死から生に向かう感覚。
無から有を得る自覚。
意思を持たない魂のカタマリが肉を得て、意思を得る実感。
その感覚から生じるこの眩暈はもう慣れたものだ。
唾を飲み込み、息を詰める。
ただそれだけで、脳を揺らす混乱はするりと消えた。
英霊として深い憎悪に覆われただけの自我が、人としての感情を取り戻す。
ここはどこだろうか。誰が何のために召喚などしたのだろうか。
目を見開き、世界を目にするまでの刹那、そんな思考が働いた。
それと同時に此度の現界の要因から情報が供給される。
現界先の時代、言語、常識が。この世界のあらゆる状況に適応するための知識が。
そして、己が何のために召喚されたのか、その理由が──────。
「───────クッ」
口を歪め、嗤った。世界は案外、優しいものらしい。オレの望みは叶った。エミヤは衛宮を殺す。
その機会が漸く回って来たようだ。
オレは正面を見た。この世界は冷え切っている。
刺すような殺気と気配を暗闇の中に感じた。
視界の隅に映る赤い切先。
オレは本能が命じるままに使い慣れた剣を投影し、その切先を弾いた。
その感覚は想像していたよりも軽い。
小さくキン────ッと鋼が鳴る音がした。
だが、それだけだ。視界からは既に赤い切先は消えている。
周囲に目を走らせ、油断なく敵の姿を探す。
暗い場所である。そして、湿った臭いがする。
倉庫のような場所だと思った。だが、同時にここが魔術師の工房なのだと悟った。
自身が召喚されたばかりである事もあるだろうが、この場には確かに魔力の気配が満ちている。
再度、周囲を見渡す。だが、先程襲撃してきた敵の姿は見当たらない。
近くに強引に叩き開けられたと思しき入口が見えるが、もしや、既に外か。
召喚された以上、マスターの確認もしなければならないが、先程の敵に隙を見せるわけにはいかない。
オレは入口に近づいた。視界の中にまばゆい月が映った。月光。その光はいつかの記憶を揺さぶる。
少年の頃、出会ったエミヤシロウの尊い光。
瞼を閉じて、感傷を振り払った。
今の自分には不要なもの。
今のオレに必要なのはこの身を焼きつくす憎悪の炎だけで十分なのだから。
脳裏に蘇らせるのはかつての自分自身。
忌々しい嫌悪の象徴。
それを抹殺せしめる事こそオレの至上。
結末は破滅で結構。衛宮に救いなどいらない。
かつての願いも祈りも夢も初めから価値などなかった。
不意に背後でがさりと音が鳴った。
敵か──────いや、あるいはマスターの可能性もあるか。
オレは音の正体を確認すべく背後を振り返った。
「──────────」
暗がりの中にへたり込む何かの姿が薄らと浮かんだ。
はっきりとは見えない。だが、一時、オレはそれに胸を突かれた。
まさか、という暗い喜びがオレを満たしていく。
初めに認識したのはその髪の赤だった。
ゆっくりと恐る恐る、それに近づく。
自分の息遣いと足音がいやに煩い。
近づく度に剣を握る手に力が入っていく己自身をどこか遠い意識で認識した。
目の前の何かが身じろぎをする。
月の光の加減か、オレの目にその何かの姿がはっきりと映った。
そして───────、案の定、見えたのはかつてのオレ自身……………って、え?
