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【槍弓】据え膳食うのを愛だと思うな/Novel by 田中M

【槍弓】据え膳食うのを愛だと思うな

20,184 character(s)40 mins

槍と付き合うのは不可能だろうけどせめて体だけでも関係を持ちたい弓が、なんかのバグで女の体になったら誘えるのに、とかレイシフト先で魔力不足になったらそれを口実に魔力供給できるのにとか考えていたら、それらが全部現実で起こっちゃう話

・カルデア時空
・みんな女々しい
・魔力やルーン、カルデアの施設について都合のいい捏造あり
・細かいことは気にしない
・弓と黒弓と狂王が一瞬女体化します(タグは入れますが一瞬です)

いつも以上にノリと勢いで書いています
それでもよければお読みください

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どうしたらこのカルデアで、ランサーと魔力供給できるような関係になれるのだろう。

エミヤは真面目な顔で朝食用のハムエッグを作りながら、そんなことを考える。

もしもこれが聖杯戦争中だったり、特異点にはぐれサーヴァントとして召喚されたのならそういうことも起こり得るだろう。
だが、今のエミヤはカルデアのサーヴァントだ。滅多なことが起こらない限り、魔力供給が必要な事態には陥らない。
そもそも、魔力不足になって最初に魔力を求める相手はマスターだ。それをすっ飛ばして、同僚であるランサーに魔力供給を求めるような状況が、エミヤにはなかなか思いつかなかった。

例えば、なんらかのバグでランサーの霊基に異常が起きて、それを直すために魔力供給を行うというのはどうだろう。
その場合でも、魔力を用意するのはやはりマスターの役目だ。だが、カルデアのマスターは魔術師ではない一般人のため、魔力供給をやりたいくてもできないかもしれないし、マスターの周りもそれをマスターにやらせたがらないだろう。となったとしても、次に呼ばれるのは魔術に詳しいキャスタークラスだ。幸か不幸か、カルデアにはキャスタークラスのクー・フーリンもいる。あの男が頼るなら、エミヤではなく間違いなくそっちだ。
そこからエミヤに順番が回る道筋が、いくら考えても思い浮かばなかった。

他に考えられるのは、レイシフト時の事故だ。
偶然エミヤとランサーが別の地点に放り出され、何かの介入でどっちか片方の魔力がごっそりなくなっていれば、もしかしたらそういう行為を必要とするかもしれない。だが、現時点でそんなことに巻き込まれたことはないし、そもそもクラスの違うエミヤとランサーが一緒にレイシフトする機会自体が少ない。エミヤがカルデアにいる間に、そんな奇跡にようなことが起こるとは思えない。

やはり、真正面から本人に魔力供給をするような関係になりたいと言うしかないのだろうか。
しかし、それはいくらなんでも代償が大きすぎる。言ったら最後、今のような良好な関係に戻れなくなるだろう。いや、とはいえ相手も大人だ。表面上は今まで通りの関係を続けてくれるかもしれないが、心の奥ではエミヤのことをきっちり軽蔑して、わからないように距離を取る可能性はある。正面切って嫌われるより、そっちの方がはるかに辛い。

別にエミヤはランサーと恋人になりたいなど、そこまで贅沢なことを言うつもりはない。
体だけでいい。それだけでエミヤは満足できる。あわよくば、そのまま定期的に魔力供給する関係になれたら最高だ。それ以上は望まない。恋人にしてくれなど、そんな大それたことは言わない。本命ができたら、すぐに身を引くことだってできる。
体だって女のような柔らかさはないが、十分に鍛えてあるし丈夫だ。多少乱暴なことをされても耐えられるし、何をされても文句は言わない。マスターやカルデアの他のサーヴァントに関係を悟られるようなヘマもしない。向こうの都合のいい存在になれる自信はある。

だから、どうやったら男とそういう関係になれるのだろう。
エミヤは自身の恋を自覚してから、そのことでずっと頭を悩ませていた。

「お、今日の飯も美味そうだなぁ」

カウンターの向こうにいるランサーが、エミヤの悩みなど全く知らずに、のんきな声を上げる。

知らないというのは幸せなことだ、とエミヤは思う。
この男には、このまま何も知られたくはない。エミヤの恋慕のひとかけらも、この男に悟られたくはない。
エミヤはこの男の中のエミヤのイメージを崩さないまま、男と体を重ねられる機会をずっと窺っている。

それは、この男からしたらとても不快なことだろう。自分の知らないところで、同僚がこんなことを考えているなど、吐き気を催す悪夢以上の何物でもない。
だけどそれ以外、エミヤには自分の中に生まれてしまった感情を宥める方法が思い浮かばなかった。

やはりこの気持ちを自覚した時、さっさと自分の首を切っておくべきだったのだろうか。

あの善良なマスターが聞いたら泣いて激怒しそうなことを考えながら、エミヤは出来上がった朝食プレートを男の前に置いた。



カルデアの資料室には今までの特異点の記録だけではなく、映画やアニメなどの様々な映像記録も資料として残されている。そのため、それを目的にここに来るサーヴァントも多く、最近は資料閲覧用のPCが増設され、横から見えないように衝立が設置された。市営図書館のPCコーナーのような作りだ。

ある夜、エミヤが資料室に向かうと、そこには先客がいた。
その男はひとつにまとめられた青い髪を背中に垂らして肘を付き、つまらなそうに小さなモニターを眺めている。

エミヤも、マスターが過去にドラマで見たという料理を確認しにここ来た。
もし再現できたらマスターも喜ぶだろう。
そんな軽い気持ちで訪れた先で、まさかこの男に出くわすとは思わなかった。

ランサーがこの部屋にいるのは珍しいことだ。男は資料室で映像を見るよりも、シミュレーターで手合わせをしたり、釣りをしたりする方を好んでいた。

何か調べ物だろうかと思いながら、エミヤは男の後ろを通り過ぎる際、男が眺めているモニターをちらりと見た。
そしてそこに映る、見知らぬ男女がベッドの上で絡み合う淫猥な姿に、エミヤは思わず悲鳴のような声を上げてしまった。

