは飄々と続ける。
「それから、父さんと母さんも」
「な、に?」
「俺が殺したと言ったら、」
どうする?
口角を吊り上げて笑ったその顔は、瞬間的に発生した雪煙によって覆い隠された。アーチャーを中心にしてぶわりと巻き起こった突風は氷の結晶を巻き上げて、それが晴れると、そこには。
十を超える雪の怪物を背に従え、氷の長弓をぎりりと引き絞り、矢でも視線でもランサーを射殺さんばかりに睨み付ける、アーチャーの姿があった。対称的に、ランサーは軽い調子で口笛を吹く。
「良いねえ。そうこなくっちゃ」
「……なぜだ、ランサー。貴様とて民を……父と母を、愛していただろう!」
「そうさなあ、俺をぶちのめせたら教えてやるよ」
「貴様……!」
ぎちり、アーチャーが歯を食いしばる。アーチャーの上下左右、空中に小さな氷の渦が大量に出現し、それらすべてが氷の剣となった。アーチャーが弓につがえているのもいつの間にか剣に変わっている。ランサーは腰を落とし、朱槍を両手で身体の前に構える。
びん、とアーチャーの指が弦から離れると同時、空中の氷の剣も勢い良く射出された。一点に収束するかのように向かってくるそれらを、ランサーは次々と槍で対処していった。時に弾き、時に逸らし、ブンッと槍を振り回しては氷の剣を叩き落とす。数十にも及ぶ剣の雨が止み、ランサーが槍を下ろしたところにもう一振りが飛ぶ。アーチャーが手ずから射掛けたそれをランサーは認め、槍を構えることもせずににやりと笑った。
焦ったのはアーチャーである。
「!ランっ……!」
ランサーの額目掛けて飛んだそれはランサーの眼前で何かに阻まれたようにギュインと軌道を変え、ランサーの横を抜けて地面に突き刺さった。
「何……!?」
「実は、飛道具は当たんねえようになっててな」
打ち落とす必要もないんだわ、と笑うランサー。アーチャーはフンとひとつ鼻を鳴らすと、控えていた雪人形たちをランサーに差し向けた。
ドスンドスンと地を揺らし、5mを越す巨体がランサーに襲い掛かる。1体の拳がランサーを捉えようとして―――ずるり、と上半身が滑り落ちた。
「……!」
十数体の人形は、すべて胴をバターのように切り裂かれてただの雪塊となっていた。一瞬の出来事にアーチャーは驚きを隠せない。
「生温くってしょうがねえ。もうちっと本気を出してもらわんと、なァ!」
ランサーは数歩の助走ののちに跳び上がると、頂点でぐぐぐっと身体を反らした。身体のばねを最大限に使い、自身を限界まで引き絞り、紅の槍を振りかぶる。
あれが、あの槍が、飛んでくる。
「うおらあぁっ!!」
アーチャーは咄嗟に片腕を差し出して守りに入る。音をも置き去りにして飛来した真っ赤な槍は、アーチャーの作り出した氷の盾に突き刺さり、なお目標を刺し穿たんと進み続けていた。
「うっ……ぐ、ぅ……!」
展開された盾は、7枚。花弁のようにアーチャーを覆い隠すも、ジリジリと少しずつ、だが確実に削られている。
(これは、保たない……!)