あれ……何だこれ。ちょ、ちょっとまてっ。何だこの物体……。
思わず、オレは自分の見ている物体が信じられず、目を凝らした。
だが、いくら目を凝らそうとオレの現実は変わらない。
そう、それはどう見ても単なる………………でかいぬいぐるみだった。
「…………」
一気に張り詰めていた気が抜けた。
オレはぬいぐるみ相手に何をやっていたのだろう。
急速に耐えがたいまでの、羞恥心が心中に襲ってきた。
まさかとは思うが、誰か見ていなかっただろうな。
ぬいぐるみに真面目な顔で迫っている男か……どう考えても不審人物である。
恥ずかしすぎる。
いや、ちょっとまて。
オレはそもそも聖杯戦争のサーヴァントとして呼ばれたのではないのか。
ならば、オレを召喚したマスターがすぐ傍にいる筈である。
それに先程の敵の存在があるわけで………。
───────最低、2人には見られたわけか。
オレはがっくりと膝を附きそうになった。
とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにも行くまい。
オレは先程の敵襲に備え、再び、外へ向かい、ついでに己がマスターの姿を探した。
だが、この中にはそれらしき姿は見当たらなかった。
「……?」
不思議に思って、やはり、もう一度周囲を見渡す。
だが、そこには誰もいない。
よく分からないが、今、ここにオレを召喚した筈のマスターはいないのか。
つまり、先程のオレの珍行動はみられていない──────。
「………ふっ」
オレの中に安堵の感情が湧きあがり、ほっと一息吐く。
……って、安心している場合ではなかった。
召喚されたと言うのにマスターがいないなど言語道断だ。
まさか、敵の姿も見えないし、今現在進行形で外で襲われているのではあるまいなっ
と、そこまで考えてオレが慌てた途端、外套の裾がひかれるような感覚がした。
訝しんだオレはその方向を振り返る。
「……何だ?」
振り返り、浮き上がっている外套の先端を辿る。
そこには───────でかいぬいぐるみがいた。
さっきのぬいぐるみである。
全長およそ70cm。
胸のあたりに赤いしみがついているが、学生服ぽいものを着ており、その顔は非常に間抜けである。
それは何やら困ったような顔をしてオレの外套の裾をくいくいと引っ張っている。
一度ごくりと唾を呑みこんだ。
そして、自己暗示をかける。
慣れたものだ。
「あーいあむざぼーんおぶまいそーど───────」
うむ、落ちついた。呪文はひらがなになってしまったが。
落ちついた所で、オレはそれに解析をかける。
おそらくぬいぐるみが動いている以上、何かのアイテムなのだろうが……。
何かグロいものが見えた。
「……まさか、これは生きているのか?」
あまりに信じがたい真実。驚きのあまり、オレはそれを掴んだ。
ぬいぐるみはそんなオレに焦ったような顔で暴れるが、それを無視して持ち上げ、つぶさに観察した。
触った感触は気持ちの悪い事に人肌で生温かい。
だが、ふにふにして気持ちいい。
つい楽しくて、ふにふにしていると、ぬいぐるみが何故か怯え始めた。
いやいやと身を捩って何か言っている。しかし、何を言っているのかよく分からない。
もしかして、発声器官が違うのだろうか。
オレは暫しそのぬいぐるみを抱えたまま考える。
「────────」
答えは出なかった。
だが、よく考えれば、そんな事はどうでもいい事である。
というより、このぬいぐるみの存在にあたって、オレにはもっと重要視しなければならない問題がある。
この世界でオレはオレ自身を抹殺できるか否かという問題だ。
召喚時、オレに聖杯から送られた情報は冬木の聖杯戦争のものだった。
だからこそ、オレはこの聖杯戦争はかつてオレが体験したあの第5次聖杯戦争だと確信したのだ。
けれど、今目の前にはオレの知っている世界にいるはずのない生命体がいる。
それが意味する事はどういう事か。
「ここはまったくの並行世界なのか……?」
焦燥がオレを襲った。
もし、この聖杯戦争がオレの知っているあの聖杯戦争とまるで別なものだとすれば……オレはオレを殺せない。
やっと望みが叶うと思っていたのに。
やっとこの無意味な存在に終止符を打てると思っていたのに。
口では表現しようがない絶望感がオレに襲いかかってくる。
ぬか喜びだった─────それが堪らなく辛い。
オレはその苛立ちに堪らず、舌打ちをした。
ぬいぐるみを抱えている腕にも必要以上に力が入った。
(いたい、いたいっ。お前何なんだよ、離せっ)
だが、突然脳裏に響いた声にオレは思わず、手を離した。
手の中にいたぬいぐるみがずとーんと床に落っこちる。
ボンっと埃が舞った。
オレはあまりの事にそのぬいぐるみを凝視してしまった。
床に落ちたぬいぐるみはその場で頭を抱え、ぶるぶると震えている。
どうやら、かなり痛いようである。
(何すんだ、お前っ!!)
