発達障害のレッテルに囚われた世界
私がカウンセラーを目指し、心理学を学んでいた25年前、「発達障害の認知度が高まれば、世間の人の理解が深まって、生きやすくなる人が増えるんだろうな。」と気楽に考えていました。
一児の母となった今、発達障害への認知度は爆発的に高まっており、保護者や学校、SNSでも、毎日のようにその話題が出ています。が、その内容は25年前の淡い期待を大きく裏切るものでした。
「自分の子供は大丈夫か。発達障害なのでは。」と心配する親御さんの多さ。SNSのプロフィールに「子供に特性あり」「子供がグレー」と書いておられる方の、なんと多いことか。
もちろん私も、「自分の子供に問題はないか」と日々不安に駆られる親の一人なので、気持ちはわかります。
しかし
「発達障害を誤解している人があまりに多い気がする。」
「発達障害とひと口に言っても、要素自体は多くの人にあるし、あくまでも症候群なのに。総合的に見て日常生活に支障があるか否かで、困っているなら問題改善しようねというだけの話なのに。なぜ呪いのレッテルのように扱うのだろう。」
「診断名と切り離してその人自身の中身を見て欲しい。診断名は特徴を知る為の占いくらいの軽い気持ちで扱って欲しい。」
「まるで、特性がある事が悪いことみたいだ。」
と、ずっとモヤモヤしていました。
ただ、親心として心配になる気持ちはよくよくわかるので、そこまではまだよかったのです。
一番問題に感じたのは、幼稚園・保育園・小学校の先生たちが、何かしら問題行動のある子を、素人診断で発達障害扱いすることでした。
しかも、そこまで心理学や精神医学の知識がないのにも関わらずです。
そのせいか、今、日本の通級・支援級には、グレーの子が殺到し、大変倍率が高い状況になっています。
特に、小学校の先生が、素人診断で問題行動のある子の保護者にすぐ通級・支援級を勧めている現状を目の当たりにした時は、絶望感すら覚えました。
芸術分野や研究者・起業家タイプの人には、特性がある人が大変多いです。
グレーの子が全員支援級に行った場合、お友達の幅も減り、成長の可能性が狭められます。このままでは芸術家、研究者、起業家は絶滅するのではないでしょうか。
特に、大学に進学しないとなりにくい研究職は、激減する可能性があります。
支援級は、一度入ったら、普通級に戻れる可能性は低い現状があります。大学に辿り着く確率が低くなれば、日本の研究界に天才は現れなくなると危惧しています。
早期発見で子供を支援するのは、子供に余計な苦労を減らす意味で、もちろん重要です。
通級・支援級も、本当にその子の特性に必要なものであれば、入った方がいい場所です。
しかし、知識もあまりない先生が、自身の尺度で即座に通級・支援級を勧めているケースを見ると、とても違和感を覚えます。
発達は、長い目で見る必要があるものです。
小学校で一番背の低かった子が、高校で急激に背が伸びる事があるように、社会性や学習への興味は、いつグッと成長するかわかりません。グレーの子に関しては「発達障害」とは決めつけず、今困っている事へのサポートはしつつ、経過を見る必要があります。
そもそも、今の日本の教育は軍隊式の全体主義教育です。発達障害か否かに関わらず、個人主義の性格の子は必ずはみ出た行動をします。また、担任教師との相性もあるでしょう。
心理学や精神医学の知識のない教師が、全体主義教育からはみ出た子を次々と普通級から追い出していては、天才の芽まで摘んでしまいます。
また、SNSを見ていると、発達障害の認知度が高まった分、差別も激増したと感じています。Xにはよく「発達障害」がトレンド入りしていますが、その多くが「発達障害は迷惑」「障がい者を産むな」と悪意に満ちたものが多いです。
発達障害か否かに関わらず、誰にでも問題や欠点はあるものなのに、「発達障害」の言葉が一人歩きし過ぎている。
しかも、悪いものとして。
こうした現状の中、学校で先生が問題行動のある子を素人診断で発達障害扱いした場合、その子は周りからどういう扱いになるでしょうか。
「”悪い種子”という決めつけが子供を傷つける」というタイトルの記事を、最近読みました。
世界中の人に言いたい言葉です。
どの生物もそうであるように、人間は時と共に変化します。
今問題がある子が、ずっとそのままでいる訳ではありません。
あなたの接し方次第で、変化の仕方も決まるのです。
目の前にいる人を、発達障害と決めつけてはいませんか?
自分の尺度で決めつけることで、その人の可能性を奪ってはいませんか?
「発達障害者は迷惑」と言う社会は、天才を潰し、衰退します。
何かひとつの尺度に囚われず、ひとりひとりの様々な面をじっくりと見て、長い目で向き合って欲しい。私もそうしていきたい。
世界中の人に、そう願ってやまない日々です。


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