乳幼児期の関わりをどう考えるか――ポスト神話の子育て論
日本の子育てをめぐる議論では、長く「母性神話」や「3歳児神話」という言葉が使われてきました。
母性神話とは、母親には本能的に子どもを育てる能力があり、子育ては母親が担うべきだという考え方です。
3歳児神話とは、「子どもは3歳までは母親の手で育てないと健全に育たない」という主張を指します。
近年では、これらの言説に対する批判が広く共有されるようになりました。
1998年には厚生省(現・厚生労働省)の検討会も、3歳児神話について「少なくとも合理的な根拠は認められない」と整理しています(厚生省児童家庭局, 1998)。
この流れ自体は、女性の社会参加や保育制度の拡充という観点から見れば重要な変化でした。
子育てを母親だけの責任に押し付ける社会構造は、確かに問い直される必要があったからです。
しかし、こういった「神話」が否定されたあとの乳幼児期の関わり方については充分な議論がなされていないように感じられます。
「母性神話」「3歳児神話」が否定されたあとに、子どもと関わる世代は乳幼児期の子どもとどのように関わればいいのでしょうか。今回はこのことについて考えてみたいと思います。
「母性」ではなく「関わり」
この問いを考えるときに重要なのは、発達研究が何を研究しているのかを整理することです。
母性神話の議論では、「母性」という言葉が中心になります。
ここでの母性とは、一般に次のような前提を含んでいます。
母親には本能的に子どもを育てる能力がある
子どもの発達は母親の愛情に依存する
子育ては母親が担うべきである
しかし、発達心理学の研究が扱っているのは、このような「母性」という概念ではありません。
研究の対象になっているのは、養育者と子どもとの相互作用です。
例えば愛着研究では、養育者の「応答性(responsiveness)」が重要な観察対象になります。
応答性とは、子どものサインに気づき、それを理解し、適切に応答する関わり方です。
メアリー・エインズワースの研究では、このような応答的な関わりが、いわゆる「安定型愛着(secure attachment)」と関連することが報告されています(Ainsworth et al., 1978)。
安定型愛着とは、子どもが養育者を「安心できる拠点」として感じている状態を指します。
愛着研究では、子どもは不安や恐怖を感じたときに養育者のもとに戻り、安心を得ることで再び周囲の世界を探索するようになると考えられています。このとき、養育者が子どものサインに気づき、適切に応答してくれる経験が積み重なると、子どもは「困ったときには支えてもらえる」という基本的な安心感を持つようになります。
また、近年の乳幼児研究では、serve and return interactionと呼ばれる応答的相互作用がよく紹介されます。
これは、
子どもが声を出す
↓
大人が応答する
↓
子どもが再び反応する
という往復的なやり取りです。
子どもが声を出したり視線を向けたりする「サーブ」に対して、大人が応答する「リターン」を返す。この往復的なやりとりが繰り返されることで、言語や社会性の発達が支えられると考えられています。(Center on the Developing Child, Harvard University)
「母親」ではなく「養育関係」
ここで特に重要なのは、発達研究が見ている対象が「母親」という存在そのものではないという点です。
日本では、子育ての議論になると、どうしても「母親」という言葉が中心に置かれがちです。母親がどれだけ子どもと一緒にいるか、母親がどれだけ愛情を注ぐか、といった形で子育ては語られることが多いです。
しかし、愛着研究を含む多くの発達研究では、対象は母親ではなく primary caregiver(主要養育者) と呼ばれます。
これは「子どもと日常的に関わり、世話をする人」という意味であり、必ずしも母親を指すわけではありません。父親である場合もあれば、祖父母である場合もありますし、保育者が主要な関わり手になることもあります。
つまり、研究が見ているのは「誰が育てるか」ではなく、どのような関わりが子どもと交わされているかという点なのです。
この観点に立つと、母性神話の議論も少し違った形で見えてきます。問題は母親が育てるかどうかではなく、子どもが応答的で安定した関係の中に置かれているかどうかです。発達研究が関心を持っているのは、まさにその「関係の質」なのです。
乳幼児期には確かに特徴的な発達がある
次に、3歳児に神話についてです。
この神話も母性神話同様否定されましたが、これは決して3歳までの養育をないがしろにしてよいという意味ではありません。
ここでいう3歳児神話とは、一般に
「子どもは3歳までは母親の手で育てなければ健全に育たない」
という主張を指します。
1998年、厚生省(当時)の検討会は、この言説について「少なくとも合理的な根拠は認められない」と整理したことは先にも触れました。
しかし、この整理が意味しているのは、「この時期の子を母親が家庭で育てなければならない」という主張に根拠がないということです。
決して、乳幼児期そのものが発達にとって重要ではない、という意味ではありません。
むしろ発達研究を見ると、この時期が子どもの発達において重要な意味を持つことは、多くの研究で示されています。
たとえばピアジェの理論では、0〜2歳頃は「感覚運動期」と呼ばれる段階にあたります(Piaget, 1952)。
この時期には、物が見えなくなっても存在し続けることを理解する「対象永続性」や、行為と結果の関係の理解など、後の思考の土台となる能力が形成される時期とされています。
