(左 : 人身売買組織に狙われる少女 / 右 : 不審者を怪しまない少年 )
(バイエ・マクニール)


(左 : 路上で他人から誘惑される少女 / 右 : 拉致・監禁された子供)
(左 : 犯罪者について行く少女 / 右 : 変質者に拉致されてしまう少女)
(コリン・フラハティー)
(左 : 日本人が嫌う黒人のグループ / 右 : 一般人が怯えてしまうタイプの黒人)


(左 : 1960年代に人種隔離されていたアメリカの黒人 / 右 : BLM運動に邁進する怒れる黒人)
(アラン・ドロン)
(左 : ブルック・シールズ / 中央 : ダイアン・レイン / 右 : シェリル・ラッド)

(左 : ユアン・マクレガー / 右 : キャメロン・ディアス)

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2025年7月の参議院選挙や今年の総選挙では、移民問題を取り上げる参政党が話題になったが、主流メディアは外国人問題や大量移民の弊害を懸念する参政党を憎んでいた。参政党や日本保守党を恨む人間は、テレビや新聞以外にもいて、在日アメリカ人のバイエ・マクニール(Baye McNeil)氏も日本の“排外主義”を批判していた。
日本に長年住んでいるマクニール氏は、「ロコ(Loco)」という愛称を持つブルックリン生まれの黒人作家だ。彼は異文化や人種・アイデンティティ・多様性といったテーマでコラムや本を書いている。代表作の『Hi! My Name is Loco and I am a Racist』や『Loco in Yokohama』に続き、最新作の『Words by Baye, Art by Miki』では、日本人妻(藝術家の「ミキ」)との人生を描いている。彼は2004年に来日し、リベラル系の「The Japan Times」などでも記事を書いていたというから、どんな思考の人物なのかは、だいたい想像がつく。
在日作家のマクニール氏によれば、日本で広まる「排外主義」にはナショナリズムの他に、「(在日外国人は)隣人ではなく、管理すべき対象である」というメッセージが含まれているそうだ。しかし、こうした「管理」はアメリカやヨーロッパでも行われており、日本は無警戒で甘すぎるくらいの“お人好し国家”である。異民族がひしめくブリテンでは、街角の至る所に監視カメラが設置されており、警察やMI5(防諜組織)は国内の危険人物に目を光らせている。マクニール氏の本国アメリカでも同様で、観光客や在米外国人に対する監視は入念で、州警察やFBIはもとより、CIAやDHS(国土安全保障省)、ICE(移民・関税執行局)、DEA(麻薬取締局)までもが、24時間体制で住民を管理している。時には、それぞれの部局が不穏分子や犯罪者を摘発し、国民にバレないよう内々で処理する。
フォート・ミードのNSA(国家安全局)は、外国の情報までも“こっそり”摑んでいたし、アメリカ国民のプライバシーでさえも例外ではない。個人の電話やインターネット通信なんかは全て筒抜けで、企業や家庭の様々な会話が傍受されている。日本でもジェイムズ・バムフォード(James Bamford)の著書『The Pazzle Palace』(1982年)とか、『Body of Secrets』(2001年)、『The Shadow Factory』(2008年)などを読んだ人はいるだろう。アメリカやブリテンがやっている国民監視に比べたら、日本の外人管理なんて小学生のクラブ活動程度だ。地下鉄サリン攻撃があっても、オウム真理教に対して破防法を適用しなかったんだから。
マクニールが懸念する“排外主義的な言説”というのは、支那人や朝鮮人の観光客ばかりじゃなく、在留外国人すべてに影響を及ぼすそうだ。一応、マクニール氏はアメリカ国籍のパスポートを持っている。だが、その外見が黒人であるため、「疑いの対象」になるし、「より脆弱な立場」に置かれているらしい。確かに、我が国では相手の容姿により反応が違うけど、マクニール氏が日本人の態度に不満を抱くのは、不気味に見える黒人であるからだ。もし、彼が西歐系アメリカ人であれば、温かく迎え入れられたり、積極的に求められたりするだろう。アメリカ白人の留学生とか、在日米軍の父を持つ白人小学生に対して、日本人があからさまな嫌悪感を示すとは思えない。
