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The Works "俺には、○○な男が居る。" is tagged "槍弓" and "現パロ".
俺には、○○な男が居る。/Novel by するめ

俺には、○○な男が居る。

16,693 character(s)33 mins

サラリーマンパロ槍弓です。
勢いだけで書き上げたものなので、後日修正やら加筆やらするかもしれません。

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俺、ことクー・フーリン・L・アルスターには、嫌いな男がいる。


嫌いならば避けて通るのが基本だ。嫌いな食べ物は避けるし、苦手なものには極力触れない。そりゃ全く触れ合わない、というのは無理かもしれないが、極力距離を置いて平穏無事に過ごすよう努力をする。別に無理に親しくなる必要も、友人になる必要もない。
そう。
それがただの学友なり隣人ならそうできた。
けれどその男は俺にとっての上司、というやつで。しかも運の悪いことに直属の、という枕詞がついたりする。

長身であると自負している俺よりも少しだけ、ほんの少しだけ高い身長に、無駄についた筋肉。デスクワークを主としている筈なのに、どんだけ無駄に鍛えてんだ。くそ。
焼いているのか自前のものなのかわからない褐色の肌に、嫌でも目を惹く真白い髪。そうしてそれらを携えても尚引けを取らぬ甘いマスクと来た。
何だそれ。何だそれ。
設定盛りすぎのゲームキャラじゃないんだぞ。

と、ここまででは特に嫌う要素はない。多少モテているのが鼻につくぐらいで、忌避すべき点は何もない。
そう。俺がこの完璧超人にも見える上司を苦手とする理由はたったひとつ。

細かいのだ。本当に。

やれ書類の書き方から管理の仕方まで、あれやこれやと何癖のように文句を垂れられれば嫌にもなるだろう。まるで全てを管理される子供時代に戻ったかのようでいい気はしないし、箸の持ち方まで注意された日にはお前は俺の母ちゃんかと言いたくなった。
そのくせ自分はまるで欠点知らずと言わんばかりに完璧で。デスクはいつもすっきりとしているし、業務の遂行や管理も完璧。何なら部署全員の提出書類や関連書類を覚えていて、期限の三日前から催促が始まるぐらいだ。
期日までに出せば文句はないだろうに、本当に小うるさい。

あぁもう言っていて本当に面倒だ。
どうして社会人になってまで名前の書き方で文句を言われねばならないのか。
名刺の管理をあそこまで細かくしてきされないといけないのか。
全部の部署に挨拶に行く必要なんて本当にあるのか。

そんなわけで。
俺、クー・フーリン・L・アルスターは、上司であるエミヤ課長のことが、大嫌いだった。



「それじゃあ、お疲れ様。君たちもあまり遅くまで残らないようにな」
「はい、課長もお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」

カチリと秒針がてっぺんを指して午後七時になると同時に、我が課の課長は颯爽と帰路につく。雨の日も風の日も変わらず、きっかり七時だ。

「っしたー」
「アルスター、人に物を言うときは目を見てしっかり言いたまえ。そんな挨拶ならない方がましだぞ」
「……ッ。………お疲れ様でした」

しまった、と思った時にはもう遅い。パソコンのキーボードを叩きながらおざなりにした挨拶は、案の定小言に絡め取られて自分の元に舞い戻ってきた。畜生。こんなことなら言わなけりゃ良かった。けれど、それはそれできっと何がしかを言われたことだろう。
あぁ、本当に腹立たしい。
俺達部下はてめぇのストレス発散の道具じゃねぇぞ。

「貴方は本当に凝りませんね」
「……何がだよ」
「いいえ。何でも」

隣のデスクで同じように資料を睨んでいた同僚のセイバーが、こちらを見ながら何とも言えない顔で溜息を吐いた。何だよその顔は、と言いたいが今はこちらの仕事が優先だ。
課長が帰ったことで一気に帰宅ムードの高まったオフィスに、一人取り残されるのは御免だった。

「あー、エミヤ課長の下って本当楽だわー。無駄な残業とかしなくていいし」
「課長がさっさと帰ってくれるからこっちも楽だしね」

そんな声にも、思わず舌打ちをしたくなる。何が楽なもんか。あいつがさっさと帰るせいでこっちは確認書類の判子が滞るってのに。

「それは貴方が提出ぎりぎりまでやらないからでしょう。少し前に出せばその日のうちに終わったものを」
「うるせー!期日内なんだから問題はないだろうが」
「問題がないように課長がしてくれてるんですよ。全く」

金の髪をさらりと揺らしながら困ったように笑った同僚は、それではお先に、と何の感慨もなくあっさりと帰って行った。
ちょっとぐらい手伝ってくれたっていいだろうが。
そう言いたい気持ちをぐっとこらえて、ひたすら画面とにらめっこを続ける。
これをこうして、ああして。あぁでもないこうでもないと頭を捻りながらキーボードを叩き続ける。

「……できた…!」

そうして書類が完成した頃には、オフィスには誰も残っていなかった。
正確には、他の課にはまだ人は居る筈だ。エミヤ課長の居るこの課だけが異常に帰りが早い、というだけのことで会社自体はまだ動いているし、働いている。
それでも部屋の中ががらんとしている様は、何というかこう、少しだけ寂しかった。