槍の穂先が氷を割り開き、アーチャーの眼前に迫る。鮮血と見紛う赤が、己の心臓を貫く。血潮の赤が、溢れ出す。二つの赤が混じり合って、一つになって、そして―――。
「逃げんな!」
ハッと意識を引き戻された。赤に呑まれていたらしい。アーチャーは再びぐっと歯を食いしばり、伸ばした腕を支えるように手を添えて力を込めた。こんなところで、死んでたまるか。私の「赤」は、こんなんじゃない。何があったのか、訊かねばならない。だから。
「くっ……ぐぁっ……はっあああ!!」
ドオン、と轟音が響き、雪煙が立ちこめる。ランサーはそれを、投擲後に着地したままの場所で見ていた。あれに真っ向から対峙して無傷とは思えないが、そろそろ納得してくれただろうか。とそこに、ととっと軽い音を耳が拾い、ランサーは片眉を上げた。
ずぽっ、と雪煙からアーチャーが飛び出す。頬に一筋の赤が散っているのを見るに、間一髪槍を逸らしたらしい。その両手には、片手剣にしては短い独特の形状をした、揃いの意匠の剣がそれぞれ握られている。透明な氷でできていながら、ランサーにはその色が、白と黒が見える。
ランサーは笑い出したい気分だった。剣術の鍛錬でアーチャーが愛用していた、黒白の夫婦剣。年が離れているから危ないと、一度だって打ち合わせてもらえなかった。ランサーにとって、あれらを持ったアーチャーと対峙することは大人の証明であり、一人の男としてアーチャーと対等になったことを意味していた。
しかもあのアーチャーは、本気だ。最初は困惑と諦観を宿していた鋼色の瞳が、憤怒を経て、今は静かに闘志を燃やしている。温度が上がるほどに色を失う炎のように、静謐さは激しさの裏返しであることを、ランサーは知っている。
ランサーは歓喜に震えた。こんなところで本気のアーチャーとやり合えるなんて。本来の目的を忘れてしまいそうだ。
アーチャーが軽い足取りで雪原を駆ける。ランサーの槍は自身の後ろ、奴は今丸腰のはず。卑怯と謗られようが構うものか。アーチャーはそのままランサーに肉薄すると、左右の剣を交差させた。振り抜けば首が落ちる、そんな状況で、ランサーが薄く笑ったのが見えたが、手は止めなかった。
「―――来い!」
ガキン、と耳障りな音を立てて双剣が止まる。交差した刃に噛まされたのは、後方にあったはずの朱槍。アーチャーに驚きはなかった。
「それも魔法か?」
「いんや、これは槍の特性。まあ普通の槍じゃねえけど」
そうか、と興味なさげに呟いて、アーチャーはぐっと槍を押した反動で距離を取る。着地の体勢を整えようとして、
「残念。そこは俺の間合いだ」
「!」
1歩でぐんと距離を詰めたランサーが迫る。咄嗟に双剣で突きの軌道をずらすも、2手3手と繰り返すうち、あっという間にアーチャーは追い込まれていく。
「ぐっ……くそっ……!」
「つらそうじゃねえか、ああ?」
ぴしり。剣に亀裂が入る。一瞬それに気を取られたアーチャーを、ランサーは見逃さない。
「もらったぁ!」
剣ごと叩き潰すような重い一撃。両手で振りかぶり、体重を乗せた槍が振り下ろされるのを前にして、アーチャーは脆くなった剣を手放し。
ガキン!