マクニール氏が紹介するブレンダ・カネタ氏は、アメリカ出身の翻訳者で、日本に住んで28年になるそうだ。彼女によれば、全ての外国人が同じ体験をしている訳ではないという。「白人男性は最も影響を受けていないように見える。しかしメラニンが少し多かったり、女性であったりすると、問題になる」らしい。この「メラニンが少し多い」という表現じたいが、アメリカ人の“ポリティカル・コレクトネス”と言えよう。要するに、黒人の遺伝子が混じった南米のムラートやハイチ人、褐色のアラブ人とかモロッコ人、あるいはパキ人とかインド人、マレー人、ベンガル人みたいな種族のことを指す。
ユーラシア大陸と続いていない、ポツンと孤立した島国の日本人は、言葉や文化が違うアジア人やアフリカ人には慣れていないし、これといった興味も無い。だから、とつぜん黒人や南洋土人と接すれば、どう対応したらいいのか分からず、単に知らぬ顔で敬遠するか、不安感で警戒心を強めたりする。特に、普通の日本人は日常生活で黒人との交流を持っていないから、異質な人種に対して怯えてしまうのだ。素性の判らぬ黒いエイリアンでも、最初から偏見や警戒感を持つな、と言う方がおかしい。事件捜査の聞き込みで自宅にやって来た刑事に対し、応答する奥様や息子が、「不審人物とは具体的にどのような姿をしているのか? 」「“挙動不審な者”とか“怪しい人物”の定義は何ですか?」とは訊かないだろう。
1990年代、筆者が米国のNYに居た時、暇つぶしに映画を観に行ったことがある。チケットを買うため列に並んでいたら、背後から中学生くらいの白人少女二名が声を掛けてきて、保護者のフリをしてくれと頼んできたのだ。米国の劇場だと「R(鑑賞制限)指定」や「PG(親同伴)」といった制約があるので、「R-18」の映画だと18歳未満の者は入場や鑑賞ができない。例えば、古代ローマ皇帝を描いた映画『カリギュラ』は「R18」指定だし、ホラー映画の『Saw』やロバート・デニーロ主演の『Taxi Driver』は「R15」指定だった。「PG13(13歳以下は親同伴)」の映画だと、大ヒットになった『タイタニック』や日本映画のハリウッド版になった『ザ・リング』がある。
見知らぬ少女から頼まれた時、筆者は断ることが出来たけど、もし断れば別の者に頼むかも知れないから、即座に「OK」と答え、二人を連れて劇場に入った。しょうがないからコーラとポップコーンを買ってやり、一緒に映画を見たけど、帰るときには真剣な顔で注意した。「これからは決して知らない人に声を掛けたり、親切そうでも絶対について行くな! 特に黒人とかアジア人は何があっても駄目。人種偏見なんか気にするな! 親切そうな奴でも、連続殺人犯ただったり強姦魔だったりするから、決して気を許すんじゃないぞ!」と言い聞かせた。映画館の外が暗くなっていたので、タクシーを拾って彼女達に金を渡したが、その後、ちゃんと家まで帰ったかどうか分からない。
真面目に説教した時、二人は形式的に頷いたが、筆者は彼女達の親に腹が立った。いくら多文化・多民族主義の風潮があるとはいえ、未成年の少女が得体の知れぬ“よそ者”に自ら近づくなんて危険極まりない。子供の教育というのは、学校教師よりも親の躾けに重要性がある。たぶん、彼女達の親はリベラル思想の白人で、「黒人でも毛嫌いしちゃダメ」といいう平等主義者なんだろう。(昔ABCテレビが『Whta would you do?』という番組で人種偏見を咎める演劇を放送していた。) だが、異人種に対する警戒心を持たせていないのは愚かだ。治安の悪いメキシコやコロンビアだと、安易に他人を信じる者は子供でもいないぞ。
マクニール氏のような黒人は、日本人による人種差別や偏見に激怒するだろう。だが、社会の平穏と子供の安全を考えれば、人種偏見の害悪なんてどうでもいい。筆者は米国で日本人に対する偏見があってもいいと思っている。人種差別が厭なら、米国や歐州に行かなければいいだけ。普通の日本人はソマリアとかコンゴ、リビアなんかに行きたくないし、支那や北鮮に旅行できなくても困らないだろう。「ヒッチハイクで世界旅行をしたい!」と考えるのは、ペンギンと同じくらい無警戒な日本人だけである。