「終わったかね」
「おわ…っ!」

普段より少しだけ肩を落として帰り支度を始めようと席を立った途端、後ろから声を掛けられて思わず変な声が出た。びくつくまま流れるように振り向けばオフィスの入り口、半開きのドアにもたれるように、エミヤ課長が立っていた。

「終わったのなら寄越したまえ」
「…は、……え……」

カツカツと無駄に長い脚を動かしながら、朝出社したときのように自分のデスクに向かっていく。
何故。何故。そんな疑問にも応えるつもりはないらしい。
その指がひらりと宙を掻いて、早く寄越せと催促をされる。あぁ、これか。と、印刷したばかりの提出書類に視線を落とした。

「ほら、君も早く帰りたいだろう」

そんな言葉に促されて、数枚の紙を手渡す。静寂の中、パラパラと捲られる紙の音だけが響いた。
最後まで確認し終えたのだろう。ゆっくりと顔を上げた課長の視線がこちらを向いて、射抜くようにまっすぐ見つめられる。夕日の赤を受け止めた瞳は、元の色と相まって少しだけ鈍い。

「アルスター」
「…っ」

優しい、声だった。
労わるような、慈しむような、そんな声音だった。
だから、少しだけ気が弛んだんだ。

「再提出」

一瞬、何を言われているのか理解できなかった。瞬き一つの間にいつもの無表情に戻った課長が、ギッと椅子を鳴らしながら立ち上がる。そのまま数歩。
バサッ、と俺の机に書類を戻し、低い声で「お疲れ様」と言いながら課長はオフィスを去って行った。

後に残されたのは俺と、この数時間を俺と戦い抜いてきた書類。

「――――――――ッ!!」

何度でも言おう。
あんな男、大嫌いだ!!



「それは貴方のためにわざわざ戻ってきたのでしょう」
「はぁ!?何でわざわざ」
「貴方が未だ書類に手を付けていなかったことも、再提出になることも全部お見通しだからですよ」

はむ、ともう何個目だかわからない菓子パンに齧りついたセイバーは、頭頂部からぴょこんと飛び出た毛を揺らしながら頬を膨らませている。
聞き捨てならない。俺にために戻ってきた、だと。どうしてそんなことをする必要があるというのだ。

「だから、貴方の書類が提出期限に間に合うように、でしょう。事実、昨日のうちに再提出を食らっているから今日やり直すことが出来る」
「あいつが重箱の隅をつつくようなやり直しを要求してくっからだろ…!」
「それでも、やり直しはやり直しです」

セイバーの言うことは確かに一理ある。現にそうした催促のおかげで、これまで提出期限を過ぎたことなど一度もない。どれだけ再提出を食らっても、手直しを要求されても、なんだかんだと全て間に合わせてきた。
ただ、それでも納得が出来るわけではない。そもそもその場で言えば済む話だし、もっと言うならそんな細かいことを言わなければいいだけの話だ。

「……貴方、その場で課長にそれを言われて素直に直しますか?」
「……………いやまあ、そりゃ少しは反抗すっかもしれねぇけど」

呆れたように、でしょう、と溜息を吐くセイバーが袋から新しい菓子パンを取り出す。おい待て、本当にそれ何個目だ。

「貴方の性格も彼にはお見通し、というわけです。ランサー。諦めて再提出に応じなさい。そもそもどんなに小さかろうとミスはミス。それを甘やかして欲しい、などと言うつもりなのですか、貴方は」
「……っぐ」

そういうつもりは、ない。無論、仕事は仕事だ。やるべきことはやらねばならないし、与えられた仕事はきちんとこなさねばならない。
わかっている。
わかってはいるが。

「…にしたって細かすぎんだろーがよ…!うちの課の書類の再提出率知ってるか!?社内トップだぞ、社内トップ…!経理課の書類より通りにくいって、それちょっと問題あるだろ…!!」

ただの経過報告書類が金勘定の紙切れより厳しい目で見られているのはおかしくないか。
そう訴えたところでセイバーは、さぁどうでしょう、と言うだけで、決して味方にはなってくれない。

あぁ、俺の社会人生活はこんな筈じゃなかったのに!

今月一体何度目かもわからない絶叫を、拳を握りしめて心の中に押し殺した。



そんな中、転機と言うものは急に訪れるもので。

「……は、……異動……?」
「あぁ。まだ正式な辞令ではないんだが、次の人事で私は異動だ。支店に出来る新しい部署のマネジメントを頼まれていてね」
「はぁ…」
「そうなれば私は晴れてお役御免だよ。もう君に細々とした文句を言うことも無い。君にとっては苦々しい時間だったろうが、あとほんの少しだ。よろしく頼むよ」

一体何がどうなっているのかわからないが、どうやら俺と課長が共に仕事をするのはあと少しのことらしい。今しがた報告書類の再提出を食らって憤慨していたというのに、その気持ちがころんとどこかに落ちてしまった。
そうか。あと少し、なのか。
少しだけはにかんだように笑う課長の顔を、どこかぼんやりと眺めた。



それからの日々はあっという間で。
あっさりと。本当にあっさりとエミヤ課長は異動になってしまった。新しくきた上司は課長のように細かいことをネチネチと言うことも無く、鷹揚に構えた穏やかな人物だった。
そのまま数ヶ月経って。一年経って。二年経って。
風の噂で課長が本社に戻ってくることを知った。
その頃には俺にも部下が出来ていて。いつかの課長と同じように、提出された書類を突き返す仕事をするまでになっていた。