「……ほう?本物より便利なんじゃねえの、それ」
「うる、さい!」
新たに生み出した氷の剣で、赤い槍を受け止めた。止められたにも関わらずランサーの笑みは深まるばかりで、アーチャーの眉間の皺が深くなる。
「いいねえ。折り放題って訳だ」
「たわけたことを……!」
宣言通り、ランサーは剣ばかりを狙って槍を繰り出した。滑らせいなし躱すことを許さず、剣の腹で受け止めねば危ない攻撃が続く。防戦一方のアーチャーは砕かれては新しい剣を創り、折られては創りを繰り返す。だんだんとその間隔が狭まっているのを、両者は共に感じていた。
そして。
「……っ!?何、」
アーチャーの左手に新しい剣が現れない。その隙にランサーはがら空きの胴に鋭い蹴りを見舞った。
「がはっ……!」
吹っ飛ばされてごろごろと雪上を転がり、ようやく仰向けに止まったアーチャーの上にランサーの影が落ちる。右手の剣も石突きに砕かれたが、やはり新しい剣は創れない。魔法が、使えない。
「魔力切れだ。初めてか?」
なんとか肯定を返す。魔法を使うのに消費しているものがあったとは。使い切ったらなくなって、金輪際使えなくなったりしないだろうか。
「休めば回復する。ちっと寝てろ」
しないのか。アーチャーはちょっと落胆した。
ランサーも隣に腰を下ろし、アーチャーの顔を覗き込んだ。
「勝負あったってことで良いよな?」
「……?あ、ああ、そうだな……。私の負けだよ、ランサー」
アーチャーがふっと笑って言えば、ランサーはにひひと笑った。
「まあ、俺は師匠んとこで血反吐吐くような修業してきたし。お前の方は監禁生活で身体鈍ってんだから、当然っちゃ当然だがな」
忘れてたろ?と言われればぐうの音も出ない。それも策のうちと言うのなら、もはや完敗である。
「ランサー。君を倒せなかったが、教えてはもらえないか。この15年で、何があったか」
「……最初っからそのつもりだ。とりあえず戻ろうぜ」
種明かしといこうじゃねえかと言って、ランサーは城を指差した。
今から9年前。氷の城が現れると同時に国中に雪が降り、それからこの国は年中雪が舞う銀世界となった。それを聞いたアーチャーの反応は、まあランサーの予想通りだった。
「そんな……!私が、私のせいで、国の皆が……民が……」
「うんまあそりゃあそうなんだけど、お前が思ってるような酷い話にはなってねえから落ち着け?」
城に戻った2人は、塔の厨房兼食堂のテーブルで話をすることにした。紅茶でも淹れよう、と言ったアーチャーだったが、軒並み茶葉の風味が飛んでいてかなりのショックを受け、結局ランサーが携帯していたコーヒーを前にやっとこれまでの話を始めたのだった。
「確かに一年中雪は降る。でも常冬なのはこの山だけで、それ以外は四季があった上で雪だけ降るんだ。春でも雪。夏でも雪。秋でも雪。そんなのまあ珍しいってんで、他国からの観光客がわんさか来てな。いまや国の主産業は観光だ」
「……うん?」
「多少気温が下がったから、作物に影響がなかった訳じゃない。それも、生産者が観光業に鞍替えしたり輸入に切り換えたりして問題なく回ってんだ」
たくましいだろ?とランサーが誇れば、アーチャーはおずおずと頷いた。
「……じゃあ、民がもういないというのは?私を焚き付ける為の方便か?」
「いんや、俺は嘘は一つも言ってねえよ。……父さんと母さんがいなくなった時、俺はまだ未成年だからってのもあって、王になるって話にはならなかった。実務はやってたがな。でも1年後、国中で雪が降り出して、異常事態に王を求める声が強くなった」
ランサーは即位を拒んだ。この異変がアーチャーによるものだという確信があり、幾度かの捜索がいずれも失敗に終わっている以上、いずれは自分が行って連れ戻そうと考えていたからだ。そのランサーを必死に止めたのは、政務を補佐してきた大臣や官僚たちだった。