その声に驚いた男がイヤホンを外して勢いよく振り向く。
そしてそこにいたエミヤに気付いて、なんだお前か、と安堵するように言った。

「なんだではない!こんな公共の場で一体何を見ている…?」

男が見ていたのは、いわゆるAV、アダルトビデオというものだった。
すると男が不貞腐れたように答えた。

「別に見ようと思って見てたわけじゃねぇよ。オレが使おうとしたら、前の奴がきちんと終わらせてなかったのか、勝手にコレが流れ出したんだ」
「にしても、私が来たのに気付かないくらい随分集中していたようだが」

それは、と男が一瞬口籠もる。

「……うるせぇなぁ。男ならわかるだろうが」

つまり初めは見る気はなかったが、見ているうちに目を離せなくなったという感じか。
エミヤは思わずため息を吐く。

「来たのが私だったから良かったが、もしも女性や幼いサーヴァントだったらどうする気だ」
「わーかった!夜中だからと油断したオレが悪かった。次からは気を付ける」

じゃ、と言って、男はエミヤの話をろくに聞かず、そそくさと資料室から出ていったしまった。

資料室にそういう類の物があるとはエミヤ自身も知らなかった。もしかしたらスタッフが持ち込んだものかもしれない。そういうものが資料室にあることを明日にでもレオナルド・ダ・ヴィンチに報告しておこう。同時に、それらの取り扱いについてもルールを決めておいた方が良さそうだ。

そんなことを考えながら、エミヤはつけっぱなしになっているモニターに目をやる。
イヤホンが接続されているため音声は聞こえないが、画面上では男女が変わらず交わり合っていた。
女性の豊満な胸が揺れる。柔らかな肌が男の手に押しつぶされる。女性が大きく仰け反り、白い首元が晒される。
あの男はこれを見ていた。

エミヤは湧き上がってきた感情を振り切るかのように映像を止め、PCの電源を落とした。
真っ暗になった画面に、不快そうな顔をした男の顔が映る。

もし、とエミヤは思う。
もし自分が男ではなかったら。
この女性のように柔らかな体を持っていたら。
きっと今のように悩まず、正面から男を誘えたかもしれない。

そんなくだらないことを思ってしまった報いだろうか。
次の日、カルデアで事件が起きた。



「大変だ!バグで霊基に異常がでて、サーヴァントの何騎かが女性になってしまった!」

そんなダ・ヴィンチの叫びと共に始まった朝。
エミヤはキッチンの隅で頭を抱えていた。

その横ではブーディカとパールヴァティーがまぁまぁ、とエミヤに慰めるように声をかけている。

「びっくりしたと思うけど、カルデアで大人しくしていればすぐに元に戻れるって話だし」
「そうですよ。オルタのアルジュナも女体になっていましたが、体の動きには特に影響はないそうですよ。レイシフトは禁止されていますが、戦うこと自体に不都合はないんじゃないでしょうか」

だから、そんな心配することはない、と女性陣は言いたいようだった。
もちろん、エミヤは彼女らの言葉を疑っているわけではない。実際に、その霊基の異常はきちんと直る目処はすでに立っているし、戦闘能力が失われたわけではない。念のためのカルデア待機というのも納得ができる。素晴らしい対処だと思う。

エミヤが頭を抱えているのは。

「いくらエミヤでも、自分のオルタが女の子になるのは、さすがにびっくりしちゃうか」

どうしてそれが自分ではなかったのか、ということだ。



女の体になったエミヤ・オルタを見つけたのは、エミヤだった。

ふらりと食堂に現れたオルタの姿にエミヤは目を見開き、思わず悲鳴を上げた。そして露わになっていた胸元を投影した上着で隠して担ぎ上げ、大急ぎで管制室に飛び込んだ。

その慌て様をダ・ヴィンチには笑われ、オルタの自分には鬱陶しそうに舌打ちされたが、動揺しきっているエミヤにそんなことを気にする余裕はなかった。

だって、どうして、自分のオルタが女になってしまったのか。
どうしてそれが自分ではないのか。
もし自分がそうなっていたら、もしかしたら。

一瞬でもそう思ってしまった自分に嫌悪し、エミヤはそれを誤魔化すかのように災難に見舞われたオルタの自分を心配し続けた。

「全く、突然のことでびっくりしたよねぇ」

同情的なブーディカの言葉に、エミヤは重苦しい顔で何度も頷くしかなかった。




キッチンを片付けた後、エミヤがオルタの様子を見に医務室に向かえば、そこには自分のオルタだけではなく、これでもかというほど不機嫌な顔をしたクー・フーリン・オルタがいた。

「君も性別が反転していたのか」

思わず声をかけると、狂王はエミヤを一瞥した後、肉付きのよくなった足を組み、忌々しげに舌打ちした。

「別に体が女になることはかまわねぇが、行動が制限されるのは気にくわねぇ」
「仕方がないだろう。変にレイシフトなどして体が戻らなくなる方が問題だ。大人しくしているにこしたことはない」

その時、奥の部屋からメディカルチェックを終えたオルタが出てきた。
大丈夫か、と声をかければ、体だけはな、とこちらも忌々しげに吐き捨てた。

少し遅れて奥から出てきたダ・ヴィンチの話によると、どうやらオルタ化している男性サーヴァントが軒並み女性に変わっているらしい。
だが、それはカルデアの召喚システムの突発的なバグのようで、しばらくカルデアから魔力供給を受けていれば直るとのこと。

「しばらくとはどのくらいだ?」

オルタの問いにダ・ヴィンチは少し考えてから答える。

「魔力量にも個人差があるからね。長くて5日、早くて3日、というとこかな」
「遅ぇ」

唸るような声で、クー・フーリン・オルタが噛み付く。

「何もしないとこの日数になるかな。こちらのシステムのバグ修正がすんなりいけば、もっと早くに元の体に戻れると思うけど。あと、カルデアにいるサーヴァントから魔力供給を受ける方法もあるけど、あんまりおすすめはできないかな」
「魔力供給すれば戻れるのか?」

思わずエミヤは口を挟む。

「戻れるよ。けど、少し待てば戻れることがわかっているんだ。今、カルデアスタッフも全力で対応に当たっているし、実際は3日より早く元に戻れるだろう。特に今は特異点だって発見されていないし、異常が出ているサーヴァントの数は多くはなく、急なトラブルに対応できる戦力は十分にある。だから、変に急いで魔力供給するメリットはないと思うけど」