アジア大陸からの異邦人が増えると、日本人が想像しなかった事件や事故が増えてくる。日本の親はまだ実感していないが、世の中には卑劣で残酷な事件が多く、子供の拉致・誘拐でも珍しい犯罪ではない。例えば、学校から家に帰る途中の小学生が、いきなりワゴン車に押し込められ、そのまま行方不明になるケースもあるのだ。子供の帰りが遅くなり、心配する親がいるけど、直ぐに拉致事件とは思わない。身代金の要求もないから、何処かで事故に遭ったのかと心配する。まさか、人身売買の仕入れ業者に拉致され、臓器売買や児童売春が目的だとは考えないから、ただ不安に思うばかり。
(左 : 路上で他人から誘惑される少女 / 右 : 拉致・監禁された子供)
身代金目的の誘拐も増えてくるから、令和時代の親は真剣に家族の安全を考えた方がいい。悪党どもは15歳か17歳の女子高生を手下にすることもあるのだ。金銭で不良少女を仲間にし、ゲーム・センターで遊ぶ小学生や中学生を勧誘させたりする。幼い子供は10代の少女に警戒心を緩めるから、雇い主の悪党が潜む駐車場までついて行くこともあるし、別の日に待ち合わせをし、そのまま連れ去ることもあるのだ。
また、大勢の人々が集まる百貨店やショッピングモールも危険で、母親に見える女性が子供を拉致することもある。たとえ標的にされた子供が騒いでも、周囲の客は駄々を捏ねる子供としか思わず、泣き叫ぶ子供を助けようとしないのだ。呑気な日本人は女性が兇悪犯の仲間とは思わない。多民族社会になると、一般人は「他者に干渉しない」という意識を強くするので、外人の親子が奇妙な言葉で騒いでいても振り向かないし、電車内や店内で騒動が起きても、他人を助けようとはしないのだ。もし、インド人の悪党が、ビルマ人の子供を連れ去ろうとした場合、周囲の日本人は事情が摑めず、そのまま見過ごしてしまうこともあるのだ。「多民族共生社会」を推進する大学教授や政治家は、こうした危険性を理解しているのか?


(左 : 犯罪者について行く少女 / 右 : 変質者に拉致されてしまう少女)
もちろん、外見だけで異人種を警戒するのは良くないが、何らかの犯罪に遭ったり、危険な状況に陥るよりはマシだろう。そもそも、「prejudice(先入観・偏見)」というのは、「予めの判断」を意味するから、「怪しい」とか「不安」と思うものには、予め避けるといった判断にすべきだ。例えば、何らかの祭りやイベントで黒人の群れを見つけたら、子供連れの親は近づかないし、出来るだけ離れようとする。大勢の黒人が集まると、ひょんな事から口論や喧嘩が始まり、大乱闘や破壊暴動へ発展することもあるからだ。
これは人種偏見になるけど、被害に遭ってからでは遅すぎる。人種偏見を糾弾する左翼は責任を取らないし、政府だって被害者に医療費とか器物損壊の賠償金を与えないから、平等主義に染まった人々は“後の祭り”で後悔するだけだ。日本の大学教授は決して紹介しないが、黒人問題を取り上げたジャーナリストのコリン・フラハティー(Colin Flaherty)の『White Girl Bleed A Lot』や『Don't Make Black Kids Angry』を読めば、黒人による犯罪が如何に兇悪かが判るし、黒人問題を専門的に取り扱うポール・カーシー(Paul Kersey)のウエッブサイト「Stuff Black People Don't Like」には様々な事件が紹介されているので、彼の記事に目を通せばアメリカの深刻な社会問題がよく解る。
ヨーロッパ人だって様々な有色人種問題に遭遇している。実際、ドイツでは花火大会や大晦日のイベントで移民による強姦事件が発生したし、フランスでは抗議デモのついでに掠奪や放火事件が起きている。アメリカでも人種問題には敏感だ。ある駅で引ったくり事件が頻発し、駅員が乗客に注意を呼びかけたことがある。だが、駅構内には監視カメラがあって、容疑者の人相や人種が判っていた。しかし、犯人らしき男が黒人だったので、駅長は人種の発表を意図的にしなかったという。つまり、乗客の安全や金品の被害よりも、黒人への配慮や忖度が優先されたのだ。


(左 : 日本人が嫌う黒人のグループ / 右 : 一般人が怯えてしまうタイプの黒人)