これ以上、王家の者を失う訳にはいかない。ランサーにまで万が一があれば、この国は今度こそ立ち行かなくなる。つまりは、兄をとるか、民をとるか、二つに一つだ。彼らはそう言った。
「それで俺は、国の安定に尽力した。観光産業の発展を邪魔しないように法整備をし、変化した食糧の輸出入のバランスを取り、補償と補助が必要な者に過不足なく行き渡るように手を尽くした。そして年中雪が降ることを前提にした生活が普通になった頃。―――叔父貴が来たんだ」
「……フェルグスの叔父様?」
それはアーチャーにとって、城を離れていたことを差し置いても随分と懐かしい名前だった。国王だった父の一応兄であるらしいが、王なぞ向かんと王位継承を早々に放棄して出奔した変わり者だと聞いていた。直接会ったのも、ランサーがまだ小さい頃に城に来た一度きりだ。
「ここは北の国境に近いだろ?お前が降らした雪は国境を越えていて、そのことで北の国が文句を付けてきたんだが」
その使者団に、何故かフェルグスが混ざっていた。
「……いや本当になんでさ……」
「放浪してる間に北の王と意気投合したらしく、相談役?みたいな身分で逗留してたんだと」
「はあ……、はあ……?」
「んで、あっちが雪に閉ざされた山をどうしてくれる!って言うもんだから、叔父貴とも相談して、その山とこっちの国全部と交換した」
「……はあ!?」
「ああ、全部っつってもこの山は残してるぜ。こっちの国有地だった範囲と、この山の北、裾野まで。それが今俺の治めてる『国』の範囲だ」
「待て待て待て」
「向こうもそんなにでかいもんを出されると思わんかったんだろうな。こっちの付けた条件は大抵飲んでくれた。こっちの国だった部分についてはほぼ政治的な干渉のない自治領扱いになってる。一応の代表はフェルグスで、皆変わりなくやってるってよ」
「待て、待ってくれ。理解が……」
ついにアーチャーは頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。ランサーはこれも予想の範囲で、コーヒーを啜りながらアーチャーが落ち着くのを待っていた。
しばらくして、アーチャーは起き上がらずに顔だけをランサーに向けた。鋼色がじとりとランサーを睨め付ける。
「国を……民を、手放した……のか?」
「まあ、そうだな?」
「……何故だ」
「わかんねえ?」
ランサーはテーブルに両肘をつき、組み合わせた手に顎を載せて微笑んだ。アーチャーの眉間に皺が寄る。本当にわからなそうな様子に、ランサーはくくっ、と喉の奥で小さく笑った。
「お前をとるか、民をとるか。そう言われて、俺はお前をとったのさ。民の中にお前がいない国なんて、俺には何の意味もねえ」
「なっ……!?……民を、とったのではなかったのか?国の安定に力を注いだと、さっきそう言ったじゃないか!」
「流石にどうでも良いとまでは言えねえからな。国が安定したら、王家の血筋に縋る必要がなくなる。そうなったら国を捨ててでもここへ来ようと計画していた」
フェルグスは、それを一目で見抜いた。そして、やるなら徹底的に上手くやれ、と現在の自分の立場まで利用させたのだ。ちなみに、フェルグスを国王にする案は本人によって却下された。曰く、やんちゃが過ぎて半ば勘当されたようなものだったから民からの信がない、即位したらしたで実子だと名乗り出る者が何人いるかわかったもんじゃない、と。フェルグスはガハハと笑い飛ばしていたが、ランサーはちょっと笑えなかった。
「……国のことは、とりあえず、一応、わかった。それで……父様と母様のことは……その……」
嘘であってほしい。そんな本音をありありと滲ませたアーチャーに、ランサーはゆるゆると首を振った。
「言ったろ、俺は嘘は言ってねえ」
途端に顔が強張ったのも仕方あるまい。それでも告げねばならないと、ランサーは心に決めていた。
「経緯はどこまで知ってる?」
「何も。亡くなった、とだけ」