それはその通りだとエミヤは思う。何もしなくても戻れることがわかっているのに、わざわざ誰かに体を許す意味はない。
だけど。

エミヤはそっと自分のオルタを見る。
オルタは変わらず不機嫌そうな表情でダ・ヴィンチの話を聞いている。

もし、オルタが一刻も早く元の体に戻りたいと願ったら。
あの男の元に行く可能性はゼロではない。
エミヤは思わず口を開く。

「……短慮はすすめないが、必要だったら私に言え。自分の面倒は自分で見るべきだろう」

エミヤの言葉にオルタは驚いたように片眉を上げた後、気遣いをどうも、と口元を歪め、呆れるように笑った。




「お前のオルタも災難だったようだな」

夕食後。
部屋に戻る途中、廊下ですれ違ったランサーにそう声をかけられた。

「そっちこそ。狂王の様子はどうだ?」
「部屋でふて寝してやがる。まぁ、暴れられるより面倒が少なくていいわ。どうせそのうち直るんだろ?」
「ああ。そうみたいだな。元に戻る方法もわからない、という事態じゃなくてよかったよ」

エミヤの言葉に、そうだな、と男は笑った。
男とこんな和やかに会話できることが、エミヤは嬉しかった。
だけど、それだけでは物足りない。腹に巣食う思いが、エミヤにもっと、と急かしてくる。

「そういや、お前、魔力供給を買って出たんだと?」

自分の下心を男に指摘されたような気がして、エミヤはぎくりとした。
だがそれを表に出すわけにはいかない。表情を引き締め、エミヤはさも当たり前かのように答える。

「あぁ。オルタとはいえ、自分のことだからな。万が一の時は、自分が面倒を見るべきだ。それに、こう言えばアレも余計な無茶はしないだろう?」

呆れたようなオルタの笑みを思い出し、エミヤは苦笑いをする。
どれもこれも、オルタがこの男と体を重ねるかもしれない可能性を潰すためだというのに。
男の前で、エミヤは嘘ばかりが上手くなる。男にエミヤの醜い下心を悟られないためとはいえ、ますます自分のことが嫌になりそうだった。

「なるほど、牽制の意味で言ったのか」
「もちろん。狂王から聞いたのか?」
「あぁ、見上げたボランティア精神だと言っていた」

きっと心底嫌そうな顔で言ったのだろう。
その時の狂王の表情が目に浮かぶようだった。

もし、エミヤ自身が女になっていたら。そして戻るためには魔力供給が必要だと聞いたら。
きっと嬉々として、この男の元に行くだろう。
そう考えただけで、エミヤは自分の浅ましさに吐きそうになる。

「まぁ、気にすんな。あいつもフラストレーションが溜まってんだろ」
「仕方のないことだ。突然性別が変われば私だってそうなる」
「そうかもな。つーか、お前がそんなことになったらゾッとするわ」

きっと男は冗談で言ったのだろう。
だけどエミヤには、それはエミヤを牽制する言葉にしか聞こえなかった。
お前が女になった姿は、きっとゾッとするほどおぞましいものだ。少なくとも自分はそう思っている。だから、例えそうなったとしても決して自分のところにはくるな、と言われているような気がした。
それだけで、エミヤの恋慕がいかに希望のないものかを思い知らされる。
それでも男への思いを捨てられない。捨て方がわからない。
だからこそ、エミヤはたった一度の交わりを求めているのだ。そうすればきっと、諦められるかもしれないからと。

「もし、そうなったら」

君は私を抱いてくれるだろうか。
一番言いたい言葉を飲み込み、エミヤはいつもの皮肉めいた笑みを口元に浮かべる。

「迷惑をかけないよう、部屋で大人しくしてるさ」
「そうだな、そうしとけ」

そのさらりとした言葉が、歪んだ願望を持ってしまったエミヤの胸を容赦なく抉った。



2日後。
カルデアスタッフの献身な努力により、性別が変わってしまったサーヴァントは無事に元の姿に戻った。
オルタのエミヤも、クー・フーリン・オルタも、やっと自由に動けると辟易した顔で言った。
エミヤはそんな2騎に労いの言葉をかけながらも、最後まで羨ましいという気持ちを拭えなかった自分を静かに恥じた。

そしてその報いを、エミヤは受けることになる。



「チッ、しっかりしろ!」

どこかで、あの男の舌打ちが聞こえる。

苦しい。苦しい。息が吸えない。喉の奥が痛い。息を吸うたび、肺が焼けるような激痛が走る。体の内側を膾斬りにされ、唐辛子を塗り込められている気分だ。
自分が今、目を開けているのか閉じているのかもわからない。口を開ける。何も入ってこない。かひゅ、と変な音が出る。何か支えになるものを、と手を伸ばすが、腕が上がらない。動けない。かろうじてわかるのは濃密な土と草の匂い。肌に触れる感覚から、どうやらエミヤは今、地面に伏しているらしい。

「おい、アーチャー!」

確か、ついさっきマスターと共に発見された微小特異点にレイシフトしたはずだ。珍しく、メンバーにランサーがいた。他にいたのは、原田左之助とゼノビア、ルーラーのスカサハ・スカディとマシュだ。
あの男と一緒にレイシフトするのはかなり久しぶりだった。こんな奇跡もあるのかと、エミヤは内心うきうきしながら管制室に向かい、いつも通りの口喧嘩交わした後、全員でレイシフトした。エラー音も聞こえなかった。そのはずだ。

「くそっ、マスターも探さなきゃならねぇってのに……!」

どうやらレイシフトした際に何かトラブルがあったらしい。
男の言葉から判断するに、どうやらマスター達ともはぐれているようだ。

自分の体はどうなっているのだろう。少なくとも魔力が圧倒的に足りていないことだけはわかる。急激な魔力減少により自家中毒のような症状を引き起こしているのかもしれない。エミヤの魔力がごっそり奪われたのが、レイシフト時のトラブルなのか、はたまたこの特異点に潜む何かによるもののせいなのかまでは、今のエミヤに考える余裕はなかった。

霊体化も試みた。だが、息もまともに吸えない苦しさと身体中にまとわりつく虚脱感、倒れ伏していても止まらない眩暈がエミヤの集中を阻む。

「こ、ろせ」

なんとか力を振り絞り、エミヤは男に言った。聞こえたかはわからないが、とりあえずそれらしい音を発した。
自分で霊体化できないのであれば、男に一旦殺してもらうしかない。そうすれば、エミヤはカルデアに退去できるはずだ。
だが、男からの反応はない。顔を上げて聞いているかの確認もできない。
聞こえなかったのかと、エミヤは意識が朦朧とする中、舌打ちをしたい気分になった。