「ここと、ここと…ここ、だな」
「……あぁ…っ」

残念、再提出だと笑って突っ返せば、最近入ったばかりの新人は悲痛そうに眉根を寄せた。

「だが前に注意したところは直ってたぜ。あともう一息だ。頑張んな!」
「……はい…!」

同じ役職に就いたからだろうか。かつてのあの男と同じ仕事をしているからだろうか。
最近、エミヤ課長を思い出す。

エミヤ課長が居なくなった後、俺達課の人間がよく言われるようになった言葉があった。

「流石、エミヤ君の部下たちは凄いね」

理由は些細なことばかりだった。
書類に小さなミスがないこと。きちんと目を見て挨拶をできること。人の名前は決して間違えないこと。どんなに下手くそでも良いから丁寧に名前を書くこと。
全部全部、エミヤ課長が細かく言い続けていたことだった。

書類を丁寧に扱うこと。名刺をきちんと管理すること。
それだけで仕事が円滑に進むようになるのだと、課長が居なくなってから改めて思い知った。

どんなに忙しくとも手を抜かず。部下の仕事量と動きを把握し、管理し、円滑に回す。それがどれだけ大変なことか、思い知った。
あの男が、彼が、どれだけ俺たちのことを見ていたのか思い知った。
そんな課長と同じ役職に就いた。彼よりも若い年齢で、彼よりも早い段階で。そのことが嬉しくて誇らしくて、一層仕事にのめり込んだ。
エミヤ課長ならどうしたか、彼ならどんな風に動いたか。そうやって仕事をこなしていくことは、とても楽しかった。
だから、少しだ浮かれていたのかもしれない。



つまらない、ミスだった。

日付を確認し忘れただとか、相手の名前を間違えただとか、そういう類と同じ。
つまらない、防げたはずの、初歩的なミス。

「課長なら…こんなミス絶対しなかったのに……っ」

口に出して情けなくなる。苛立った姿を部下に見せることも、フォローに四苦八苦していることも全部全部情けなくて仕方がない。
自販機の前の椅子で、足を投げ出して珈琲を啜る。滅多に飲まない缶のそれは、冷たくて酸っぱくて苦々しかった。
家に帰る気にもなれず、さりとて仕事と言う気分でもなく。暫くそうしてぼうっとしていると、廊下の向こうから見覚えのある人影が歩いてきた。

「久しぶりだな、アルスター」
「エミヤ…課長…」
「どうした、そんな所で」

まだ帰らないのか、と言わんばかりに腕時計をひらりと振る。時刻は九時をとっくに過ぎた。この人が居たなら、自分はもう会社にはいないで家でだらだらと過ごしていた時間だ。

「……」
「……何か、あったのか」

久々に会う俺の様子がおかしかったからか、何かを聞き及んでいるのか。無言を貫く俺の傍に、課長は静かに腰を下ろした。
催促するでも、促すでもなく。ただ言いたければ言え、とばかりにそこに座って。時折缶に口を付けて。
どれくらいそうしていただろう。

「……課長は、凄いっすね」

ほろりと、口から零れ落ちた。

「俺、課長と同じ役職になってからどれだけあんたが凄かったのか思い知りました。毎日毎日部下の進捗管理して、書類確認して。何なら他部署に根回しまでして」

それは、課長が居なくなってから知ったことの一つ。驚いたことの一つ。
どうしてあんなにも挨拶に連れ回されたのか。どうして皆が俺の名前を覚えてくれているのか。
考えるまでもなくそれはエミヤ課長のおかげで。

「……バレたか」
「元々、そのつもりだったんだってな」
「あぁ。私の異動はもっと前から決まっていたことでね。どうあっても部下を育て上げなくてはならなかった。とはいえ、私の課の人間は少し私を過信しすぎていてね…」

他所から来た人間の方が都合が良かったんだ、と課長は言った。
エミヤ課長と言う人間を信頼、いっそ信奉しすぎていて、その場所に自分が立つなど考えもしない人間が多かったのだと。自分があれやこれやとやりすぎてしまったせいで、課長というポストのハードルが上がりすぎてしまったようなのだ、と。

「……あぁ、何かわかるな、それ…」
「そうか?私は私に出来る範囲のことしかしていなかったのだがね、どうにも少しやり方がまずかったらしい。口うるさく言い過ぎたか、管理が行き過ぎたか…」

あぁ、あれは確かに鬱陶しかったと笑えば、課長は少しだけむっ、と唇を尖らせた。今は完全にオフだからだろうか。以前より少しだけ雰囲気が柔らかかった。
だから、少しだけ。ほんの少しだけ口が滑ってしまった。愚痴のような、懺悔のようなそれに、課長はそうか、とだけ言った。
それが少しだけ、胸に染みた。

「課長ならもっと上手くやったと思うと…情けなくて。俺、最近は自分でもけっこうやれてると思ってたんだ…。だから……」
「君の方が私よりよほど上手くやれているだろう。部下との関係も随分良いと聞き及んでいるぞ。…私はどうも口下手でね。君のように柔らかく物をいうことが苦手だったんだ。おかげで随分と煙たがられたものだよ」

