1. 日曜日の買物と夕食は一緒に
「「「いただきます」」」
手を合わせて唱える。一種の食前の祈りだと思うが、詳しく調べたことはない。自分用にといつの間にか用意されていた箸をとり、茶碗を持ち上げる。昨今の炊飯器の劇的な進化に少しの感動を覚える。
「「美味い!」」
「…それはどうも」
成人男性は許されるだろうが、花の女子大生が「美味い」と言うのはどうなのだろうか。しかし彼女にそれを伝えたところで「美味いもんは美味い!」と返されそうな気がして、お褒めの言葉を受け止めるだけにとどめておいた。
日曜日は一緒に買い物に出かけて1週間分の食材を仕入れ、数日分を調理し、晩ごはんも一緒に食べる。この家事代行バイトを始めたときに決めたルールの1つは、毎週滞りなく守られている。
ちなみに今日のメニューは、せっかく買物に行って新鮮な刺身を手に入れたので、魚介たっぷりのちらし寿司。酢の加減と金糸卵は我ながら上出来だと思う。顔見知りだからとおまけをたくさんつけてくれたので量に不足はないだろうし、大きめの海苔で巻き寿司にしても良い。定期的に仕込んでいるミックスピクルスとの相性も悪くない。
何より、刺身だけで十分に美味しい。次はこれで何を作ろうかと思わず脳内メニューをめくる。
「その辺の寿司屋で食うよりだんぜん美味いわ…いっそその辺の寿司屋で食えなくなるわ…」
「わかる」
「大げさにもほどがある」
リツカとクーがあっという間にたいらげ、おかわりを請求される。ちゃんと噛んでいるんだろうか。いとことは言え、リツカが小さなときから遊んでもらっているらしく、こういうところは似ていると少し笑ってしまう。さて、残りのちらし寿司がなくなる前に私も食べてしまわないと。
「エミヤは一人暮らしだったよね?」
「そう、キャンパスの最寄りから2駅のところに住んでいるよ」
食堂で少し早めの昼食をとりながらバイト先の後輩がどう、みたいな話をしていた時だったと思う。バイトしないの?と聞かれ、探してはいると答えたりしていたはず。
リツカは大学に入ってからの知り合いではあるが、最初の授業で隣の席に座ってから何かと私のことを気にかけ、仲良くしてくれている。大学では基本的に一緒に行動するし、課題もお互いに分担したりする。入学してすぐの慣れない環境の中で、多くを助けてもらったことにとても感謝している。笑顔の似合う、可愛くて格好良い女の子だ。
「そっか、じゃあ自分でご飯とか作れるんだ!」
偉いね!とストレートに人を褒めることができるのは彼女の美徳だと思う。昨晩の夕食の残りを詰めた弁当をつつき、炊事洗濯掃除を一応はひと通りできるよ、と返せば俄かに彼女の瞳が輝きだした。ような気がしただけだが。
今日の食堂おすすめメニューである豆腐ハンバーグを切り分けながら、彼女が笑う。
「そんなエミヤに良いバイトがあるんだ!」
この一言が後々の私に大きな影響を与えることになるとは、この時の私は微塵も予想していなかった。
そうして紹介されたバイト先がここである。あれよあれよと言う間にリツカのいとこのクー・フーリンさんを紹介され、家事を代行するための金銭面を含めたいくつかのルールを決められ、今に至る。
クーは社会人で、大学から少し離れたマンションに住んでいる。仕事が忙しいのもあるが、細かいことは気にしない性分から部屋は荒れ、食生活も荒れていたらしい。彼女ができるまではと時折様子は見ていたものの、リツカ自身もそんなに家事ができるわけではないので、私に白羽の矢を当ててやろ、と考えたようだった。
彼女の行動力はすごいと薄々感じていたが、予想の斜め上だった。流されるままここまで来てしまった。いや、クーは良い人だし、バイト代が入ったことで生活が潤ったし、家事自体は割と好きで楽しいし、メリットしかないと正直に思う。ただ。
ただ、1つだけ困っていることはある。それは。
「エミヤちゃんよ、もう俺と結婚しねえ?幸せにするからさあ」
「ちょっと!そういうの止めなって言ってるでしょ!」