もし、自分がレイシフト先で魔力不足に陥ったら男と魔力供給できるかもしれない、なんてのん気に考えていた自分が今ほど憎いことはない。
マスターを一刻も早く見つけ、合流しなければいけない時に、そんなことをしてる暇などあるわけがない。今はエミヤを捨て置いてでもマスターの安全を確認することが最優先だ。

それに。
エミヤは少しでも自分の助けになるものを取り込もうと、精一杯口を開ける。だが、湿った土が唇に付着するくらいで、エミヤの魔力は戻らない。逆に無理に力を入れたせいで、脳天を突き破るような嘔吐感に襲われる。
こんな苦しい状況で魔力供給などしてる余裕など、エミヤの方にもなかった。

「……見つけた!」

男の声が聞こえたと思ったら、突然体を引っ張り起こされた。
突然の浮遊感に、胃の中のものが逆流しそうになる。歯を食いしばってそれを必死にこらえていると、自分の体の下に暖かいものが触れた。

「跳ぶぞ!舌噛むなよ!」

直後、猛烈な風がエミヤの体に叩きつけられる。
ぼやけた視界の端を、青いものが揺れている。
どうやらエミヤは今、男に抱き上げられているようだった。
確かに今の状態でおぶわれても、エミヤは男の体に捕まることもできないだろう。

男の手がエミヤの背に回っている。ある意味、男に抱きしめられている状況だ。普段の自分だったら狂喜乱舞していただろうなと、目がまわるような不快感の中でエミヤは思う。

その時。
不意に、とある匂いがエミヤの鼻に届いた。
それは自分が頬を寄せている男の白い首から漂っていた。
これは魔力の匂いだ。エミヤが今1番求めているもの。エミヤの本能が1番欲しているもの。
エミヤの口が、無意識に開く。

「魔力足りねぇなら、オレの首でも肩でもなんでも噛んでおけ!」

エミヤの空腹を見越したように、男が叫んだ。
この白い首に歯を立てれば、エミヤの苦痛も少しは和らぐ。しかも男の魔力は神性を含んだ極上のものだ。その香りは、フェロモンのようにエミヤの欲を刺激する。口の中に唾液が溢れる。息が上がる。さっきまで苦しくて仕方なかったのに、今はこの男の首に噛みつきたくて仕方がない。

エミヤが恋する男に、今なら合法的に触れることができる。男もそれを認めてくれた。きっとこの状況なら仕方がないと、カルデアにいる全サーヴァントがそう言ってくれるだろう。だってエミヤはサーヴァントだ。魔力求めるのは当然のこと。それにほら、魔力を補わなくてはこれからマスターを守ることはできない。

脳内に広がる甘い声。全てがエミヤの行動を肯定する。エミヤの行動を後押しする。エミヤの欲を覆い隠してくれる。
だが、エミヤは。

「……っ!」

歯にこれでもかと力を込め、必死に食いしばって耐えた。
決して男の首に歯を立てぬように。醜い己の欲情が、一筋でも男を傷つけぬように。

ぎぢっ、と歯が悲鳴を上げる。エミヤの欲が、どうしてと腹の中でのたうち回り絶叫する。
マスターを守るサーヴァントの行動として、これが正しいものかはわからない。
だが、好きな相手をこんな状況で一方的に貪ることだけは嫌だった。確かにこれは何度も夢見た状況だが、どうせだったらお互いに利がある方がいいと思った。
だって、ただでさえ自分の欲望を押し付けているのだ。せめて快楽だけでも、男に受け取るものがあってほしかった。

首筋を噛まれても、きっと男は喜ばない。
だからエミヤは最後の理性に縋りながら、必死に自分の欲望に抗った。
そんなエミヤに、男は何も言わなかった。



エミヤが目を開けると、そこは医務室のベッドの上だった。

体を起こすと、白衣姿のアスクレピオスがやってきて、いくつか問診をされた。
彼の話によると、レイシフトしたメンバーの中にエミヤ以外にも魔力不足に陥り、医務室に担ぎ込まれたサーヴァントがいたらしい。
彼らはひと足先に目を覚まし、部屋に戻っているそうだ。

「おかしなところはないか?」

エミヤは首を横に振った。
今のエミヤの体には、きちんと魔力が満ちていた。
あの時の飢餓感が嘘のようになくなっている。

アスクレピオスはつまらんと吐き捨て、起き上がれるようになったのならさっさと部屋に戻るように言ってきた。

エミヤは礼を言ってベッドから降り、医務室を後にする。
このまま部屋に戻ってもよかったが、今回のレイシフトでエミヤはマスターや共にレイシフトしたメンバーに迷惑をかけてしまった。
だからひと言詫びを入れておくべきだろうと、自室に戻る前にマスターの元に向かうことにした。



マスターの部屋にはマシュもいた。
マスターもマシュもエミヤを見るなり、大丈夫だった?と声をかけ、エミヤが回復したことを心から喜んでくれた。

エミヤは2人に此度の失態を謝罪したが、こちらこそ大変な時に助けに行くことができなくてごめんと逆に謝られ、お互い次のレイシフトの時に挽回するということで落ち着いた。

また、マスターは他のメンバーについての情報もくれた。
レイシフトした時点で、マスターの側にはマシュとエミヤと同じく魔力不足に陥り、意識を失っている原田左之助しかいなかった。異変を察知したマスターがなんとかカルデアと連絡を取ろうとしていると、ゼノビアを抱えたスカサハ・スカディが合流。そしてスカサハ・スカディの助力のもと、カルデアとの通信が確立した後に、エミヤを背負ったランサーが現れたそうだ。

おそらく対魔力が弱いものから魔力を根こそぎ奪う結界のようなものが貼られていたようで、特異点に侵入する際、それに引っかかってしまったのでは、というのがダ・ヴィンチの見立てだった。
ちなみに原田左之助とゼノビアはひと足先に目覚めたものの調子が戻らず、今は自室で療養中とのことだ。ならば会いに行くのは日を改めた方がいいだろう、とエミヤは思った。