ははっ、と笑う課長に、何とも言い難い苦いものが込み上げる。かつての自分は課長が言うように、彼を煙たがった。彼の細かな物言いや管理に楯突いた。
その先にあるものなど、考えもしなかった。
どれだけ大切にされているかなんて、思いもしなかった。

「……でも、俺は課長の下で働けて良かったです…。正直、細けぇなって腹も立ってたけど、そのおかげで今、部下にきちんとした書類の書き方が教えられます」

だから、ありがとうございました。

そう言うと課長は静かに、そうか、とだけ言った。



「おいアルスター!この書類は何だ!」
「やっべ…!」

課長――今は部長だが、何となく馴染まないのでそのまま呼んでいる――が本社に戻ってから数か月。このたかが数ヶ月の間に、俺の生活はまたも激変した。
何せ戻ってきた課長の就いたポストはあろうことか経理だったのだ。
いや、わかる。上層部の気持ちは痛いほどよくわかる。この重箱の隅を突くのが大好きな細かすぎる男を経理におけば、どれだけ楽が出来るだろう。そう考えた気持ちは大いに理解できる。
とは言え、こちらはたまったものではない。
出す書類出す書類突っ返されてはまた再提出して。仕方がないと勝手に机に置いて行けば、わざわざ探し出してまで突っ返される始末だ。

「良かったですね。ランサー。貴方の嘆きが解消されましたよ」
「はぁ…っ!?何だよそれ」
「かつて嘆いていたではないですか。経理より書類の通りにくい課は嫌だ、と。おめでとうございます。彼が経理部長の間は、社内で最も書類が通りにくい場所は経理ですよ」
「嬉しくねぇ~~~~ッッ」

それと、劇的に変わったことがもう一つ。

「終わったか、アルスター」
「ん、もうちょっと…」
「早くしたまえ。上司がいつまでも残っていては部下が帰れないだろう。そもそも君はいつもそうやって書類仕事を後回しにしがちだが…」
「わぁーった!わぁーってます!!もう帰る帰ります!!」

エミヤ課長と、飯を食うようになったこと。

最初は、たまたまだった。
昼時にゼリー飲料をかっ込んでいる俺と、弁当をもって食堂に向かうエミヤ課長。ドア越しに目が合って、あの整った顔立ちが凄い形に歪んでいくのをまるでスローモーションでも見ているかのように眺めた。
おい、大丈夫か。そんな顔廊下で晒して。あんたのキャラじゃないぞ。
次の日も、同じように目が合った。
言いたいことはわかるし、俺だってまともな飯を食いたい。けれど、どうしたって時間がそれを許しちゃくれない。そんな気持ちというか怨念というか。言い表せないあれこれが籠った目でじとりと見返してやると、ふいに課長がつかつかと歩み寄ってきた。その手には弁当箱があって、そういやこの人昔からいつも手作り弁当だったな、とかぼんやり思う。
あぁ、いつまでもそんなものを見ては目の毒だ。今日も今日とて俺の相棒はこの10秒チャージくん。優秀だな。気持ちは荒む一方だが。
じゅぅーっと終わりかけのゼリーを吸い上げて、さぁ仕事に戻ろうかという瞬間、ドン、と目の前に弁当が降ってきた。

「…………は」
「食え」
「え」
「食え」

般若もかくやという面相で差し出された弁当箱は、一人分にしてはやけにでかかった。いや、俺ならば食いかねない量ではあるが、課長がそんなに大食らいだった記憶はない。
それもその筈。この弁当は、俺のために作られていた。
数年前は鬼か悪魔かに見えていた男が、今は後光の差した神様に見える。我ながら現金だとは思うが、それぐらい疲れていたのだ。
水筒から注がれる温かい茶に、色んな具の入ったおにぎり。出汁巻き卵に肉団子やブロッコリーとイカの中華風炒めなどなど。荒んだ胃と心を温めるには十分すぎるメニューを一心不乱に貪った。
ようやく全てが満たされて一心地、といったときに課長がぽつりと零したのだ。良ければ今後も作ってこようか、と。そのときの俺の心境がわかるだろうか。この世の春。祝福の日。心の中じゃビキニ着た俺がサンバでフィーバーだ。

「いや、でもそれは…」
「顔と台詞が合ってないぞ」
「んん…っ」
「要らないと言うのなら別に構わんが」

人並みの遠慮を見せた俺に、課長がニヤリと唇を吊り上げる。目元も心なしか楽しそうだ。
どうせバレているのだから、遠慮なんてすることはない。さすがにそこまでは図々し過ぎじゃないか。向こうから言いだしたことだぞ。そもそも何のために俺の弁当なんか。
色々な考えが浮かんでは消え、消えてはふわりと浮遊する。

「で、どうする」

こほん、という小さな咳払いが、これが最後だぞ、と告げている。これで断れば明日からはまた、良くてコンビニ弁当かカップ麺。悪くて栄養ドリンクの生活だ。
それは、避けたい。
切実に。
そう思った瞬間、俺は頭を下げていた。

それ以来、昼はエミヤ課長と食堂で、というのが暗黙の了解となっている。お互いに忙しすぎて身動きが取れないときは別々に摂ることもあるが、鉄壁の管理のおかげか繁忙期を越えた影響か。今のところはあの日のような忙しさには見舞われていない。