ぬいぐるみが額に手を当てて、怒鳴った。
先程まで何を言っているか、分からなかったと言うに、どういう現象だ。
ぬいぐるみの声は頭蓋に響くように聞こえている。
しかし、そこでぬいぐるみは急に顔色を変えて叫んだ。
(おいっお前、うしろ─────っ)
その必死な様子に咄嗟に背後を振り返った。
───────そして、また、ぬいぐるみがいた。
今度は青い。何やら、赤い槍のようなものを持っている。
全長はおよそ90cmくらいか。こっちの赤毛のぬいぐるみより、若干大きい。
そいつは似合いもしないニヒルっぽい笑みを浮かべ、オレの前にいた。
なんだろう、ここはぬいぐるみの国か何かなのだろうか。
オレの中に呆れにも似た気持ちがせり上がってくる。
そして、先程までの赤毛のぬいぐるみ同様、こいつも何を言っているか分からない。
分からないから、じっとその青いのを眺めていると、そいつは何が腹立たしいのか、地団太を踏み始めた。
そして、ついに青いのは赤い槍をオレに向けて、迫ってくる。
蹴っ飛ばした。
すってんてんと青いのは転がっていった。
そして、青いのは何かを言った後、去っていった。
何だったんだ、あれは。
召喚早々、あまりの理解不能な事態にオレは力が抜けた。
また、外套を引っ張られた。
赤毛のぬいぐるみである。
「何だ」
疲れた声で聞いた。
(アンタ、何者なんだ?さっきのヤツと同じものだってのは分かるけど)
「私のどこがさっきのぬいぐるみと同じに見える?まったく別物だろう。むしろお前の方こそ、アレと同じ種族ではないのか?」
(なっ、なんでさ。俺は普通の人間だぞ。さっきのアイツはどう見ても人間じゃなかったじゃないか。それにアンタも人間とは違うものだろ)
オレの言葉にぬいぐるみは自分は人間だと非難の声をあげた。
どこがだ。どうみても、ぬいぐるみだろ、おまえ。
だが、突っ込む気力も無く、オレは溜息をついた。
オレは色々な意味でやる気を喪失した。生きた変なぬいぐるみがいるし、マスターは行方不明だし、衛宮士郎はいそうにないし。
何のために現界したんだろうか、オレ。
そんなオレに赤毛のぬいぐるみはまだ何かを言っているが、どうでもよかった。
とりあえず、オレは一度外に出る事にした。
すぐ傍にある入口から表に出る。
割と広い庭だ。そして、その向こうに武家屋敷と思しき屋敷が見える。
「──────────」
見たことがあるような気がした。
その事実に怖ろしいまでに嫌な予感が臓腑の底からせりあがってくる。
まさか……いや、そんな馬鹿な話は……。
オレは先程までの一連の現象を思い出してみる。
聖杯からこれがこれが冬木の聖杯戦争であると言う情報を得た。
召喚されたオレの傍にはあの赤毛のぬいぐるみがいた。
赤毛のぬいぐるみは赤いしみのついた学生服を着ていた。
赤い槍を携えた青いぬいぐるみに襲われた。
そして、この屋敷の外観────────。
オレは何かに突き動かされるようにぬいぐるみのいる方をを振り返った。
土蔵が見える。その土蔵の中に約70cmの赤毛のぬいぐるみが口元にドラえもんの様な手を当て、困った顔で立っていた。
ひたり──────と嫌な汗がこめかみを伝った。唇が渇く。
オレは凝視するようにそのぬいぐるみに見入った。
オレの脳裏に薄らとイリヤの持ち物だった不細工なオレのぬいぐるみの姿が蘇ってくる。
「ほらー、シロウ、シローウ!可愛いでしょ。セラに作ってもらったんだーっ!!」
満面の笑みを浮かべて、ぬいぐるみをオレに見せてくれたイリヤ。
あの赤毛のぬいぐるみはそれによく似ている───────。
「……………………」
き、気のせいだ、きっと!
ああ、気のせいに決まっている!
だが、無情にもぬいぐるみはオレに名前を名乗ろうとしたので──────、
(おい、アンタそういえば、名前は何なんだ、俺はえみ──────)
「聞かんっ!お前の名前など、オレは興味ないっ」
(な、なんでさっ)
──────全力で黙殺した。
こころなしぬいぐるみは傷ついたような顔をしたが、そんな事は些細なことである。
オレはこの場所から、全力で逃げ去る決意を固めた。
ぬいぐるみに背を向け、脱兎のごとく門を急ぐ。
しかし、それは唐突に現れた何かによって、阻害された。
飛びかかってくる小さな何か。
青いのや、そこの赤毛よりも小さい。
咄嗟にキャッチし、目の前に掲げる。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
アホ毛に金髪。
鎧を身に纏ったぬいぐるみがオレの腕の中でがあーっと暴れている。
このちびっこいぬいぐるみが誰なのか、瞬時に理解できて泣きたくなった。
そして、続いて現れる影。
幸いな事に今度は普通の人間の娘だった。
長い髪をツインテールにして、女学生の恰好をしている。
どこかで見たことのある少女。
彼女の姿を見た瞬間にどうしようもない程の懐かしさが込み上げてくる。
だが、同時に彼女は今のオレにとって、非情な現実を突きつける悪魔の化身そのものでもあった。
彼女は俺に一度目を向けた後、あの赤毛のぬいぐるみにトンデモナイことを言い放ったのだ。
「ふーん?衛宮くん、貴方もマスターの1人だったのね」
(遠坂っ!?お前っ、何で……)
頼む、これが夢なら覚めてくれ