エミヤは最後にもう一度マスターに謝罪し、部屋を出た。
あと会いに行くべきは、スカサハ・スカディとあの男だった。

あの時、男に対して抱いてしまった目を背けたくなるほどの情欲を、エミヤは今でも覚えている。
唇を寄せるくらいしておけばよかったと思う反面、欲に塗れた自分の歯や体液が、あの男に触れなくてよかったと心から思った。

なんとなくあの男に会う勇気が持てず、エミヤはまずはスカサハ・スカディを訪ねることにした。
彼女の部屋をノックするが返事がなく、通りすがりのワルキューレに尋ねてみれば、なぜ行方を気にするのかと警戒された。先のレイシフトで迷惑をかけてしまったのでひと言謝罪と感謝を伝えたいと言えば、例のレイシフトの事件を聞いていたのだろう、それならばととあるシミュレーターに案内された。

中に入れば、そこは美しい湖畔だった。湖が月明かりできらきらと輝き、周りを囲む木々は瑞々しく生い茂っている。
その一角にスカサハ・スカディはいた。そこには彼女だけではなく、ランサーのスカサハやメイヴもおり、彼女たちの足元に敷かれたピクニックシートの上にはサンドイッチやクッキーなどが並べられていた。

夜のピクニック女子会、というところか。
そんなことを考えながら彼女達に近付いた時、強烈なアルコール臭がエミヤの鼻をついた。

どうやら酒盛りでもあるらしい。
万が一、変に絡まれても困る。エミヤはさっさと用件を済ませようと、スカサハ・スカディに声をかけようとした。
だが。

「なにやつ!」

舌っ足らずな声と共に、ルーンが放たれたのがわかった。
避ける間もなく、その光る紋様がエミヤの体に吸い込まれる。
全身が脈打つ。身体中が煮えたぎるマグマのように熱くなり、エミヤは思わず膝をついた。

何が起こったか、エミヤはわからなかった。
ただ、こちらを見下ろすスカサハ・スカディの頬が紅潮し、目がどこかぼんやりとしていること。メイヴが珍しく慌てていること。酒瓶を持ったスカサハが大笑いしていること。
それらのことから、自身の身に碌なことが起こってないことだけは分かった。

「なんだ、お前だったのか」

酩酊状態のスカディが、歌うように言った。

「ふむ。なんだ、悪くないではないか。私は気分がいい。今日のところはそれで見逃してやろう」

それだけ言って、再び視線をきらきらと輝く湖に向け、鮮やかな色の酒が注がれているグラスを優雅に仰いだ。
その横から、メイヴが焦ったように駆け寄ってくる。

「ちょっと、何の用があってここに来たか知らないけど、……まぁ、大方この前の謝罪とかだろうけど、とにかく今日のところは帰りなさい!今のスカディ、酔っ払っちゃって全然話が通じないの。スカサハだけで面倒なのに、これ以上面倒ごとを増やさないでよ。多分、明日になったら元に戻してもらえると思うから!」

そう言って、メイヴはエミヤを強引にシミュレーターの外に放り出した。

瞬きの後、エミヤはシミュレーションルームでひとり座り込んでいた。
自分の体に何が起こったのか、エミヤは正直分かっていない。
だが、四肢の感覚はあるし、五感に何の問題もなさそうだ。
もしかして尻尾でも生やされたのかと思いながら、エミヤは立ち上がる。

その時、ふと気付いた。
視界がいつもよりも低い。
子どもの体にでもさせられたかと、エミヤは慌てて自身の体を見下ろす。
そこには見覚えのないふくよかな胸が、エミヤの礼装を押し上げていた。



どうしよう。
エミヤが思ったのはそれだった。
いや、もちろん、少し前にエミヤはもし自分が女になったら、ということは考えた。あの男を誘いにいける、と意気揚々と思っていた。
だが、いざ本当にそうなってしまうと、ひどい動揺がエミヤを襲った。

エミヤはあの後、霊体化して自分の部屋に帰ってきた。
霊体化をすれば、もしかしたら男の体に戻れるかも、と思っていたが、さすが異聞帯の王であったスカサハ・スカディのルーンは強力で、霊体化を解き、実体化してもエミヤの体は女のままだった。

とりあえずスカディの酔いさえ醒めれば、明日にでもエミヤの体は元に戻してもらえるだろう。真面目な性格の彼女だ。そこに何の不安はない。

よし、とエミヤは自身を落ち着かせるように深呼吸をした。

よく考えろ。自分は今、ずっと欲していた女の体を手に入れたのだ。動揺するのもわかるが、何もせずにこのまま夜を明かしてしまってもいいのか。この状況を利用しないのは勿体なさすぎる。
それに今のエミヤには、男にこの前の礼を言いにいくという大義名分もある。
こんなに理由が揃っているのに、何もしないのは無い。客観的に見てもそうだろう。これが実質、男と寝られる最後のチャンスかもしれないのだ。

今、何もしないと、きっと自分は後悔する。
エミヤは意を決してベッドに敷かれていたシーツを剥がして体に巻き付け、周囲から体のラインを見えないようにした。あの男以外に見つかって、変に騒ぎになるのは御免だった。

震える足を叱咤し、エミヤがいざ部屋から出ようとした時だ。
唐突に部屋の扉が叩かれた。

エミヤの体が跳ねる。
思わず扉から飛び退き、恐る恐る返事をする。

開いた扉の向こうに現れたのは、エミヤが恋する男だった。

「……ランサー」
「なんだ、医務室にいねぇと思ったら、こっちで療養してたのか」

男は当たり前のようにエミヤの部屋に入ってきた。
いや、今までの関係性なら男が部屋に入ってくることも、そこで取り止めのない会話をするのもよくあったことだ。その流れのまま、ここで酒盛りをしたことだってある。

だが、エミヤの体は今、女に変わっているのだ。男好みのふくよかな胸と、しなやかな腰。柔らかで張りのある尻を持った、女に。

いつか見たアダルトビデオの光景が脳裏を過ぎる。
エミヤは無意識にごくりと喉を鳴らした。

「ん?何でそんなシーツに包まって縮こまってんだ?」

どこか警戒するようなエミヤの様子に、男が不思議そうに首を傾げる。
エミヤは慌てて口を開いた。

「いや、まさに今から君のところに行こうとしていたから驚いただけだ」
「そうなのか?」
「ああ、先のレイシフトでは君に多大なる迷惑をかけた。その謝罪をきちんとしておくべきかと思ってね」