ランサーはひとつ頷いた。ぬるくなったコーヒーで口を湿らせ、さらに舌で唇を舐めてから、ふー、と息を吐いた。
「2人は、国際会議出席のため開催国への移動中、乗ってた船が嵐に巻き込まれて沈没した。……その船は、俺が手配したんだ」
ランサーは自嘲の笑みを浮かべた。アーチャーは、何も言わなかった。
「元々はそれより3日遅く出発して、最短ルートで会議の前日に現地入りする予定だった。それを俺が、少しは羽伸ばしてこいって言って寄港地を増やすように航路を変えさせた。……俺が、余計なことをしなければ。3日後の出発だったら、父さんも、母さんも……!」
「ランサー!」
ガタガタッ!と椅子を鳴らして立ち上がったアーチャーは、座ったままのランサーを横からきつく抱き締めた。されるがままに傾いた頭に口付け、何度も何度も髪を撫でる。
「ランサー。そんなの、君が殺したことになぞなるものか!自分を責める必要など、どこにもない。君は一切悪くない。父様も母様も、そんなこと望みはしないよ」
子どもにするように優しく優しく語り掛ける。実際、当時ランサーは15歳。まだまだ子どもとして扱われて良い年齢だった。ランサーは顔を伏せたまま、ぐるりと上半身を回してアーチャーの背に腕を回した。きゅ、とささやかに服を握られ、アーチャーはそれがランサーの癖だったことを思い出していた。本当に辛い時にこそ甘えることを良しとしない、強い子だった。
「皆そう言ってくれた。自分でもわかってはいる。でも……その言葉、あの時に、アーチャーから聞きたかったよ……」
くぐもった声と、押し付けられる額。アーチャーはしばし、黙って青い髪を撫でていた。
「ところで……どうして、ここだけで一国にしたんだ?無駄というか、そこまでする理由がわからないんだが……」
アーチャーがおずおずと声を掛けると、ランサーはやっと顔を上げた。少しだけ尖った唇が不服を表している。
「無駄じゃねえよ。俺の望みを叶えるためには間違いなく必要だった」
「望み……?」
「俺の望みは2つ。それを叶えるためには、国民が俺とお前だけの国で、かつ俺が法律だっていう状況が要るんだよ」
「……?」
アーチャーはいよいよ訳がわからない。ランサーはアーチャーをじっと見つめ、言い聞かせるように説明を始めた。
「いいかアーチャー。今この国の立法は、俺にすべての権限がある。そうだな?」
「えっと、そういうことに……なるな」
アーチャーは立法についての細々を思い出そうとしたが、そもそも国王と自分しかいないのだから、ランサーの言う以外にはあり得なかった。ランサーは腕を解いて立ち上がると一つ咳払いののち、背筋を伸ばして声を張った。
「よし。俺は今ここで宣言する。国王代理たる我が名において、婚姻に関する法律第一条1項『婚姻とは男女が互いの同意の下夫婦となること』以下略から、『男女が』の文言を削除する。また、近親者間の婚姻の禁止に関する第二十三条を削除する」
アーチャーは、ぽかんと口を開けて固まった。婚姻、とは。いや、それよりも。今ランサーは何と名乗った?
「国王、代理?」
「おう。お前が城を出ても、騙されて拐かされたとわかっても、王位継承第1位は変わらずアーチャー、お前だ。だから俺はあくまで代理、国王になったことは一度もない」
当然、と言いたげににこりと笑ったランサーに、アーチャーは焦りを隠せない。
「私は、出るときに言ったぞ!然るべき時が来てなお私が戻らなければ、君を国王にと……!」
「まあ、その時が急に来ちまったってのもあるが……」
ランサーは立ち尽くしているアーチャーの右手を拾い上げた。両手でぎゅっと包み込むと、困惑するアーチャーの瞳を見つめて、きゅうと眉尻を下げた。
「アーチャーが帰ってくるって、信じてたんだ。父さんも母さんも、俺も」
だから、良かった。紅い瞳がうっすら涙の幕を纏ったのを見て、アーチャーは今度こそ何も言えなくなってしまった。ぎゅうと胸元を握り込んでも、胸の痛みはなくならない。こんな自分を、家族は皆待っていてくれた。家族から離れれば解決だと、戻る方法を探りもしなかった、こんな自分を。
