繊細電力

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繊細電力
@teng0515
自身が鬱|精神疾患のポスト多め|明るい虚無主義|どうせ死ぬ|その他の活動→【音楽】【漫画】【詩】【お笑い】【サブ
死にたい方への動画→youtu.be/FCUNrf7BR24

繊細電力’s posts

鬱の、「意識があるだけでつらい」という感覚、鬱でない人間からはなかなか理解されづらい。
「自殺ができないから仕方なく生きている人」と、「健康で毎日めちゃくちゃ楽しい人」が同じ組織で働かなければならない世の中、おかしすぎる
「つらい経験をしたから今がある」みたいな言葉は、呪いですよ つらい思いなんて、できるだけしない方がいいに決まっている つらい思いなどしなくても今はあるんです
なんか最近、ツイッターで顔のかわいい異性を見ても、ハァ?と思うだけなんですよね、付き合えるわけでも、セックスできるわけでも、愛されるわけでもないのに、私が見ているこの承認欲求顔ドアップツイートは、いったいなんなんだ、この時間は何を生むんだよ、となるだけです
最近、本当に死んでしまってもいいなと思うことが増えてきた 死にたいという感情を越えて、何もない晴れた日などに、死んでしまえそうな気がすることが多くなった 死ぬことに対して、恐怖だとか、心残りだとか、そういったものも薄れてきたように感じる よくない傾向なのかもしれないが、果たして
「生きているだけで不安なんです」と伝えたら、健常者に「意味が分からない」と言われてしまった
私と付き合ったらこんな時間にクソ美味パスタをパパッと作ってあげられるのに、全世界の女は何をしてるん?
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鬱でない人間に、「意識がある時間、ずっと死にたい」というあの感覚は、理解できないのだろう
「人生、やり直せる」じゃないんですよ やり直さないんですよ 全部もう、それでよかったんだ、それしかなかったんだと正当化してしまうんですよ
どうせ死ぬのに、人は物件を探すし、学校に入学するし、食事をするし、ドラマを見るし、金を稼ぐし、どうでもいい友達と遊ぶことで、暇を潰すし、悩むし、自傷するし、テレビのリモコンの電池を替えるし、捨てられた空き缶をチラッと見ては、そのままで帰るし、歯医者に行く、どうせ死ぬのに!
もう死にそうな叔母に、「食って寝て、今まで何十年も生きてきた意味がありましたか?」と問うたら、「ううん、無いね」と答えてくれた
なぜ生きるかって、それには確かな回答が一つだけあって、それは「死ねないから生きる」ということなんですよね よく浅い識者が「人のために生きる」とか、「好きな目標のために生きる」などという、この問いの回答めいたことを言うのだけれど、それはそれに価値を抱かない人にとっては回答にならない
鬱が深い時、どうしてあんなにも死にたくなるのだろうか 死んだら楽になるからだとか、そういった物理的な理由ではなく、とにかく命を絶ちたいという明確な、理由のない純粋な希求があの時間帯には確かに存在する なぜ踊りたいでも、歌いたいでもなく、"死にたい"なのか
誰に会っても、何をしても、どこに行っても、どう生きても、もう心が踊らないことを、骨の髄まで知っている これほど虚しい人生があるだろうか
明らかに生きづらそうな人でも生きているのを見ると、皆生きるしかないのだなと思い、苦しくなる。
誰かが自死した時に、「信じられない」というようなコメントをする、まるで生きていくことが当たり前であるかのような人々の態度が怖い
「誰も傷つけていない」という態度が、いかに暴力的か。 我々は生きているだけで、常に誰かを傷つけている。
ミセ◯グリーンアップルや緑◯色社会を聞いて"元気がもらえ"てしまう連中と同じ業務に従事しなければならない。
「私を好きな人は、本当にセンスがあると思う」という意識を、全ての人間が持てたらいいね
自殺をせずに生き続けることも、自殺をすることも、極めて困難なことであって、我々は日々、この極めて困難な二択の問いと対峙せざるを得ない運命の中にいる
人に対して、イラッとしてしまう周期と、もしかしたらこの人、いい人なのかもしれないと思ってしまう周期、確実にあるな
たまに鬱が楽になる時があるが、次の鬱に耐えられるか試されているようで、逆にこの時間が憎い
幸福って、本当に精神状態のことだな 幸福とされていることをしている時や、幸福とされている環境にいても、精神状態が良くなければ、それは決して幸福ではない 逆に、何も持ってなくても、何も成してなくても、精神状態が良いなら、それは幸福だ 精神状態が全ての我々にとっての幸福ではないか
人間関係、いいねを付与し合うだけで充分だなと、つくづく思う 踏み込みすぎるから面倒なことが起こるんだ
結局HSPに向いていることって、単純作業というか、人と関わらない仕事なのであって、それらはほとんど低賃金なんだよな もう"HSPは障害ではなく、特性です"っていう言葉は、単なる暴力だよ
みなさんに驚愕のご報告なのですが、健常者、「基本的に毎日生きてるだけで楽しい」らしいです
「どうせ死ぬけど、今この瞬間の喜びを、刹那的に楽しめたら充分だ」という思想になれたら、どれだけ楽だろう
鬱病をモチーフにしたRPGで、最初の村にいる男「お前、頓服も持たずに草むらに行くのか?」
狂った環境にいたら、それが正しさだと思い込んでしまう。 それの最も小さい単位が、"家族"です。
知識が豊富な人と、感受性豊かな人がこの世にはいて、初めての人と会話をする際には、前者の人の方が圧倒的に有利であるという風に強く思う 初対面では、感受性の交換ではなく、知識の交換で会話が行われることが多いためだ だから後者は総じてコミュ症と言われるのだが、私はいつも腑に落ちない
安易に「人に期待しない方が楽に生きられる」などと叫ばれるが、これは極めて困難なことだ
どうでもいいんだよ 人として善くあろうとか、他者に優しくしようとか、本当にどうでもいい 山で1人で暮らしていると、今夜の晩飯はああしようとか、明日はあの野菜を抜こうとか、そんなことを考えているだけで命が消耗していく 本当は他者なんて存在しないのだということに気づく
スーパーで朝働いていた女が夜もいたので、「どんなシフトなん?!」と声に出して言ってしまった
ニートでもいい、独身でもいい、子どもを産まなくてもいい、犯罪者でもいい、学校に行かなくてもいい、人に優しくしなくてもいい、自分だけが得をしたいと考えてもいい、死んでもいい 全て洗脳なんだから あらゆる基準は、人間が決めただけで、本来地球には"無い"んだよ