「遅いぞ」
「すんませんっした、ってば」

そうして今、こうして昼のみならず夜も時折ともに食事をする仲にまでなっていた。

「さて、今日はどうする。前に休みだったあの店にでも顔を出してみるか」
「んー…、それもいいんだけどよ。明日は休みだし、たまには飲まねぇ?」
「言葉遣い」
「何だよ、いいだろ。会社は出たし、明日は休み。てことは俺ぁ今完全プライベートだぜ?」
「そうは言ってもまだ会社に近い。誰かに見られたらどうするつもりだ」

いやそれ不倫とかしてるカップルの台詞では。
喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込む。何だ不倫って。何だカップルって。同性愛についてとやかく言うつもりはないが、俺と課長は断じてそんな間柄ではない。

「はいはい」
「はい、は一回でいい」
「はーい」

お決まりのお小言を聞きながら、会社を出て駅へと足を進める。駅前には色んな店があるし、その中のどこかで飲むのもいいだろう。飲み屋でも、小料理屋でも焼き鳥屋でも。この人と酒を飲むのは初めてだから、きっと楽しいに違いない。

「それで、行きたい店はあるのか」
「ん、駅前で適当に入ればいいかと思ったが…、希望あるか?」
「希望、と言うか…」

ふむ、と思案するように宙を泳ぐ視線に、顎にあてられた手。いかにも考えています、という体の男からの提案に、俺は一も二もなく飛びついたのだった。



「……………………旅館……?」
「馬鹿なことを言っていないで入りたまえ」

いやいやいや。何が馬鹿なことなものか。何だこの家は。何だこの門は。敷地は。
少し歩くんだが、と告げられて駅から二人連れ立って歩いて。ここを曲がると着く、と言われてから暫し続いた漆喰の壁。これが全て課長の家と道を隔てるものだったなんて誰が思おう。門を潜って、案の定とばかりに視界に広がる景色に俺の口はあんぐりと開いたままになった。

「ほら、いつまでそこに突っ立ってるんだ」
「いや、だ、て……。……え……?」
「古いばかりの家だがね。見ての通り少しばかり騒いだところで周りに迷惑になることもない」

飲むには打ってつけの環境だろう、と悪戯っぽく笑って、課長は玄関を開けた。そのガラ、という引き戸の音を合図に無理矢理足を動かし、後を追う。

「こんなでっかい家に一人で住んでんのか……」
「数年前までは弟と住んでいたんだ。だがまあ奴もいい年だしな。そろそろ自立の頃かと思って追い出したんだ」
「追い出したってあんた…」
「言葉通りと思ってくれて構わんよ。そもそも考えてもみたまえ。いい年をした男兄弟の二人暮らしだぞ。あまり気持ちのいいものではないだろう」

この言葉を、数年前の自分ならそのまま素直に受け止めて憤慨したに違いない。けれど今ならわかる。これは、優しさだ。
これだけの広さの家を維持管理するのは並大抵のことではないだろうし、その費用だってかなりのものだろう。それを背負う重責から、弟を解放した。この土地に縛り付けられる未来から、自由にした。
そういう、わかりにくくて温かい、優しさなんだ。
それがわかるようになった自分が、少しだけ誇らしかった。

「私は荷物を置いてくる。そっちに洗面所があるから、手を洗ってきたまえ。タオルは置いてある。終わったら居間に来るといい」
「へーい」

自室と思わしい引き戸の前で足を止めた課長は長い指で、す、す、とそれぞれの扉を指し示した。見た目の印象に違わぬスケールの内部はどこをどう作ったのか迷路のようになっていて、逐一教えてもらわねば今来た道すらわからなくなりそうだ。
太い柱に少しだけ鳴る板張りの廊下。ドアと襖の混在する扉に、コントラストのはっきりした壁。
少しだけふわふわとした感覚は、ここが初めて来る場所だからか。課長の家だからなのか。
数年前の自分に教えてやれば、面白いぐらいに顔を歪めることだろう。お前はこれから何年かすると課長の弁当を食って、夜もたまに一緒に帰って、挙句の果てに家にまで招かれるんだぞ、と。信じられない、あり得ない、と叫んで頭を掻き毟るに違いない。
それぐらい、あの人のことが嫌いだった。
口うるさくて細かくて重箱の隅を突くのが大好きな男。それが実際は、誰よりも周りを見て誰よりも先を見越して。部下を信頼して、部下に信頼される上司だった。
そうしてそれはいつしか。俺の、憧れの男になった。

「……人生、何があるかわかんねぇもんだな」

無駄にふかふかしたタオルで手を拭いて、言われた通り廊下を歩いて。いつものワンルームでは味わえない非日常を満喫していると、ふわりといい匂いが漂っていた。
居間の扉だと教えられていた引き戸を開けば、その匂いは一層濃くはっきりとしたものになる。

「あぁ、来たか。アルスター、君特に好き嫌いはないんだったな?」

弁当を作ってもらうようになって、俺の好き嫌いはこの人に把握されることとなった。元より苦手なものは殆どない。あぁ、と頷けば美味い物を食えるとわかっている腹からは、ぐぅ、と催促の音が鳴り響く。