「な、アーチャー」
ランサーはアーチャーをすっぽりと抱き込み、今度はぎゅうっと抱き締めた。離されていた歳月は、ランサーにそれを可能にするだけの身体と、力を与えた。
「この国の、王になってくれ。そんでもって、結婚しよう。俺と、ずっと一緒にいてください」
アーチャーは。ぐぐっと眉根を寄せて、ランサーの肩口に顔を埋めた。
「……そのために、君は、ここまで……?」
「おうよ。この『国』には、俺とお前しかいない。雪深くて怪物もいて、誰も来られねえ。体裁も外聞も気にする必要がねえ。俺たちが一緒になったところで子どもができるわけじゃなし、誰にも迷惑掛かんねえし後ろ指を指す奴もいない。……なあアーチャー。『俺の一番大切な人』は、大人になっても変わんなかったぜ。だからもういいだろ?愛してるんだ、アーチャー」
それに、と言って、ランサーはにやりと笑った。
「わかってくれたよな?お前の魔法がどんなに強くても、俺には傷一つ付けらんねえってこと」
「その言い方は癪だが。まあ、認めよう」
事実、アーチャーの魔法はランサーに届かなかった。それは確かに、アーチャーの憂いを無くすのに十分だった。
「……私は、」
ぽつりと零れた言葉は、まるで罪の告白のようで。
「一日食事をしなくても何ともないし、氷漬けになっていても生きているし、多分……普通の人間じゃ、ないと思う……」
「そうだな。でもそれがアーチャーだから、俺はアーチャーが良い」
当然のように返されて、アーチャーはふっと微笑んだ。
「そうか……。私は、君を守ることだけを考えていた。私の魔法からも、私の欲からも。でも、君がここまでしてくれたのだから、それに報いなければならないな」
ランサーを軽く押して身を離すと、ランサーは膨れっ面をしていた。
「……そういう義務感みたいの、要らねえ。報いるとかならないとかじゃなくて、お前の気持ち聞かせろ、アーチャー」
すっかり成人男性の癖にそれがあんまりに可愛くて、アーチャーはふはっと吹き出した。ぷくっと膨れた白い頬を両手で包み、温めるように軽く撫でる。
「そうだな、すまない。そういうんじゃないんだ。……ランサー。私も、愛しているよ。末永く、宜しく頼む」
両手を軽く引き寄せて、自らの顔を近付けて。ちゅ、と触れるだけのキスを、アーチャーは初めて唇に贈った。
「あ、あ、あ、」
「どうした、ラン」
「あーちゃあああ!!」
一度も許されなかった、唇へのキス。しかも、アーチャーから。感極まって、ランサーはアーチャーを渾身の力で抱き締めたまま、その薄桃色に喰らいついた。
「んー!んぅっ、んんんーっ!!……っぷはぁ!ちょ、ラン、んん、ランサー!」
「アーチャー、アーチャー!やっと、やっとだ!俺のアーチャー!」
「んんっ!ぷぁ……腰、腰が折れる!」
「アーチャー、アーチャー、アーチャー……。これからは、俺がお前を守るよ。お前を傷付けるものからも、お前が傷付けることで負う痛みからも」
再びきつく抱き込んで頬を擦り寄せるランサー。ようやく一息ついたアーチャーはその背をぽんぽんと叩いた。
「頼りにしているよ。もし私の魔法が暴走してどうにもならなくなっても、君なら止めてくれそうだ」
「ぬかせ。すぐに追いかけてやるぞ」
「それは困るな。精進しよう」
くすくすと笑い合って、2人は長い長い、誓いのキスを交わした。
「ところで、私が『国王』ならば君は『王妃』になるのか?」
「なんでだよ。『王配』で良いじゃねえか」
「そうすると私が女王みたいじゃないか……」
「じゃあなんかいいヤツ考えてくれよ。今はお前が法律だぜ~」
「……まったく、調子のいい……」
+++
「君、髪は治らなかったのか?」
「んあ?」
突然の問いにランサーは間抜けな声を上げた。あの兄弟喧嘩から数日、アーチャー手製の昼食を塔の厨房のテーブルで待っている時のことである。