しばしば放たれる、クーのこういう発言および行動である。冗談だとはわかっているが、なんというか、反応に困るのだ。リツカがクーにボディブローをかますのを横目に、苦笑いをこぼすしかない。私にそんなことを言ったところで何も出ないのに。おそらくクセなのだろうと思う。
「いやあ、エミヤちゃんは将来良い嫁さんになるわ」
ボディブローから解放されたというのに、更に足払いをかけられ、ソファに沈む。ぷんすか!と言いながらリツカがダイニングテーブルに戻り、私からおかわりを受け取る。
「エミヤもちゃんと言わないとダメだよ!?アイツ、すぐ調子にのるから!!」
「わかったから、落ち着いて食べなさい」
「リツカはもう少し俺に優しくしても良いんじゃねえの…」
「クーもおかわりどうぞ」
ありがとな、と受け取る掌は大きい。突然現れた私を受け入れ、とても良くしてくれている。クーが笑いかけてくれたので、とりあえず小さく笑い返しておく。
「「ご馳走様でした」」
「お粗末様です」
再び手を合わせ、唱える。結局ちらし寿司は全て2人の胃の中に収まった。食器をシンクに運ぼうとすると、片づけは俺がやるから、とクーに回収される。そのまま食洗機に放り込まれる食器。いつも少しだけ羨ましく思う。
「さ、飯も食ったし、遅くならねえうちに送るぜ」
クーが住んでいるマンションは私が住んでいるアパートと大学を挟んで逆の位置にある。リツカの家はクーのマンションと大学の間にあるのでいつもここまで自転車で来ているが、私も自転車でというわけにはいかない。しばらくは電車で通っていたが、そのうちバイクに乗ったクーが私のアパートの前に現れるようになった。
黒を基調として一部の部品だけシルバー。バイクには詳しくないが、シンプルなデザインで素直に格好良いと思う。ヘルメットは青と赤の色違い。低いエンジン音を聞き分けられる程度には乗せてもらっていることになる。
「じゃあまた明日ね」
「課題を忘れないように」
「だいじょーぶ!」
ばいばい、とリツカとはここでお別れ。明日の講義は課題の提出がある。良く言えばおっちょこちょいな彼女に忘れないよう釘を差すのはいつも私の役目だ。
「いつもありがとうな」
「いえ、こちらこそ」
ヘルメットを軽く投げて寄越される。後ろに乗り、クーの背中につかまる。最初は恥ずかしくて抵抗があったが、走り出したら怖くてしがみつかざるを得なかった。今はもう随分と慣れたし、流れていく景色を眺めるのは割と楽しいと思う。お金が貯まったらリツカと車の免許を取りに行こうと約束しているが、バイクの免許もいつかとってみたいかもしれない。
クーの背中は広い。一般的な成人男性の体格がどんなものなのかは知らない。しかし、自分やリツカに比べればもちろん広い。掴まっている間、なんとなく安心を感じてしまう。リツカにとってのいとこのお兄ちゃんだが、もし私に兄が居ればどんな人だっただろうと時々考える。
「あーあ、明日からまた仕事か…」
背中越しに声が伝わってくる。クーの仕事について詳しく聞いたことはまだないが、忙しいことは知っている。疲れていることもわかる。でも楽しいと前に言っていたことを思い出す。
私はまだ学生の身分。でも多分卒業も、就職も、すぐに来てしまうだろう。就職活動をして、どこかの会社に内定をもらえて、卒業旅行にも行って。いつかクーみたいに仕事が大変だと愚痴ったりするのだろうか。でも楽しいと私も言えるだろうか。
いつかのその時にも、こうやってリツカとクーと一緒にご飯を食べることはあるだろうか。
「じゃあまた頼むわ」
「はい、木曜日に」
講義のない木曜日に炊事と掃除。日曜日はみんなで買物と炊事と洗濯。週に2回の家事代行バイトを終えて、自分の部屋の鍵を取り出す。雇い主の軽いセクハラまがいの言動はあれど、悪い出会いではなかったと思う。
遠くでまだ小さく聞こえるバイクのエンジン音を聞きながら、入浴の準備をする。日曜日の夜は早く寝てしまうに限る。
Comments
- そーJuly 8, 2018