上部の言葉がスルスルと出てくる。
手かいた汗を誤魔化すように、エミヤはシーツをぎゅうと握りしめた。

「いや、君がいなければ私はきっとあのまま消えていただろうな。まぁ、いっそ殺してもらった方が余計な手間もかからず、無様も見せずに済んだのに、それでも助けてくれた君の心の広さに感服するよ」
「……テメェは礼を言いたいのか、余計なお節介をしたオレを責めたいのかどっちなんだよ」

責めたいなんてそんな、とエミヤの口から気持ち悪い言葉が次々出てくる。

「もちろん感謝しているとも。君がいなければ私は今頃霊基グラフの中だろうからな。こうして再び君と喋れることを嬉しく思うよ」
「その気持ち悪ぃ喋り方やめろよ。つーか、いつまでそんなものに包まってんだ?」

男の手がエミヤのシーツに伸びる。
エミヤとしては、男に女の体になったことが伝わった方が好都合だった。
だが、その時は咄嗟に反抗してしまった。自分の欲望が形になったような体を、男に見られるのが恥ずかしかった。

しかし、エミヤの筋力は女になったことにより弱くなっていたようだ。
エミヤの体を隠していたシーツは、男の手によってあっという間に剥ぎ取られてしまった。

「お前、それ、この前のバグの……」

どうやら男は、この前のオルタが女になったバグが再び発生したと思ったらしい。
驚きで言葉を失う男に、エミヤは開き直ったように口元を上げた。

「そうだ、不運なことにこんな体になってしまった。あぁ、心配する必要はない。明日になればどうせ元に戻るのだ」
「……あぁ、なんだ、そうなのか」

どこかホッとした様子の男に、エミヤはぎゅっと唇を噛む。
そうだ、この男はエミヤが女になったらゾッとすると言っていたのだ。だから、こんな気持ちの悪い体がすぐに消えてくれることに安堵したのだろう。

悔しい。悔しい。
エミヤはぎり、と奥歯を噛み締める。
いくら思っても、エミヤでは駄目なのだ。だから体だけでもと思った。それだけでエミヤは十分だ。だけどそれさえも否定されたら、エミヤの思いは一体どこに行けばいいというのか。

「ダ・ヴィンチ曰く、前のバグは魔力供給でも戻ったらしい」

やけくそになってエミヤは言った。
もう自分がどんな顔をしているかもわからなかった。
男に向かって、誘うように手を伸ばす。

「どうかね?あんなところでAVを見るくらい溜まっているのだろう?この体を使ってもかまわないが」
「断る」

きっぱりと男は言った。
エミヤは目を見開いた。だが心のどこかでは、そうだろうなぁと思っていた。

「女になってショックなのはわかるが、やけになってんじゃねぇよ。みっともねぇ。……無理にシーツを剥いで悪かったな」

ほれ、と男は床に落ちたままだったシーツを再びエミヤの肩にかけた。

「明日になったら元に戻るんだろ?どうせ数時間もすれば夜が明ける。今日のところはは部屋から出ずに大人しくしてることだ。……他の奴らにも変なこと言うんじゃねぇぞ」

そう言って男は青い髪を翻し、さっさと部屋を出て行った。
エミヤはしばらくそこに立ち尽くした後、肩にかけられたシーツを握りしめ、感情のままベッドに投げつけた。



今すぐ消えてしまいたい。
エミヤは男が消えた部屋でしばらく放心した後、勢いよく自室を飛び出した。

向かう先はシミュレーションルームだ。
こんな体になったのがいけないのだ。今すぐスカサハ・スカディに戻してもらおう。酔っ払って話ができなくとも構うものか。それで不敬を買って氷漬けにされたとしてもいい。むしろ氷の中で永遠に眠っていたかった。
恋する男を誘い、笑えるほど見事に玉砕した自分など、息をしているだけで恥を晒しているようなものだ。
あの男好みの女の体になっても抱かれないのなら、もうどうひっくり返ってもエミヤの思いは叶わないということ。
だったら、一刻も早く元の体に戻りたかった。

廊下に並ぶ大きな窓。
そこから煌めく星々が、早歩きで廊下を進むエミヤを見下ろしている。
その視線にこの身が晒されることすら耐えられず、エミヤは思わず体をすくませる。

そんなことに気を取られていたからだろうか。曲がり角から出てきた人物に気付くのが遅れ、エミヤはその相手に思い切りぶつかってしまった。

「ん?お前、アーチャーか?」

ぶつかったのはキャスターのクー・フーリンだった。
今は同じ顔は本当に見たくなかった。
無言で横を通り抜けようとしたが、待てよ、と腕を掴まれて止められる。

「おい、どうした?またバグでも起こったのか?」
「違う!酔っ払ったスカサハ・スカディにルーンをかけられたのだ」

やけっぱちで答えると、キャスターはそりゃ災難だったな、と軽やかに笑った。

「笑うな!」
「すまん、すまん、随分と可愛らしい姿になったと思ってな。詫びに、元の姿に戻してやるよ」

その言葉に、エミヤは思わず、え、と聞き返す。

「あぁ、今のオレはキャスタークラスだからな。これくらいすぐに解いてやるよ」

そう言ってキャスターが指を動かし、空中に文字を描く。
そこから発せられた光にエミヤは思わず目を閉じた。
そして次に目を開けた時、エミヤの体は見慣れた男のものに戻っていた。

「これは……」

エミヤはしばし呆然とした後、ハッと意識を取り戻し、キャスターに礼を言った。

「すまない、手間かけた」
「いや、たいしたことじゃねぇ。これに懲りたら、酔っ払った姫さんにゃ近付かないことだ」

じゃあな、とキャスターは青い衣を靡かせて、エミヤの横を通り過ぎて行った。
エミヤは元に戻った己の体を見下ろした後、大人しく自分の部屋に戻ることにした。




自室のベッドの上には、自分がさっき投げつけたシーツがぐちゃぐちゃになって丸められていた。
無言でそれを持ち上げ、エミヤは丁寧にシーツを敷き直す。
そして綺麗に整えられた寝床に、エミヤはばたんと倒れ込んだ。
もう何も考えたくはなかった。