「御師匠様に記憶を戻してもらったのだろう?御高名の方のようだが、それでもダメだったのかと思うと……」
アーチャーがちらりと振り向く。ランサーの前髪に向けられた視線は申し訳なさが溢れていて、ランサーはその一房を持ち上げながら、あー……と声を漏らした。
「いや、簡単に治るって言われたんだがな?」
むしろ魔術の気配を感じ取った分、さっさと治されそうになったのをどうにか躱して死守した。
「アーチャーにはあんま良い思い出じゃねえんだろうけど。俺にとっては、アーチャーが唯一残していったものっつうか、アーチャーが俺に刻んでくれたものっつうか……。特に母さんがいなくなってからは、これだけがアーチャーがちゃんといたんだっていう証明みたいな、毎朝鏡で見る度にアーチャーの為に頑張ろうって思えて。あとほら、俺らあんまり似てないだろ?ちょっとだけどアーチャーと同じところがあって嬉しかったし、心の支え的なところもあって……だから、アーチャーがホントに嫌なら戻すけど、できればこのままにしときてえんだけど……ダメか?」
こっぱずかしいことを言った自覚はあって上目遣いにちらと見上げれば、アーチャーはばっ!と両手で顔を覆ってしまった。
「えっおい大丈夫か」
「大丈夫じゃない……」
ぐぅ……と唸ったアーチャーの耳が結構に赤くなっていて、ランサーはおや、と目を瞬いた。
「そんなこと言われて、ダメだなんて言える訳ないだろう……!」
あとその顔はずるい、と続けられ、ランサーはにやにやと口角を引き上げる。
「お前ホント俺の顔好きな~」
「身体と中身も好ましく思っているが」
「テメエそういうとこだぞー」
不思議そうにしているアーチャーを料理に戻らせる。師匠と言えば、と思い出して、ランサーは再び口を開いた。
「アーチャーさあ、雪と氷以外って出せねえの?」
「何を今更。私の魔術はそういうものだろう」
「それがさあ、師匠がこの髪見たときに言ってたんだよな。わざわざ氷に変換しているな、って」
ぴたり、アーチャーの手が止まる。
「……どういうことだ?」
「俺にはわかんねえけど。そもそもなんで氷なんだ?」
振り向いたアーチャーは記憶を掘り起こす。
「……初めて魔法で創ったのは、雪だるまだった。城の中庭で、雪遊びをしていて。母様が『雪はどんなものでも作れるのよ』って言って、雪だるまを作ってくれた。それにとても感動して、自分も作りたいと思ったら―――急に大量の雪だるまが現れたんだ」
あの時は何が起きたか理解できず、2人でびっくりして固まっていたな。母との思い出に浸っていると、ランサーがぼそりと言った。
「……それじゃねえ?」
「何が?」
「『雪なら何でも創れる』って思ったから、雪が出たんじゃねえの?材料がわかってれば他の物も出せんじゃねえか?」
「……考えたこともなかったな……」
目を丸くしているアーチャーに、やってみろよ、とランサーが声を掛ける。おずおずと頷いて視線を彷徨わせると、握ったままのナイフが目に入った。柄は木材、刃は鉄。端は薄く、柄に空いた穴に差し込んで固定する―――。
「あ」
「おっ!?」
アーチャーの手の中に、元々あったものと寸分違わぬナイフが出現した。氷ではない、木と鉄でできたナイフが。
「こんな、ことが……」
「すげえ!一発目でこれかよ、流石アーチャー!」
茫然とするアーチャーと、興奮冷めやらぬランサー。アーチャーはゆっくり顔を上げると、とりあえずこう言った。
「……城を創ろう。氷ではない、普通の城を」
「そいつぁ嬉しいね。でもゆっくりでいいぜ~」
ひらりと手を振るランサーは、屋内にもかかわらずしっかりと防寒着を着込んでいた。
まもなく氷の城はなくなって、代わりに小さな、けれども立派なお城ができました。2人はそこで、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。