「……っふ…っ、……君は本当に子供のようだな」

くすくすと笑う課長の顔は、これまで全くみたことのない類のもので。ふわりと柔らかく、どこか可愛げのあるもので。
初めて見るその姿に、どうしてか心臓が跳ね上がった。

「……っ、……い、や、普通だろ。今何時だと思ってんだよ。八時半だぞ、八時半。そりゃ腹も減るっての」
「それは君がなかなか仕事を終えないからだろう」

やはり自宅にいるからだろうか。いつもなら少しだけ厳しい響きのある声も、今は角が取れていてどこか丸い。

「すぐに作ってしまうから、座って待っているといい。それとも、先に何か摘まむかね?」
「いや、流石に我慢できるって。手伝うことあるか?」

俺の申し出に対して、大丈夫だ、と告げる声は、聴いたことがないほど優しい響きをしていた。



課長の言う『少し』とは、本当に少しだった。時間にしてものの数十分。体感ではもっと早い。俺と会話をしながら淀みなく料理を作り上げていく姿は、仕事中の課長とどこか重なるものがあった。

「待たせてすまなかったな」

召し上がれ、と供されたのは山盛りの冷しゃぶとレンコンのきんぴら。俺の大好きな出汁巻き卵に法蓮草の白和えと叩いた梅の乗った冷奴。それからそれから。

「う……んめぇ……っ!」

とりあえずは飲むより食べたいだろうと出された白米と味噌汁。がっつくように口を付ければ、具沢山の味噌汁は今まで食べたことがないほど美味かった。
口に合ったようで何よりだよ、という言葉にぶんぶんと首を縦に振って、次々と口に放り込む。そんな俺を見て何が楽しいのか、課長はずっと穏やかに笑っていた。

遅ればせながら登場した缶ビールと課長の美味い料理。その両方に癒されながら、色々な話をした。
仕事のこと、プライベートのこと。学校のことや、家族のことまで。

「あんたの弟ってどんな感じなんだ?顔は?似てるのか?」
「……いや、どうだろう。あまり言われたことはないが…。あぁでも、奴も同じように料理は好きだな。というより、家事全般が好きなようだ」
「ははっ、それじゃそっくりじゃねぇか」

思わず声をあげて笑ってしまった。顔形が違ったとしても、そこが同じということは性質は瓜二つということだろう。偏見もあるが、家事全般を好んでやる男と言うのはやはり珍しい。
くっくっと笑いながらビールを煽れば、目の前の男はどうやら不満だったらしい。そう言うアルスターは、と反論するので言葉尻を捉えて、ランサー、と訂正する。

「…っぐ、……やはり呼び慣れないな」
「俺としちゃ、アルスターよりよっぽど呼びやすい響きだと思うがね。アーチャー」
「呼ばれるのも慣れない…!」

あれこれと話をするうち、少しだけ酔いも回ってきたのだろう。常のようにアルスター、と呼ばれることが少しだけ息苦しくなっていた。
そもそも今はプライベートな時間だし、俺はとうの昔に敬語なんて取っ払ってしまっている。その俺に対して、仮にも上司であるアーチャーがそのまま、というのはどうなんだ。
そう詰め寄れば渋々ながらわかった、と頷いたのである。というか頷かせた。
ちなみにアーチャーと言うのは課長の昔の渾名らしい。プライベートでまで役職で呼ばれる趣味はない、とのことだったのでこちらも無理矢理引き出した。

「慣れだ、慣れ。何事もチャレンジが大切、だろ」
「楽しんでないか、君…」
「楽しんでるに決まってるだろ。美味い飯に美味い酒。これが楽しくなくて何だって言うんだ」

そう言って次の缶に手を伸ばせばアーチャーは、ふは、と笑った。

最近になって分かったことだが、この男は意外とよく笑う。仕事中には眉間に皺を刻んでいることもしばしばだが、一歩会社の外に出ればやれ胡瓜が安かっただの猫さんが可愛かっただのでよく目を輝かせていた。
ていうか何だ猫さんって。どういう呼び方だ。

「それで?今度は君の兄弟のことを聞かせてくれるんだろう、ランサー?」
「んぁ?聞きたいか?それ」
「うちの弟の話を聞きたがった君の言葉とは思えんな」
「いや、アーチャーの弟ってのに興味が湧いたんだよ」

その言葉、そっくり返そう。と言いながらアーチャーは机の上の空になった皿たちを重ねていく。食事の時間はもうとっくに終わっていて今は酒だけを煽っているし、几帳面な男としては、恐らく机の上をいったん片付けてしまいたいのだろう。
それぐらいなら、手伝える。

「たいした話はねぇよ。まぁ、顔が瓜二つってことぐらいで」
「それは…たいした話だろう」

洗い物をするアーチャーの横で、それらの水滴を拭っていく。子供でも出来そうな手伝いの一つだが、どうしてか最初は断られた。
皿の一つも割ると思われたのだろうか。俺はそこまで酔ってない、と主張するとごにょごにょと何かを言いながら布巾を渡された。

「そうかぁ?すぐ上の兄貴…、キャスって呼んでるが。そいつと俺、すぐ下の弟のオルタは、まぁ…自分で言うのも何だがよく似てるな。身長も同じだし、三つ子扱いされることもある。一番下だけは少し顔立ちが違うが…。でも一般的には似てる方だと思うぜ」
「……これだけ綺麗な顔が四つもあるとは、贅沢な話だな…」