それからどのくらい時間が経っただろう。
自己嫌悪に塗れていたエミヤの瞼が、ようやくうとうとと閉じかけた時、部屋の扉が控えめに叩かれた。

そういえば鍵をかけていなかった気がする。
エミヤがのそりと体を起こした時、扉が開いた。
そこにいたのは、今1番会いたくない男だった。

ランサーは男に戻ったエミヤの姿を見るなり、驚いたように駆け寄ってきた。
あぁ、今更惜しくなって抱きにきたのか。
そんな愚かな妄想をしながら、エミヤはゆるりと口の端を上げる。

「ひと足遅かったな。もう元に戻ってしまったぞ」
「……別に女のお前をヤリにきたわけじゃねぇよ」

じゃあ一体何の用だ、と冷たく返せば、男は気まずそうに後ろ頭を掻いた。

「さっきは言い過ぎたと思ってな。よく考えたら、あの瀕死の状態から復帰した直後に女になるという不運に見舞われたんだ。自暴自棄にもなるだろう。そんな時にオレもムキになり過ぎたなと」

珍しく殊勝な男の態度に、エミヤの中にあったトゲトゲした気持ちがほんの少しだけ和らぐ。
そうだ、この男はいくら嫌いであろうとも、恋愛対象にならなくとも、仲間であるエミヤを守り、気にかけてくれたのだ。余裕がなかったとはいえ、失礼な態度を取ったのはエミヤの方だった。

「……こちらこそ、君にあたるような真似をしてすまなかった」

八つ当たりでああいうことを言ってしまった、という体にすることにした。
もちろん真っ赤な嘘だが、男は、だろうと思ったぜ、とすんなり信じてくれた。

何の疑いも持っていない男の態度にエミヤの良心が痛む。
それを誤魔化すように、エミヤは少し早口で続けた。

「余計な気を使わせてすまない。体の方も、キャスターの君に戻してもらったからもう何の心配もない」
「……は?」

その瞬間、男の声が一段と低くなったような気がした。

「キャスターに、だと?」

ひと文字ひと文字確かめるように発された言葉に、エミヤは戸惑いながらも、ああ、と答えた。

「どうやって?」

どう、と言われてもエミヤは困ってしまう。エミヤにルーンの知識はない。どのようなルーンを使ってどのように体を元に戻したかなど説明できるはずがない。

「どう、と言われてもな。目を閉じているうちに終わってしまった。やり方は君の方が詳しいんじゃないか?」

エミヤが、キャスターが空中に描いた紋様を必死に思い出しながら答えれば、そうかよ、とランサーは吐き捨てるように言った。
そこで、エミヤはようやく男の機嫌が急降下していることに気付いた。

「そんなに早く元の体に戻りたかったのか?ひと晩待てばどうせ戻っていたんだろ」

突然、噛み付くような雰囲気を纏い出した男に、エミヤは困惑する。
今までの会話のどこに男が苛立つトリガーがあったのか。
だがとりあえず男の問いに答えねばと、エミヤは平静を装って口を開く。

「それはそうだろう。現状、カルデアではいつ何が起こるかわからないのだ。慣れた体に早く戻るに越したことはない」
「その為なら、お前は好きでもない相手に足を開くってのか?」

嘲るような男の声。
男の質問の意図がエミヤにはわからなかった。
サーヴァントとしての在り方の話をしているのだろうか。魔力が必要な時、望む相手じゃなくとも戦いの為に魔力供給ができるのかと。
だとしたら答えはイエスだ。その覚悟はもちろんエミヤにはある。

「それがマスターの為に必要なのだとしたら、いくらでも」

そんなものは当たり前だ。そう問うてくる男だって、その状況になったら割り切って魔力供給するだろう。
一体何を聞いてくるのだとエミヤが訝しんでいると、男が深く深く息を吐いた。

「……そうだな、お前はそういう奴だった」

男の低い声には、今にもはち切れんばかりの怒気が含まれていた。
その怒りの理由が、エミヤにはとんとわからない。

不意に、男が嗤った。

「わかった、わかった。これは手をこまねいてたオレが悪い。まさかオレに先を越されるとは」
「ランサー、何の話をしている?」

ベッドの上で首を傾げるエミヤに、男は無言で歩み寄る。
そしてエミヤが何かを聞く前に、エミヤの体を乱暴にベッドに叩きつけた。
突然の衝撃に息が詰まる。ベッドが軋む。男の手が宙に浮いたエミヤの腕を掴み、ベッドに押さえつけた。

何が何やらわからぬまま、とりあえずエミヤは自分の上にいる男を睨みつけた。

「……何のつもりだ」
「この状態の男が次に何するかわからんほど、お前は察しが悪くねぇだろ?」

エミヤを見下ろす男が挑発するように笑う。
男の体から垂れた絹のような青い髪が、呼応するようにエミヤの胸の上で揺れた。
骨ばった男の手がエミヤの手首を固定し、男の膝がエミヤの足の間に差し込まれている。
もちろん、次にされることがわからないわけではない。
それはエミヤ自身がずっと夢見ていたこと。
だが、望んでいたこととはいえ、そこに至った経緯がエミヤには全く理解できなかった。

「いや、いやいやいやいやいや」

エミヤは押さえつけられている手を何とか押し返そうとした。
だが、男の手から力が抜ける気配はないし、またエミヤが抵抗しようとすればするほど、男の顔から表情が抜け落ちていく。

「いや、待ってくれ、ランサー」
「待つわけねぇだろ。のんびり待ってたから、こんなことになってんだろうが」
「だから、何が何にだ!」

エミヤは混乱した頭で、怒り狂う男に必死に言い返した。

「これから君がやろうとすることは何となく察しがつくが、そこに至る理由が何もかも全くわからない!そもそも、私を抱きたいのならば女だった時に抱けばよかったではないか!君は別に男色というわけでもあるまい」
「そうだな、今なら抱いときゃ良かったって思うわ、心からな」
「はぁ!?何だその言い草は。さっきの貴様の態度で私がどれだけ……!」

そこまで言って、エミヤは慌てて口を噤んだ。
どれだけ自分が傷付いたか、などと男に言えるはがない。そんなことを言ったら、エミヤの思いがバレてしまう。
そんなエミヤの葛藤に気付かず、そうだな、と男はぽつりと呟いた。

「お前が混乱するのもわかる。オレが身勝手なのも。だが」

不意に、男の顔がぐっと近付けられた。
その整った風貌が突如近づいて来たことに驚き、エミヤは反射的に顔を背けようとした。
だが、男はそれを許さず、エミヤの手首から右手を離し、代わりに正面から握るようにエミヤの顎を乱暴に掴む。
顔を固定され、エミヤは真正面から男の眼差しを受け止めざるをえなくなってしまった。

