「さようなら。ランサー」
「ああ、」
海底に引き摺られるような感覚は消え失せ、地面に降り立った。ゆっくりとアーチャーが瞼を開けばそこは見慣れた自分の座だ。軋みながら回る歯車も焼けた大地もそこに突き刺さる無数の剣も、変わることなく目の前に広がっていた。立っているのは自分だけ。しつこくせがまれて一度だけ見せたこの世界を、主はつまらないと一蹴していたことを思い出した。そうしてひっそりと笑う。この座で笑ったことなど、今まであっただろうか。アーチャーは思わず額に手を当てた。そして途方に暮れてしまった。
かえりたいと思ってしまったのだ。
一瞬でもそう思ってしまった自分を笑う。今しがた主を思い出したあの優しい気持ちではない。自分の本心の愚かさに。
本来自分がいるべき場所はこの座と、もしくは殺戮現場だ。それだというのに、つい先ほどまで現界していたあの時代を慈しみ、離れがたいと。思ってしまったなんて。なんて。それは。滑稽なことだろう。
あのような生温くて、無意味で、眩しい世界に、私が。
こんな私が。
浅ましすぎて、腹が捩れるほどおかしくなった。声を上げて笑い、そのまま背中から大地に倒れた。視界に映る赤銅色の空は深く渦を巻き、自分をただ卑下するように見下ろしている。少し冷静になってきた。ああ、おかしい。気がすむまで笑ったら呼吸が少し上がっていた。数回、深呼吸をして元に戻す。
泡沫の夢を見ていた気分だ。
ぼんやりと宙を見つめ、記憶を辿る。まだ、まだ。赤い我が主も青い槍兵も憎たらしい過去の自分も高潔な騎士も冬の少女も。みんなちゃんと、残ってる。あたたかさも、もう感じることはできないけれど覚えてる。今は思い出せる。
いつかは忘れる記憶だと理解していた。消えたときは消えたときで何も思わない。
――ただ始まりに戻るだけだ。
あの時代に行く前の自分に戻って、そしてまた何かを記憶し摩耗する。エンドレスリピート。慣れたことではないか。なあ、わたしは、そうやって永久のような時の中を過ごしていただろう。ひとりでいたのだろう。それが当然だったのだろう。
ならば、どうして。
どうしてわたし、は、こんなにもかなしい。
―――最後の時。目の前にいたのは槍兵だ。
お互いが粒子となって輪郭が霞む中、槍兵は楽しかったと満足げに笑っていた。晴れやかな口調に釣られてしまったのかもしれない。最後だから、と。私もだ。そう素直に返してやったのだ。二度と会わないからこそ、別れの言葉も告げた。
さようなら、ランサー。
ああ――
またな、アーチャー。
(もう、会えるはず、ないのに)
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- わんわんおMay 2, 2025