ふいに顔を上げたアーチャーが此方を見て、呆れとも苦笑ともつかない溜息を吐く。自分の顔立ちがそこそこ整っている自覚はあるが、言うほどだろうか。
オルタはともかく、キャスの顔がそこまで良いものだとは思えない。幼い頃に取られたおやつの恨みは未だもって消えぬ根深いものなのだ。

「あんたがそういうこと言うの珍しいな。……あぁ、そっか。アーチャー。あんた、俺の顔が好きなのか」

ばちゃん、と水が跳ねる。アーチャーが手に持ったスポンジを落としたからだ。

「……ッ!……へ、…変な言い方をするな…!」
「…へ?あぁ、いや。あんたが人の見た目に関してあれこれ言うの始めて聞いたから…」
「え、…あ、いや……。確かに、そうだが……」

数年前も、今も。アーチャーの口からそう言った話を聞いたことは一度もない。
芸能人の誰それが綺麗だとか、どこそこの定食屋の店員が美人だったとか。そう言ったことに花を咲かせる部下の話に、アーチャーはただの一度も混ざったことが無いのだ。
その男が、人の顔に対してそんな風に言うものだからつい口が滑った。
改めて考えるとすごい発言だ。俺の顔が好きか、って。どんな自信満々な野郎だよ。

「だから、あの…ちょっと、珍しいな……と、思って……」
「……ん、…まぁ、……少し、柄にもないことを…言った、かもしれない…」

しどろもどろになるアーチャーと、妙な羞恥心に苛まれる俺。場の空気は一気におかしなものになってしまった。

「…………と、とりあえず片付いたし……。まだ買ってきた酒もあるしな、飲むか…!」
「……あ、あぁ…」



ナッツ等の乾きものと、ウイスキーと氷。それらを小さな丸い盆に載せて、俺達は縁側に居た。雨戸を閉めようとしたアーチャーの肩越しに見えた月が、それは綺麗だったからだ。
庭も一望出来て、酒の肴としちゃ最高だろ、と言うとアーチャーは少しだけ嬉しそうに、そうか、と言った。
居間から座布団を運んで、行儀が悪いぞと言われながら寝そべって酒を煽る。
先ほどまでの楽しい雰囲気とはまた違い、今はしっとりと、降り注ぐ月明かりのように穏やかで静かな時間が過ぎていた。

「そんな体勢で飲んで…、溢しても知らないぞ」
「俺ぁ子供かよ」
「何度注意しても同じことをするんだ。似たようなものだろう」

くすくすと笑うアーチャーの声も、今は少しだけひっそりと響く。夜の静寂を壊さない程度の音量が、耳に心地よかった。

「あまり飲みすぎると帰れなくなるぞ。明日は休みなのに、二日酔いで潰れるのも馬鹿馬鹿しいだろう」
「んぁー…、それな…。もうすでに面倒になってる…。ここから動きたくねぇ…」
「だから飲み過ぎるなと言っただろう…」

呆れたように溜息を吐く男に向かって、あーちゃぁ、と情けの無い声が上がる。居間にでも転がしておいてくれれば、明日の朝勝手に帰るから。そういう、甘えだった。

「………全く。本当に仕方のない男だな」

いつか同僚が言った、甘やかされたいのか、という言葉が蘇る。
あぁ、そうだな。俺は、この男に甘やかされたい。この自分にも他人にも厳しい男が仕方がない、とばかりに眉を下げる姿が見たい。
願わくば、それが俺だけのものであって欲しい。
眉間に皺を寄せて、明日の予定は、と聞かれる。形だけ叱る体をしていても、どうしたって降ってくる声が優しくて。ふわふわとした気持ちがアルコールのせいだけではないことを痛感する。
今回だけだぞ、と言いながら甘ったるいカクテルを煽る喉仏が月明かりでやけにくっきりと見えた。

「あぁ、何なら宿泊費も置いてくから、朝飯も食わしてくれ」
「……うちは旅館か何かか?」
「見た目は似たようなもんだろ」

冗談めかして言えば、アーチャーもそうだな、と笑う。
仕事中は刃物と見まごうほどの鋼が今はゆるゆると溶けていて、言葉と共にとろりと俺の胸に溜まっていく。

「美味い飯には金を払いたくなるもんだしな。……ああ、金と言えばそうだ。いつもの弁当代だって今回の飲み代だってもう少し受け取ってくれよ」
「宿泊費など要らんさ。ご覧のとおり、部屋だけは無駄にあるんでね。好きに使うといい。弁当代だってきちんと材料費はもらっているんだから、君が気にすることではないよ」
「いやいやいや、手間賃てもんがあるだろうが…」

一人分も二人分も大して変わらん、と男は宣うが、そんなわけがあるか。自分で言うのも何だが、俺の分だぞ。普通にしていたってアーチャーの倍は食う自信がある。そんな奴の弁当を作る手間が一人分と同じであるものか。