エプシュタイン事件だって本質的には「ユダヤ人による組織犯罪」なのに、CNNやBBCといった主流メディアは、絶対にユダヤ人によるハニー・トラップとか幼児虐待、人身売買、悪魔崇拝と明言しない。特定の民族性には触れず、大富豪や有名人を巻き込んだ変態の集団として扱っているのだ。ユダヤ人による害悪は、他民族のレベルを遙かに超えているが、それを口にする者は社会的に抹殺されるので、大半のアメリカ人は黙っている。一方、同じ「少数派(マスノリティー)」である日系アメリカ人は、「ADL」や「AIPAC」の如き強力な人権団体やロビー団体を持っておらず、連邦議員を恐喝できるような権力も無いし、ホワイトハウスを動かす程の財力も無い。ショウビズ界やアカデミック界でも、日系アメリカ人の影響力はほとんど無く、吹けば飛ぶような存在である。
日常生活で観られる日本人の人種偏見
(左 : 1960年代に人種隔離されていたアメリカの黒人 / 右 : BLM運動に邁進する怒れる黒人)
20年近く日本に住んでいるマクニール氏には、時折、バスや電車の中で不愉快な差別を経験することがそうだ。電車のドアが開き、大勢の乗客が席を埋め尽くすが、マクニール氏の隣は“空席”のままだという。彼は日本人の無意識的な人種差別に驚く。
よくあることだが、私の隣の空席は、まるで規制線が張られた犯罪現場のように、誰も座ろうとしない。私は人々の視線と、その空席そのものの両方を無視しようとした。(バイエ・マクニール「『電車で私の隣だけ空席に…』在日外国人が長年傷つき、時に笑い飛ばしてきた"空気"の正体」東洋経済Online、2025年10月1日)
しかし、マクニール氏の隣に誰も坐ろうとしなかった時、4歳か5歳くらいの小さな女の子が空白の席を見つけ、無邪気に駆け寄ってきたそうだ。ところが、この少女が腰掛けようとした瞬間、母親が「ダメ!」と叱りつけ、娘を引っ張り戻したそうである。もちろん、少女の周りには“危険なもの”は一つも無かった。“黒人”のマクニール氏を除いて。彼と目が合った少女が何を思ったのか誰にも判らない。ただ、マクニール氏には少女の気持ちがちょっとだけ分かったようだ。注意された少女は肩越しに、“ちらり”とマクニール氏をみたそうで、何かが分かった表情であったという。「彼女はもう二度と、外国人の隣に座ることはないだろうし、その理由を問うことさえしないかもしれない」とマクニール氏は推測する。
確かに、他人の体と接近する電車の座席は、ある意味、気まずい状態というか、緊張する瞬間という場合もある。もし、マクニール氏が黒人ではなく、麗澤大学のジェイソン・モーガン(Jason M. Morgan)准教授や元海兵隊のロバート・エルドリッジ(Robert D. Eldridge)博士、漫談藝人「厚切りジェイソン」(本名: Jason David Danielson)のようなアメリカ白人であれば、少女の母親も違った対応になるかも知れない。それに、流暢な日本語で少女や母親に語りかければ、警戒心の強い日本人親子も安心するだろう。在日のアメリカ黒人からすれば「白人だと態度を変える日本人はレイシストだ! どうして外見だけで優遇するのか!」と腹立たしくなるだろう。
だが、世の中の凡人は、何らかの印象や偏見で動き、それを自覚しないまま生活をしているのだ。様々な企業が有名人を使ってTV広告を出すのは、一般消費者に何らかのイメージを植え付けるためである。例えば、1980年代、「カネボウ」はハリウッド女優のブルック・シールズ(Brooke Shields)に大金を払って自社製品のモデルになってもらったし、「マックスファクター」は女優のダイアン・レイン(Diane Lane)を起用していた。平成後半から日本回帰になったから、資生堂みたいな化粧品会社は、北川景子や吉瀬美智子をイメージ・モデルとして使うようになった。酒造会社の「サントリー」もブランデーの「V.S.O.P.」を売り出した時、『チャーリーズ・エンジェル』に出ていた女優のシェリル・ラッド(Cheryl Ladd)を使っていたし、アパレルメーカーの「D'URBAN」は、背広の宣伝に名優のアラン・ドロン(Alain Delon)を用いていた。



(左 : ブルック・シールズ / 中央 : ダイアン・レイン / 右 : シェリル・ラッド)
しかし、口紅や化粧水を買う一般女性や高級なスーツを買う中年男性は、広告モデルとは懸け離れている。筆者が知っている化粧品の訪問販売員、綽名は「ジャミラ」というオバちゃんだけど、なかなかの販売成績であった。一般の奥様が相手だと、絶世の美女よりも、自分と同等か、ちょっと劣る中年女性の方がいい。つまり、“親しみやすさ”が沸いてくるのだ。たとえ、平凡な人相の女性でも、化粧の仕方で見違えるような顔に変わることもあるので、ちょっとくらい値段が高くても、良質な化粧品を求める女性は結構多い。