「それはそれだ。恨むんなら、オレじゃない奴に体を許したテメェを恨むんだな」

そのまま男はエミヤの唇に噛み付いた。口づけと呼ぶには暴力的と言えるそれを、エミヤは目を見開いたまま受け入れる。そうする以外、何もできなかった。

だけど頭の中はめまぐるしく思考が回っていた。
どうしてこうなったのか。どうして男が怒っているのか。疑問が浮かんでは消えを繰り返し、ぐるぐる堂々巡りを続けるばかり。
蹂躙するように口内を這い回る厚い舌も、荒い男の息も、体に触れる男の熱い体温も、耳元で鳴り続ける自身の心音も、エミヤには壁一枚隔てた世界の話のようで。

ただ、口づけをされる直前の言葉が頭の隅にずっと引っかかっていた。
恨むなら。
恨むなら。
恨むなら?
一体、どうして恨まなくてはいけないのか。

「いや、恨まない」

唇が離れた瞬間、エミヤはそう呟いた。
男は一瞬目を開いた後、その赤色を三日月に歪ませる。

「へぇ、同情でもしてくれるのか?」
「違う。だってこの状況は、私にとって望ましいものだ。心待ちにしていたチャンスだ。恨むわけがない」

だって、エミヤはずっと男に抱かれたかった。この男に触れたかった。気持ちは無理でも、体だけ。それだけでもエミヤは喉から手が出るほど欲しかった。これはエミヤがずっと待ち望んでいたことだ。惚けている場合ではない。今すぐ全力でしがみつかなくては。

エミヤの言葉に、男は訝しげに眉を顰めた。

「どういうことだ?」
「どうもこうも。君に抱かれるのが嬉しいと言っている」
「……意味がわからん。キャスターに抱かれたんだろ?それともクー・フーリン全員に抱かれたかったとでも言うのか?」
「キャスターに抱かれてないが」

は、と男の口から間の抜けた声が漏れる。

「……男に戻るには魔力供給が必要だと」
「前のバグの時はな。私が男になったのは酔っ払ったスカサハ・スカディのルーンによるものだ。それをキャスターが解いてくれただけだ」

その言葉に、男は少し黙り込んだ後、エミヤを押さえつけていた手を離した。
腹の上に座ったまま、はぁ、と息を吐いた男から、先程までの怒気は感じられない。

「……なんだ、オレが勘違いして勝手に苛立ってただけか」

男にいつもの雰囲気が戻ってくる。
どうやら落ち着いたらしい男に、エミヤもそっと体の力を抜いた。

「つまりお前は、こんな状況になるのを望んでたっていうのか?」
「別に図ったわけではない。何度もこうなればいいと思っていたが、結局一度もうまくいかなかった」

レイシフト先で魔力不足に陥っても抱かれるような状況ではなかったし、女になった時も、男は結局手を出してはくれなかった。
だからエミヤの目論見は全て外れているのだ。

「そっちこそ」

エミヤは負けじと反論した。

「切羽詰まって私を襲おうとするくらいなら、どうしてもっと早く手を出さなかったのだ」
「楽しそうにカルデア生活満喫しているお前に、そんなことできるわけねぇだろ。こっちだっていつでも襲おうとしてたわ。レイシフト先でテメェが倒れた時も、女になった時も、どれだけオレが我慢したことか」
「何を誠実ぶっているんだ。獣のくせに」
「はぁ!?テメェがオレの何を知ってんだよ!」
「ケルト神話」
「ぐぅの音もでねぇわ」

忌々しそうに男がガリガリと頭を掻く様子に、エミヤはこっそり口の端を上げた。
初めて男の本音を聞けたからだろうか。それとも、エミヤがずっと言いたかったことをぶち撒けられたからだろうか。
なんだかすごく清々しい気分だった。
今なら素直に自分の気持ちを言える気がした。

「……ずっと君に恋をしていたんだ」

エミヤは思い出すように、そっと目を伏せる。

「君に手を出されない時点で、君のお眼鏡にはかなっていないのだと思っていた。何とかして君の気を引きたかったが、今の良好な関係を壊す度胸もない。だから女になった時、良い口実ができたと思って君を誘った。君が言うように、ひどくみっともない姿だっただろう」
「あれは」

男が言葉に詰まった。

「……あそこで抱くのは違ぇだろ。オレはテメェが好きで抱きたいと思うが、抱けたら何でもいいわけじゃない。お前の言い方もなんか引っかかったし、一晩待って男の体に戻れるのなら、変にここで抱いてわだかまりを残すより、断った方がいいと思ったんだ。まさか、お前がそれを望んでるなんて露にも思わなかった。もし知ってたら、ラッキーつって押し倒してたわ」

男が冗談めかして笑う。
エミヤもつられて小さく笑った。
ランサーはその顔を静かに見つめた後、エミヤの頬に手を伸ばした。
今度は優しく、そっと添えるように。

「なぁ、アーチャー」
「……なんだ?」
「いろいろぐちゃぐちゃになっちまったが仕切り直しだ。……抱いてもいいか?」

もちろん、とエミヤは答える。
この時をエミヤはずっとずっと待っていた。
ここで照れて尻込みするほど、エミヤは純情でもない。

エミヤは自由になった両手を伸ばし、男の頬に触れる。
しっとりとした男の肌の温かさが、じわりとエミヤの指に伝わる。

そうだ、エミヤはずっと男に触れたかった。触れてほしかった。男に触れても許される存在になりたかった。体だけなんて殊勝なことを言っていたが、本当は心ごと欲しかった。男の全てを手に入れたかった。その丸ごと全部で、自分を求めてほしかった。

エミヤはたまらず男の首に抱きつく。
男は突然抱きついてきたエミヤに驚いたようだったが、ぎゅうぎゅうとくっついてくるエミヤに何も言わず、その頭を優しく抱きしめた。
男の熱が、匂いが、エミヤを包む。

その全てに溶かされることを願いながら、エミヤはそっと目を閉じた。


終わり

Comments

  • スラスラ☆ダイスキ
    November 17, 2025
  • メヒカリ

    好好好好‼︎

    October 24, 2025
  • なし

    素敵なお話ありがとうございます

    October 24, 2025
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