また愛着研究では、生後6か月頃から2歳頃にかけて、養育者との関係の中で愛着が形成されていくことが知られています(Bowlby, 1969)。
つまり、乳幼児期には確かに特徴的な発達過程があるということです。
この時期の関わりが子どもの発達に影響を与えること自体は、発達研究の中では広く共有されている事実です。
乳幼児期の関わりを誰が支えるのか
しかし、母性神話とともに3歳児神話が否定されたことで、この事実が社会の議論の中で少し見えにくくなっているようにも感じられます。
その一端は、日本の保育制度の設計にも見て取ることができます。
保育施設では、子どもの人数に対して何人の保育士を配置するかという基準が定められています。
これは child–staff ratio(子どもと保育者の人数比) と呼ばれるものです。
OECD(経済協力開発機構)や保育研究レビューでよく示される目安(子ども:保育士)は次の通りです。
0~1歳 3:1程度
1~2歳 4:1程度
2~3歳 5~6:1程度
3~5歳 7~10:1程度
一方、こども家庭庁の資料によると、日本の配置基準は次のようになっています。
0歳児:3:1
1歳児:6:1
2歳児:6:1
3歳児:15:1
4・5歳児:25:1
制度の取り方や集団の区分が異なるため単純な比較はできませんが、日本では3歳以降の集団規模がかなり大きいことが分かりますし、1歳児の配置についても改善の余地があります。
実際、日本でも制度の見直しが進んでおり、こども家庭庁は2025年度以降、1歳児の配置基準を 6:1から5:1へ改善する方針 を示しています。
日本の子育てをめぐるもう一つの特徴
また、日本には子育てをめぐってもう一つの特徴があります。
社会政策の研究では、日本はしばしば
家庭責任モデル(familialism)
の国として説明されます。
これは、子育てや介護などのケアを、基本的には家族が担うものとする社会のあり方を指します。
ヨーロッパの一部の国では、保育制度や育児休業制度を通してケアを社会全体で支える「脱家族化(defamilialization)」が進んできました。
それに対して日本では、制度が拡充されてきたとはいえ、依然として「子育ては家庭が中心」という前提が強く残っています。
母性神話は批判され、3歳児神話も否定されました。
しかしその一方で、乳幼児期の関わりを社会としてどのように支えるのかという議論は、必ずしも十分に深まっているとは言えません。
神話を否定することと、乳幼児期の関わりの重要性を社会の中で位置づけることは、同じ問題ではないのですが、家庭の中における乳幼児との関りについては議論は深まっていないように感じられます。
「母性」と「養育行動」は別の概念である
日本の子育てが「家庭責任モデル」にも関わらず、乳幼児期の養育者の関りが議論の的にならないでしょうか。この理由の一つは、複数の概念が同じ議論の中で重なっていることにあります。
例えば、子育ての議論には次の三つの概念が混在することがあります。
母性(本能としての概念)
母親役割(社会制度としての役割)
養育行動(実際の関わり)
母性神話の批判が対象にしているのは、主に最初の二つです。
つまり、「母親には特別な本能があり、子育ては母親が担うべきだ」という前提です。
しかし、発達研究が扱っているのは三つ目の養育行動です。
つまり、子どもと養育者の相互作用です。ここに3歳児神話も加わってしまったことで議論が混沌としてしまいました。
整理するこうです。
母性神話+3歳児神話の議論
= 乳幼児は誰が育てるべきか
=母親が育てるべきだ VS 母親じゃなくてもいい
発達研究の議論
= 乳幼児とどのような関わりが行われているか
=子どもと養育者との間に応答的な関わりがもてるといい、など
つまり、母性神話・3歳児神話を批判することと、乳幼児期の関わりを考えることは、同じ議論ではないということです。
しかし、これらの神話が否定されたあとに、発達の議論が密になされたかというと、そうとは言えないというのが日本の現状ではないでしょうか。
おわりに:ポスト神話の子育て論
母性神話や3歳児神話の批判は、日本の子育てをめぐる議論に大きな転換をもたらしました。
子育てを母親だけの責任とする考え方が問い直されたことは、重要な社会的変化だったと言えるでしょう。
しかし、その議論のあとには、もう一つの課題が残ります。
母性神話でもなく、3歳児神話でもない形で、乳幼児期の関わりをどのように位置づけるのかという問題です。
言い換えれば、私たちはいま、ポスト母性神話・ポスト3歳児神話の時代に立っているのかもしれません。
神話を否定すること自体は重要ですが、それだけでは子どもとの関わりの意味を十分に説明することにはなりません。
発達研究が示しているのは、母性という特別な本能ではなく、養育者と子どものあいだに生まれる相互作用です。
乳幼児期の発達を支えるのは、特定の人物ではなく、応答的で継続的な関係の中で生まれる関わりです。
同時に、こうした関わりは、個々の家庭の努力だけで成り立つものでもありません。
親の労働時間、育児休業制度、保育の人員配置、地域の支援体制など、子どもを取り巻く社会の制度や仕組みは、養育者がどのように子どもと関わることができるかに大きく影響します。
そう考えると、これからの子育て論は、「母親が育てるべきかどうか」という問いから一歩進み、
どのような関わりが子どもと交わされているのか、そしてその関わりを社会としてどのように支えるのかという問いへと広がっていく必要があると言えるでしょう。
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