「……いや、まぁ……そうだな。量は確かに多いが…。……ただ、食べてくれるのが嬉しくて…」

零された言葉に、グラスの中の氷がからん、と音を立てた。

「最近は自分の料理を食べてもらう機会もなくてな。…どうにも、その、楽しかったんだ。だから、何と言うか……、私の自己満足的な部分もあるので……。……うん」

あまり気にしてくれるな、と。これは私の趣味だから、と。
そんな風に言われて引き下がれるか。それならそれで、自分の所の部下にでも作ってやれば良いだろう。今更あの弁当が無くなるのは生活における彩と言う点では大いに痛手だが、そもそも部署も違う直属の部下でもない男に弁当をこさえてやる理由などない筈だ。
そう。本当なら。アーチャーが俺の食生活を気にする必要なんてないのだ。
そんな風に考えていると、ふいにアーチャーが小さく笑みを零した。聞けば、数か月前のあの日を思い出したのだと言う。
俺が味気ない昼飯にありついていたあの日。アーチャーが、俺の弁当を作るようになったきっかけの、あの日を。

「あのときの君は本当に…、捨てられた子犬か何かのようでな。……あぁ、怒らないでくれ。別に悪く言うつもりはないんだ。ただ、君はいつも楽しそうに昼食を摂っていたからな。それが眉間に皺を寄せてゼリー飲料に齧りついていて…」

職場における昼休憩、食事時間というのは、誰だって心躍るものではないのだろうか。部下として働いていたとき、俺の隣に居たセイバーだって似たようなものだった。大食らいの俺達はよく食堂で山盛りのカレーだのかつ丼だのをかっ込んだものだ。

「その顔があんまりにもしょんぼりとしていて……。……何というか、うん……」

少しだけ、可愛かったんだ。

そう言いながらへにゃ、と笑うあんたの方が絶対に可愛いと思う。咄嗟に浮かんだ感想を、もう打ち消すことも出来やしない。
どうやらアーチャーは酒にはあまり強くないらしい。片付けが終わって気が弛んだのもあるとは思うが、さっきからへにゃへにゃとよく笑っている。

何だこれ。何だこの可愛い生き物は。
これが俺より年上のおっさんかと思うと眩暈がする。
ギャップって言うレベルじゃねぇぞこれ。もはや詐欺だ。訴えられたら百パー負ける勝負だろこんなん。

「…………俺に飯作るの、…好きか?」

恐る恐る尋ねれば暫しの逡巡の後、あぁ、と嬉しそうに微笑まれる。
あ―――もう、と思わず掌で顔を覆って天を仰ぐ。

すまねぇ数時間前の俺。俺とエミヤ課長はそんな間柄じゃあねぇが、俺の方としてはそんな仲でも問題ないらしい。

この男が可愛く見える。

そんなの、そういうことだろう。

見上げた月が真ん丸で明るくて。
すとんと胸に落ちてきた気持ちがほわほわと温かくて。

あぁ、幸せだな、と。

柄にもなくそんな風に思った。



ちなみに次の日の朝「起きろ」と客間に俺を叩き起こしに来たアーチャーは昨夜の名残など全くない、いつも通りのアーチャーだったのだが。

「…………っ」
「……?どうした。…あぁ、寝間着のままですまないな。君だからいいかと思って。ほら、シャワーでも浴びてすっきりしてこい。ご要望通り、朝飯ぐらいは出してやろう」

そう言いながらアーチャーは風呂の場所を指し示し、踵を返して居間へと消えて行った。後に残された俺は、部屋の真ん中に敷かれた布団の上でごろごろと転がり回るしかない。

「――――ッ!浴衣って…!眼鏡って…!」

そう、俺を起こしに来たアーチャーは当然ながら仕事モードではない。当然だ。今日は休日で、ここはアーチャーの家で。だから彼がオフモードで居ることに、何ら不自然な点はない。
ただ、その姿が大変心臓に悪かった、というだけのこと。

いつもはオールバックに撫でつけている髪がさらりと降りていて、眼鏡を掛けていて。眉間の皺や鋭い眼光が見え辛いからだろう。そうしていると、顔立ちが幼いことがよくわかる。いわゆる童顔、というやつだ。顔立ちだけならたぶん俺よりも若い。
それだけでも大層な破壊力だというのに、アーチャーの着ていた『寝間着』。それが何と、浴衣だったのである。
何だこの大盤振る舞いは。不意打ちだ。通り魔的犯行だ。こちとら昨日薄らと気持ちを自覚したばかりの初心者だと言うのに、何と言う追撃だ。

「あぁ、ランサー」

あぁああ、と声にならない声を上げていると、カラ、と向こうの方で引き戸の動く音が聞こえた。恐らくは居間からだろう。こちらに投げかけるように声が聞こえる。
少しだけ拗ねたような口調は、先ほど見た幼い顔立ちとよく似合う響きをしていた。

「早く来ないと、先に食べてしまうからな」

だから!ギャップ萌えってレベルじゃねぇからな、それ!!

あぁ、降参だ。
ぐちゃぐちゃと言い訳をするのは男らしくないし、何より性に合わない。ここいらではっきりと認めてしまおう。『これ』をこれからの俺の真ん中に据えてしまおう。
迷うことはない。だって俺は、欲しいと思ってしまった。あの時間もあの優しさもあの甘ったるさも。全部俺のものにして、他人になんか見せないように仕舞い込んでしまいたい。

だから、ここに宣言しておこう。


俺、ことクー・フーリン・L・アルスターには、好きな男がいるのだ、と。

Comments

  • サポニン
    July 14, 2019
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