一方、中高年のオッさんば違う。例えば、何らかの新製品、最新鋭の浄水器とか健康器具などを販売する場合、若い美女を訪問販売員にした方がいい。中年男性のセールスマンだと門前払いになるが、元B級モデルの女性販売員だと、「一応、話だけでも聞いてやるか」という気持ちになる。会社経営者のオッさんだと、美人販売員は社長室に通してもらえるし、商品の説明だって聞いてもらえたりする。英会話スクールの講師だって、黒人男性よりも白人美女の方がいいし、白人教師の方が就職率や給料が高いといった場合もある。宣伝ポスターだって、女優のキャメロン・ディアス(Cameron M. Diaz)やユアン・マクレガー(Ewan McGregor)を起用したじゃないか。
とにかく、日本で不愉快な経験をしたアフリカ人やアジア人は、無意識敵に外国人を毛嫌いする日本人を咎めるが、それなら「お前の祖国はどうなんだ?」と訊きたくなる。インドやビルマ、フィリピン、支那、アフガニスタン、パキスタンは平等主義が“当たり前”の国家なのか? タイ人やインド人と結婚した日本人女性は、亭主と一緒に我々のレイシズムを非難するが、こうした日本人妻は亭主の故郷に移住し、日本国籍を捨ててタイやインドの国籍を取得するのか?
1980年代のバブル期には、フィリピン人酌婦(所謂「ジャパゆき」さん)と内縁関係になったり、再婚したりする日本人男性がいたけど、こうした日本人亭主は、決してフィリピンに移住しなかったし、現地で帰化することもなかった。日本人の父親は日比混血児に対する嫌悪感や学校でのイジメ、日常生活での人種差別に文句をつけいたが、そのくせ、日本人亭主はフィリピンを劣等国と見なし、現地人を対等な人間とは思っていなかった。女房がフィリピンの実家に仕送りをする度に不満を漏らしたり、女房の両親や兄弟姉妹を“格下の人間”と見なしていたのだ。
日本に住む黒人は、日本人の差別意識に腹を立てるが、それなら億陣だらけのギニアとかケニアに住めばいいじゃないか! どうして人種偏見がある日本に住み続けるのか? 日韓併合以来、我が国に住み続ける在日朝鮮人は、事ある毎に「朝鮮人に対する民族差別は赦せない!」とか「日帝の植民地政策を謝罪せよ!」と喚(わめ)く。ところが、彼らは嫌いなはずの日本に親子代々住み続け、在日3世や4世は帰化申請をしたりする。「南京大虐殺」を非難していた支那人も、矢鱈と日本国籍を欲しがり、極悪非道の日本へと留学したり、観光地のホテルや水源の土地を買い漁ったりする。外国人から「排外主義者」と非難され、反論せずに萎縮する日本人は、やがて自分が差別されるとは思っていないのだ。未来永劫、子々孫々、日系日本人が国家の主人で、政治や経済を左右する主役だと信じている。将来の弊害を予防しない民族は、危険を察知しながら没落して行く。日系日本人の致命的な欠点は、「自分が生きている間だけ幸せならいい」という考えに染まっていることだ。
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コメントを有り難うございます。バイエ・マクニール氏の見解は、一部の外国人が持つ色々な感情を代表したものなんでしょうが、掲載されたのが「東洋経済」という有名な経済誌なので、信用する人も多いと思います。
マクニール氏は常連のコラムニストらしく、様々な文章を投稿しています。例えば、「ダウンタウン」の浜田氏が、黒塗りの顔で出演した時、彼は日本人の人種差別と排外主義を指摘しましたが、こうしたコメディーは何処の国にもある。もし、日本の藝人が金髪のカツラを被ったら、歐米人への侮辱となるのか? オランダのクリスマスでは、サンタクロースのお供として「黒いピーター(Zwarte Piet)」がお祭りに現れます。現地のアフリカ人やスリナム系国民は憤慨しますが、オランダ人からすれば、よそ者による自国文化の否定に思えてしまいます。
マクニール氏にとって、日本は異文化・異民族の国である。気に食わない日本人がいるなら、現地人(日本人)を批判するより、彼と同じ種族が暮らすアフリカで暮らした方がいいと思います。もし、彼がアフリカへの移住を嫌うなら、それもある種の差別になるのでは? 黒人にも様々な差別意識や嫌悪感があるので、日本人を殊さら責めるのは間違っている。